第18話 六章 殺人鬼ごっこ その3 小原純奈の物語


 小原純奈の遺書


『拝啓

 この手紙があなたの元に届く頃には、わたしは死んでいるでしょう。なんて、小説らしいネタで始めるには、あまり洒落になっていないでしょうが、とにかくわたしが死んだ後にこの手紙があなたの元に届くことは確かでしょう。おそらくわたしが死ぬ時に、あなたには随分な迷惑をかけることになると思うので、今のうちに謝っておきます。ごめんなさい。

 迷惑をかけるだけかけて、勝手に死んでいったわたしの事を、あなたは面倒に思っていることでしょう。いや、思っていないのかもしれないですね。どちらかは、よく分かりません。あなたが何を考えているのか、わたしには結局分からず仕舞いでした。人が人の事を分かることなんて不可能なのでしょうが、初めて分かりたいと思った人間が出来たのに、それが分からないままで終わるのは、とても悔しいものです。

 と、随分とらしくないことを書きました。

 わたしは今、死ぬための身辺整理を行っていたところです。あとはこの手紙を書いて、プリントアウトするだけ。本当は事件の私小説だけをプリントアウトするつもりだったのですが、どうせならと思って、こうして別に手紙を書いています。

 どうせなら、最後にあなたにわたしの話を聞いて欲しくて。

 あなたには少なからず迷惑をかけたので、それなりの、ネタばらしと言うか、わたしの真意を知っておいてもらいたいと思うのです。もし、嫌だと言うのなら、この手紙はこれ以上読まずに好きにしてください。世間に公開しようと、シュレッダーにかけようと、あなたの自由です。ただ、出来ることなら、あなたにわたしの気持ちを知っていてほしい。

 わたしは、人を殺しました。

 七人。何の罪もない、ただ生きているだけの人を、自分の都合だけで、殺しました。

 その罪を決めるのは世間です。わたしではありません。わたしが幾ら罪を意識しようと、それは所詮、自己満足に過ぎませんから。だからわたしは、何故そんな凶行に及んだのかということだけを、語りたいと思います。

 そもそものきっかけは、わたしが、フィクションに憧れたことでした。

 あなたには、前にも話しましたよね。わたしは、物語が好きだった。それが行きすぎて、私は何者かになりたいと思った。全ては、その子供じみた夢が元でした。

 何者かになるため。わたしは、いろいろなことに手を出しました。中学の時はそれこそ健全で、三年間みっちり、部活動に打ち込み、また学業に励みました。その甲斐あって、あなたと同じ高校に通っていたわけですが、その後の落ちぶれっぷりは、見ていたら分かると思います。

 ありていに言うと、頑張るのに飽きてしまったのです。

 燃え尽き症候群、なんて風にも言われるかもしれませんが、わたしのそれは、少しだけ違います。わたしは、いつまで続くか分からない努力に、辟易してしまったのです。

 成功するために、努力する。

 失敗したら、より多くの努力で、成功を目指す。

 その繰り返し。

 はっきり言って、それは果てしないものだと思います。

 もちろんそんなものは負け犬の遠吠え程度にしか受け入れてもらえないでしょうが、これでもわたしは、一定以上の成功は収めました。現在のわたしの状況からは想像もつかないかもしれませんが、学業においては、全国模試で上位に入ったこともあります。中学時代の栄光なんて、自慢にもなりませんが。

 そう。わたしは頑張ったのです。

 大して良くもない頭を鍛え上げ、大して良くもない運動神経を鍛え上げて。そうして三年間、走り抜けました。

 届かなかった。

 全然、届かなかった。

 ナンバーワンになんてなれなかった。当たり前です。だってわたしのは、ただの意地です。それに対して、争う相手は、確固たる目的を持っているのです。目的をもった努力と、ただの意地。そんなの、勝敗は見えています。こちらが一点の点数を上げるために勉強を行うのに対して、目的のある人間ははるか先を見て勉強して、十点の点数を上げます。何をしたいというわけでもないわたしが、ただの意地で、がむしゃらにやるだけでは敵うわけがないのです。

 目的。

 人生には、目的が必要です。

 思えば、フィクションの登場人物たちは、皆何かしらの目的を持っています。敵に勝つとか、一番になるとか、何かを守るとか、世界を変えるとか。わたしにとっての目的は、何者かになると言うものですが、それが現在の努力と直結しているかと言われると、ひどく曖昧でした。

 ただ、それでもわたしは、高校に入っても頑張ろうと思っていたのです。

 つぶしがきくという言い方もおかしいかもしれないですが、少なくとも何でも出来るようになっていれば、明確な目標が見つかった時に困らないと思ったのです。だから、例え一番に届かなくても、努力自体は無駄じゃない。わたしの意地は、無駄なんかじゃない。そう思っていました。

 ギリギリの感情で、今にも崩れそうなほどボロボロな意志を、かろうじての姿勢で保っていたのです。

 それが崩れたのは、些細なことでした。

 わたしがグレたのは、些細なことです。

 ここで、少しだけ話をそらします。

 父の話をします。

 もしわたしのもう一つの手記、私小説が世間に公表されているのなら、あなたも知っているかもしれませんが、わたしは父の事を憎からず思っていました。はっきりと、好きだったと言ってしまっても構わないと思います。

 わたしはファザコンでした。

 性的な意味は含みませんけれど。

 そんな風にわざわざ注釈を入れるのは、別に冗談で言っているわけではありません。本当にわたしは、父の事を親として信愛していました。自分自身の芯と言うモノを感じられなかったわたしにとって、父こそが、頼りになる唯一のものだったと言えるかもしれません。父はあまり愛想のいい人ではありませんでしたから、そんなにべたべたとコミュニケーションを取っていたわけではありませんが、そうした寡黙なところもまた、わたしにとって神聖なもののように感じられたのでした。

 わたしにとって、父は神聖なものでした。

 その父が、援助交際をしているところを、目撃するまでは。

 高校一年生の文化祭の頃のことです。準備期間に、実行委員だった私は、遅くまで、準備をしていました。母からは随分心配されましたが、わたしのチャレンジ精神は中学の頃に嫌と言うほど見せていたので、女の子が夜遅くに帰ることも許されました。そう言えば、この頃は母との関係もかなり良かったですね。仲良し親子だったんですよ、わたしたち。

 話がそれました。元に戻しましょう。

 そんな、夜遅くに帰る日に、わたしは駅の近くで父の姿を見かけました。

 女子高生と一緒に居る、父の姿を。

 父は、見たこともないような笑顔を浮かべていました。気色の悪い、オヤジの顔。若い女をだらしなく見る、男の顔。

 神聖だった父のイメージが、ガラガラと崩れおちました。

 その後わたしは、父がホテルに入る所まで目撃しました。話にすれば、この程度の話です。事実確認なんて必要ない。もしかしたら一度だけの過ちだったのかもしれませんが、そんなことはどうでもいい。ただの一度であっても、わたしの中の父のイメージが、完全に崩壊してしまったことは、確かなのですから。

 それと共に、わたしの中で、色々なものが抜けて行きました。

 何をわたしは、頑張っているのだろう?

 目的もなく、必死にがむしゃらに手当たり次第に、具体的な目標もなく馬車馬のように走り続ける。そんな自分が、急に馬鹿らしくなったのです。

 なんだ。わたしは今、悲劇のヒロインじゃないか。

 よりによって、そんな風に思ってしまったのです。

 そしてわたしは、グレました。

 頑張るよりも、頑張るのを止めて、だらしなく、悪い方向に進む方が、よっぽどフィクションの登場人物のようになれると思ったからです。

 やっていることは、火遊びに憧れる子供のようなものですが。

 そんなわけで、わたしは丁度手近に居た須藤に声をかけ、彼と付き合うことで、見事不良たちの仲間入りをしたのです。

 いろいろやりました。煙草もその時に覚えました。夜遊びも覚えましたし、初体験も、その時に済ませました。

 そして。援助交際も。

 きっかけは仲間たちに誘われて、という受け身なものだったのですが、しかし、父の幻想を崩した諸悪の根源でもあったので、非常に興味がありました。そんなにいいものなのだろうか。性交自体それほど良いと思っていなかったので、危険な火遊びならば興奮できるのだろうかと、興味をもっていました。

 結論から言うと、どうでもよかったです。

 お金がもらえるのは、嬉しかったですね。

 けれど、病気の心配や、身の安全なんかを考えると、長く続けたいとは思いませんでした。こんなものを進んでやりたがる友人たちが不思議でなりません。

 まあ、お金なんでしょうけれど。

 さて。ここまで体験をして、わたしはまた、壁にぶつかりました。

 最初こそ、初めての体験ばかりで戸惑いと興奮がありましたが、半年も経てば、それは日常になりました。目新しいことは何もなかったのです。事件らしい事件もない。ただ社会的にあまりいい目で見られないようなことを、集団で繰り返すだけ。何が面白いのか分からなかったわたしにとって、終いにはただの苦痛でしかなくなりました。

 それこそ、須藤ともっと深く付き合っていれば、彼が泥沼にはまってわたしを水商売にでも落としてくれたかもしれませんが、さすがにそこまで行くと人生設計自体が狂ってしまうので、勘弁と言う感じでした。

 人生設計。

 何気なく使いましたが、失笑ものですね。

 もうこの時点で、人生なんて狂いっぱなしだと言うのに。

 ただ、身の危険を感じたのは確かで、グループの仲間たちが次第にまずい方向に進んでいるのはなんとなく察したので、わたしは早々に仲間から抜けることにしました。須藤とも縁を切りたかったのですが、それには少し時間がかかりました。

 そうして、見事一般人に戻ったわたしは、それからの身の振り方に困りました。

 まあ、だらけきったわたしが、今さら無駄な努力をするような気力はありませんでしたし。中途半端にアングラな世界を知ってしまったわたしは、やはりそちらの方に興味を持ちました。

 具体的には、殺人や猟奇的な事件の蒐集。

 さて。

 ここから、本題です。

 丁度わたしが不良グループから抜けた頃に、都市伝説として『深紅の殺し屋』という殺し屋の噂が広まっていました。手始めにわたしはその噂の検証から始めたのですが、これに関してはうまくいきませんでした。半年くらいかかったんですけどね。

 深夜徘徊自体は不良グループとの付き合いの時に慣れていたので、今さらと言う感じで繰り返していました。母からすると、わたしが不良グループから抜けたなんてことは、思いもしなかったでしょうね。まったく親不孝者です。反省はしていませんが。

 ちなみに、ちょくちょく金銭目的で援助交際は続けていました。お金がかかるのです、ああいう本は。母とは冷戦状態なだけに、お小遣いをせびるわけにはいきませんでしたし。

 しかし、そういう行為も、たまにはいい結果を運んでくるようです。わたしにとっての人生の転機は、丁度援助交際の待ち合わせの時に起きたのですから。

 まだわたしとは縁がない大学の構内。待ち合わせの場所にホイホイと現れたわたしは、そこで、殺人現場に居合わせたのです。

 月明かり陰る暗闇の中、わたしは、殺人鬼と出会いました。

 殺人鬼、なんて言葉を使いましたが、今思うと、アレは本当に殺人鬼だったのかは疑問ですね。あなたや、高浪さんの見識からすると、もう少しはっきりとした証拠が必要かもしれませんが、私からするとアレは殺人鬼そのものでした。何度も夢想して、憧れた、フィクションの中の登場人物。

 その殺人現場は、鮮やかでした。少しもみ合っているようではありましたが、首筋をナイフで一切り、あっさりと相手を仕留めました。血のシャワーが吹き出る様子を、リアルで見て、わたしは興奮を抑えきれませんでした。被害者の右手首をたやすく両断したところなんて、興奮しすぎて失禁しそうでした。もうその場で昇天してしまっても言い。それくらいに、衝撃的だったのです。

 よほど興奮していたのでしょう。わたしは、隠れるのも忘れて、物音を立ててしまいました。

 その殺人者は、わたしの姿に気付いた瞬間、ためらいもなく手に持ったナイフを投げてきました。まあ、当てる気はなかったのでしょうが、その時初めて死と言うモノを意識して、さらにわたしは冷や汗をかきました。

 ナイフはすぐそばの木に刺さりました。その場にへたり込みながら木を見ると、刃の根元までしっかりと木の幹に刺さっていました。グリップには、『take the blame』という文字が刻んであるのが分かって、それが、のちの事件に利用されたメッセージです。

 その場はすぐに逃げ出したのですが、一時間ほど時間を置いて、わたしは事件現場に戻ってきていました。身の程知らずもいいところですが、こんな機会は滅多にないと、そんな強迫観念じみたものを抱いたのです。

 今思えば馬鹿丸出しですが。

 馬鹿そのものですが。

 死体の画像などは嫌と言うほど見ていたわたしですが、リアルな死体を見るのは初めてでした。その衝撃と言うか、感銘は、筆舌しがたいものがあります。命が抜けた身体と言うものは、やはり、明確に違うのだと感じました。温度の感じられない肉体。身体活動が停止していて、自身では決して動かない、骸。こんな肉の塊に、命などと言う不確かなモノが入っていると思うと、それだけで生命の神秘を感じますね。

 こんなことで感じられたくなんて無いでしょうが。

 その時です。

 わたしは、人の命を奪って見たいと、思いました。

 それは本当に興味程度の感情です。明確な憎しみや恨みがあるわけでもない。また、殺人に対して快楽を覚えているわけではない。ただの興味。殺してみたい。子供みたいな、好奇心。

 小説などでは良くあることですが、しかし実際やるとなった時、緊張は半端なかったです。いや、あれは恐怖でした。人の命を奪うと言う、得体の知れないことに対する恐怖。それは、暗闇の中で、後ろからぽんと肩を叩かれるような感覚に似ていました。ただの好奇心でしかない感情に対して、そんなオーバーな恐怖の念を覚えた。だからこそ、わたしはやるべきだと、思ったのです。

 全てを失った今、わたしが何者かになるには、明確な禁忌を犯すしかないと、思ったのです。

 やったこと自体は簡単でした。適当に選んだ相手とホテルに入って、行為をした後に相手を酔わせる。伝聞の知識でしたが、ポカリをお酒に混ぜたら、一発でころりと落ちました。おかげで外に出るのが大変ではありましたが、ひきずるようにして外に出て、手近な路地裏で、無抵抗な身体にナイフを刺しました。

 その時に気付いたのですが、人の身体を刺すのって、なかなか難しいのですね。まあ、わたしの場合は、あの殺人鬼と違ってスーパーで買った安物の包丁だったので当たり前かもしれないですが、何度もためらい傷(使い方間違ってるかもしれないです)をつけてしまって、いつ目を覚まして大きな悲鳴を上げられるかひやひやものでした。結局死因も失血死と言う結果で、随分時間がかかりました。

 初めての殺人は、グダグダな結果に終わりました。

 不思議なことに、殺した後には、殺す前に抱いていたような恐怖はまったく浮かんできませんでした。気持ちとしては、『こんなものか』という感じです。もっと劇的な変化が訪れると思っていただけに、拍子抜けもいいところでした。容疑者として警察が取り調べに来るかと思ったら、それすらもありませんでしたからね。

 さて。殺人を犯すと言う目的を果たしたわたしは、急に目的を無くしました。

 次の目的が生まれたのは、三件目の事件――まったく関係のない殺人事件が起きてからです。

 世間全体は注目していませんでしたが、とある報道で、これは連続殺人なのではないか、という報道があったのが、きっかけでした。

 連続殺人。

 その、小説的な響きに、わたしの中のフィクション志向が、強烈に刺激されました。

 そしてわたしは、世間で言う四件目に手を出しました。

 四件目の女子高生は、友人の知り合いと言う、微妙な距離の子でした。彼女を選んだのは、単にわたしの目的に合いそうだったからです。わたしは彼女に、十万円を払う代わりに、援交の際に避妊をしないでくれというお願いをしました。アフターピルを飲むと言う条件で彼女は引き受けてくれました。わたしのお願いに疑問は抱いたようですが、金額が金額だったので、彼女は了解してくれました。

 そして、援助交際を終えた彼女を、確認と称して駅の外れにある公衆トイレに連れ込み、そこで暴行しました。過剰に騒がないように、二件目と同じように彼女もお酒とスポーツドリンクで酔わせて暴行に及んだのですが、思いのほか声が大きくて、ばれるかどうかひやひやしていました。最終的には刃物でとどめを刺すつもりだったのですが、金属バットの殴打が激しかったのか、その前に彼女は息絶えました。わたしは事後処理として、彼女の右手を切って、お腹を裂いて、子宮を取り出してそれを身体の一部としました。

 続く五件目は、一人暮らしのお婆さんでした。若い人を襲うのは、わたしの体力では難しいと判断して、老人を狙いました。一人暮らしならば、家の中に侵入すればそれほど大変でもないという狙いがありました。この殺人に関しては、特に言うことはありません。

 そうしてわたしは、三人の人間を殺しました。

 この時点で、わたしはある種の虚しさと言うか、いつも通りの、飽きを覚えていました。

 あまりにも、あっさりと行きすぎている。

 もしかしたら、何か外的要因があったのかもしれませんが、わたしの犯行は、あまりにもうまくいきすぎていました。犯行を重ねるごとに緊張感や恐怖心も薄れて行きました。どんどんわたしは、袋小路に入っていたのです。

 これは違う。

 こんなのでは、何者かにはなれない。

 そんな強迫観念が、ジワリジワリとにじり寄っていました。

 そんな時に、須藤から連絡がありました。

 須藤は写メを送ってきて、わたしを脅してきました。その写メには、わたしが二件目の殺人を行う前の、ホテルに入る姿が映されていました。彼はその価値に気付いていなかったみたいですが、わたしとしては、初めての障害となるものです。

 相手が須藤と言うのが気に食いませんでしたが、この際仕方がないと割り切り、わたしは彼の脅しに屈服するつもりで、彼に呼び出された廃ビルへと行きました。

 考えが甘かったです。

 後で知ったのですが、彼はわたしを風俗にでも落とすつもりだったようです。まったく、自分の女でもないのに、勝手な奴です。しかも未成年を、そんな風に扱えると思ったのでしょうか? これだから、馬鹿は困ります。

 力で屈服させようとしたのか、会うなり彼は、わたしを押し倒そうとしてきました。

 そして、事故が起きました。

 この件に関しては、わたしにはまるで殺す意志はありませんでした。ただ、身の危険を感じて、思わず突き飛ばしただけです。ただのそれだけ。そんな手違いで、彼は近くの火災警報器に頭を打って、絶命しました。

 なんで死ぬんだよ。

 真剣に、そう思いました。

 けれど、これは殺人でした。わたしが面識のある相手を殺した、初めての殺人。おそらくこれが明るみに出れば、他の件についても、連鎖的にばれる可能性が高いです。そんな、つまらない、呆気ない結末。そんな結末は望んでいないのに、須藤の所為で、これまでのわたしの行為が、全て水の泡になったのです。

 せめてもの悪あがきをと、彼の死体の処理をすることにしました。

 持ち歩いていた小刀を使って何とか耳を削ぎ落しはしたのですが、それではあまり、連続殺人の死体のようには見せかけられませんでした。やはり刃物がいる、と思って、わたしは一度、家に帰ったのです。その時のわたしは、必死でした。わたしの唯一の目標である、何者かになると言うことさえも、果たせなくなる。その事実が、怖くて怖くて仕方がありませんでした。

 すでに頭打ちを食らったような状態であっても、わたしは、まだ自分が、何者かになるという理想を抱き続けていたのです。

 そして、そんな時に、運命に出会いました。

 あなたです。

 蒼井茜くん。

 わたしはその時に、あなたと出会ったのです。

 あなたがあの時、あそこで何をしていたのかは分かりません。平然とした顔で死体を見降ろしているあなたは、その場にとても適応していました。そんなあなたを見て、わたしははっきりと分かりました。

 あなたは、殺すだろうと。

 難癖のようにも思うかもしれませんが、わたしにははっきりと、あなたの本性が分かったのです。あなたは、殺人と言う行為に非常に近い位置に居る。本当に殺したことがあるかなんて関係ない。あなたは、生きながらに、殺人鬼であると、わかったのです。

 その瞬間に、わたしの中に、一つのアイデアが浮かびました。

 作中作、という技法があります。

 特にエンタメに傾倒して読書をする人ならいつかはぶつかるものだと思いますが、物語の中で、別の物語を描くという技法。

 わたしは、現実でフィクションを演じていました。

 その中でさらに、もう一つのフィクションを演じると言うのは、どうだろうか?

 具体的に言うと、警察に送ったあの私小説こそが、わたしにとっての作中作です。限りなく事実に近い小説。しかし、わたしが犯人であると言う一点だけをぼかし、代わりに、蒼井茜という、限りなく殺人鬼に近い人間を中心に描く。わたしは、蒼井茜を犯人だと思い込んで捜索している、と見せかける。

 創作物の内容と、現実の乖離。おそらく読んだ人間はこう思うのではないでしょうか。


 こいつは、異常者だと。


 ……もっとも、完成したモノを見ると、当初予定していたモノに比べると、あまり良い結果は得られませんでした。

 特に、九件目の殺人が失敗でした。どうせ殺すのなら、誰でもいい。という考えが、甘かったようです。どうして九件目の殺人を犯したかは、ここでは明言しないことにします。ただ、高浪さんにも言われたのですが、あの一件は確かに失策でした。

 そして、両親の死が、わたしの計画を完全に破綻させました。あの二人が死んだ所為で、わたしはそれ以上物語を続けることは出来なくなりました。まあ、自業自得と言えばそれまでですが、せめてもう少し別の結末だったら、もっとわたしの描いていた小説は、完成度の高いものになったはずなのに。

 そんなわけで、素人作家が描いた、行き当たりばったりな連続殺人劇は、これにて終局を迎えたわけです。

 さて。

 解説も済んだところで、まとめに入りたいと思います。

 わたしが事件を起こした理由については、もう散々語ってきました。何者かになりたい。フィクションの登場人物と言う、『何者か』になることで、わたしの悲願は達成します。

 わたしはそのためにこれまで頑張ってきました。非人道的な行為を指して頑張るなどと言っていいのかは分かりませんが、少なくともわたしは、必死でした。必死に、目的のために努力してきました。

 そのことに後悔はありません。後悔があるとすれば、次は、もっとうまく演じきって見せる、という思いくらいでしょうか。

 ただ、そう。後悔とまでは言いませんが、一つだけ、引っかかっている気持ちがあります。

 完全とは言えないとはいえ、わたしは、一つの事をやりきった。それなのに、心残りがある。

 わたしは、特別に憧れていた。

 それなのにわたしは、私小説の中で、それとは正反対の想いを、何度か描写しているのです。

 そう。わたしは、普通の人たちに、憧れていました。

 クラスメイトに憧れていた。何も面白いことも無いのに、何も特別なことも無いのに、楽しそうに笑い、日々を過ごしている。そんなクラスメイトや普通の人たちに、憧れていたのです。

 その感情に、今、気づきました。

 まったく、遅いものです。

 今さらそんなことに気付いたからと言って、もはや後戻りなんか出来ないのに。

 始めにその感情を意識したのは、あなたと小説の話をした時でした。わたしが好きだったシリーズをあなたが読んでいたのを知って、わたしは、目的とは関係がないのに、あなたとことさら親密に、会話を交わした。

 思えば、それが間違いだったのでしょう。

 いや、それが正解だったのかもしれません。

 殺人鬼に憧れてあなたに近づくのではなく、蒼井茜と言う、一人の人間に始めから近づいていれば。あなたという、等身大の人間を、始めから意識していれば。

 もっと早く、あなたに会えていればよかった』



「ありゃ?」

 渡された遺書を全て読み終わったのか、高浪が、間の抜けた声を上げた。

「ねえ紫。これ、続きが抜けてるんだけど」

「そんなことはない。それで全てだ」

 素っ気なく言う蒼井に対して、高浪は食い下がる。

「いやだって、明らかに文面途中だし。ってか、『拝啓』から始まってて、『敬具』が無いのはおかしいでしょ」

「知らん。それで全部だ」

 愛想のない言葉で返す。

 高浪は未練がましく「むー」と呻いていた。消化不良なのだろう。気持ちは分かる。しかし、それに取りあう気はまったくなかった。

「なんだかなー」

 蒼井に聞かせるかのような高浪の言葉が愚痴愚痴と続く。

「確かにオチはついているけど、なんか釈然としないなー。やっぱりこれ、最後に何か文章があると思うんだけどなー」

「しつこい」

 そう言い捨てて、蒼井はマットの上から立ち上がった。

 辺りはもう暗くなり始めている。

 そろそろ帰るとしよう。

「ほら。あんまり遅くなると、部外者だってばれるぞ」

「へいへーい。ちぇ。まあいいや。分からなかったことは、大方分かったし」

 跳び箱から飛び降りると、高浪は蒼井の隣に追いついてきた。

 自然と、二人は並んで歩いていた。

「それにしても」

 帰り道。

 高浪が、世間話でもするように、話しかけてきた。

「結局ハルちゃんの私小説は、警察内部で管理されて、世の中に出なかったわけだけど、これはあの子の計画は失敗した、ってことでいいのかな?」

「さあな」

 興味が無いので、自然と投げやりな口調になる。

「どっちにしろ、死んでしまったあいつには、関係がないだろ」

 そう。

 人は、死んでしまえばそれまでなのだ。

 例え、後世にどのような影響を与えようとも、また与えなくても、死んでしまった人間には、何の意味もない。

 小原のたくらみは、始めから、意味のないものなのだ。

 死んだ後にどれだけ評価されようと、それが本人に還元されることなんて、あるわけがないのだから。

 けれど、と。蒼井は思う。

 それでも、少しでも救いがあるとすれば、事件の全容を、自分たちが知っていると言うことだろう。

 小原純奈の想いを、自分たちが理解したと言うことだろう。

 少なくとも蒼井茜だけは、小原純奈の真意の全てに触れている。作品と言う形で、本来なら出来ないはずの彼女の全てを理解したという点だけが、救いと言えるかもしれない。

 それで少しくらいは報われればいいが、と。柄にもなく、蒼井は思うのだった。

「殺人鬼ごっこ、か」

 ぼんやりと、高浪が呟く。

「古今東西に、それこそ数え切れない程の殺人鬼がいるし、あたしだって昔はそう呼ばれる人間だったわけだけどさ。そういう奴らの末路ってのは、大概似たようなものなんだよね」

 学校の制服の上から羽織っている赤い外套が揺れる。

 高浪は、どこか遠くを見るような目をしていた。

「それでも、ハルちゃんは『何者か』になりたかったのかな」

 蒼井は静かにその呟きを聞いた。

 一呼吸だけ、沈黙が降りる。

 まだ寒さの残る風を肌に感じ、一抹の寂しさを覚えながら、蒼井は、その呟きに答えた。

「さあな」


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