第8話

 学校の朝は騒々しい。それが進級初日となれば尚更の事である。


 同じクラスになった友人知人他人の顔触れに一喜一憂し、それを周囲の人達と分かち合う。そのやりとりは毎年この日には絶対聞かれるであろう所謂、常套句で織り成される。


 また同じクラスだね。離れちゃって残念。げ、アイツと一緒かよ。


 クリスマスで言うところの、メリークリスマス。

 お正月で言うところの、あけおめことよろ玉寄越せあざす。


 恐らくここ数十年に渡って使われてきたであろう何の捻りも奇抜性も無い言葉だけど、言っている本人達はそれを口にすることで、特別感に浸る事が出来る魔法の言葉。


 今の僕からすると、鶏がコケコッコーの大合唱してるだけにしか見えない。でも、今でこそボッチたる僕は閑古鳥であるが、ほんの数年前までは僕も数いる鶏の中の一羽だったわけで。

 そして客観的に言って、僕は僕が鶏と揶揄する彼らよりもスクールカーストは下な訳で。だから喧しい鶏と卑下しても、実際の所それは弱者の僻みにしか聞こえず、他でもない僕自身がそう感じていた。

 でもそんな自分を認めたくなくて、自分を肯定していたくて、僕は妄想の世界に入っていく。


 僕は気高き孤高の白鳥。その気高さ故に周りは恐れ慄き近付けない。


 妄想はどこどこまでも広がっていく……。


 そして僕の顔をした人面白鳥が優雅に水面を撫でているその下で、無駄毛未処理のヒューマンレッグが頑張ってバタ足をしている光景がに脳裏に浮かんだ。嘔吐ものの気持ち悪さであった。


 あぁ、何と不遇な私。

 妄想の世界ですら幸せになれないなんて。なんて不憫な子なのかしら。

 トホホ……。


 こんな可哀想(笑)の僕だが、当然誰も慰める人も居ない。悲劇のヒロインを演じるには周りに多種多様なモブが必要なのだ。周りにモブがいない僕に、悲劇を背負って悲壮な顔をする権利は当然なかった。


 真の悲劇のヒロインとは彼女の事を言うのだろう。


 教室にはある一点に人だかりが出来ていた。


 その中心にいるのは、勿論、園部茉莉子だ。

 どこから沸いたのかと思うほどの女子生徒達が彼女を取り囲んでいる。



 今の彼女は羽をもがれた白鳥。

 そんな哀れな姿を見た彼女を慕う者たちは、正にこの世の終わりといった表情を浮かべている。

 そのことに園部さんの相変わらずの人気っぷりを感じるとともに、少し可哀想にも思えてきた。

 今日1日は集まってくる人達の相手をしなければならないだろう。同じ様な質問が繰り返され、同じ様な慰めを受け続ける。

 超面倒くさそう。だれかが気を利かせてやればいいのだろうが、あいにくそんな人は現れない。誰もが心配でそれどころではないのだ。


 喧しく思いながら、僕は寝たふりを始める。


 早起きしたからか、その数秒後には本当に寝ていた。

 


◯◯◯◯



 始業式と大掃除、そしてLHRだけの一日はあっという間だった。

 

 新担任が解散を言い渡すと、暫く教室内は賑やかさを保っていたが、次第に人は捌けて行く。

 ここの学校の生徒は放課後延々教室で駄弁るという事をあまりしない。各々部活に勤しんだり、勉強に精を出している生徒が殆どなのだ。

 まぁ今日ばかりは、カラオケやらに行って新しいクラスメイト達と親交を深めているかもしれないが。


 僕の通う私立篠樫学園は、まだ歴史は浅く今年で開校12年目を迎える。

 しかし、その圧倒的な経済力の賜物か、部活動はどこも芳しい成績を誇り、そして学業面でもここ3年は日本一大に30人以上送り出している等、目覚しい成果を上げ続けている。

 最高の設備、最高の教師陣、篠樫学園にはそれが備わっている。

 その割には学費もそれ程高くはないというのも、この学園の魅力だろう。

 理事長は表舞台に全く顔を出してこないところが少し不気味さを感じさせるが、その経営手腕には目を見張るものがある。

 どこから流れた噂か知らないが、超絶美人とかなんだとか。案外本人が流していたりして。

 だとしたらババアに違いない。


 そんなこんなで今や年々入学希望者は増え、今年の入学試験の倍率は恐ろしい数字になったとか。

 そして今日の午後、その苛酷な入試を勝ち上がって来た猛者どもを迎える入学式が執り行われる。


 その間は雑音が起きぬよう部活動は禁止となるらしい。ただ、式後に新入部員を勧誘する為の戦争が勃発するらしく、各部はそれに備えて各々の部室で弁当を食しながら綿密なミーティングを行うのが例年の習わしだという。


 そのせいか、学校には神妙な空気が漂っていた。


 部活動とは無縁の僕がどうして教室に居残って、そんな雰囲気を感じているかというと、それは園部さんの世話役を今言付かっている事に起因する。

 

 怪我をする前は部長として陸上部に在籍していた彼女は、今の状態では走ることは無論無理なのだが、それで部を辞めたと言う訳ではないらしい。せめて新入部員勧誘を手伝ってから部を退くつもりだと本人は語っていた。


 世話する側からすると冗談じゃない。


 彼女が部を手伝っている間僕は待たないといけなくなるわけで、そんな時間あるなら受験生らしく勉強をさせろ、と声を高々にして正論を唱えたのだが、勉強なんて準備して来たら学校でも出来るでしょ、と一蹴されてしまった。

 それならば「勉強道具を持ってきてないので、せめて今日は」と食い下がったのだが、園部さんは満面の笑みで数学と英語の問題集を1冊ずつと、ルーズリーフ、そして筆記用具を渡してきた。


 これで僕は何も言えなくなってしまったのだった。

 どうでも良いけど僕ってお願いされてる立場だよね?

 なんか力関係間違ってない?



 何はともあれ、しょうがない

 昼飯食ってから、問題集に悪口でも書き込みながら待つ事にしよう。と思ったが、昼飯もない。学校の近くにコンビニはあるが、金もない。


 しょうがないからグーグーなる腹を抱えながら寝る事にした。

 早起きは昼寝の促進剤。



◯◯◯◯



 教室で一人机に伏せグーグー言いながら寝ていたのだが、不意に肩を揺すられるのを感じた。

 眠気まなこを擦りながら顔を上げてみると、そこには到底高校生には見えない巨漢がいた。

 厚い唇に太い眉、燃えるような熱い瞳が爛々と輝いている。全身は日に焼けて健康的に黒くなっており、無駄に逞しい筋肉とも合わさって、その姿はボディービルターを彷彿とさせる。


 唖然としていると、突如その濃い顔が次第に近づいてきた。


 何事かと思っていると、僕はお姫様に。

 僕を抱えて巨体は走り出す。教室を飛び出し、廊下を駆け抜ける。


 ああ、きっとこれは夢なんだ。


 そう思った。現実逃避である。

 でも夢は深層心理がウンタラカンタラで、つまり僕の心の奥深くには、こういったシチュエーションを望んでいる部分があるのかなと、新しい自分の発見に死にたくなった。


 しかし僕は必死に自分を肯定する。


 発見する、英語だとdiscoverだ。

 ディスカバー。

 つまりディス+バカの反対、という式が成り立つ気がしないでもない。

 バカの反対をディスると言うことは天才をディスるということ。

 つまり「発見する」=「天才をディスる」という式が成り立つ。

 そして天才をディスるには、自らがそれ相応の天才でなければならない。

 とどのつまり、新しい自分を発見したという事は今回の場合、”巨漢にお姫様抱っこされると言うシチュエーションを望む” という ”新しい自分” という“天才”を“ディスる”という訳と捉えられなくもないということで、僕はそんな変態をディスれてるんだからまだマシkjふぁふぉぎあjflg。


 ダメだ。この論法は何かが違う。


 これだと僕は変態のままだ。別に変態なのは否定しないが、変態は多種多様。許容できる変態と、出来ない変態がある。

 今回は勿論後者。


 しかし、僕はここで一つの希望を掴む事となる。


 お姫様抱っこをされている僕の両腕は可愛く遠慮がちに胸元に折りたたまれてある。そしてその折り曲げられた左肘がこの巨体の胸部に触れているのだが、そこから感じる感触は柔らかいものだったのだ。

 それに気づいた時僕は昭和漫画に描かれる熱血男並みに濃い顔をしていただろう。

 まさかと思い、軽く肘で押してみるとやはり弾力がある。


 恐る恐る、この巨体の顔を見上げると、成る程そう見えなくもない、そう思った。精悍な顔つきをしているが、なんとなく男にしては幼い印象を抱かなくもない。


「女だ!」


 僕はそう叫んでいた。廊下に僕の驚嘆が響き渡る。

 しかし、その叫んだ言葉の持つ棘を理解した時、僕は言いようのない罪悪感で胸を締め付けられるのだ。


 あぁ、何か涙出てきた。



◯◯◯◯



 かの女子生徒は陸上部の2年生だった。

 本日の勧誘がひと段落した為、園部さんに頼まれて僕を呼びに来たのだそうな。僕を園部さんの所まで届けた彼女は颯爽と走り去って行った。これから見学に来た新入生と体験的に部活動をするらしい。去る瞬間キリリとした顔で会釈をしたのを見て、カッコイイと思ってしまったのは何故だろう。


 そして帰り道、車椅子を押す僕と園部さん2人きり。


 時間はまだ3時前で交通量も少なく、学校を離れるとやけに町が静かに感じられた。

 学校とその最寄駅は主に桜並木になぞられた大きな一本の道で繋がっている。正門を出て少し歩くとその道に合流し、あとは真っ直ぐ歩くのみである。ゆっくり歩いても時間にして10分足らずと比較的好立地な学校なのである。

 車椅子を押すのに、いつもより足元に注意を向けて初めて気付いたのだが、舗装もしっかりしており、ゴミも少なかった。

 それに今のこの時期は桜が満開で、視界が華やかである。


 良い道だと思った。


「所で、園部さん。」


 車椅子を押しながら、園部さんに声をかけた。

 今日実際に一日お世話みたいな事をして、気付いたことがあるのだ。それについて今から話そうではないか。


「なに?」


 彼女は前を向いたままそう返事をする。


「これ、僕が登下校手伝う必要あるのでしょうか」


 駅から学校の道のりは長くないし、道路もきちんと舗装されている。電車の乗り降りも今のご時世、ちゃんとバリアフリーになってるからそんなに苦はないだろう。寧ろ独りの方が赤の他人と一緒に登下校するより、色んな意味で良いのではないだろうか。


「藤島くん。」


 ややあって、園部さんは話し始めた。


「私って滅多にお目に掛かれないくらいに綺麗でしょ?」


「は?」


 突然の科白に空いた口が塞がらなかなった。


「顔も然る事ながら、スタイルも完璧に近いと自負してる。これは過信ではなく自分の努力に対する自信よ」


「は、はぁ……」


 相槌がお座なりになってしまうのも無理はないだろう。

 僕は生まれて初めて自分自身を容姿端麗と断言する人を見たのだ。たとえそれが紛ごうことなき事実だとしても、ここまで堂々と言い切れる人は少ないのではないだろうか。


 然る事ながらとか言って、猿としては完璧だと逆に自分を揶揄しているのか?

そんな面白くないシャレとして捉えた方がまだ現実に良くありそうだと思えた。

 それほど彼女の放った言葉は衝撃的だったという事だ。


「このプロポーションを維持する為に私なりに頑張ってるわ」


「さいですか」


 表情は見えないが、その後ろ姿だけでどんな顔をしているか分かってしまう。許されるなら顔面パンチしたくなる様相をしている事間違い無し。


「確かに自分一人でも車椅子を動かすことは出来るのだから、助けは無くても大丈夫よ。きっと」


「そうだろうそうだろう」


「でも、頑張って車椅子を漕いで一人で登下校した結果、腕とか肩が必要以上に太くなったらどうするの?」


「果てし無く自分本位な理由だった!?」


 後ろ頭をパシンと叩きたくなってしまった。


「このまま車椅子で一生過ごすのなら私も諦めるけど、そうではないのだから」


「……はあ、なるほど」


「それにいいじゃない。私と一緒に登校したがる人は多いのよ。役得でしょうに」


 浅くても付き合いだけは長い僕だが、彼女がこんな人間だとは思ってもみなかった。ここまで身勝手な人間を、ここまで自分に自信を持っている人間を僕は見たことが無い。


「うわーそれは身に余る光栄。余ったら勿体無いから他の人にあげたい」


「遠慮せずに全部受け取るといいわ」


 思わずため息が出る。


「そんな身勝手な性格で、君と付き合う男はさぞかし苦労が絶えないだろうな」


「こんな私でもちゃんと相手してくれる素晴らしい方を探すから心配ご無用よ」


「あぁ、それで理想を高くしてしまった結果、二次元の世界にお世話になっているのか。早めに抜け出すことを勧めるよ。あの世界の住人を理想にしてしまったら、現実の男がどれも安っぽく見える様になってしまう」


「それこそ余計なお世話よ。それに……」


 突然吹いた春風が、彼女の言葉を中断させた。


 風は世界に浮遊力を与える。

 ハラハラと桜の花びらが1枚、枝から離れ宙を舞った。

 思わず足が止まった。

 踊りの練習などしたことも無いだろうに、その舞は圧倒的な求心力をもって僕を魅了する。

 恐らく一生で一度の舞。


 目立ちたがり屋なその花びらはたった独り、静かにその命を燃やし切る。


 その余韻の中、園部さんは言葉を続けた。


「きっといるわ」


 その一言には、有無を言わせない力が込められていた様に感じた。それは恐らく夢見る女の子の言葉ではなかった。

 希望ではなく、真実を語っている気がした。

 

「いるわ、きっと。それこそ私なんかじゃ、私には勿体無い様な、そんな人が……」


ーーふと思ってしまった。


 それは酷く滑稽で、或いはとてもじゃないけど笑えない様な、そんな思いつきだった。


 馬鹿らしいと、散った後静かな花びらを再び見て僕はそれきり沈黙した。



◯◯◯◯



 ソファーで寛ぎながらテレビを見ていると、スマホが震えだした。見るとメールが一件届いた様だ。

 ぼっちである僕にメールを寄越すのは家族ぐらいなものだし、その二人は今我が家にいる。

広 告メールとかはうざったいから届かないようにしているし、と不思議に思っていたが、程なくして一人の可能性に思い当たる。


 果たして園部さんからだった。


 昨日病院で、連絡を取れた方が都合良いだろうという事でメアドを交換したのだ。

 画面にはこう書かれていた。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

From:園部茉莉子


今日はありがとう。

身勝手なお願いという事は分かってますし、藤島くんの言い分もわかります。

でも、明日からも手伝ってくれると嬉しいな σ(^_^;)

よろしくお願いしますm(_ _)m


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



 顔文字なんて使うんだ。

 最初の感想はそれだった。


「何ニヤニヤしてるの?」


 隣で一緒にテレビを見ていた姉がそう聞いてきた。


「別に」


「ふーん」


 ニヤニヤしていただろうか。自覚は全くなかった。


「ねぇ、テレビ詰まんないし、これから私と乙女ゲームしにいかない?すっごいオススメのがあるんだけど。アンタも絶対気にいるからさ」


 姉は事あるごとに僕に乙女ゲームさせたり、その話をしてくる。周りにその手の話題について来れる人が居ないらしく、僕に相手をさせようとするのだ。

 いつもなら断るのだが、今日はなんかしてもいい気分だった。


「11時までね。明日も朝早いから夜更かしは出来ないんだよ」


「そう言えば今日も早かったみたいけど、なんかあるの?」


 いつもなら姉が起きる頃、大体僕は朝食を摂っていた。それなのに朝起きても僕が居なかった事に少し驚いたのだろう。


「別に。ちょっと野暮用がね」



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