第11話

 放課後。

 窓を少し開け、春の暖かい空気を取り入れながら、僕は一人黙々と数式を解いていた。何問解いたか覚えてないが、ほぼ手が止まる事なく解けたので気分は良い。

 ふと顔を上げると時計が目に入った。既に17時を少し過ぎた頃となっており、僕が勉強に取り掛かってから凡そ1時間経っていた事を教えてくれた。


 休憩するか、と立ち上がり伸びを一つ。


 何気なく視線を向けた教室の窓からは、グラウンドで野球部が大声を上げながら練習している風景が見えた。ここ最近は、毎日放課後教室に居残って園部さんを待っていたので、これも既に見慣れた光景となっている。


 我が篠樫学園は勉強だけでなく、部活にも力を入れており、各部の設備も中々の物だ。

 僕の教室から見える第1グラウンドは野球部が毎日使い、サッカー部は第2グラウンドを使用している。

 陸上部はほんの5分ほど歩いた所に競技場があるので、そこを毎日借りている。僕は毎日1時間程教室で時間を潰したら園部さんを迎えにその競技場に足を運んでいた。


 屋内競技は2つある体育館を分配してやっているらしい。一つ一つが無駄にデカイ体育館なので、部同士での練習場所を巡った争いというのも無い事も、この学園の良い所だろう。


 文化部も盛んで、音楽系の部活は毎日ガンガン音を鳴らして練習しているし、ダンス部(正式名称は知らない)はよく昼休みに中庭で踊って日頃の練習の成果を披露している。

 新聞部は主に学校ネタを扱った新聞を毎週発行しており、それが中々興味を惹かれる記事を書くのだ。今では、ボッチの僕がちょっとした学校の噂話を知るツールとなっている。


 そしてこの学園の文化部を語る上で欠かせないのは、文芸部だ。

 文芸部は毎月文集を一冊100円で販売しているのだが、これが中々面白い。他の学校では文集なんて、売れれば良いねと言った感じの所が多いと思うが、この学園ではいつも完売だ。僕も欠かさず購読している。

 特に高山太陽という三年生が書いた小説は面白く、いつか商業デビューするんじゃないかと僕は密かに睨んでいる程だった。しかし高山太陽氏は遅筆なのか、他の人は年に5回ほど載る感じなのに、彼は年に2回くらいしか掲載されない。だから彼の文章が載っていると、少しテンションが上がってしまう。

 彼の作風に一貫性はない。

 コメディーなタッチからシリアス物まで幅広く、恋愛、推理、ファンタジー物といったジャンルにも拘りも特になかった。しかしその話はどれも面白く、または切なく、とにかく味わい深いのだ。読み終えた後も、中々その物語の中から出て来られなくなる。目を閉じると、その話の中に出てきた色んな場面が浮かんできて、いつまでもその世界に浸っていたくなってしまう。

 僕は下手な小説家の物語よりも彼の方が勝っていると断言できる。

 正直言って彼の大ファンだ。商業デビューしたらきっと、読書用、保存用、布教用にと何冊も同じ本を買ってしまう事だろう。ボッチの僕に布教する相手なんて居ないんだけどね。

 

 恐らく僕と同じく三年生なのだが、どうやら高山太陽というのはペンネームらしく、先日のクラス分け表の中にはその名前は載っていなかった。一度でいいからどんな人か見てみたいものだ。


 閑話休題。

 とにもかくにも、我が学校では今挙げたの以外にも、多種多様な部活が恵まれた環境の中で熱心に、活発に活動している。


 そういった事もあり、この学校の放課後は賑やかだ。


 しかし今日に限って言えば、運動部の掛け声も、よく響く管楽器の音も、何処からか聞こえて来る笑い声や怒鳴り声も、その賑やかさは何故か寂しげに聞こえた。

 それはきっと、僕の心境がそうさせているのだろう。


 今日、園部茉莉子が、陸上部を引退する。


 恐らく今頃は、園部さんは退部するに当たっての別れの言葉を述べている頃合いではないだろうか。

 新学年を迎えて最初の一週間が終わろうとしている今日、それは彼女が部を引退すると決めた日だった。陸上という競技からも遠ざかる日だ。


 園部さんが走っている姿を何度か見たことがある。


 最後に見たのは確か、中三の体育祭の時。

 リレーのアンカーを務めて走るその姿は、まるで背中に翼が生えている様に軽やかで、気付けば天へ走り昇ってしまうのではないかと錯覚を覚えるほどに美しかった。


 恐らく彼女は走ることに心底惚れていたのだろう。走ることが好きで好きで堪らなかったのだろう。

 そんな事が第三者の視線から分かる程に、スタート前、疾走中、そして走り終えた後の園部さんの表情は何かで満ち溢れていた。

 その表情は見てるこちらまでが幸せな気分になれ、そして自分までが走り出したくなるような、そんな不思議な力を持っていた。


 しかし神様という奴は本当に意地悪な様で……。


 走れなくなるとは、彼女からすればそれは自身の身体の一部を捥がれた事と同義であろう。

 そこから生まれる、悔しさ悲しさ憎さ遣る瀬無さ、その他名状し難い諸々の決して美しいとは言えないであろう感情は、どこに持っていけばいいのだろうか。彼女には、それらの感情の捌け口はあるのだろうか。彼女はこれからどうやって折り合いをつけていくのだろう。


 ここからでは当然、競技場にいる園部さんの姿は見えない。


 泣いているのか。

 無理して笑っているかもしれない。


 どんな表情をしているのか僕には分からない。


 でも。

 今日は園部さんから、部活が終わったら自分で教室に迎えに来ると言われていた。いつもは僕が陸上部の活動場所の競技場まで迎えに行っていたのだが、今日は教室で待っていてと、そう言われたのだ。


 その事が答えのように思えた。


 彼女には、きっと、人と顔を合わせるまでに徒歩五分の距離が必要だったのだろう。

 


◯◯◯◯



 放課後の夕日が差し込む赤い教室に独り、とある女子生徒を待ちながら窓際の席に座し、窓枠を額縁に部活動せいしゅんと名の付く一場面ワンシーンを眺める男子生徒。外では様々な音が鳴り響く一方、閑静としていて、ここだけは世界から隔離されている様な、そんな風にさえ感じられる。


 教室の扉が開けられ、車椅子に乗った美少女が入ってきた。

 彼女を待っていたその男子生徒は彼女の方を向き、口を開く。


「まるで映画のワンシーンみたいでしょ?」


 絵になる、とでも言うのだろうか。

 その男子高生(僕)はとてもこの放課後の教室という舞台が似合うと思う。溶け込んでいるとも言って良いかもしれない。


「……今私の頭の中には数え切れないほどの罵詈雑言が飛び回っているわ」


 車椅子の美少女、園部茉莉子が一瞬呆れた顔を見せそう言った。

 

 その言葉を受けた僕は席を立ち、園部さんの方へ向かう。


「それは大変だね。でもまぁ、僕の突拍子もない発言に、僕の考える常識的なレシーブを返せたと言うことは園部さん、貴方は僕の言わんとすることを正確に理解したと言うことだよ」


 指をパチンと鳴らしドヤ顔を決める僕。

 車椅子を後退させヒキ顔を見せる園部さん。


「……どういうこと?」


「正しい応答をするためには、正しく状況を把握しなければならない。とすると僕の訳の分からない発言に正しく返答出来た貴方は、僕の発言に対して、確かにそう言われてみればと納得する部分があったのではないかな?そして、その事を貴方の常識に当て嵌めた結果、頭の中には数え切れない程の罵詈雑言が飛び回る様になった。つまり、一瞬貴方は確かに僕が映画のワンシーンの中にいるような印象を受けた」


−−すなわち僕に見惚れていた。


−−違いますか?


 園部さんは大きな溜息を零した。


「貴方のお陰で、先程までの感傷的な雰囲気が大気圏の向こうまで吹っ飛んでったわ。何処かの惑星を滅ぼさないか心配な程の勢いでね」


 頭を抱えながらそういう彼女に僕は気を良くする。


「それは良いことだね。病は気からじゃないけど、何事も塞ぎ込んでては上手くいかないからね。人間万事塞翁が馬、良い事が悪い事かもしれないし悪い事がひょっとしたら良い事かもしれない。つまり何が何だか分からない世の中なんだから、笑う門には福来るっていう諺を信じて、感傷的にならずに楽観的に生きて行ったほうが人生幸せだよ。うん」


「もしかして私を励ましてくれてるの?」


「なんのことかな?」


 僕がテンデ分からないと言った風に肩をすくめると、彼女は柔らかく微笑んだ。春の暖かい陽気も助けて、それはとても朗らかな表情に僕の目には映った。


「取りあえず感謝しておくわ」

 

 僕はもう一度なんの事かな、と惚けた。


「……それにしても、最近のスマホの録音機能って凄いのね」


 彼女は右手を前に突き出す。そこにはスマートフォンが握られていて、彼女の先程の柔らかな微笑みは、挑戦的で鋭い物に変わっていた。

 それはまるで戦闘開始を合図しているかのようだった。


『正しい応答をするためには、正しく状況を把握しなければならない。とすると僕の訳の分からない発言に正しく返答出来た貴方は、僕の発言に対して、確かにそう言われてみればと納得する部分があったのではないかな?そして、その事を貴方の常識に当て嵌めた結果、頭の中には数え切れない程の罵詈雑言が飛び回る様になった。つまり、一瞬貴方は確かに僕が映画のワンシーンの中にいるような印象を受けた』


『すなわち僕に見惚れていた』


『違いますか?』


 聞こえてくるのは先程の僕の言葉。相手を煽る様に、平常より太く高く発せられている僕の声がしっかりと再生されている。


「突然だったから途中からしか録れなかったけど……でも、」



 彼女はニヤリと笑う。



ーー貴方の奇人ぶりを示すには充分よね。


ーーさて、この録音どう使おうかしら。



「え、何?何だが知らないけど園部さん僕に感謝してたんじゃないの?それなのにこれ?」


 そんな物が悪用されたら注目されてしまうじゃないか。

 勿論悪い意味で。ボッチが悪い意味で注目されればきっと陰湿な何かが始まる。そうなったら僕引き篭るじゃん。責任とって養ってもらうぞ、おい。


「人生一寸先は死亡フラグよ」


「闇だよ、闇!唯でさえ人生が嫌になりそうな言葉なのに、それをパワーアップさせないで!生きるのが辛くなっちゃうから!そんな世界ならいっそ死んだ方がマシと思ってしまうじゃないか」


「貴方の言葉は日本に居るからこそ言える言葉ね。平和ボケも良いところ。本当に一寸先の死亡フラグと戦っている人達は世界中に大勢いるのよ?それでも必死に生きてるの。なんとかしようとしているの。それなのに貴方は本当に一寸先が死亡フラグばっかりになったら生きるのが辛いからと言って死ぬの?今を必死に生きている人にも失礼だし、何より命に対する冒涜だわ」


 そう園部さんは語った。


「あれ?そんなにシリアスな話してたんだっけ!?」


 突然張り詰めた空気を緩和させようと少し戯けてそう言うが、園部さんは冗談など一欠片も無いと言った空気を纏っていた。

 そしてその空気は一気に広がり僕と彼女の空間に浸透していく。


 彼女は凛と僕を見つめる。

 その瞳は僕の心を直接刺してくるような鋭さを持つ一方、必死に自分を強く見せようとしている様な不自然な強さが感じられ、それこそ彼女は一寸先の何かと懸命に戦っている、そんな姿さえ彷彿とさせた。


 彼女は此度の怪我で、命の儚さを身近に感じたのではないだろうか。

 両脚が暫く使用不能になる怪我。

 どう言った経緯でそうなったのか詳しく聞いたことは無いが、何か一つ歯車が狂っていたら彼女は生きていなかったのかもしれない。


 故に命の尊さ、命の危うさと言った事を、より真剣に考えるようになったのでは無いだろうか。

 とは言え、いきなりの態度の変化にはついていけない部分があるのだが。


「分かった。煮るなり焼くなり好きにしてくれ。きっと僕は美味に違いない」


 なんたって、草食系男子だからね。食われるのは専門だ。


ーーじゃあ。


 ゆっくりと園部さんはその言葉を発した。


「私に絵を教えて。そしたらこの録音を消してあげる」


 そして、その後僕は激昂する事となる。

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