第5話
「お待たせいたしました」
軽く頭を下げてそう言う彼女の仕草は見事に清廉されていた。あらゆる無駄を除いた様なそれは、ただ頭を下げるだけというのに、ここまで人を惹きつけるのか。それは恐らく、園部さんの自身への絶対の自信が成せる業だった。
「いえ、こちらこそいきなり来てすみません」
彼女に対して、そんな粗末な対応しか出来ない自分が情けない。
そしてその後、怪我の具合などのテンプレ的な問答をし終えたると、あっという間に沈黙が訪れた。
会話開始から終了まで20秒も立っていないだろう。
あまりにも早すぎる沈黙の訪れに、僕は戸惑いを隠せないでいた。
どうにか会話をしようと脳内フル活動させるが徒労に終わった。
そもそもここ最近は会話という会話を家族以外とした記憶がない。自分の喋る言葉が果たして通じるのか、自分は意味ある言葉を話す事が出来るのだろうか。そんな疑問が後を絶たず、そして僕の口を重くした。
正直に言うと、今までに何度か彼女と話をしてみたいと思った事はある。
意地を張り合えるたった一人の存在だったのだ。話してみたいと思うのは当然な欲求だっだと思う。
しかしお互いに対抗意識を燃やしていた時期は、話しかけた方が負けという雰囲気があり、また、ライバル関係が崩れた今となっては、勝ち負け云々の前に話し掛ける権利自体をなくしてしまった様な気があったのだ。
その結果、今現在まともに会話をしたことが無いという状況に至っている。
そもそも、園部さんからすれば、そんな関係の僕が見舞いに来ている事自体が不自然過ぎて、変に思われているに違いない。
やはり来るべきではなかった。
早く帰りたい。しかし早すぎる帰宅は返って変に思われるのではないかと、情けないプライドもあって……。
自分の行動に自信が持てず、自分の行いの全てが恥ずべきものと思ってしまい、結局何も出来ない。
その状況こそが一番恥ずべき事だろうに。
取り敢えず何とか会話をしなければ。僕の思考はそればかりだった。
そして焦る余り、ついて出た言葉は……。
「良い、天気ですね」
それだった。
これでは自分はコミュ障ですと自己紹介している物だ。
対する園部さんは、そうね、と窓の外を見もせず短くそう答えた。
僕はそのそっけない返答とは裏腹に、彼女の顔に微笑みが浮かべられたのを見つけていた。
そして、一瞬浮かべられた微笑みに、僕は見覚えがあった。
しかし、それが何だったのか、僕は今一思い出せなかった。後少しで脳の回線が繋がりそうなのだけど。それがもどかしくて堪らなかった。
「……まさか藤島くんが独りで来てくれるとは思わなかった。」
次に口を開いたのは園部さんだった。
その言葉は僕をドキリとさせるには十分な威力を持っていた。僕だって、園部さんの見舞いに来るとは自分自身驚きである。
何故来たかと聞かれると、僕はとうとう口を閉ざしてしまう事になるだろう。だから僕の口から真実が語られる事はない。
「僕の母親がここの看護師でさ。今朝入院の事聞いてね。何か行け行け煩かったから」
何とも酷い言い訳だった。
「……へぇ、藤島君のお母さんってこの病院で働いてるんだ。」
「うん。見かけたらこき使ってあげて。」
「……でもやっぱり藤島君が来てくれるとは思わなかったな。」
再び同じ言葉が僕に投げかけられた。
それはらは、先ほどの返答の仕方は間違いであるからやり直せ、そんなニュアンスが感じられる。
だから次はもう少し考えて。
「……うん。特に仲が良い訳でもないのにね。僕も不思議だよ」
それはまるっきり嘘でもなかった。今こうして見舞いに来ても、僕は何故彼女を心配になったのか不思議ではあったのだ。
「ふぅん」
園部さんは少し意地悪げに笑う。先程見た微笑みと同じものだ。
そして、その笑みを見て、どうして見覚えがあったのか僕は気づいた。それと同時に、何故忘れていたのだろうと、そんな疑問がついて出た。
この笑みは、そう。
彼女が僕に勝った時に見せる、何とも憎らしい表情だった。この笑みを見るたびに僕は、悔しさに胸を掻き毟られ、同じ笑みを返すために彼女に勝とうとしていたんじゃないか。
それは僕と彼女がライバル関係だったという事の証左とも言える表情だった。
「私が心配で、とかじゃ無いの?」
相変わらずの憎たらしい微笑みででそう聞いてくる彼女に、僕は胸が熱くなってきている事に気づく。
「違う!…ます。」
実際はそうなんだが、つい頭ごなしに否定してしまう。
ライバルだった過去の名残か、まぁ元々の性格も有るんだろうけど、僕は園部さんに対して意地を張りたいらしく、そして屈したくないらしい。
既にライバルでもなく、同立に考えることすら烏滸がましい程の差があると言うのに。
何と間抜けで、身の程知らずなのだろう、僕は。
「でも結構必死に来たみたいね。格好酷いよ」
園部さんは手鏡を僕に渡してきた。
そしてそれを覗くと、そこには唖然とした表情を見せる僕が映っていた。
朝起きて、大した身支度もせずに家を出たことを今更ながらに現実として知らしめられたのだ。
何とも酷い格好だった。
服装はパジャマ、髪はボサボサ、春休み中で何日も剃る必要がなかった為無造作に生えた髭。歯磨きをしてきたのがせめてもの救いか。
僕は一気に身体中が熱くなるのを感じた。血液が普段の倍以上の速度で全身を走り回っている感じがする。
恐らくその動揺が顔に出ていたのだろう。園部さんは為て遣ったりと、例の表情で僕を見ていた。
その表情を見て、とうとう僕は対抗心に火を付けてしまう。
スイッチが入ってしまった。
舌で唇を湿らせ、口を開く。
「確かに凄い格好だ。でもおんなじ様な格好した人さっき見た気がするな」
明らかに先程の園部さんの事を言っており、明らかに挑発の言葉だった。そんな言葉が、自然に何の突っ掛かりもなく出てきた。
「そーんなに私の事が心配だったんだ」
園部さんは僕の指摘を誤魔化す様に、少し語気を強めた。
「あれ、そう言えばその人、この部屋にいたと思うんだけど何処か行ったのかな」
僕は額に手を当てキョロキョロ周りを見るジェスチャーをした後、したり顔で園部さんを見る。意識しなくても自然にその顔は作る事ができた。今まで幾度となく彼女に向けてきた表情だった。
すると明らかに彼女の目の色が変わった。
そして口論は激化する。
「私の事心配し過ぎて居ても経ってもいられなかった様ね。
根拠は主に2つ。
次に坂道が多い中、バスが通っているというのに貴方は自転車できてるという事。しばらく雨は降ってなくて水溜まりは無い筈なのに貴方のパ・ジャ・マ、のズボンの裾が濡れてるわ。今は雨が降ってないのにどうして其処が濡れいているのかしら?昨日の雨で水溜りは多いでしょうけど、徒歩や車じゃ其処まで濡れる筈がないわよね?バスが待てなかったの?バスの時間を調べるのが面倒な程慌てていたの?もしかして、バスと言う選択肢を忘れるぐらいに冷静を欠いていたのかしら?
そしてもう一つの証拠は、何より貴方の姿よ。パジャマで外出なんて焦っていたとしか思えないわ。それに最初入って来た時も思ったけど、髪はボサボサで手櫛で梳かした痕跡すらない。エレベーターに乗ってここまで上がって来たのだと思うけど、そこに大きな鏡なかった?普通これから人と、しかも同世代の異性に逢おうする高校生はどんなに腐ってても鏡があったら、少し自分の姿をチェックぐらいすると思うのだけど。そう思うのは私の自意識過剰かしら?そこまで気が回らないほどに焦っていたんじゃないの?あぁついでに言うと、髪の毛に関して言えば今は最初よりももっと酷くなっていてよ。何故かは深く考えないであげるけど、病室の外で頭を掻き毟ったみたいね。
以上の事から藤島陽平君、貴方は私の事が心配でたまらなかったと推測します」
「確かに僕はここまで自転車で来た。それに格好だってちゃんとしているとは言えない。でも、だからと言って、僕が心配で居ても立ってもいられなかったとはならないと思うよ。
バスだってお金が掛かるんだ。小遣い生活の僕にとって往復500円以上も掛けたら、それだけで大損だ。だから自転車で来たのは妥当と言える。
格好だって、別に全裸じゃないんだから、とやかく言われたくないね。髪がボサボサだって何がおかしいんだい?パジャマで外に出るのが何が行けないんだい?
世間一般的に変だと言われているけど、何がどう変なんだと開き直られたら答えに窮するんじゃないかな?
と言う事は、それは世間の集団認識に流されて、その考えに染められているだけで、そこに主観はないのかもしれない。人を非難する場合は主観的でなければならない。一般論という他人の矛で人を傷つけてはならない。自分の槍を使わなければ駄目なんだ。
そこを踏まえて、今一度考えて欲しい。この格好の何がおかしいんだい?」
「ごめんなさい。訂正するわ」
「うん。素直に非を認める事ができるのは素晴らしいと思うよ」
「その格好をおかしくないと開き直れる貴方の美的感覚の方が何倍もおかしかったわ」
だめだ。
このままでは敗北してしまう。第一自分自身変だと思っているものを肯定なんて出来ないんだ。
このままでは防戦一方。長くは保つまい。ならば攻めの体制に出るしかない。
「格好について言わせてもらうと、さっき僕がこの部屋で見た人のパジャマなんだけどさ。
一見は普通の、子・ど・も用パジャマだけど、あれって確か大人気乙女ゲームの一番人気の攻略キャラが幼い時に愛着していたとかいう奴で、3名様限定プレゼントとかいう凄い倍率の中で手に入れなきゃならない代物だよね。僕の姉が必死になって応募して、パンフレット見せながら僕に説明して来たから記憶があるんだ。でもあれって確か、つい先週位に予約受付が終わったばかりで、仮に当たったとしてもまだ手元にある筈がないんだよね。だから、その人は自分で作ったって事になると思うんけど、どう思う?
あ、て言うか園部さんの目元が赤いのって、昨日遅くまでそういった類のゲームをそこのパソコンでしてて、そんで感動して泣いたから、とか?僕の姉もよくそんな状態になるんだよね。僕、園部さんが怪我の事で落ち込んで泣いたのかと思って気を遣いそうになったんだけど、いらない気遣いだったかな?」
この論でも駄目だ。これこそ園部さんが開き直ってしまえば僕は何も言えなくなってしまう。
何か、何か園部さんへの明確な攻撃手段はないものか。
◯◯◯◯
その後もこんな感じで言い争いは続いていった。よくもそんなに口が回るなという位に、僕達はマシンガンの如く罵り合った。
容赦のない言葉もあったけど、不思議と不快にはならなかった。
寧ろ楽しさすら感じていた。久しぶりの園部さんとの対決に、僕は思わず心を躍らせていたのだ。
劣等感とかそういった物も綺麗さっぱり忘れてしまっていた。
そんな中、
「あらあら、楽しそうね」
「ふふ、そうね」
扉の開く音とともにそんな言葉が聞こえて来た。
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