第17話 六章 殺人鬼ごっこ その2 謎解きの時間

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 第一の殺人 犯人・高浪きつみ

 第二の殺人 犯人・小原純奈

 第三の殺人 犯人・高浪きつみ

 第四の殺人 犯人・小原純奈

 第五の殺人 犯人・小原純奈

 第六の殺人 真相・事故死

 第七の殺人 犯人・小原純奈

 第八の殺人 犯人・小原純奈

 第九の殺人 犯人・小原純奈

 第十の殺人 犯人・小原笹子

 第十一の殺人 真相・自殺

 第十二の殺人 真相・自殺



「推理と言っても、俺しか知らない情報と照らし合わせて、ようやく分かるってだけの話だ。だからまあ、ミステリーとしては酷くおざなりな作品だよ、その私小説は」

 そんな語り口で、蒼井は切り出した。

「とりあえずここであらためて真相を語るとすると、俗に言う、通り魔殺人鬼の正体は、小原純奈だ。殺人のほとんどを、あいつが行っている。しかし、そのきっかけとなったのは、第一の殺人。そして第三の殺人。きつみ、お前の殺人現場だ。小原は、お前が殺人を犯すところをたまたま見た。お前のことだ。死因を見ても分かるように、よっぽど鮮やかな手並みだったんだろうな。そしてそれに感銘を受けた小原が、第二の事件に手を出した、と言った所だ」

「とっとっと。ちょっと待ってくれないか?」

 そこで。

 高浪が止めの言葉を入れた。

 いつの間にか、高浪は帽子をかぶっていた。髪の毛を全部帽子の中に入れて、どこかボーイッシュな印象を受ける。

 その姿で、高浪は聞いてくる。

「別に否認するつもりはないけれど、とりあえず第一の殺人の犯人があたしだっていう、明確な証拠はあるのかい? 唐突過ぎて、ついていけない人もいると思うんだが」

「……証拠と言うほどじゃないが、手記の中の描写で言えば、右手首の怪我だな」

 現在はすでに完治している、高浪の右手首。

 小原が高浪と対面した際、そこには包帯が巻かれていた。

「おそらくその包帯は、あざを隠すためのものだ。何のあざかと言うと、第一の殺人の際、被害者に握られて、残ったものだろう。殺す時にへまでもやらかしたのか、お前は被害者に右手を握られたまま、相手を殺してしまった。死後硬直を待つまでもなく、死の瞬間の身体の力は尋常じゃないからな。――だからこそ、その手を離すために、被害者の右手を切り落とす必要があった」

 ――それが、第一の殺人の、右手切断の真相。

 そしてそれが、後々の死体損壊につながっていく。

「動機に関してだが、ここから先は俺だけの知識になるから、かなりアンフェアだ。それでも言わせてもらうと――きつみ、お前が殺し屋だからだ」

 深紅の殺し屋。

 そう呼ばれている、都市伝説。

 依頼人の命と引き換えに、対象人物を殺す。

 それが、高浪きつみの正体。

 元々は赤い外套が理由となって付けられたあだ名だった。深紅と言うには、その外套はあまりに年季が入って、お古だけれど。

「殺し屋のお前なら、人を殺してもおかしくない」

「おいおい、そりゃあちょっと極論過ぎやしないかい?」

 まるで茶々を入れるのが楽しくて仕方がないとでも言うように、高浪は口をはさむ。

「いやまあ否定はしないんだけどね。しかし、人を殺さない殺人鬼が居るのに、人を殺さない殺し屋は居ないなんて、随分な言いようじゃないか」

「殺人鬼は性質だが、殺し屋は職業だ」

 その茶々にも、淡々と返す。

「人を殺さなかったら殺し屋とは呼べない」

「あっははー。うまいこと言うね、紫」

 それ以上言い訳をするつもりはないのか、高浪は先を促した。

 ため息をついて、蒼井は頭の中でこれから話すことを考える。

「続き、と言っても、全体を見通しての話自体は、これでほとんど決着がついている。話すことと言ったら、例の共通のメッセージについてだ。『take the blame』。アレは、お前が使っているナイフに刻んでいる文字だろ。あれは、『罪を負う』じゃなくて、『罪を着る』だ」

 『罪を着る』

 『着罪』――『きつみ』。

「そして、それを見た小原が、お前が去った後の第一の現場で、わざわざその文字を残した。続く二件目以降も、その文字を共通の事件として利用したんだ。唯一の例外は三件目で、おそらくその事件だけは、小原が事件現場に居合わせなかったからだろう。だから三件目だけは、メッセージが残ってない。メッセージが消された跡がある、なんて言っても、そんなもの、現場の争った痕を見て、関連性があるように見えただけだ」

「びっくりだったけどねー」

 不意に、帽子を脱いだ高浪が割って入った。

「あの第一の殺人が報道されたのもそうだけど、あんな文字が残されているなんて、知らなかったから」

「笠倉が呆れてたな。きつみがへまをやらかした所為で、隠蔽できないって嘆いてた」

「し、仕方ないじゃん。まさか反撃されるとは思わなくって、テンパっちゃったんだもん。怪我したのなんて久しぶりなんだよ? ってかあの大学教授、何気に実力者だったよ」

「聞いてねぇよ。んなこと」

 本当に。

 そんなへまさえなかったら、小原の事も、気づけただろうに。

 本来ならば、第一の殺人は報道さえもされなかったはずなのだ。高浪きつみ、深紅の殺し屋というのは、そう言う立ち位置で人を殺す仕事をしているのだから。

 今さらグダグダ言っても、詮方ないことではあるが。

「あとは、そうだな。ついでだし、一件一件を見ていくと――

 四件目の女子高生。性交の痕があったから男性が犯人だとか予想していたが、どうやら援助交際で行為をした後を狙ったらしい。過剰な暴行を加えたのは、それらしく見せるため、ってところか。

 五件目は、特に語ることはないな。深夜に人気がない家屋に忍び込んで、殺害しただけだ。

 そして六件目。これは俺も関わっている。

 と言っても、笠倉にメールで呼び出されて廃ビルに行ってみたら、死体があってびっくりしたんだがな」

「あ、そんな理由だったの、アレ」

 拍子抜けしたような高浪の言葉に、蒼井はため息を吐く。

「多分笠倉は、俺を犯人に仕立て上げるつもりだったんだろう」

 それは、小原が犯人だと断定できる前から分かっていたことだった。あの女なら、隙あらば自分を陥れようと、舌なめずりをしていてもおかしくはない。

「すでに三件も殺人を犯している小原を救うには、誰かに罪をかぶせるしかない。きつみのようなアングラな人間より、俺のような一般人の方が、そう言った罪は着せやすい。それに、俺は『お前ら』の間でも危険視されている。『殺傷』の偶身を、社会的に抹殺したいという人間は、意外と多いはずだ」

「んー。まあ、否定できないなぁ」

 にへらぁ、と。だらしなく笑いながら彼女は肯定する。

 別に、今さら否定してもらえるとは思っていなかった。そもそも、高浪が蒼井のそばに居る理由は、蒼井が暴走した際の抑止力という意味も含まれているのだから。

 そんなことは、分かっていたことなのだ。自分のような異常者が、他者からどう見られるかなんてことは、嫌と言うほど知っている。だが、自分が大人しくしているうちは、直接的な危害は加えられないだろうと思っていた。

「六件目に関しては、小原にはその気はなかったんだろう」

 無理やり、話を元に戻す。

「アレはただの事故だった。言い寄られて、思わず突き飛ばしたら打ちどころが悪かった。そんな、つまらない真相だ。

 しかし、この件は大きなターニングポイントとなった。

 何せ、被害者は小原と少なからず関係を持っている。これまでの被害者は小原との面識がなかったにも関わらず、六件目だけは、関係があったんだ。――だからこそ、小原は狼狽した」

 もう続けられない。

 二件目から続けてきた無差別連続殺人。その意味合いが、薄れてしまったのだから。

 殺人鬼として物語を進めていた彼女からすれば、そんな、何も得られなかった中途半端なところで終わるのは、途方もない絶望だっただろう。

「そんな時に、俺と出会ってしまった」

 おそらく、笠倉はそこまでの予想は出来なかったんだろう。

 蒼井と出会った小原は、蒼井の正体に気付いた。『殺傷』の要素を纏った偶身であると言うことを。具体的に『偶身』と言うモノがどんなものかは分からなくても、蒼井が『殺す』人間であるということが分かれば、それでよかった。

 そして、彼女は思いついたのだ。

 殺人鬼をミスリードさせた、現実とリンクした殺人小説を。

 自身が主人公となり犯人となれる物語を。

「ハルちゃんが一つだけ不幸だったとすればね」

 話の途中。

 高波が、言葉をはさんできた。

「それは、あの子の観察眼が、本物だったっていう一点だろうね」

「ああ。笠倉が言っていた奴か」

「そうそう。紫に教えてやれ、って言われてたからね」

 跳び箱の上で、組んでいた足を組みかえる。

「あの子が不幸だったのは、フィクション志向そのものじゃなくて、そのフィクション志向に見合うだけの才能を、一つだけ持っていたこと。それが、観察眼。あの子は、本人が隠そうとしていない限り、相手の本性をしっかりと見極めることが出来ていた」

「手記の中にも何度かそういう描写があったが、アレはどういうことなんだ? 超能力とか、そういうたぐいか?」

「ま、超能力って言ったら近いかもね。行きすぎた才能って言うのは、超能力みたいなもんだから。けど、それは所詮現実の力だよ。紫みたいな、夢の住人の力じゃない。周囲の目を気にしすぎて生きていたりすると、自然と鍛えられるものだから」

 人を見る目があったのだ。

 この場合問題なのは、小原が持っていたのは文字通り『目』と言う才能だけで、彼女自身に欠陥があったからこそ、物事はうまく運ばなかった。

 蒼井茜を殺人鬼だと見抜いた。

 その時に逃げ出すくらいの常識を持っていればよかったのに、あろうことか、彼女は蒼井に近づいてきたのだ。

 自分の目的に利用するために。

 自分の目的を果たすために。

「七件目と八件目は、特に語ることはないな。

 しいて言えば、二つとも小原の家の近くで犯行が行われていたと言うことだ。六件目以降は、機動隊も出ていたから、その辺が限度だったんだろう。

 そして、問題は九件目」

 小原純奈の旧友。

 雪塚改め、春崎明菜殺人事件。

 この事件だけは、他の殺人と明確に違う点がある。

 蒼井は高浪をじっと見つめる。

「手記の中でもそれらしいことを言っていたが、お前は、この事件で小原が犯人だと、断定したんだな」

「うん。そうだね」

 あっさりと首肯して、高浪は言葉を引き継ぐ。

「疑い自体は、探偵ごっこの時から持っていたんだ。いや、それ以前に、殺人鬼としてキングズベリー・ランを挙げた時が、疑いのきっかけかな」

 キングズベリー・ランの屠殺者。

 高浪が気になったのは、その事件が解決できなかった理由。それは、被害者がスラムの人間で、だからこそ被害者の身元の判明すら出来なかった。

 無差別ながらも、その殺人には、犯人断定のための手がかりが含まれていなかった。そこに、小原は合理性を見たのかもしれない。

 その合理性を、小原純奈は好んだのだろう。

「だから、わざわざハルちゃんを連れて現場を巡ったりしていた。けど、決め手となったのは、やっぱり九件目。――無差別殺人なんかじゃない。ましてや事故死なんかでもない。小原純奈の、個人的な殺意から起こった殺人事件」

 合理性を含めつつも無差別殺人をルールとしていた小原が、初めて自らルールを破ったのだ。

 事件自体は簡単なものだ。

 春崎のマンションにお邪魔した小原は、一度帰ったふりをして、見送りに出た春崎の姿を近隣住民に目撃させる。そして、玄関を通る前にもう一度春崎の部屋に戻ると、『忘れ物をした』とでも言って部屋の中に上がり、そこで彼女を殺害。部屋にある刃物で死体を損壊した後、何事もなかったかのように帰宅する。

 春崎のマンションから小原の家まで、徒歩で十五分程度の距離なのに、帰宅時間が妙に遅かったのも、それで説明がつく。

 七時は過ぎていたはずなので公共放送のニュースは終わっているはずだが、彼女の帰宅時にはニュースが流れていた。つまり、九時過ぎだったということだ。

「不思議なのは、玄関に設置されている防犯カメラの記録によっては、小原が容疑者に入るだろうってことなんだが……。まあ、これに関しても、笠倉が手を加えているんだろうな」

「相変わらずのチート性能っぷりだね、しいちゃんは」

 その笠倉の隠蔽工作の所為で、通り魔殺人の解決が一ヶ月もかかってしまったことを考えれば、笑うに笑えない。

 後半は完全に、個人的な理由で小原をバックアップしていたようなものだ。

「ハルちゃんは、羨ましかったんだろうね」

 動機については予想がついているのか、高浪はしみじみとしたように言う。

「手記を読むまでは分からなかったけど、一足先に大人になってしまった旧友を見て、うらやましかったんだよ。肉体だけじゃない。精神的にも、あまりにも成長してしまった旧友が、うらやましくて、そして、妬ましかった。だから、嫉妬した。だから、殺してしまった。嫉妬を解消する手段として、『殺人』という手段が、彼女にはあったから」

 これまで無差別に六人の人間を殺してきた経験が、

 たった一度の利己的な殺意を、後押ししてしまったのだ。

「それにしても、利己的すぎるだろう」

 蒼井は、素直な感想を吐く。

「そんな理由で殺された方は、たまったもんじゃない」

「うん、たまったもんじゃないよね。だからこそ、九件目は、他の事件と違って、個別に糾弾されるべき罪だと思うよ」

 だから高浪は怒ったのだ。

 わざわざ小原の前で、殺人鬼を殺人者として糾弾した。

「そしてこれで、ハルちゃんの連続殺人は終了したわけだけど――ねえ紫。君は、ハルちゃんの両親の死の真相まで、分かっているのかい?」

「そこは、分からない」

 素直に蒼井は言う。

「俺はてっきり、お前が殺したんだと思っていたんだが、手記と遺書を見るに、違うみたいだ」

「違う違う。ってか、何でもかんでもあたしの所為にするのやめてよ。第一、ナイフ使ってないじゃん。あれはただの心中。ハルちゃんのお母さんがお父さんを殺して、その後に自殺しちゃったの」

 重要なネタばらしにしては、あまりにもあっさりと事実は告げられた。

「おい、ちょっと待て」

 さすがに話が飛び過ぎて、思わず蒼井は止めをかける。

「どうしてお前はそこまで知っているんだ」

「うん? だって、ハルちゃんのお母さん、あたしの依頼人だもん」

 驚愕の事実――

 という程の物かは分からないが、少なくとも蒼井は、絶句した。

 言葉を失った蒼井に対して、捕捉するように高浪が告げる。

「と言っても、その依頼は受けなかったんだけどね。あたしの所にまで連絡できたことは驚きだったけど、さすがに見ず知らずの他人を殺せってのはねぇ」

「……ちなみに、誰を殺せって言う依頼だったんだ」

「ハルちゃんのエンコー相手」

 あっけらかんと、高浪は告げる。

 その言葉に、今さら驚くようなことはなかった。

 エンコー。小原が援助交際をしていたことは、彼女からの手紙を読んで知っていたから、新しい事実というわけではない。

 そんな蒼井の様子が拍子抜けだったのか、高浪は間の抜けた声を漏らす。

「ありゃ、驚かないんだ」

「別に。知ってたからな。それより、どうして断った依頼人の死因を、お前は知っているんだ?」

「んー。そこはちょっとややこしいんだけどね」

 話を整理するためか、少し黙ったのち、高浪は口を開く。

「話を断ったには断ったんだけど、その直後に、あたし、例の大学教授を殺したんだよね。そしたら、それが報道されたわけじゃん。それを、あのお母さんったら、依頼を受けてくれたって勘違いしちゃってさ」

「……なんでまた、そんな勘違いを」

「報道見てないの? あの教授、結構危ない橋渡ってたみたいでね、それをカバーするために、ちょっとした悪事を暴露したってとこ」

 テレビ番組なんてものは、ちょっとしたきっかけがあれば、すぐに面白おかしく物事を盛り上げるものだ。

 本来ならあの教授は、もっと危ない人物だった。それを隠蔽するために、あえて別のスクープ――性癖が、暴露された。

 殺された有名大学の大学教授が援助交際をしていたという話は、二、三日の間、随分と話題になっていた。

「そして、間が悪いことに、その二日後に、ハルちゃんが初めての殺人を犯す。援助交際で知り合った、男の人を、ね」

「ああ。それで」

 小原の母は、自分の依頼で、二人も殺されたのだと勘違いしたんだろう。

「勘違いはそれだけでは済まない。何せあたしの仕事は、依頼人を殺さないといけないからね。三件目の事件がそれで起きたわけだけど――よりによって、しぃちゃんがまったく動いてくれないもんだから、これもまた報道に乗っちゃった」

「まあ、その時の笠倉は、小原の犯罪を知って、どうやって守ろうか必死に考えていただろうからな」

 後は、小原が連続殺人を続けることで、勘違いは加速する。

 小原の母は、自分の依頼の所為で、殺人鬼が近年まれに見る事件を起こしているものだと、勘違いしたのだ。

「何度か電話で『勘違いだ』っていう話はしたんだけどね。もう信じこんじゃってるもんだから、聞く耳持たないの。そんな風に母親は殺人鬼に怯えている中、娘は深夜徘徊を止めないわけでしょ? そりゃあ、心中したくもなるよ。最後の夜は、本当に限界だったんだろうね」

 話をすれば。

 家族としての、最低限のコミュニケーションを取ってさえいれば、おそらくは避けられたであろう結末。

 しかし、小原の家は、すでにそんなことが出来る状況から程遠い所にあったのだ。

 例え小原自身にとっては遊び半分の反抗期ごっこだったとしても、小原の母からすれば、それは取り返しのつかないほどに、壊れ切った家庭だったと言うことだ。

「そして、両親の死体を見たハルちゃんが、死体の状況をいじって殺人現場に見せかけた。あとはハルちゃん自身が自殺してはい終了。その場面は、紫が見ているよね?」

「ああ。そうだな」

 死体発見の日。

 昼休みに小原からかかって来た電話に従って、放課後彼女の家を訪れると、自室で手首を切って自殺した小原の姿があった。

 大量の血が流れ出て、血だまりの中央に横たわる小原の死体。

 そばの壁には、律儀にも『take the blame』の文字が記されており、また、彼女は自らの小指を、自分で切断していた。

 さすがに、警察には自殺であるとばれたようだが、彼女は最後まで、自分の演技をやりとおしたのだ。

 物語の主人公として。

 作中の被害者として。

 そして、真実の犯人として、物語を、やりとおした。

「何者かになった、か」

 蒼井は、小原から送られて来た手紙を思い出す。

 出だしには、『何者かになりたかった』と書かれていた。

 果たして彼女は、何者かになれたのだろうか?

「ところで紫」

 不意に。

 わざとらしい猫なで声を出しながら、高浪が語りかけてくる。

「君の言葉の中には、明らかに推測じゃない部分があったと思うんだけど。それって、どこで仕入れた情報なのかにゃー?」

「にゃーとか言うな。気持ち悪い」

「えー」

 不服そうな顔の高浪に、蒼井は呆れた思いを抱きながら、投げやりに言う。

「どこって。小原からの手紙だ。その手記とは別に、俺宛の手紙が届けられたんだ」

「何それ聞いてない」

 本当に初耳なのか、高浪は目を丸くして驚いている。

「笠倉から聞いていると思っていたんだが。聞いてないのか?」

 正直な気持ちを言うと、高浪はぱちくりと一度まばたきする。

 数秒の間、彼女は呆然としていた。

 そして、急に帽子をかぶったかと思うと、盛大に舌打ちした。

「ちっ。あのクソアマ。隠してやがったな!」

「……どうでもいいが、お前、その帽子をかぶったり脱いだりするの、面倒くさくないか?」

「仕方ないだろ。キャラ付けなんだから」

 本来の事実は知っているものの、はっきりとキャラ付けと言い切る高浪の姿に、蒼井は呆れを隠さなかった。

 その彼女はと言うと、我慢できないとでも言うように叫び出した。

「あーもうっ、なんだよソレ。そんな面白いもんがあんのかよ。それってあれじゃん。暴露本じゃん。犯人直筆の事件解説じゃん。わー、マジ見たい。ねえ見せて。見せて見せて見せてッ!」

「お前はもうちょっと遠慮しろ」

 あの性悪の笠倉ですら、空気を読んで、無理に読ませろとは迫ってこなかったのに。――いや、彼女の場合は、親友の小原のものだったからこそ、遺志を尊重したのだろうか。

 そんなことを思いながら、蒼井は仕方なくカバンの中に入れてあった封筒を取り出した。

 A4サイズの用紙十三枚。それが、小原の遺書だった。

「ほら。こいつだよ」

「ありゃ。随分と簡単に渡すんだね」

 拍子抜けしたのか、キョトンとした様子で高浪が言う。

「きつみにも出来れば読ませろって書いてあったからな。巻き込んだお詫びを書いてある」

「はぁん。なになに~」

 高浪は手紙に没頭し始めた。

 蒼井も文面に思いをはせる。確か、序文として、『わたしは何者かになりたかった』という文面があった。そして、そのあと二枚を使って、殺人事件の簡単な概要を書いてあり、残りの遺書を高浪にも読ませてほしいと言うことと、簡単な謝罪が書かれていた。

 残りの十枚が、遺書だった。


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