第20話

 絵を教えるから、パン屋の休憩室を使わせてくれと店主である智美さんに頼むと、二つ返事で了承してくれた。

 その際に「個室で二人きりだからってお痛はメッよ?」と実年齢30後半から40前半と思われる女性からウィンク交じりに忠告を受けたのだが、「アラフォーでその言動はアンタの方がお痛だよ!イタタタだよ!」と全力で思わない事もない、かもしれないとは言えないという事も無きにしも非ず、といった感じに地の文でも言葉を濁しまくってあげる僕は、実にオバサンに優しい存在であろう。


 え?最後に言い残す言葉は無いかって?


 そうだな。

 この世から年相応という概念が無くなれば良いと本気で思います。


 僕の処刑はこれからだ。


 で。


「何を描けば良い?」


 先ほど手渡したスケッチブックの中の絵を眺めながら園部さんは、そう聞いてきた。何が面白いのかわからないけど、時折笑みを浮かべながら僕の作品というか落書きを見ている。


 そうだなぁと室内を見渡すが、良さげな物は見つからない。

休憩室は、従業員の着替え室でもあるらしくロッカーが4つ置かれており、入り口から見て左奥の隅にパソコンが一台、その横にポットやマグカップといった諸々、そして室内の中央にテーブルがドンと置いてあり、それがここにある全てだった。

 描いて面白そうな物は特に無い。


「うん。似顔絵にしよう」


「誰の?」


「誰でも良いけど、自分のにしたら?手鏡は乙女の嗜みとして持ってるでしょ?」


「その言い方は気に障るけど、確かに持ってるわ」


「取り敢えず、そうだな。15分で描ける所まで描いてみてよ。」


「分かったわ」


 そう言うと、鉛筆を右手に持ち園部さんは鏡と向き合い始めた。その視線は真剣そのものだ。そんなに肩肘張らずとも良いのにと思いながら、僕は静かに園部さん近くの椅子に腰を下ろした。

 鞄から英単語帳を取り出し、適当なページを開く。


 それを枕にした。



◯◯◯◯



 そして15分後。


「うん。超下手。」


 予想外の下手さだった。


「え、何?これ園部さん?」


 紙に描かれた絵を指して問う。


「そうよ」


「これが園部さんなら、貴方は園部さん?」


 絵と本人、両方を指して問う。


「どういう意味よ?」


 ジト目で睨んでくる園部さん。心なしか顔も赤くなっている。

 正直かなり可愛いかった。


「絵、苦手だったんだね。」


 僕のストレートな問いに、最初は少しムッとしたのか、抵抗的な顔を浮かべる。が、程なくして観念した様に園部さんは口を開いた。


「気付いたのは中学に入ってからよ。小学までは周りもそれ程上手くないし、絵自体が下手でも構造や発想が良かったらそれなりに評価されるみたいで、私も周りも気付かなかったんだけど」


 僕は小学の時教室に張られた園部さんの絵を思い出そうとしたが、そもそも記憶に無いという事に気付いた。

 絵に関しては自分の畑という意地と誇りがあったので、園部さんにも対抗意識を持つ事はなかったのだが、若しかしたら単に下手だったから気にしていなかっただけなのかもしれない。


「それはそうとして、これは幾ら何でも酷すぎでしょ。」


 改めて園部さんが描いた園部茉莉子の不似顔絵を見る。

 輪郭はカクカクとし、人としては到底あり得ない窪みと出っ張りがそこにはあった。顔の一つ一つのパーツが顔からはみ出さんばかりの勢いで配置されており、なんと言うか、小学生が版画を掘ったらこういう顔になるよなって言う感じの顔が描かれている。


「これは、アドバイスでどうこうなるレベルなのだろうか」


 どこからどうアドバイスしたら良いのかすら分からないいっそのこと個性派を語ってみればどうだろうか?一億年後位に評価は上がっているかもしれない。


「私の画力を人並みにして頂戴」


「開き直ってますね」


「私、自分が完璧でない事くらい知ってますから」


 まぁトイレの位置を間違えて物干し場を教えるぐらいですからね、とは口に出さない。


「よろしくお願いします。藤島先生」


 綺麗なお辞儀をして見せる園部さん。

 その姿に僕はしょうがないと、腹を括った。

 苦手な部分を僕に曝け出すのは園部さんにしたら断腸の思いだったに違いない。それを押して僕に絵の指導を請うた理由は、もう知っている。

 実際僕はもう絵を再び描き始めたのだから、態々本当に教わる理はない様にも思えるが、若しかしたら自分から頼んだ手前、後に引けなくなっているのかもしれない。それはそれで意地っ張りな園部さんらしいとも言えた。


「今自分の顔を描いたわけだけど、何に気をつけて描いたの?どんな事を考えながら描いた?」


 そこが本当に疑問だった。

 何をどう見て、どう気をつけて描けば、こんな絵が生まれるのだろうか。まぁ、ある意味個性的で味があると言えないこともないのだけれど。


「そうね」


 こうやって口元に手を当て真剣な表情を作る園部さんを見ていると、とても絵が苦手な人には見えなかった。


「顔のパーツの特徴とバランスはしっかり見て描いたつもりなのよ」


「うん。それは大切」


 というより、それさえ気をつければある程度見れた物は描ける。

 何故こうなったし。


「そうだなぁ。実際に僕が描いてみるから横で見ててよ。人が描いてるの見てたら、何となく自分も上手く描ける気がするものだからさ。気になる事があれば随時質問していいから」


 園部さん笑が書かれた紙の裏に、今度は僕が園部さんを描いていく。


「まずは園部さんも言った通りパーツの特徴を捉える。特徴さえ掴んでいたら絵は下手でもその人に見えてくる物だよ。今の園部さんの絵はパーツの1つ1つがただデカイだけで、何も特徴掴んでないから」


 僕は園部さんの顔を改めて観察する。


「園部さんは目が大きくて切れ長だよね。二重で睫毛も長い。ややつり気味かな?」


「そう、ね。うんそうだわ」


 園部さんは鏡を見ながらそう頷いた。


「鼻筋はよく通っていて、長さはそこまでないね。どちらかというと小振り。唇はこれといった特徴がないけど、何というかエロいよね。輪郭は綺麗な卵型でアゴはシュッとしている。ほんと改めて見ると美人の条件揃えてるな」


 こうやってまじまじと園部さんの顔を見た事は今までにはなかったが、改めて一つ一つのパーツが美しく、そしてそれが絶妙なバランスで持って配置されているのがよく分かった。似顔絵を描くのに嵌っていた頃、ネットで調べて色んな女優さんやアイドルの顔を描いたが此処まで綺麗と思った事は無かった。


「あ、ありがとう……」


 僕は紙の上にそれらの特徴を踏まえて、まず両目を描き込んだ。


「ちょっと待って。少し大げさすぎない?つり目と言ってもそんなにつってないわ」


「少し大げさに描いた方がその人に見えてくるものなんだよ」


 これはデッサンでもないし、大袈裟くらいで丁度良い。


「へぇ。あぁ、それと目から描いた方がいいの?」


「んー、色んな人がいるけど、僕は目からかな」


「どうして?」


「目って一番顔の中で特徴が出やすいというか、目がピシッと決まればその人のイメージが湧きやすい」


 僕は続けて、眉毛、鼻、口、そして輪郭を描いていく。


「長い線を描く時、慣れないうちはどうしても線が歪んじゃうから、短い線を薄く重ねていくといいよ。そのうちこれだって線が見えてくると思うから」


 こんな風に話している間も僕の手は止まらず、気合をいれて描いたわけでもないので、あっという間に完成した。それを手に取り、僕は園部さんに見せる。


「どう?」


「やっぱり上手いものね」


 まじまじと絵を園部さんは見ている。その様子とその言葉に気分はよかった。

 まぁ初めて描いた顔ってわけでも無かったし自分的にもソコソコ上手く描けたと思う。

 僕は数時間前折りたたんでカバンに入れた一枚の絵を思い出していた。


「もう一回描いてみたら?僕の描いた絵を見ながらでもいいし」


 園部さんはすぐ描き始めず暫く僕が描いた絵を見ていたが、やがて鉛筆を握り紙の上を走らせた。

 その横顔は真剣だ。

 しかしその表情と、紙の上に新しく描かれていく絵の間抜けさとのギャップに僕は思わず吹き出しそうになる。

 次からはもっと基礎の、箱とか球とか描かして線を引くことに慣らした方がいいかもしれない。でもそれってあんまり楽しくないんだよな。楽しみながら描いてたら、何時かはマシになっていくだろうし、どうしようか。

 そもそも字は有り得ないほど綺麗なんだから、線を引くという事は苦手というわけじゃ無いと思うんだけど、意味が分からん。


 そんなこんなで園部さん(笑)2号は完成された。


「うん。まぁさっきよりは良くなったんじゃない?」


 なんとなく先ほどよりも特徴は捉えられていた。


「本当にそう思うなら肩を震わせず、こちらを真っ直ぐ見てから言ってくれないかしら?」


「美少女の顔を真っ直ぐみるなんて、彼女も出来た事のない僕には難しいお願いだよ」


「嘘よ。さっきはマジマジと見つめてきたじゃない」


「それとこれとは別だよ。それに僕園部さんの絵、好きだよ。見ている人を楽しくさせるよね」


「両親と同じこと言わないで。虚しくなるから」


「まぁ、描いてれば自然に上達はする筈だからさ」


 その悔しそうな顔を見ていると、本当にあっという間に上達するのではないかと思えた。

 負けず嫌いな園部さんの事だから、帰って練習するに違いない。案外明日の朝あたりに、上手く描けた奴を目の下にクマを乗っけてドヤ顔で見せてくるのではないだろうか。


 その想像は、明日事実となるのだが、それはまだ先の話だ。


「本当に上手くなるのかしら……これ」


 自分が描いた絵をまじまじと見ながら園部さんはそう言った。


「僕もこう見えて園部さんには恩を感じているので、最後まで投げ出さずに頑張りますよ」


「本当によろしくお願いします」


 園部さんは深々と頭を下げた。

 それにならい、僕も一礼。


「私の退屈な時間が少しでも色付く物となりますように」


 聞こえるか聞こえないかぐらいの音量で耳に入ってきたその声は僅かに震えていた気がした。

 そのか細い声が気になって顔を上げると、その瞬間にはもう園部さんは鉛筆を再び握り、白紙に向かっていた。

 そして、再び奇妙な絵を生み出している。


 しかし僕はそれを見ても、笑う事が出来なかった。

 気のせいだろうか?

 一瞬彼女が泣いていた気がしたんだ。

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