第11話 四章 思春期ごっこ その1 夢の住人


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「大人になるってどういうことだと思いますか?」

「大人を大人だと思わなくなることさ」


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「小原は、最近は小説読まないのか」

 唐突に。

 ずっと手元の本に視線を落としていた蒼井は、まるで天気の話題でも振ってくるかのように、そう聞いてきた。

 会話の途中にそういう話題になったのなら話は分かるが、つい先ほどまで、彼は本の世界に集中していたはずである。だからこそ、わたしも邪魔をしないように静かにしていたのだが、いきなり話しかけられて戸惑いを隠せない。

「最近は、あまり……。でも、どうして?」

「いや。ただ、気になったんだ」

 わたしの返答に大した反応もせず、相変わらず視線は本に落とされている。

 しかし、その目がまったく文字を追っていないことに気付いた。眼鏡越しの濁った瞳は、ただぼおっと本のページを眺めているだけのようだった。

 三月六日、日曜日。

 高浪きつみとの事件捜査から一夜明けた、日曜日。

 わたしは、市立図書館の一席で、蒼井と向き合っていた。

 蒼井が、休日は図書館で読書をしているという話をしていたので、ものは試しと思って来てみたのだ。すると、本当に彼は、昼間から図書館に入り浸っていた。

 服装は、平日と同じ制服姿。それだけを見ると、休日も勉学にいそしむ真面目な学生に見えるが、しかし彼の手元にあるのは麻雀のルールブックである。何故麻雀のルールブックなんかを読んでいるのかさっぱり分からないが、わたしが来た時から、彼はずっとそれを見ている。

 ちなみに、彼の目の前にはあと四冊ほど本が積んである。それぞれ、小説、写真集、歴史年鑑、しまいには料理本と、まったく脈絡がない。本当に彼は、これらに興味を持って読もうとしているのだろうか?

「小原とは」

 不意に。

 まるで狙って虚を突くかのように、わたしが別の事を考えているタイミングで、蒼井は言葉を放ってきた。

「何度か本の話はしたが、お前が本を読んでいるところを、俺は見たことがない。今だって」

 そこでようやく、彼は本から顔をあげると、わたしの手元に視線をやる。

「せっかく図書館にいるのに、学校の課題なんかを広げている」

「いや、別に間違ったことはしてないし」

 図書館で自習することは悪いことではないはずだ。

 しかしまあ、蒼井の言うことももっともだろう。わたしは基本的に勉強が嫌いだから、進んで教材を広げるのなんて、テスト前くらいだ。春休み直前の今の時期に、早急にやらなきゃいけない勉強なんてそんなにない。

 ただ、読書をする気分になれないから、無理やり何か手慰みにしようとしているだけだった。

「まったく読まないと言うわけじゃないんだろう」

 重ねて、蒼井が尋ねてくる。

「俺と話をした時、すらすらといくつかのタイトルを挙げたくらいだ。読まなかったら、あんなに数を出せない」

「まあ、昔は、ね」

 曖昧に言葉を濁す。

 別に大した理由があるわけではない。

 ただ、あからさまなフィクションの世界に食傷してしまい、自然と離れただけなのだ。

 今でも、ふと昔のように読書欲が湧くことはある。そうした時は衝動に任せるまま読みふけったりもするが、昔のように、毎日のように古本屋に通って文庫を集めたりといったことは、しなくなっただけだった。

「今でも、好きな作家の新刊が出たら、買ったりはするよ。ただ、なんて言うのかな。積極性は、なくなったかな」

「読むのが面倒、ってことか」

「うん。そんな感じ」

 娯楽であるはずの読書行為が、いつからか作業になっていた。

 それに気づいてからは、ぱたりと、活字中毒の衝動が消えてしまったのだ。

「中学の時は、部活以外にやることもなかったから、小説ばかり読んでたけど、今はやることあふれてるからね。ネットが無かったことも、理由かな。とにかく、今はそんなに、読書欲ってないみたい」

「分からないことじゃないな」

 意外にも、蒼井はわたしの気持ちに同意してきた。

「作業と言うなら、今の俺はまさにそれだ」

「嫌々読んでいるの?」

「そう言うわけじゃない。ただ、たまに巡り合う面白さのために、ひたすら同じ行為をしているような気は、している」

 ぱたんと、蒼井は諦めたように麻雀のルールブックを閉じる。

「ルールブックじゃ良くわからない。最近読んだ本に麻雀の話が出たから、ルールくらいは把握しておきたかったが」

「あー。それ分かる。最初は難しいもんね」

 わたしも、漫画を読んでいて麻雀が出て来た時に、覚えようとした記憶があった。

「麻雀は、ネット麻雀とかやると覚えやすいよ。役さえ覚えれば、こまごまとしたルールは自然と覚えるし」

「そういうもんか」

「そういうもの」

 そう。

 そう言うものなのだ。

 物事というのは、あれこれ考えるよりも、やってみる方が、なんだって覚えるものなのだ。

 案ずるより産むがやすし。

 わたしはそれを、最近まで知らなかった。

「蒼井は、さ」

 丁度彼が読書の手を止めたこともあり、わたしは彼に尋ねる。

「どうしてわたしに、付き合ってくれるの?」

「別に、お前に付き合ってこの場にいるわけじゃないが」

 そっけない口調ながらも、表情はどこか不思議そうにしている。

 その様子を見て、わたしは今、蒼井に拒絶されていないことをはっきりと自覚した。

 わたしはだらしなく机に頭を寝かせる。右耳がひんやりとした机の感触を感じる。少し弱気になっているのを自覚しながら、わたしは蒼井に対して問いかけた。

「わたしの事、うざったく思わない?」

「どうしたんだいきなり。酔っているのか」

 酔っている。

 ああ、確かに、そう言われたらそうかもしれない。

 どこか、陶酔に似た感情に身を浸している気分だった。夢うつつを漂っているようで、心地よい。目覚めそうで目覚めない夢の中にいる感じだ。

 その陶酔感にもまれながら、わたしは言った。

「蒼井は、わたしのことどう思っている?」

「なんだ。好きだとでも言って欲しいのか」

「じゃあ嫌い?」

「そう言うわけじゃない」

 面倒くさそうにしながらも、しかし蒼井は、手元に本を引き寄せようともせず、椅子に深く腰掛けた。

「今のお前はうざったいが、普段は俺が本を読んでいても邪魔しないから嫌いじゃない。付き合いやすい、という意味では、悪くないと思っている」

「悪くない、か。はは、そりゃいいね」

 その距離間は、わたしが求めるものにもっとも近かった。

 始めは、こんなつもりではなかった。

 蒼井に求めていたものは、もっと別のポジションだったはずだった。なのにわたしは、いつの間にか、蒼井と共に居ることに、居心地の良さを感じ始めていた。

「わたしもね」

 ぬるま湯に浸かっているような気分だった。

「悪くないと、思ってる」

 机に半身を投げ出すようなだらしない格好、普段ならしない。これはある意味、甘えているようなものだ。そして蒼井は、その甘えを、受け止めはしない代わりに、看過してくれる。

 興味がないから、深く追求してこない。

 興味がないから、距離間を保っている。

 そんな人間関係が、たったの一週間で築けることにも驚きだし、一週間も経ってこの距離間から変化がないことも、驚きだった。

 関係が深くなれば自然と距離間は近づくし、嫌い合えば反発する。そのどちらもなく、ただ一定の距離間で付き合える。

 付き合い続けることが出来る。

 人間関係に置いて、これほど完成された関係性は、ないだろう。

「ちょっとだけ」

 気まぐれだった。

 けれどどこかで、彼に対してこの話をする予感はあった。

「わたしの話、してもいいかな」

「好きにしろ」

「わたしは、昔から物語が好きだったんだ」

 それは、体裁として蒼井に許可を取る形になったが、ほとんど独り言に近かった。

 独り言で、一人語り。

 独白で、モノローグ。

「ファンタジーの冒険にときめいたし、SFで語られる夢物語に胸を躍らせたし、サスペンスの先の読めない展開にドキドキしたし、ミステリの謎に頭を悩ませたし、歴史モノのスケールに圧倒されたし、伝奇モノの世界観には瞠目したし、恋愛モノの甘酸っぱさに身悶えしたし、官能モノの艶っぽさには赤面したし、人情モノの人の生きざまには心を震わせた」

 いつからかは分からない。

 気付いた時には、わたしはフィクション世界の虜になっていた。

「わたしは、物語が好きだった」

 もう一度言って、わたしは息を吐く。

 ここから先は。

 これから語ろうとしていることは、これまで誰にも打ち明けたことのない、今までわたしが胸に秘めて来た、ある意味聖域だ。

 それはとても子供っぽい夢だけど。

 それはとても幼稚な夢物語だけど。

 わたしは――

「わたしは、いつの間にか、物語に入りたいと思っていた」

 うつぶせに顔を伏せているから、蒼井の様子は見えない。

 彼は、どう思っているだろうか?

 誰もが子供の頃には願う、大人になっても思い返す願いと同じと思うだろうか?

 そうでなければいいな、と思いながら、わたしは続けた。

「だからね、わたしは、何者かになりたいと思ったの」

「物語の主人公になりたい、ってことか」

「うん。だけど、少し違うかな」

 蒼井の言葉にうなずいたものの、厳密には、少し違う。

「主人公じゃなくてもいい。わたしは、物語の登場人物になれれば、それで良かったんだ。特別な体験をして、不思議なことに振り回されて――非日常ってのに、憧れたんだ」

「誰だって、憧れることくらいある」

「うん。そうだよね」

 けれどなんだろう。わたしのその『憧れ』は、世間一般で言われるものに比べると、少しだけ、ずれていたんだと思う。

「小説をあまり読まなくなったのは、その頃かな。現実に、楽しいことを探そうとしてた。それこそ、いろんなことに首を突っ込んだよ。部活動に打ち込んだし、勉強だって必死にやったし、課外活動に精を出したり――あと、ちょっと悪い遊びを覚えたりしたかな」

 その結果が、須藤のような人間との付き合いにつながったりもする。本当に、わたしは馬鹿だなと思える話だ。

「そうやって、いろんな体験をしているとさ、始めは、楽しいんだよ。本当に、わくわくするような、ドキドキするような。そんな、毎日が輝いて見えるんだ。新しいことに触れるたびに、わたしは目を輝かせていたと思う」

 そしてそれは、今でも続いている。

 わたしは、面白いことがあるんならどこにでも首を突っ込むし、その渦中にいるときは、それが面白いものだと全力で思いこむ。

 けれど。

「慣れちゃったら、急に面白くなくなるんだ」

 まるでカラーだった絵がモノクロになるみたいに。

 急激に、輝いた景色が色あせていく。

「そこでようやく、わたしは気付いた」

 外から眺めれば非日常でも、中の人間からすれば、それは日常なのだ。

 『これ』という確固たる意志を持たないわたしにとって、それは、まるで詐欺にあったような感覚だった。

 ――そんな時に、わたしは、殺人鬼に出会ったのだ。

 出会って、殺人事件という非日常に魅せられて――そして、蒼井茜という個性に出会って。

「蒼井を見たとき、わたしは初めて、これなら大丈夫だと思った」

 蒼井茜。

 殺人鬼という要素を持っている彼。

 殺人鬼でありながら、当たり前のように日常に埋没できている、強烈な個性。

「蒼井に近づけば、わたし自身が特別でなくても、特別を見ることが出来る。蒼井という個性が、わたしを楽しませてくれる――って」

 けれど。

 それもまた、間違いだった。

「わたしにとっては『特別』でも、蒼井にとっては、あくまでも『普通』なんだよね」

 結局、たどり着いたのはいつも通りの結論だった。

 昨日一日、犯罪調査なんてものをしたから、余計に思ったのだ。

 正体不明の通り魔殺人。残虐で、残酷で、残忍で。動機も目的も分からない殺人鬼の現場を見ていって、分かったことは、殺人鬼なんて言うキャラクターではなく、連続で殺人を犯す、犯罪者の軌跡をたどったと言うだけの話だった。

 どんなに殺人鬼をキャラクターとして美化したところで、その事実に真正面から向き合ったら、見えてくるのは一人の犯罪者でしかないのだ。

 蒼井は、そう言う意味ではとても惜しい位置にいると思う。彼の個性は、記号的だ。自己主張せず、ただ泰然と存在するだけの彼から感じるのは、殺人鬼という記号のみ。

 そんな彼を見ているだけなら、例え彼自身がそれを普通と思っていても、わたしは、特別を感じられるはずだった。

 でも、わたしは彼に、人間を見てしまった。

 蒼井茜と過ごすことに、居心地の良さを感じてしまった今では――蒼井の事を、キャラクターとしてなんて、見ることが出来ない。

「蒼井は、思ったことない?」

 彼の顔を見ることが出来ない。

 人間としての彼を見ることが出来ない。

 わたしはそのまま、尋ねる。

「楽しいことや、嬉しいこと。そんな、絶頂の所で人生が終わってしまえばいいって」

 非日常を非日常と感じたままで、

 終わってしまえばいいって――

「そんな風に、思ったことは、ない?」

「―――ってる」

 てっきり、「ない」と即答されたものだと思った。

 ぼそりと呟かれた、その答え。

 無表情な彼には、ばっさりと切り捨てるような、否定の言葉がお似合いだった。

 だからてっきり、そう答えるものだと思っていた。

 違った。

 彼ははっきりと、こう言ったのだ。


 決まってる。

 あるに、決まってる。


 ハッと、わたしは伏せていた頭を机からあげた。

 すでに蒼井は本に目を落としていた。いつの間に手に取ったのか、新書サイズの小説を読んでいる。その本は、この図書館の物ではない。彼と出会った時に読んでいたシリーズ物の五作目。分厚い鈍器のような巻で、物語のターニングポイントとなる巻だった。

 読書の姿勢に入っている彼には、もう話は通じないだろう。

 わたしはため息をつくと、大人しく、その対面で勉強をすることにした。

 ――今の質問は、一縷の望みだった。

 けれど、それも届きはしなかった。

 もうわたしは、蒼井茜を、キャラクターとして見ることは出来ないだろうと、はっきりと、分かってしまった。


 2


 それは、昨日の事件捜査の直後の話。

 高浪と食事をしていた時の会話だった。

「ハルちゃんはさ。超能力って、どんなものだと思う?」

 唐突なその質問に、わたしはどう答えていいものか困った。

 高浪の事だから、その質問には何かしらの意味があるのだろうと思う。けれど、超能力と言われれば、やはり思い浮かぶのはフィクションの中の世界の事ばかりだ。

「念動力とか、テレポートとか。やっぱり、漫画的な能力が思い浮かびますけど」

「うん。まあそれが普通だよね」

 一体何が言いたいのか。

 話がどういう方向に向かうのかさっぱり分からないため、わたしは高浪の言葉を待つことしかできなかった。

 高浪はフォークでパスタを弄びながら、話題を続ける。

「じゃあさ。超能力は、あると思う?」

「現実にってことですか?」

「そう。現実に」

 難しい話だ。

 ここで簡単に『無い』と答えてしまうのは簡単だけれど、それではあまりにも夢がない。まあ、現実なんてそんなものだとは思うけれど、フィクション志向が強いわたしとしては、出来れば在るものだと思いたいものだ。

 それに、この話の流れからすると、高浪は何らかの形で『超能力はある』ということを話したいのではないだろうか。

「テレポートとかは無理だとは思いますが、テレパシーとか、そういう感応系の能力なら、あるんじゃないですか」

「ちなみに、テレポートはなんでありえないと思う?」

「そりゃあ。物理的に無理ですし」

「それは言ったら、感応能力だって、物理的にはあり得ないよ」

 高浪は苦笑をする。

「まあでも、着眼はいいかな」

 にやりとニヒルな笑みを浮かべ、高浪は続ける。

「ハルちゃんは今、『物理』という視点を持ちながら、超能力の存在を肯定した。おそらく観念的に、『精神の流れ』的な物として、物理以外の法則を君の中で肯定した。そういう考え方は、悪くないよ。ある意味、『答え』に一番近い」

「えっと、それは」

 つまり、どういうことだろう。

 少しだけ考えて、思ったことを口にしてみた。

「超能力は、考え方次第で、『在る』し『無い』ってことですか?」

「いいねぇ。そういう頭の回転の速さ。好きだよ」

 くつくつと高浪は嬉しそうに笑った。

 気分が良さそうな口調だった。興が乗って来たのだろう。彼女はいったんフォークを置き、会話に集中をし始めた。いつの間にか、口調は男性的なものに変わっている。堂々と、まるで全てを笑い飛ばすかのような大仰さで、彼女は語る。

「超能力なんて言ってもね。そんなものは、人が限界だと思っている一線を越えれば、それは何だって超能力って言えるもんだよ」

 例えば。と彼女は例を挙げる。

「百メートルを十秒でしか走れない人間にとっては、九秒で走れる人間は超能力者だ。ちょっと暴論だけど、実際に存在する超能力なんてものは、そういうもんさ」

「なんか、夢のない話ですね」

「夢はあるさ」

 わたしの言葉に、肩をすくめながら高浪は言った。

「ただ、君の目の前には現実しかないってだけの話でね」

 皮肉気なその言い方に、わたしは何とも言えない気分になる。

 しかし、話はそこでは終わらなかった。

 高浪は水を飲んで、一呼吸間をおく。一つ一つの仕草は上品で、だからこそじれったさを感じない自然さがある。

「現実の住人は、現実でしか物事を把握できない。けれど」

 彼女はまっすぐにわたしを見て来た。

 その落ちついた眼差しに魅入られる。彼女が行う一つ一つの挙動に、わたしは魅了される。

 唇が動き、言葉が発せられる。

「仮に、夢の中の住人がいるとしよう」

 彼女の一言一言が、染み入ってくる。

「夢の中では、なんでもありだ。火を吐くことも、箒に乗ることも、夢の中ではありだ。もしそんな奴が存在すれば、それは、夢の住人本人にとっては当たり前でも――現実に置いては、誰の目から見ても、超能力者であると言える」

「それ、は」

 どういうことだろう。

 とっさには、彼女の言っている意味が分からない。

 高浪は、『夢』と『現実』に物事を分類した。わたしたち普通の人間を、『現実』の人間。そして、もう一つが『夢』の住人。

 わたしたちから見れば、夢の住人と言うのは、超能力者だ。

 では、夢の住人とは何か。

 超能力について、『考え方次第』であると言ったわたしの言葉を、高浪は肯定した。おそらくそれは、前提となるものなのだろう。

 そんな中で、誰の目から見ても超能力者であると言うのは、つまり――

「百メートルを五秒で走れる人間」

 高浪の比喩に追従するように、わたしはそう表現した。

 パチンと、指が鳴らされる。

「その通り」

 わたしが考えをまとめた、まさにそのタイミングで、高浪は言葉をはさんできた。

「そんな奴は、夢の中の住人、っていうことさ」

「……それは、確かに超能力者でしょうけど」

 けど、現実にそんな人間はいない。

 いないからこそ、超能力なんて言葉は、笑い話にされるのだ。

 夢の中の住人なんてものは、所詮夢でしかない。

 だが。

「夢の住人はいるよ」

 はっきりと、高浪は言った。

「一番簡単なのは、タイムの計測を誤魔化せばいい。その上で、相対的に誰かよりも速いことを見せつければ、それを見た観客は、ランナーを超人だと思う。それこそが、超能力の根本だ」

「でも、それはただのイカサマです」

「そうさ。イカサマだ。けれど、それがバレなければ、『本当』だ」

 にやりと高浪は意地悪く笑ってみせる。

「確かに、この世界には、百メートルを五秒で走るような人間はいないかもしれない。そういう、あからさまな形で人体の限界を超えるような人間は、いない。それを求めるなら別の『世界観』にでも行くべきなんだろうね」

「だったら、やっぱりいないじゃないですか」

「そりゃそうさ。だって、この世界では、『人体』というモノに、一定の、明確な基準が設けられてしまっている。なぜなら、誰もが『肉体』を持って生活しているからだ。自身の強烈な実感があるからこそ、そこに『夢』が入りこむ余地がないくらいにね。だから、『夢』を入り込ませるには、イカサマが必要になる」

 視点を変えてみればいい。

 そう、高浪は言った。

「騙す側で考えるからダメなんだ。騙される側の視点で見れば、一目瞭然だ。騙される側は、夢を見せられているだけなんだよ」

「なんだか、分かったようなわからないような」

 結局、理屈をこねくり回されているだけのようにも思う。

 そんなわたしに、高浪は重ねるように言う。

「そしてこれは、君がさっき言った超能力の存在条件にも当てはまるんだよ。むしろ、ペテンの必要性も必要ないくらいなんだぜ?」

「……どういう意味、でしょうか」

 彼女の言わんとすることの先が分からない。

 戸惑うわたしに、高浪はその様子を楽しむかのように、ニヤニヤとしている。

「これはさっき、ハルちゃんが言ったことだ」

 挑むような視線で、高浪は語る。

「君はさっき、感応能力ならあり得るかもしれないって、そう言ったじゃないか」

「……あ」

 明確な基準。

 精神論に代表されるように、『精神』に関しては、ある意味限界なんてものは、人それぞれだし、明確な基準はない。

 むしろ、第六感や虫の知らせを代表するように、不気味なものに対しては受け入れやすい人間が多いくらいだ。

「感応能力」

 そこからの語りは、まるで歌うようだった。

「そう、この世界では、思考遊戯や人同士のコミュニケーション。そう言った『精神』に関した点に置いては、明確な基準を定めきれない。それこそ人それぞれだ。無論、精神を数値で表したり、系統付けることはできるが、それを完全に計算なんて出来ないし、個性を画一化することなんて不可能だ。――だからこそ、『夢』が入りこむ余地がある」

 種はあるんだ。と高浪は言った。

「手品の種は必ずある。感応能力にだって、科学的とは言えないまでも、その原因となるモノはある。例えば、相手の思考を誘導することで、あたかも思考を読みとったかのように見せかける、とかね。それを無自覚的にやってみせるのが、『夢の住人』って奴なのさ」

「種を感じ取らせない」

 ようやく。

 わたしにも、やっと高浪の語る超能力の正体が、わかってきた。

 無性にわくわくするのを感じながら、わたしは高浪の言葉を要約するつもりで、答える。

「自分自身でも、手品の種を知らずに手品を行っている。夢の住人って、そう言うことですか?」

「That’s right!」

 流暢な発音で、高浪は言った。

「気持ちいいね、はっきりとまとめられると」

 にやりと、どこか獣じみた笑みを高浪は浮かべた。

 彼女の語ったことは、なんてことのない。理論そのものは『現実』そのものの内容だ。突飛なことなんてない。人が火を吐いたり、放電したりと言うようなファンタジックなことは言っていない。あくまで言葉上で、超能力の存在を定義しただけの事。

 けど、その在り方が面白かった。

 現実にあり得ないはずの虚構が、少なからず現実に食い込んでいるという在り方。それ自体がわたしにとっては心躍る内容だった。

 あらかた、食事は終了した。

 話しながらであったにもかかわらず、高浪は上品に食事していた。布きんで口元を拭いて、一息をついた。

 その時だ。

「さて」

 まるで、これから本題に入るとでも言うように、高浪は『さて』という言葉を使った。

「本当はもう少し込み入った話をするべきなんだろうけれど、概要としてはこの位でいいだろう。ここからが、あたしが本当に言いたいことだ」

 テーブルに両肘を立てて手を組むと、高浪は穏やかな眼でわたしを見る。

 本題にして結論。

 高浪の雰囲気にのまれるのを感じながらも、わたしは彼女の言葉を自然と待っていた。

「もし――」

 高浪は言う。


「もし、全ての人間に『××』のイメージを与えるような奴がいたとしたら、ソイツは――」


 全ては、その説明のためだった。

 わたしが『彼』に対して抱いたあの不明瞭な感情を、言葉にするための補足説明。

 高浪の言葉を最後まで聞いて、わたしは確信した。

 蒼井茜は、やっぱり殺人鬼であると。


 3


「コバ、最近蒼井と仲がいいよね」

 明けて、月曜日。

 登校してきたわたしを目ざとく発見した笠倉が、前に来るなり突然そんなことを言いだした。

「そうかな?」

 図星をつかれた動揺を隠しつつ、わたしは返す。

「別に、そんなに親しくしているつもりはないけど」

 学校での蒼井との接触は、体育倉庫以外ではあまりしていないはずなのに、とわたしは首をかしげた。まあ、どこかで見られてしまったのかもしれない。

 言い訳をするつもりはなかったが、あらぬ誤解をかけられる前に弁解を入れておく。

「蒼井くんが読んでいる本が、わたしも好きだったシリーズだったんだ。その話で、ちょっと盛り上がったくらい、かな」

「ふぅん、そう」

 笠倉は訝しげにわたしを見てくる。

 その視線を、居心地が悪い、と感じた。

 こういう追及される立場に立ったのは久しぶりで、なんとなく気分が悪かった。

 女子から男子に話かけると言うと、確かに誤解されても仕方ないだろう。そういう積極的な性格の子ならまだしも、わたしはあまり、他者に深い興味を示すタイプではない。悪乗りすることはあっても、積極的に誰かに関わろうとはしない。そう言う風に、周囲に認知させてきた。

 だからこそ、ここ一週間のわたしの行動は、少し目立っていたのかもしれない。

「ま、否定するんならいいけどさ」

 あっさりと引きながらも、笠倉は忠告するように言う。

「蒼井だけは、本当にやめときな」

 その言葉には、冗談でもやっかみでもなく、真剣な響きがあった。

 見ると、笠倉は真剣な瞳でわたしを見ている。

 そこにあるのは、冴えない男子に対する軽蔑といったぬるい感情ではない。何か、強い感情。それこそ、嫌悪や憎悪と言った方がいい類の感情が見えた。

「どういう意味? ソレ」

 純粋に、疑問だった。

 何故笠倉は、それほどに蒼井を敵視するのか。

 考えてみれば、笠倉は蒼井に対して、あまりいい態度を取っていなかった。普段の彼女は、発言こそはっきりしているものの、どちらかと言えば大人しいタイプの生徒だ。それが、蒼井に対してだけ、これほど敵視するような態度を取るのは、何かおかしい。

「蒼井と何かあったの?」

「別に。あんなのと何かあるわけないよ」

 言葉はそっけないものだったが、その言い方では、何かあったと言っているようなものだ。心なしか、拗ねているようにすら見える。関係を疑われたこと自体を恥じるような、そんな印象。そんな頑なな笠倉の態度を見ていて、わたしは言い表しがたい感情を覚えていた。

 あえて言葉にするなら、『ふぅん』という感じだ。

 ふぅん。

 蒼井と、ねぇ。

 しかし、あまり追求して彼女との関係が悪くなったりしては困るので、わたしは話を締めるように言い繕った。

「コミが考えているようなことは何もないよ。蒼井くんとは、ただの趣味の合う読書仲間。それ以上は無いって」

「なら、いいけど」

 釈然としない雰囲気を出しながらも、笠倉は納得してくれた。

 それで、朝の挨拶は終りなのだろうと思っていた。話の枕にしては、笠倉の調子が真剣だったためか、少し気を抜いていたと言うのもある。

 しかし、話自体はこれからが本番だった。

「それはそうと、コバ」

 カバンから教科書を出しているわたしに向けて、笠倉が淡々と聞いてくる。

「一昨日、通り魔殺人の現場見て回ってたでしょ」

「…………」

 え、――と。

 手に取っていた教科書を、思わず落としてしまった。

 頭が真っ白になる。

 何かを言わなければいけないと思うのだけれど、思考が空回りしてしまって、何を言っていいものか分からない。え、あれ、なんで知ってるの? ってか知られて何がまずいんだっけ? 見られた? どこを? 

「あ、あー」

 混乱を紛らわすために、わたしは曖昧に言葉を伸ばす。うん、まずは落ちつけ自分。

 多分、一昨日の高浪との散策を、街のどこかで見られたのだろう。特に駅前周辺は、知り合いと鉢合わせしても仕方がない所だし。それに、高浪は例の格好だったから、はっきり言って目立っていた。それなら確かに、見られても仕方がないだろう。

 そこまで確認して落ちついてきたところで、ようやくわたしは、笠倉の様子に気を配る余裕が出来た。

 ――何かを思いつめたような、神妙な顔をした笠倉の様子に。

「えっと、あれ?」

 どうして、そんな顔をしているんだろう。

 それは、噂話や世間話に興じるような表情ではなかった。これまで、通り魔殺人の話は何度かしてきたけれど、彼女がこんな顔をしたことは一度もない。何か、どうしようもない過ちを犯そうとしている友人を見守っているような、そんな表情――

「どうしたの、コミ?」

「……どうしたの、じゃないよ」

 力のない声だった。

「コバ、ここの所おかしいよ」

 まるで疲れ切ったような言葉が、滔々と続けられる。

「確かに事件の捜査とか、コバなら面白半分でやりそうだけど、でも、最近のは違う。今までのような、野次馬みたいなもんじゃない。あんたが関わってるのはそんなレベルじゃない」

「いや、そんな」

「本当に、危険なの」

 じっ、と。

 正面から見つめられる。真剣な。それこそ、誤魔化しや冗談の入る余地なんてない。居心地の悪いシリアスな空気が、場を包む。

 なんで? と思った。

 どうして笠倉は、こんなに真剣なんだ。これじゃあまるで、真剣になっていないわたしが悪いみたいな。危なっかしいような、そんな――

「これ以上繰り返してたら、絶対犯人は捕まる。だから、もう放っておけばいい。この辺で、お遊びはやめるべきだよ」

「あ、あはは。何、コミ? もしかして、次はわたしが狙われるって、そう思ってるの?」

「思っちゃ悪い?」

 誤魔化そうとしても無駄だった。

 笠倉は本気だ。本気でわたしの事を心配しているし、本気で事件に危機感を抱いているし、本気で忠告をしている。

 そこに、心配をしている自分に酔っているような、そんな舞台思想は含まれない。自己陶酔のためではなく、ただ心配だから、彼女は忠告をしている。

 その様子を見て、わたしはすごいと思った。

 すごい。

 フィクションでも何でもなく、人は、誰かのために、ここまで真剣になることが出来るのか。

 そんな冷めたわたしとは裏腹に、やはり笠倉は、真剣なままだ。

「八件目。起きたよね」

「うん」

「四件目が過ぎた時点で、すでに冗談じゃ無くなっているけど、もう八人だよ? これは、社会問題なの。その場の勢いで殺しちゃったような、地味な事件とは違うの。そのことを自覚して、コバ」

「分かってるよ。そんなこと」

 社会問題。

 連日ニュースを騒がせるのは、通り魔殺人の話。

 日本中が、こんな中途半端な都市の行く末に注目しているし、殺人鬼の今後に期待している。

 まるで虚構じみた話。けれど、これは現実。

 どうしようもないほどの、現実。

「現実だから、すごいんじゃん」

 そんな風に言ってしまえるわたしは、やっぱりどこか、間違っているのかもしれない。

 わたしの言葉に、笠倉は言いかけた言葉を呑む。

 何か溜めこんでいる感情があるのか、ぐっと堪えるように、彼女は下唇をかんだ。代わりに、苦々しそうに言う。

「やっぱり、事件と関わるのは、やめないんだね」

「まあ、面白いし」

「……はは、そうだよね」

 力なく、笠倉は笑った。

「そうだよね。そう。コバは――あんたは、いっつもそう。そういう奴、だよね。分かってるよ。けどさ。できたら今だけは――」

 そう、笠倉が続きを言おうとした時だった。

「なーに話してんのっ?」

 横合いから、立川が話に割り込んできた。

 なんというタイミング。

 無理やり口論の間に入り、まるで話をまとめ上げるかのように、彼女はまくしたてた。

「なになに? 何かマジもんの話? だーったらあたしを混ぜなさいよっ。二人にはこないだあたしの話聞いてもらったし、相談ならあたしにもしてよ、水臭いなぁ」

 へらへらと笑いながら、一気に言い切る立川。

 しかし、わたしにはその様子が、少し怯えているように見えた。無理をして、明るく振る舞っている。――と、そうか。どうやら立川は、わたしと笠倉の様子から、喧嘩しているとでも勘違いしたのだろう。そうした気の配り方だけは、この子はうまいのだ。

「ほらほら、コミちゃんどうして泣きそうな顔してんの? お悩み相談なら、おねーさんに聞かせなさい?」

「はは、誰がおねーさんだ」

 顔を手で軽く隠し、苦笑しながら笠倉は言う。

「別に、悩んでなんかないよ。うん。ただ。コバが頑固なだけ」

「ちょっと、別にわたしは頑固なんじゃ」

 いや、まあ頑固なのか。

 あれだけ言われて、まったく自分の気持ちが変わらないと言うのは、確かに頑固なのかもしれない。そう、思いなおす。

「確かに頑固かもね」

「認めるんだ」

「あー、確かにコバっちは頑固だよねー」

 話の流れも分かっていないだろうに、立川は笑いながら同意してくる。

 そうして、自然といつもの風景になった。

 さっきまでのシリアス展開が嘘のように、ぬるくて、建前を置いた、ただ感情を弄び、時間をつぶすだけの、そんな時間。

「通り魔殺人の話してたの。アヤも知ってるでしょ?」

「あー、なーるなる。それでコバっちに怒ってたのか。もー、駄目だぞコバっち。コミっちを困らせちゃ」

「はーい」

 第三者として話に割り込んだからか、まるで場を調停するかのように言う立川に、わたしは素直に返事をした。

 そうして、チャイムが鳴るまでの間、わたしたちは歓談する。

 事件の事なんてまったく触れることもない。今日の授業の事や、他愛のない噂話。

 そうして時間が過ぎ、それぞれの席に戻ることになった。

 去り際。

 笠倉が、ひとことだけ残した。

「さっきの、続き」

「え?」

「事件に関わるのを止めないって言った時。私、本当はね――」


「嘘でもいいから、やめるって言って欲しかったな」


 笠倉が去っていく。

 わたしはその背中を、何も思わずただ見つめていた。

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