第6話
「あらあら、楽しそうね」
「ふふ、そうね」
突然聞こえてきた言葉に僕と園部さんは繰り広げていた口喧嘩を中断させる。
園部さんの母親が戻って来たらしい。そう認識した後、僕は違和感を覚えた。
園部さんの母親の言葉に対して相槌打った人がいなかったか?
それも割と馴染みのある声でーー。
僕は恐る恐る扉の方に目をやった
予想が外れている事を願って。
しかし、案の定その光景を目に僕は固まってしまう。
別にそこにメデューサがいたとかそんなファンタジーな話ではない。勿論リアルで、だからこそ達が悪い。
今この状況において、悪魔とも呼べるその人は、顔に薄気味悪い笑みを浮かべていた。僕にはギザギザした歯と、黒い翼が見える。
何も言ってくれるな。
そう願うが、それは無駄な願いだと目の前の悪魔が舌舐めずりした事によって理解させられた。
そして悪魔は囁く。
その愉悦を余す事なく堪能せんと。
「茉莉子ちゃん」
甘ったらしく、しっとりと。
「こいつ私が貴女の怪我について話をしたらね、最初は大して興味なさげにスルーしたの。でも自室に上がって暫くしたら急に暴れ始めてね、何かと思ってたら、これまた急に家を飛び出していったのよ。よっぽど心配だったんでしょうね。まぁ元々今日ここへ連れて来る予定だったから別に良いけどね」
悪魔、つまりは我が母は僕にその嫌らしい笑顔を見せつけてきた。
母の言葉で僕が園部さんを心配していたと言う事が露見してしまった。必死に誤魔化そうとしていたのに。いやまあバレバレだったかもしれないけどさ。
「あら、そうなの?予定時間よりも早く陽平君が来て少し驚いたのよ」
「「あらあらまぁまぁ、おほほほほほ」」
我が母は何故か園部母とフレンドリーである。
何故ここに?
未だ体に動が戻らない僕は必死に視線で母に訴える。
「ん?ちょっとこれからの話をしにね。」
流石僕の生みの親であり育ての親。付き合いだけで言えば世界一長いだけはある。僕の無言の問いにも母は気づき、そう返答をした。
しかしその答えは僕をより混乱の渦に放り投げた
これからの話ってなんだ?
そう言えば先程母は「どちらにしろここへ連れて来た」と言っていた。つまりここへ用が、強いては園部家と何か予定があったという事だろう。だとすると益々わけが分からない。
藤島家と園部家はこれまで一度も何かをした事がない。そりゃ、僕達が幼稚園や小学生の頃、運動会や演芸会等で顔を合わせた事くらいあるかもしれないけど、今に至って何かするなんて想像もつかない。
母のセリフから一拍おいて、園部母がこちらを向いた。
その表情は一変して、どこか真剣さも感じられる。
思わず背筋が伸びた。
「陽平君」
「はい」
「茉莉子のお世話係を引き受けてもらえないかしら?」
「はい?」
折角背筋を伸ばしたのに、唐突にそんなことを言われ、自分でも呆れるほど間抜けな言葉が出てしまった。
そんな僕を見てから、園部母は少し表情を柔らかくした。
「いやね、茉莉子こんな怪我しちゃったでしょ?まぁ今日退院して明日から学校も始まるし、日常生活に戻っていくんだけど、そこで色々問題が出てくると思うのね。家では私と旦那が居るからいいんだけど、学校での生活とその行き帰りがどうしても心配なの。だから学校でのサポートをして欲しいの。ダメかな?」
ダメかな、と最後は可愛らしく首を傾げてそう聞く園部母。
歳はいくら低く見積もっても40近くはあるだろうにその仕草は似合っていた。恐らく若い時ーー勿論今でも充分若々しいがーーはこういった表情で何人もの男を見惚れさせてきたのではないだろうか。もうあと十数歳若ければ僕もコロリといってしまうかもしれない。
しかしもうあと十数歳若いということは今の園部さんと殆ど同じ顔をしている筈だ。
改めて見返して見ると本当にこの親子はよく似ている。娘と比べると流石に年齢を感じさせる顔付きをしているが、有る程度離れた所から見比べてたとしたら、どちらがどちらか分からないかもしれないと思う程である。
つまり園部母のこの仕草は何十年後かの園部娘がやっている図と捉えられない事もなくて……。
そう考えると今目の前にウフフといった感じに首を傾げている園部母の方も恐ろしく見えてきた。怖い、なんか怖い。
背筋がヒンヤリしてきた。
お陰で背筋ピーンッだよ。分かるよ小学生の皆。背筋を伸ばしているのは、目の前に恐ろしい何かが居るからなんだよね。無言の圧力って奴を受けてるんだろう?それでも笑顔で手を天高く伸ばして希望を持ってるんだよね。偉いよ。
でも僕はそこまで強くないんだ。だから出来れば逃げたいな。
お母様方そこは出入り口です。通行人の邪魔になりますのでどうか避けてください。若い者の進む道の選択肢をなるべく多く持たせ、そして選択したらその道を応援するのが大人の努めでしょう。道を塞いだら駄目。絶対。
あ、逃げ道を塞がれてるのか。こりゃまいったなハハハ。
僕はガックリ項垂れた。
どんなに現実逃避しても、現状は変わらない。ならばより深く現状を知る事こそが今己が一番にすべき事であろう。
だから先ず疑問に思うことを聞いてみる。
「えっと、サポートが必要なのは分かりますが、でも何で僕なんです?いえ、勿論困ってる処を見かけたら手助け位しますが、こうも面と向かって、どうして僕なんかに頼むんですか?」
園部さんの手助けをしたいと言う人は沢山いるはずだ。何せあの天下の園部茉莉子様だ。
なのに何故僕に。態々こんな場を設けてまで。
何か裏があるのではと、勘繰ってしまうのは詮無き事だろう。
しかし、その問いの答えを聞く前に、爆弾が落とされる事となった。
今日の母はとことん悪魔を貫く様だ。
「何が不満なの?陽平、昔は茉莉子ちゃんと仲良かったじゃん。それこそ保育、小学のときは毎日のように茉莉子ちゃんがどうのこうの言ってたじゃない。」
おいおい母上様お元気ですか〜、って歌あったけどあんたは元気すぎるな。本人の居る所でなんつー暴露してくれちゃってるの?
なに?僕を殺したいの?ねえ。元気の源は愛する息子の困った顔ですか?今のこのご時勢、僕らみたいな世代の死因は言葉の暴力によるものも多いんだぜ?
因みに茉莉子ちゃんなんて呼んだ事は無い、はずだ。
……ちっさい頃は知らんけど。
まぁ、確かに昔はよく園部さんを話題にしていたのは事実だ。
しかし、弁解をさせて貰うと、それは仲が良いとかそう言うのではない。
僕と園部さんは、言って見れば戦争をしていたのである。大袈裟かもしれないが、当時の僕達は己の全身全霊をもって相手に打ち勝とうとしていた。
母に園部さんの話をしていたというよりも、僕は園部さんとの対決の話をしていたのだ。小さい子がクラブチームかなんかでの試合の結果報告をする感覚に近いかもしれない。
勝った時は自分のした事を誇らしげに語り、負け色が濃かった時は、悔しさを呟いた。
ただそれだけだ。
園部さんの方を見ると、ツイと窓の外の景色の方に顔を向けていて表情が見えなかった。先ほどの舌戦が続いていたのであれば間違いなく攻められていたであろう僕の弱点を突くつもりはないらしい。
それに園部さん自身からサポートの件について特に何も言わないという事は、既にこの話を認識し、そして了承もしているのだろう。
そういえば僕が独りで来るとは思わなかったと言っていたかもしれない。僕なんてボッチだから独りで来るのは当たり前なのに、とは思っても深くは気にしていなかったが、そういう事か?
今日僕は母とここに来る予定だった、と。
「そ、それは別に仲が良かったとか言うわけでなくて。対戦の結果報告というか、何といいますか……」
「大丈夫よ。茉莉子も毎日のように君の話してたから。陽平くんがー、陽平くんがーって。旦那が嫉妬して拗ねたくらいよ」
爆弾二発目。
何が大丈夫なんだ。
「ちょっと、お母さん!」
園部さんが、そう叫んだ。
凄い剣幕で振り返って自らの母親を睨みつける姿は付き合いだけは長いとは言え、そんな表情は初めて見るものだった。
眉は釣り上がり、大きく目が見開かれ、瞳は鋭い光を放ち、怒りで顔が真っ赤になっている。その顔を向けられたのは自分ではないが、思わず御免なさいと土下座してしまいたくなる程の威圧感があった。
よくもまあ一瞬でこんなにも鬼の形相と言う言葉がピッタリの顔になれる物だと感心する。
願わくば二度と見たく無い。
「おぉ、怖々。まぁそんなわけでお願い出来ないかしら?」
園部母はそんな娘の怒り顔を前にしても怯むことはなく軽く流し、軽く話を戻し、軽く僕に尋ねてきた。
「あ、あの、おばさッ」
…………。
「自己紹介がまだだったわね。私、園部智美と申します。ご存知の通り茉莉子の母です。呼び方は智美、もしくはお義母さんでよろしくね?」
そんな漫画の世界じゃないんだから。娘の知り合いの男にお義母さんと呼ばせたがるなんて、なんて人なんだこの人は。
「と、智美さんで……」
「あら遠慮せずに、お・か・あ・さ・んでも良いのよ?まぁ間違っても何だっけ?あの呼び方。ちょっとよく思い出せないんだけど、取り敢えず、ね?分かった?」
智美さんから掛かってくる圧力は凄まじいものがあった。それを前にすれば、先程の園部さんの鬼の形相ですら天使みたいなものだ。
「園部さん。僕貴方が天使に見えるよ」
この世からおばさんって言葉が滅べば良いのに。
「ご愁傷様。ちゃんと私が天に連れて行ってあげるから安らかに眠りなさい」
「まだ死んでないよ!そう言う意味で天使って言ったんじゃないよ!可愛いく見えるって意味での天使だよ!」
「親の前で娘を口説くとは。我が息子ながらよくやるわ」
「これは本当にお義母さんって呼ばれる日も遠くはないかもね」
「「あらあらまぁまぁ、オホホホホホ」」
「その笑い方からして既におばさnhぐいあghkぁhgkぅあ」
再びこの病室に静寂が戻った時、僕は瀕死の状態だった。
「それで?陽平くん、なにか言おうとしていたけど?」
僕をサウンドバックにエクササイズしていた智美さんは漸く本題に戻るべくそう聞いてきた。
「いや、あの。そのサポートの件ですけど断ることは出来るのかな、なんて……」
沈黙が答え。
断ることが出来ないのは分かっていた。
そもそも、だ。ここに僕の母親を呼んでいる時点でもう話は既に決まっていたようなものだ。
僕にしたのは言ってみれば事後承諾みたいなもの。僕の知らない所で、僕の知らない僕が関係する案件は勝手に僕の知らない内に決まっていたのだ。
僕は今日この場で思い通りに出来ること等何一つないのである。
「……謹んで、お受け致します」
◯◯◯◯
帰り道、行きでは難所だった上り坂は下り坂となり、僕は勢い良く駆け下りた。
ボサボサと揶揄された僕のヘアーがブワッと逆立ち、満足に目が開けられないほどに顔面に風がぶち当たる。
口を大きく開け、空気を思いきり吸い込んだ。
春の空気はまだ少し冷たくて、でも全身は燃えるように熱かった。
自転車は距離を重ねる毎に速度を増していき、そのままタイヤが宙に浮かんで行って、空を飛んでいきそうな、そんな勢いがあった。
何かが僕の目に映り、あっという間に遠ざかっていく。
そしてまた新しい何かが舞い込んでくる。
世界は回っている。何かを何と認識する間もなく。
急速に、勢いを増してーー。
勢いよく回っていく世界に僕は翻弄されるばかりだ。
何故か無性に叫びたくなった。
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