第9話 三章 探偵ごっこ その2 現場百回

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 その日はいったん別れて、翌日の昼から各現場を回ってみようと言う話になった。

 半ば強制ではあったものの、しかし考えてみれば、これほどに面白いことはない。探偵ごっこである。一人でやろうと思ったこともありはするけれど、自分の状況を考えるとそれほど面白くはない。しかし、知らない人と二人でとなれば、話は別だ。

 白状すると、その日の夜は興奮してうまく寝付けなかった。やばい、楽しみすぎる。結果そのものは見えている事件の捜査ではあるとはいえ、まるでフィクションの中のような話の進み方に、わたしは胸を躍らせていた。

 高浪きつみ。

 あの女が、一体どういう人物なのかは分からない。

 けれど、彼女と共にいれば、なんとなく面白いことになりそうなのは分かっていた。蒼井とは違った意味で、彼女は、フィクション寄りの人間だ。

 だからまあ、そんな風に年甲斐もなくはしゃいでしまったものだから、翌日、朝十時くらいに目が覚めても、若干寝不足気味だった。

「んー。起きるか」

 だるい身体を起こしながら、誰に言うともなく呟いた。

 まだ覚醒しきっていない頭を必死で起こしながら、夜の興奮を思い出す。

 結局、寝付いたのは四時くらいだった。あまりに気分が高ぶっていたものだから、夜中に興奮を冷ますために外を出歩いたほどで、今思うとどれだけ浮ついていたんだと思う。

 遠足というのは行く前日が楽しいもので、当日になってみると結構冷静だったりする。わたしは落ちついて身支度を整えると、ゆっくりと朝食を取った。

 母は――どこかに出かけているようだ。父は仕事だが、母までこんな朝から居ないと言うのは珍しい。少しだけ不自然を感じながらも、わたしには関係のないことだと切り捨てる。

 テレビがつけっぱなしだった。だらしないなぁと、呆れながらわたしは画面に目を向ける。

 待ち合わせの時間を思い出す。昼に、駅前で待ち合わせ。時間自体は結構余裕があるな、とテレビの右上に映っている時刻を見ながら思った。

 そして、ようやくテレビの番組に目をやった時に、わたしは驚くことになった。


 通り魔殺人八件目


 そんな見出しが、テレビに映っていた。

「こりゃまた、随分と早い」

 何気なく、そんなことを呟いてしまった。

 テレビでも言っているが、七件目からまた三日目だ。ここまでの八件の殺人、全てが二日から三日の間をおいて行われていることになる。

 発見は早朝の事で、場所は、ウォーキングコースなどでも利用されている川沿いの土手のようだ。発見時刻は午前六時。ちなみに、その土手はわたしの家からそう離れていない場所にある。どうやら発見直後から特番が組まれているらしく、現場の様子がリアルタイムで映されていた。野次馬を押し返そうとする警察の姿まで、くっきりと見える。

 こりゃまた大事である。

 ちなみに、テレビを見ていて分かった八件目の詳細は、次の通りだった。

 発見は三月五日未明。

 被害者は市内カラオケ店店員の女性、二十六歳。喉元に刃物を突き刺されており、そこからの出血が死因。また、身体の一部が切り取られており、さらに共通のメッセージが残されていることから、一連の通り魔事件と同一犯であると判断されている。

 テレビの報道ではこの辺りが限界だろうが、ネットを検索すれば、切り取られた部位くらいは分かるだろう、と思う。今日はそれを確かめてから、高浪との待ち合わせに行こう。

 まずは朝食を片づけようと思い、テレビをつけたまま口を動かす。特番では、事件についてコメンテーターらしき人物が、何か分かった風なことを言っていた。その言葉がテンプレ通りの的外れで笑える。『心の闇』や『情報化社会の弊害』というのはもっともらしい言説だし、確かにその影響は、少なからず現代の人間に与えられているだろうと思う。けれど、本当に問題なのは、それらの影響を、受け手がどう受け取ったかだろうに。

 人を殺してみたかった。

 それは、言ってしまえばガラスを割ってみたいとか、壺を割ってみたいとかと同じだ。――究極的には、火事の警報機を鳴らしてみたいと言うのと同一の衝動だと思う。具体的な手段を考え始めたらアウトだが、それを想像するのは、誰だって一度はやるはずだ。

 想像した時点で、それは可能性となる。

 可能性がある時点で、起こらないという確証はない。

 昨日の高浪の理論と同じだが、彼女の語ることは、言葉上の意味ではなく、心で理解できていた。それも、今日昨日の話ではなく、それこそずっと前から。ただ、それを言葉という形にしてくれる人間が、これまでいなかっただけだ。

 だからだろう。わたしは高浪の提案に、半ば強引であっても、断ることを考えなかった。

 皿に盛った朝食を片付け終わる。

 ごちそうさま。

 それから、ネットを使って軽く調べた。

 現状で分かっていることは、テレビで公開された情報と大差なかったが、一つだけ、切り取られた部位に関してだけは分かった。

 胸部だった。

 乳房である。

「さすがにネットだとこう言うのは目ざといね」

 ぼやきながら、掲示板のログを追っていく。それにしても、警察内部から内通者でもいるんじゃないかというレベルの情報の早さである。あえてテレビでの報道を抑えているのに、このたやすさ。もっとも、そうだと思ったからこそ、テレビを見続けずにパソコンの電源を入れたわけだけど。

「さ、ってと。そろそろ時間かな」

 一時間ほど情報収集をした後、わたしは出かける準備に取り掛かった。

 かなりの時間歩くことになるだろうから、それを考えて動きやすいラフな格好を選ぶ。もっとも、わたしはそんなに可愛らしい服は持っていないので、必然いつも通りのしゃれっ気のないデニムのパンツに黒いソックス。上は大人占めのブラウスという服装になった。スカートくらい買えよと笠倉からはいつも言われるけれど、スカートは制服で十分である。

 ほかに準備と言われても思いつかないので、とりあえずこれまでの事件をまとめたワードのファイルを印刷して、それを持って行くことにした。まあ、探偵をやると言ったのは高浪の方だし、他に必要なものは彼女が用意するだろう。

 そんなわけで。

 駅前の待ち合わせに指定した場所に向かった。

 午後一時。

 駅は昼の活気にあふれ、土曜休日の空気を存分に感じさせた。学校があった者も、半日授業だろうから、すでに帰宅を始めている時間帯だ。誰もが浮き足立っている。

 喧騒の中、高浪の姿はすぐに発見できた。

 できた、のだが……。

「やっほー。遅かったね」

 手を振る彼女に近づいた瞬間、わたしは面食らってしまった。

 なんて言うか。言葉に困る。

 この世の物とは思えないものを目にしてしまった。

「あ、あの」

 無くしてしまった言葉を思い出すように、わたしは無理やり言葉を紡ぎだす。

「そ、その格好は」

「あ、あははぁ。……び、美少女探偵っ、なんちゃって」

 言って、彼女はくるりと身体を回して見せる。

 黒のブラウスに、白いレースやフリルがあしらわれた黒地のスカート。黒瑠璃のような光沢を放つブーツに、真っ白い靴下。極めつけは、大きなリボンのついた黒いカチューシャである。中世の貴族の女性やお人形さんが着るドレスのようなその服装は、俗に言うゴスロリだった。

 ゴスロリ!

 ゴシック&ロリータ!

 高浪は、ゴスロリファッションで白昼の往来に立っていた!

「…………」

 そこそこ背の高い彼女には似合わないとも思うのだが、これが妙にマッチしているので、ますます反応に困る。

 いや、確かに高浪は見た目が美形なので、それほど悪くはないが……しかし、恥ずかしくないのだろうか。

「た、高浪さん?」

 思わず、聞かない方がいいであろうことを尋ねてしまう。

「いきなりで失礼ですが」

「な、なにかな」

「その。歳、いくつですか。確か蒼井が『歳を考えろ』とか前に言ってましたけど」

「あ、それ聞いちゃう?」

 冗談っぽくはぐらかそうとしているのだろうが、わたしは真剣な表情でうなずいた。

 そんなわたしの真剣さが伝わったのか、しぶしぶと言った様子で高浪は言う。

「こ、これでもまだ二十歳なんだぞぉ。……まあ、数えだと、今年二十一になるけど」

「うわ。想像以上でした」

 雰囲気は違ったとはいえ、制服姿に違和感はほとんどなかったのだ。まさか自分たちより三つも年上だとは思わなかった。

 っていうか、二十歳って。

「は、恥ずかしくないんですか……? 二十歳にもなって」

「ちょ、二十歳をバカにすんなよ! 十分通用す――いや違う。待って。違うの。別にあたし、好き好んでこんな恰好しているわけじゃないんだから」

「好きじゃなかったら、んな格好しねぇでしょう!」

 若干言葉が乱暴になりつつ、わたしは叫んでいた。

 まあ、わたしだって、ネット徘徊したりフィクションにどっぷりハマったことのある身だから、オタク文化には多少理解があるつもりだけれど……問題は、私生活の私服レベルでその服を着ることだ。

 ぶっちゃけ、ハズい。

 偏見持ってんじゃん、って言うお前ら。いやいや、ちょっと冷静になってみませんか? わたしたちの現状を見てもらえば分かると思う。

 駅の往来。別にそういう店があるわけでもない、人気の多い場所で、こんな恰好をしているもんだから、人の視線を集めまくりである。

 フィクションに対して憧れがあるわたしでも、さすがに現実感の強いこの場に、ここまで強烈な要素を持ってきたりはしない。

 すっごい他人の振りをしたい。

「……あの、高浪さん。わたし、用事思い出したんで帰ってもいいですか?」

「ま、待って! 今帰られたら、あたし一人で街を徘徊することになるじゃん! それじゃあ、自分にゴスロリ衣装が似合うと思ってる自意識過剰女じゃない!」

「今でも十分そうですよ! いや、普通に似合っているから余計に困るけど!」

 似合っているのだ。

 そりゃもう、すんごい。

 ゴスロリっていうから、普通は童顔じゃないと駄目だと思うのだけれど、高浪は美形だ。おかげで、ロリ風な意匠が凝られているにもかかわらず、ロリータが抜けてゴシックしか残っていない。もうほとんど女王様みたいにしか見えない。その上、初対面の時にも軽く見えた包帯が、右手の袖の部分から少しだけ見えていて、それすらも衣装の一部に見えてくるくらいだ。

 知り合いのコスプレが似合っていることほど、たちの悪いことはないのだということを、わたしは今日初めて知った。

「う、嘘だ。これが昨日、『殺人鬼は人間なんだぜ?』とかドヤ顔で語ってた人だなんて嘘だ。あのかっこいい男装姿だった人が、こんなハズイ格好して、しかも似合っているなんて嘘だ」

「なんかものすごく馬鹿にされてるね、あたし」

「馬鹿にされるだけの状況にはあると思うのですよ」

 しみじみと。本当にしみじみと、わたしは言った。

「一応聞きたいんですけど」

「うん。何かな、ハルちゃん」

 高浪は若干ひきつった笑顔だった。

「結局その服、何なんですか?」

「……今日一日、この姿で過ごすっていう罰ゲーム」

 目をそらしながら、高浪は言った。

 疑問点しか残らない回答ではあったが、もうそれで納得しようと思う。それ以上は追及しまいと、わたしは心に決めた。

「そ、それよりさっ」

 無理やりテンションを挙げるようにして、高浪は言った。

「ほら、これから現場行くんでしょ。早く行こう?」

「それはいいんですけど……」

 いや、いいのか?

 本当にいいんだろうか?

 …………。

 いいということにしておこう。

 高浪の、真剣というか、ある意味必死な眼差しに気圧されるようにして、わたしは彼女と共に歩きだすことになった。

 それにしても。

 斜め前を歩く高浪の姿を盗み見ながら、不思議な気分だった。

 昨日、会って話をしていた時は、それこそ男性じゃないかと思うくらいに落ちついた色気を醸し出していた彼女だったが、現在は女性らしい、可愛らしい印象を与えていた。そうした、まるっきり別の印象にも関わらず、彼女が同一人物であると分かるのだ。

 別人ではない。

 あくまで、一人の人間が、別々の演技をしているだけ。

 服装に寄って印象が変わると言うのは当たり前だろうが、彼女の場合は些細な言葉遣いから変わってしまっている。昨日は、どことなく乱暴で蓮っ葉な口調だったが、現在は男に媚びているのかと思うくらいに可愛さを強調した口調である。そうした違いは、意図的なのだろうが、一体何のためにしているのか。

「ハルちゃん? ねえ、ハルちゃん」

「あ、はい」

 いつの間にか、名前を呼ばれていた。

 ハッとして彼女に意識を向けると、高浪はぷんすかと怒りながら腰に手を当てていた。

「もうっ。ぼおっとしてないでよ。どこから見て回ろうかって話しているんだから」

「はぁ」

 本当に。

 まったくの別人みたいに喋ってくれる。立ち居振る舞いすら、ぶりっこな女みたいだ。

 歳を考えろ歳を。

「とりあえず、駅周辺に現場が三か所あることだし、そこから回ろうと思うんだけど、どこからがいい?」

 言いながら、高浪は手に持っている何かを操作している。

 何だろう、と思って覗きこむと、スマホを操作していた。ネットでも見て情報を集めているのかと思ったのだが、しかしそれにしては画面がおかしい。

「何なんです、それ?」

 画面に表示されているものを見ながら、尋ねてみる。それは、事件について簡単にまとめられているPDFファイルのようだった。なんだろう、もしかして、自分でまとめたのだろうか。

 それに対する回答は、たやすく行われた。

「警察の捜査資料の一部」

「は?」

 聞き間違いだろうか。

 もう一度、高浪は言った。

「だから、警察の捜査資料の一部」


 4


 そもそもは、高浪がゴスロリ衣装を着ることになったことに話がつながるらしいのだが。

 高浪の話を簡単にまとめると、彼女はこの捜査資料を手に入れるための交換条件として、コスプレをする、という話になったらしい。

 いや、何が何だか分からないのだが、わたしにもわからない。多分誰にもわからないと思う。

「ちょっとしたコネでね。『しぃちゃん』っていう奴なんだけど、こいつが変態なんだ。あたしにこんな格好させては楽しんでるの」

「はぁ。そりゃまあ、なんといっていいのやら」

 コメントのしようもないので、言葉を濁すにとどめる。

 その話からすると、もしかして、先日の学内潜入時の制服も、そのコネにあたる『しぃちゃん』なる人物の提供物なのかもしれない。

「ま、そんなわけで、簡単な概要だけはまとめてあるってわけ。もっとも、さすがに全部は無理だったけどね。情報漏洩ギリギリのラインってところかな」

「いや、一部でも、漏洩している時点でアウトだと思いますけど」

 スキャンダラスな問題に巻き込まれなければいいが。

 そんなわけで、わたしたちはその捜査資料を元に、一つ一つ現場を回っていくことにした。

「まずは六件目の事件が近いかな。二件目もすぐそばだけど、六件目は早めに見ておかないと」

 何気なく言った高浪の言葉に、わたしはかすかに緊張を感じた。

 六件目。

 須藤の事件だ。

 まさかしょっぱなに来るとは思わなかったが、しかし事件の捜査をするのなら、必ず通る道だ。むしろ一発目で良かった方だと、わたしは覚悟を決める。

 問題の廃ビルは、駅の西口から出て、右側に少し歩いた場所にある。路地に入る道が三本あり、その一つ目。奥に進むと行き止まりになっており、その右側が、件のビルだ。

 表門は反対側にあり、裏口がわたしたちの目の前にあった。

 ビルの目の前に来たところで、わたしたちは立ち止まる。

「ありゃ。やっぱ封鎖されているね」

 高浪のぼやき通り、ビルの出入り口は封鎖されていた。あの、ドラマなんかで良く見る黄色いテープが貼られている。まあ、事件からまだ一週間くらいしか経っていないし、仕方ないことだろう。むしろ、見張りの人間がいないことの方が不思議だ。

「刑事や警官は、他の事件や地域のパトロールに忙しいからね。すでに終わった事件は、ある程度の管理で放置されているみたいだよ」

 わたしの疑問に、高浪は手元の携帯端末に目を落としながらそう答えた。

「特に駅周辺は、機動隊が出ているくらいだからね。今は昼だから少ないけど、夜はあの入口付近の道路にずらっと並ぶんだってよ」

「そりゃまたすごいですね」

「まあ、それだけ大事ってことなんだろうけどね」

 高浪はちらりと周囲を確認する。路地の奥まった場所で、うまいこと人がいない。

「じゃあ、侵入しますか」

「え、入るんですか?」

 高浪の言葉に思わず驚く。まさか、封鎖されている場所に入ると言うとは思わなかった。

「当たり前でしょ? 封鎖ったって、黄色いテープが貼られているだけだし」

 たやすく言いながら、高浪はそのテープを乗り越える。続いて、ビルの裏口に手をかけてガチャガチャとドアノブを捻る。以前は壊れていた鍵だが、さすがに今は施錠されているらしい。

 テープ越しに、わたしは声をかける。

「無理ですよ。鍵がかかっているに決まっているじゃないですか」

「うーん、やっぱそっか」

 高浪が認めたことで、ほっと胸をなでおろす。さすがに、不法侵入は怖い。廃ビルならなおのこと、見つかった後がどうなることかと思っていた。

 これでこの場の捜査は終わりだろうと安心しきっていたわたしは、次の高浪の行動に、またしても驚かされることになった。

 数瞬だけ、考えるようなしぐさをした高浪は、ポケットの中に手を入れた。そして、何やら長い棒状の物を取りだす。

 それは一見、ドライバーのように見えた。しかし、ドライバーにしては短いし、先が細く、また厚さも薄い。刀身の細いナイフのようにも見えた。

 彼女はそれをドアの鍵穴に差し込む。

 ……まさか。

 悪い予感は的中し、高浪はドアの鍵穴をいじっていた。いつの間にか、左手には細い針金のようなものすらも持っていた。両手に持った器具を使って、高浪はピッキングをしていた。

「よぅし、開いた」

「やっ、ちょっと高浪さんっ?」

 思わず叫んでしまったわたしに対して、高浪は振り向いて手招きをする。

「ほら、静かにする。早く来て。ちゃっちゃと見るよ」

 そう言って、高浪はさっさと中に入ってしまった。

 残されたわたしは、その姿を呆然と見守る。

 ……ええい、もう自棄だ。

 黄色いテープを越えて、わたしも高浪に続いてビルの中に入った。

 ビルの内部は、当たり前だが暗かった。埃臭くないのは、最近まで捜査の手が入っていたからだろうか。少しだけ歩くと、すぐに高浪に追いついた。

 事件現場。白いテープで死体の枠が示されている場所で、高浪はたたずんでいた。

 そこにたどり着いて、わたしは一週間前の事を思い出す。

 殺された須藤の姿と、月明かりに照らされている蒼井の姿。

 あの幻想的な光景に比べると、現在の情景は、あまりにも現実感に満たされていた。

「死体発見は二月二十六日。午前十一時、ビルの管理者が、定期点検に来た際に発見。被害者は須藤桜花、十九歳。S学院大学の大学一回生」

 アイフォンの画面を見ながら、高浪が事件の概要を朗読し始めた。

「死亡推定時刻は、前日二十五日の二十時ごろから、二十六日の一時までの間。死因は、後頭部の強打による脳座滅。現場右端にある火災警報器の角に、それらしき痕跡があることから、そこに後頭部を強打したものとされる」

 そこで高浪は顔を挙げると、件の警報機に近づく。

 そこにも白いテープが施されており、どこにぶつけたのか一目瞭然だった。

「これだけ見ると、もつれ合った結果、突き飛ばされて強打した、って風にも見えるよね。不慮の事故、みたいな」

「…………」

 しかし、問題となるのはこの後だろう。

 続きを、高浪は読み始めた。

「被害者は、死亡時の体勢から、壁に寄りかかるよう移動された可能性あり。また、刃物による死体損壊が行われており、胴体に数ヵ所の刺し傷がある他、右耳を削ぎ落されている、と」

 死体を示すマークの脇に、小さな枠があるのがそれだろう。

 右耳。

 死体損壊による身体の一部の切り取り。これがあるからこそ、須藤の事件は、通り魔殺人の一つとして、処理されている。

「それに、問題はこのメッセージだよね」

 高浪が目を向けた先に、わたしも視線を合わせる。

 壁に寄りかかっていた死体の、右側。わたしたちから見て左側にあたる位置に、被害者の血で血文字が残されている。

 Take the blame

 その英文。

「これ、『罪を負う』でいいんですよね?」

「警察もそう捉えているみたい。ま、犯人がどういう意図で使っているか分からないけど」

 にやりと、どこか皮肉気に顔をゆがめて、高浪は言った。

「さてと。一通り見たし、ここはもういいや。行こうハルちゃん。早くしないと、警備の人に見つかっちゃうかもしれないし」

「え? もう行くんですか」

 てっきりもう少し調べるものだと思ったのだが、高浪は思いのほか早く捜査を中断した。

「事件の必要なデータは一通り持っているしね。一度、現場を見てみたかっただけ。あまり長居するのも危険だから、急ぐよ」

 そう言って、高浪はさっさとビルから出てしまった。

 納得いかない気持ちを抱えつつ、わたしは彼女の後をついていく。

 次の現場に向かいながら、高浪がわたしに話しかけて来た。

「ハルちゃんは、さっきの現場を見て、何か思ったことはない?」

「思ったこと、って言われても」

 思う以前に、現場に関わっているなんてことを正直に言うわけにもいかないので、曖昧なことしか返せない。

 そんなわたしに対して、高浪は自身の考えを披露した。

「あの奥まった場所で、さらにビル内の突き当たり。そんなところで殺されたってことは、おびき寄せられた可能性があると思う」

「おびき寄せられた?」

「そう。あの廃ビル、話によると密会に良く使われていたらしいね。裏口の鍵が開けっぱなしだったとか。だから、侵入自体は簡単。問題は、どうやってそこまで被害者を連れ出したか」

 その件に関しては、わたしも知っている。というより、あの廃ビルをよく利用するような一派と、少なからず関係を持っていたから、細かい事情は高浪よりも知っていると思う。

 侵入自体は簡単だ。

 問題は、そんな怪しい場所にどうやって招き寄せたか、ということになる。

「直接の死因である打撲があの場所で行われた以上、被害者はあそこに連れ出されたということで間違いないはず。そして、隙を見て突き飛ばしたか何かをして、被害者を殺害。その後に、事後処理。――つまり、犯人と被害者は、何らかの面識がある可能性がある、というのが。あたしの初見での感想」

「すごい、ですね」

「別に大したことは言ってないよ。捜査資料にはそこまでは書いていないけど、警察もそういう話で捜査を進めているとは思うし」

 高浪のその言い分に、なるほど、と思った。

 だから、刑事たちはわざわざ時間をとってわたしの所に来て、質問をしたりしたのだろう。

 通り魔殺人の中でも、知人関係がもっとも疑われる事件。ということらしい。

「六件目に関しては、こんなところかな。次は、二件目だけど」

 駅に戻り、そこから駅沿いを右に少し歩くと、駐車場や駐輪場がある。その中から脇道の一つに入り、車一台ほどの狭い道に入り込んで行った。

 位置的には、ホテル街と飲み屋街の中間にあるような、中途半端な場所だ。スナックやバーが立ち並ぶ、民家との境にある路地。

 飲み屋の裏手の通路のような場所が、第二の現場だった。

「死体発見は二月十二日の早朝。発見は、手前のバーの店員で、仕事帰りに店を出たところで発見。被害者の名前は葛西千憲、三十七歳。市内会社員で、前日は十八時には退社しており、それ以降の足取りがつかめない状態」

 現場は、飲み屋の裏口を迂回するようにして黄色いテープが貼られている。

「死亡推定時刻は前日十一日の二十三時から、十二日の三時までの四時間。死因は、腹部の刺し傷からの出血による失血死。凶器は刃渡り二十センチほどのナイフと思われるが、発見されていない。血液中のアルコール濃度の高さから、事件時、被害者は泥酔していたと見られる。また、右腿に刺し傷が数か所あり、死後、左手首をのこぎりのようなもので切断されている」

 事件概要を一気に読み上げた後、高浪は現場をしげしげと眺める。

「さすがに早い段階で起きた事件だからか、現場は放置され始めているみたいね」

 昼間だからか、人通りも少ないため、今回はゆっくりと検分できそうだった。

 そう思ったのだが、今回も高浪は、軽く現場を確認しただけで、さっさと去ろうとした。

「もういいんですか?」

「いいのいいの。現場の状況確認できたら、もういい」

 釈然としないまま、わたしは高浪の後についていく。

「二件目の現場見て、ハルちゃんは何か気付いたことある?」

「気づいたこと、って言われても」

 現場にいた時間は、それこそ数分程度だったため、具体的に何かを言うことはできない。

 正直にそう話すと、高浪はあっさりと「そっか」と言った。

「それじゃあ、次はもう少し検分してみようか。幸い、次は少し長くいても怪しまれることのない場所だし」

 続けて向かったのは、公衆トイレだった。

 同じ駅周辺で起きた事件である、四件目の事件。

 女子高生殺人事件。

 事件現場は駅から少し外れた場所にある広場の公衆トイレで、女子トイレの中の、四番目の個室だった。

「死体発見は二月十九日午後一時。トイレを利用しようとした四十代女性が発見。被害者の名前は円加ひかり、十七歳。市内の高校に通う学生。最後の目撃証言は下校時間の十七時で、それ以降の足取りはつかめていない」

 スマホを見ながら、淡々と事件の概要を高浪が述べる。

「死亡推定時刻は前日十八日の二十二時から十九日の二時までの四時間。死因は暴行による心不全。身体中に打撲等のあざがある他、死後ナイフで刺したと思われる刺し傷が数か所ある。また、血液中のアルコール濃度の高さから、被害者は泥酔していた模様。右手が切断されており、また腹部を切開後、子宮を切り取られていた。被害者の体内からは、犯人の物と思われる体液が検出された」

 四番目の個室は封鎖されていたので、両隣の個室を見て、現場のおおよその状態を確認する。

 公衆トイレの個室にしては、少しだけ広い感じがした。古臭い割に、個室だけが広い。それこそ、人が二人くらい入ってもそれほど窮屈じゃない程度には、広々としている。

「体液、ねぇ」

 しみじみと、高浪は呟く。

「この事件だけ、なんだか浮いているんだよね」

「と、言いますと?」

「まるで、強姦殺人を通り魔事件に偽装しているように見える」

 個室を睨むようにしながら、高浪は言う。

「うん、一応確かめておこうかな」

 高浪は軽く飛び上がると、封鎖された四つ目の個室の上部分に手をかけた。

 ドアにぶら下がる形になる。

 突然の行動に、わたしは唖然としてしまった。

「ちょ、何を」

「見とかないと分からないでしょ。うんしょ。もう少し」

 高浪は、腕の力だけで器用に身体を持ち上げると、そのまま、個室の中を覗き込んだ。

「あー。やっぱりちゃんとメッセージ残ってるね。模倣犯の可能性は低い、か」

「じゃあ、犯人は男性ってことですか」

「その可能性は高いねー。ま、抜け道はあるかもしれないけど」

 よ、っと。高浪は手を離し、器用に着地した。

「強姦殺人にしては、女子トイレで犯行に及んでいるのが気にかかるけどね。まあ、男子トイレでも同じか。あまり衛生的じゃないから、利用者も少なかったみたいだし」

 公衆トイレは、誰でも入れるがゆえに、犯行場所としては不適切ということだろうか。

「目撃者がいないことを気にしているんですか?」

「うん、そういう感じ。無理やり犯されたんなら、悲鳴の一つくらいは挙げるものだと思うけど――ん、いや、ちょっと待って」

 手元のスマホを見ながら、高浪は怪訝な顔をする。

「暴行と性交は別だったのかもしれない」

「別? どういう意味ですか」

 わたしの問いに、高浪はスマホの画面をこちらに向ける。

「死体の写真。見る?」

 わたしはうなずく。

 この程度で怖がるほど、わたしは可愛い性格をしていない。

 死体は、全身に青あざがあった。まるで、バットのような棒状の物で殴られた痕。両腕や、太ももにまでそれらの傷はある。一番ひどいのは顔で、まるでスイカを割ったかのように滅多打ちにされていた。

「詳しい検死の結果はもらえなかったから、ここからは想像するしかないけれど、この死体を見て、何か思わない?」

「そう言われましても」

 生々しい死体の画像を見て、ゾクゾクしている――なんてことはさすがに言えるはずもなく、わたしは曖昧に相槌を返す。

 高浪は、数枚の写真を交互に見せながら、言う。

「死因は暴行による心不全。これは動かない。始めは、性行為中に暴れないように脅しで殴られたと思ってたけど、被害者は泥酔していたらしいから、そこまでの抵抗はなかったはず。それに、このあざの様子は、明らかに道具が使われている」

「道具を使っていることが、何か変わるんですか?」

「変わるよ。暴力の質が違う」

 高浪は画面から顔をあげて言う。

「まず、性交中の体勢からは、どう考えても太もものあざはつけられないし、また腕も難しい。出来たとして、背中や胴体、あと顔かな。それでも、性交の体勢からバットで顔を殴れるほど器用な男はいないと思う。やるとしても、拳でしょう。それに――女性を痛めつけて快楽を覚えるタイプのサディストならまだしも、普通、女性の顔がこんなになって興奮するかな」

 被害者の円加ひかりさんの元の顔写真を見るに、彼女の容姿は整っている方だった。

「犯人は、整った顔を傷つけるのが好みのドS野郎だったかもしれないですよ?」

「まあ、その可能性は捨てきれないけどね。でも、それにしても執拗すぎる。この顔の殴打は、明らかに殺すために行っているとしか思えない」

 それに、と高浪は続けた。

「通り魔殺人――曲がりなりにも、三件、男性を殺してきた犯人が、ここに来て、性欲のために女性を殺したりするかな?」

 その言葉に、わたしは彼女の言わんとすることを考える。

 高浪はこの事件だけが通り魔殺人の中で浮いていると言う。要するに――

「つまりこの件は模倣犯だ、ってことですか?」

「ううん。そこまでは言わない」

 あっさりと、高浪は否定した。

「その可能性も捨てきれないけど、共通のメッセージの事もあるからね。確か、三件目まではメッセージの事はあまり公になっていなかったから」

「よく知ってますね」

「うん。そもそも、三件目は、メッセージが無かったでしょ?」

 そうなのだ。

 実を言うと、三件目は、メッセージの跡らしきものが残っていただけで、メッセージそのものは確認されていない。血で何かを書いた痕跡は残っていたが、被害者が死の間際に暴れたためか、かすれてつぶされていたそうだ。

 だからこそ、四件目が起きるまでは、この事件は連続殺人とされていなかったのだ。四件目でこのメッセージが公になり、一件目、二件目との共通性が示唆された。そこから続けて、三件目の塗りつぶされたメッセージも共通なのではないか、とされて、通り魔殺人は連続殺人扱いになったのである。

「そういう要素もあるから、この件は通り魔殺人の一つで間違いないと思う。あたしが言いたいのは――性交が行われたのと、暴行が行われたのは、別々だったんじゃないか、ってこと」

「別々、ですか」

 と言うと、どういうことだろう。

 わたしは少し考えて、思いついたことを言って見た。

「屍姦、ってことですか?」

「あー。あたしも最初、それ考えたけど、それは違うっぽい」

 死体の画像を見せながら、高浪は言う。

「変なこと言うけど、死体の状態が綺麗なの。主に排泄物」

「ああ、なるほど」

 それは気付かなかった。

 当たり前だが、人は死んだら身体の力が抜ける。よく言われるのは、括約筋が緩むことによって糞尿を垂れ流す、という話だ。

 屍姦をおこなった場合、当たり前だがそうした糞尿は不自然な飛び散り方をする。よしんば掃除をしたとしても、それはそれで不自然だ。しかし、現場写真を見る限り、そうした不自然さはない。

「じゃあ、性交だけ先に行われて、その後に暴行があったと?」

「うん。それが確実だと思う。それも――」

 と、そこまで言いかけて、高浪は首を振った。

「いいや、これは言わないでおこう」

 何を言うのをやめたのかは分からないが、わたしが尋ねても、高浪はそれ以上何も言わなかった。そこまでで、公衆トイレでの捜査はその辺で打ち切られた。

 そして、わたしたちは次の現場へ――

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