第10話
僕は例の三人の牽制をくらった後、暫く体育館裏で時間を潰していた。どうせ教室に戻ってもボッチだし、呼び出された件で注目もされている筈だ。授業開始ギリギリに戻った方が、周囲の目もそんなに気にならないだろう。
体育館が影となり暗かったが、春風が吹いていて気持ち良かった。
よっこらせ、と体育館周囲を囲むコンクリート製の廊下の上に腰を下ろした。
◯
何分位そうしていただろうか。
気づけば座っている部分のコンクリートが暖かくなっていた。その温もりは心地の良い物だったが、僕の骨ばったお尻が痛い。手をお尻に敷き、クッション代わりにとするが、次第に手も痺れてきた。
そういう事も重なってか、まだ授業が始まるまで余裕はあったが、僕は体育館を後にするべく立ち上がった。ゆっくり時間を潰しながら戻ったら丁度良い頃合いになるだろう。
長方形の体育館を裏から回って行って、長辺から短辺にうつる角を曲がると、体育館の正面口と校舎を繋いだ渡り廊下が目に入って来る。
校舎側の入り口付近に人影を見つけた。
誰かなと悩む時間は1秒もなかった。
何故ならその人は車椅子に乗っていたからだ。この学校で車椅子に乗っている女子生徒はただ一人だろう。
園部さんだ。
周りに人はいない様で、僕はその事に若干の驚きを覚えた。
車椅子生活になってからは、移動の時はクラスメイトやら陸上部の仲間等、誰かしらに頼んでいたので、校舎内で独りで居るという状況を目にするのは、3年に上がっては初めての事だったのだ。
僕は立ち止まって何故こんな所にいるのだろう、と彼女を眺めた。
暫くしても彼女はその場から動こうとはしなかった。
否、よく見ると彼女を乗せた車椅子はその場で上下に揺れている。
数瞬後、僕はその理由に思い当たった。
渡り廊下から校舎に入るには、ちょっとした段差を越えなければならない。
それは健常者である人にとっては大した段差ではない。
しかし車椅子に乗った彼女ならばどうだろうか。
僕は車椅子に乗ったことがないが、想像してみた。段差を降りる時は少しの衝撃を覚悟しさえすれば、どうにかなるだろう。しかし段差を越上がるのは相当に苦労するだろう事は容易に想像出来た。
僕は急いで彼女の元に駆け寄った。
そしてハンドグリップを握り、腕に少し力を入れ車椅子を押し上げる。無事校舎に入ることは出来たが、想像以上に腕が疲れた。これは自力じゃ大変だろう。
僕は一息つくと、彼女の前に回り込む。
そして茶化す様に言ってやった。
「困ってるところを助けてもらって二次元的には恋が始まるかもとかいうキュンキュンシーンでしたが、相手は僕でしたー。残念でしたー」
両手を顔の横に広げ、白目を向き、鼻の穴を膨らませ、舌を出す。渾身の煽り顏、乃至変顔である。
「貴方がそんな言動をしなければ、案外私は貴方に惚れてたかもしれないわ。残念な事をしたわね」
園部さんは、ため息をついた。
vその言葉を受けた僕は、別に残念ではない事を伝えるべく、真顔を作り、かつ鼻をヒクヒクさせる。
「本っ当に残念な人ね!」
流石にイラついたのか、彼女の顔からは冗談成分が感じられなかった。いつぞや病室で見かけた鬼の仮面の片鱗を見た気がする。
「ご、ごめんごめん。そんなことより、どうしてこんなところに?」
彼女の怒りに当てられ、僕は焦りながら、必死に話題を変える。正直怖すぎて足が震えていた。
「私が昼休みに人気のないところに来る理由なんて想像に難しくないでしょう」
それは暗に、告白されてたのよ、と語っていた。
「うわー何ですかその私モテます発言。実際はリアルで彼氏なんか出来た事なくて、その反面次元を超えた彼氏は量産してる御方なのにね!」
先程調子の良いこと言って怖い思いをしたというのに、またもやこんな風に毒着く僕の口。
M気質でもあるのかしら?いや、多分違う。
「別にいいでしょう。貴方にとやかく言われる筋合いは無いわ。現にモテるのは事実なのだから」
ぶっきら棒にそう言う彼女を見て、僕はふーんと鼻を鳴らし、ニヤリと笑う。
「それで?普段、はそうだとして、今、ここに居るホントウの理由、は?」
嫌味ったらしく、ゆっくり口の中で言葉の一つ一つを舌で舐め回すように、そう言った。
「え?」
僕の発言が意外だったのか、不意を突かれたような表情を浮かべる園部さんに、僕は尚気分を良くする。
そしてウザったらしい口調で同義の質問を。
「だから、今、園部茉莉子さんがここに居る本当の理由」
「だから、告白を……」
「はいはい。そんな見え見えの嘘は良いから。」
園部茉莉子は現実離れしてモテる。それは事実であり僕自身疑っていない。だから彼女が昼休みに体育館裏に呼び出され告白されると言う話を疑う事はない。恐らく過去には本当にそうやって告白されたこともあるのだろう。
しかし今回の場合、それは違うと断言しても良い。
理由は簡単明白。
彼女が車椅子に乗っているからだ。
段差を超える事すらままならない彼女に態々移動を強要するだろうか?更には告白と言う、唯でさえ実行に移すのに様々な思いを巡らし、足踏みしてしまう状況の中に。
僕の常識では答えは否である。僕だったら迷惑かもしれないと、告白するにしても、別の方法を取るだろう。
故に僕は疑った。
そして本当は何をしていたのかも予想が着いている。
恐らく彼女は例の三人に連れられた僕を心配して様子を見に来たのだと思う。例の三人がファンクラブのトップ3という事を知っていた園部さんは、世話係を頼んだせいで僕が呼び出されたという事がすぐに分かったのだろう。気になる気持ちは分かるが、移動が大変だというのに、中々園部さんは責任感というものが強いのかもしれない。
でも何処から様子を覗いていたのだろうか。
「今回は穏便に済ませて貰えたから、心配無用だよ。まぁ、今ここでこうしているのを見かけられたらヤバイかもだけどね。なるべく必要以上の接触は避けたほうが良いかもしれない」
僕の言葉を受けて、若干焦りで頬を赤くした園部さんは暫く目を忙しなく動かしていたが、やがて観念したのか、項垂れて、そして大きく一息つくと顔を上げた。
その瞳にはもう動揺は見られなかった。
「ごめんなさい」
「辛いねモテる女は」
茶化した風にそう言うと、園部さんはため息を漏らした。
「私も、少し困ってるのよ。あの3人を筆頭とした私のファンクラブとやらには」
本当に困っているのかシミジミといった感じにそう言った。
「ファンクラブって二次元かよって感じだよね」
「あと少しで会員が100人に届くって、面白半分に入会した友達が言ってたわ」
篠樫学園には大体3000人の生徒がいる。100人という事は30人に1人は入会しているという計算になり、つまりクラスに一人以上は居るという事だ。園部さんの友達みたいに面白半分という人も多いのだろうが、これは異常とも言えよう。
知ってはいたが、凄まじい人気の持ち主である。
「その友達って女子?」
「当然よ。私男の子の友達いないもの。あのクラブのお陰でね」
確かに少し仲良さげに見えただけで、こうやって牽制をしてくるのだから、なるべく園部さんに関わるまいと男は思うだろう。100人近い会員を誇る組織に刃向かうのは結構怖い。
なので園部さんに男友達がいないのも仕様がないと言える。
また女子にも人気がある為、何時も女友達に囲まれているのも男が近寄り難い理由の一つではあるとは思うが、それは敢えて言わないでおこう。
もしかしたら園部さんを慕う女子達の作戦かもしれないし、下手に手を出したら殺されるかもしれない。まじで。
何はともあれ、高嶺の花を体現している訳だ、園部さんは。
「私と交流のある男子なんて殆どいないから。だから告白して来る男子も毎回ほぼ初対面みたいな関係の人ばかりだし。いきなり好きとか言われても応えられるわけないじゃない」
「陸上部の男子とかは?」
「確かに話しぐらいはするけど、そもそも男子部員自体少ないし、仲が良いって言える程関わってる人はいないかな」
「陸上部に良いなって思う男子は居ないってこと?」
この質問のどこが気に入ら無かったのかは知らないが、大きなため息を吐かれてしまった。
「陸上部の2年と3年合わせて男子は5人。元々一番多かった時は全部で14人。内私に振られて退部していったのが七人。勉強を理由に引退したのが2人。で、現部員の中恋人が既にいるのが3人、ホモが1人」
「あぁ、なんと言うかご愁傷さ、ん?現在5人でリア充3人ホモ1人、残り1人は?」
「ん?あぁ木下君ね。彼は二年生なんだけど、一つ上の3年女子部員と熱烈両片思い中。本当イライラするわよ、あの子達。あんなに毎日毎日イチャイチャしてるのに、肝心な場面になると尻込みしてさ。はたから見たら両思いなのは丸分かりなのに。でもあれは木下君が不甲斐ないわね。マイちゃんは後一押しが足りないだけでアプローチはしているもの。そこは男の木下君がフォローしないと」
何かのスイッチが入ったのか、ブツブツと何かを呟く園部さん。
木下君、園部さんに恨みを買いたくなかったら早く告ることをお勧めするよ。マイちゃんとやらも、もう少し頑張って。
「まぁそんな訳で木下君とは恋愛云々はないわ」
少し園部さんが可哀想に思えて来た。
青春時代に色恋沙汰と無縁というのは、少し感じる物があるのではないだろうか。そういうのに興味無いというならまだ良いが、乙女ゲームを好んでいるあたり恋愛ごとに興味はある様だし。
「まぁ、気を強く持って。ルックスは良いんだからさ。いつか春が来るよ。冬が長引けば長引く程、春が来たかどうか曖昧になって、いつ衣替えしたら良いか分からなくなる物だよ。案外薄着してみたら春が来ていることに気付くかもしれないよ?」
「意味不明よ。薄着に寄って来た変態に恋しろって言うの?冗談じゃないわ。」
慰めようとして失敗したのを指摘される前に自分自身で気づいて、羞恥心に内心身悶えている男子の心を抉るのは楽しいですか?
「そ、そろそろ教室に戻らないとやばいですね」
僕は回り込んで車椅子のハンドルを掴むと、教室に向かって歩き始めた。
「助かるけど良いの?見つかったらまたファンクラブが煩いかもよ?」
「大丈夫だよ。この辺は体育館に行く人がいなきゃ通る人は滅多にいないからね。教室近くになったら別れよう。僕トイレに寄りたいから先に教室戻っといてよ」
この周辺は校長室に応接室、事務室や正面玄関などと主に来客対応の部屋があるだけで、生徒はあまりこの辺には居ない。各クラスの教室が集まった場所とここでは、少し距離がある為、用事がないとまずここらには近づかないのだ。
5時間目に体育の所があるのかしらないけど、この時間になっても人が居ないって事は、どちらにしろ体育館は使わないんだろう。
故に視界に映るところには人は居なかった。
同じ一階とは言え、今居るのはA校舎一棟。僕らの教室は2棟にあるので結構距離もあり、時間も余裕があるとは言えないので、途中までは車椅子を押してあげた方が安全と言えた。
それに先程のように、車椅子では移動が困難な場所があるかもしれないのだ。ここは一般常識としても協力すべきだろう。
「じゃあ、お願いするわ」
生徒相談室の前を通り、校長室、応接室、事務室の前を通過していく。正面玄関を過ぎると、一棟から2棟に移る渡り廊下がある。その渡り廊下は割と広い空間で、土の匂いが漂っていた。下駄箱も兼ねているのだ。
一棟側から渡り廊下に入ると、左側が下駄箱で、右側は掲示板となっている。
部活勧誘シーズンの今は色んなチラシが貼られていた。
「あ」
不意に園部さんがそんな声を漏らした。
「どうしたの?」
僕は足を止めた。
「この絵……」
園部さんは掲示板横に掛けられた一枚の絵を見ているようだった。
安物の額縁に入れられて飾られたその絵は、恐らく駅から学校に行く間に通る桜並木を描いたものだろう。絵の下にプレートが掛けられており、そこには作者の名前が書かれている。
九重幸、それがこの絵の生みの親だった。
「あの道だよね」
「多分ね」
この流れはマズイ。僕は少し焦っていた。
−−もう行くよ。
そう言って僕は再び車椅子を押し始める。車椅子が先程よりも重く感じた。
「そういえば、藤島君は美術部だったよね」
その質問は僕をドキリとさせた。
危惧した方向に話の流れが向いている。
「もう、辞めたけどね」
なるべく平静を装い、尚且つ明るい感じを意識して僕はそう答えた。
「どうして?」
その問い掛けに僕は明確な答えを出す事は出来なかった。
なぜ、美術部を辞めたのか。
それは絵をやめたからだ。
では何故絵をやめたのか。
「……飽きたから、かな」
その言葉は、僕の心に深い棘を残した。
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