第8話 三章 探偵ごっこ その1 高浪きつみの殺人鬼論
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探偵は職業。
名探偵は生き様。
探偵は捜査する。
名探偵は推理する。
些細な違いが、現実と虚構の違いである。
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寝不足に痛む頭を抱え、わたしは朦朧とした意識の中登校した。
おそらく、一瞬でも気を抜いたら寝てしまうだろう。昨日はほとんど徹夜になってしまった。もういっそのこと休んでしまおうかとも思ったけれど、変に不信がられるのはまずいと思ったため、頑張って登校した。
自席に着くとともに、強烈な眠気に襲われる。うん、はしたないけど少し寝ておこう。腕を枕にして小休止。のつもりが、ホームルームに突入しても気づかずに寝てしまっていた。
おかげで、教師からは怒られ、罰として雑用を手伝わされることになってしまった。
ただでさえ疲れているのに、こんなのあんまりだ。
しかし、歯向かったところで分が悪いのはこちらである。ただでさえ成績不良で目をつけられているのに、態度まで不良にしてしまっては、この学校に居場所がなくなってしまう。そんなものなくてもいいじゃないか、という声が聞こえなくもないけれど、黙殺する。わたしは基本、あまり目立たない生徒でいたいのだ。
そんなわけで、三時間目の休み時間の事。わたしは次の授業で使うプリントを運ぶ役目を仰せつかった。
それは、職員室で渡されたプリントを教室に持って行く途中のことだった。
昇降口の近くで、見慣れない生徒を見かけた。
見慣れない、などと言ったが、これは別に、わたしが全校生徒の顔を認識しているという意味ではない。四百人近くいる全校生徒を全員把握しているような人間は、教師でもなかなかいないだろう。
そう言う意味ではなく、雰囲気の事である。
わたしは人を見る目――観察力に関してはちょっとした自信を持っている。雰囲気を感じ取ると言った方がいいけれど、その人物からは、外部の人間の空気を感じた。
そもそも、三階建ての二棟作りであるこの学校では、生活スペースは一定だ。年度始めじゃあるまいし、あまり見ることのない生徒が迷い込んでくることは少ない。
どうしたんだろう、と思いながら、わたしは歩を進める。通り道なので、その生徒に近づく形になった。
その生徒――彼女は、うろうろと辺りを見渡し、わたしと視線が合うと、無邪気に笑った。
正面から見てみると、なかなか整った顔立ちをしているな、と思った。女のわたしが言うんだから、よっぽどだろうと思ってもらいたい。ただそれは、女性的な美しさというよりは、どこか中性的な整い方をしている。アイドルというよりは俳優という感じだ。宝塚的な花がある。
そんな美形さんが、無邪気にニッコリと笑ったのである。
素直にわたしは、「お、綺麗」などと思って、緊張を解いてぼうっとその姿を眺めていた。
彼女が近づいてくる。
足運び一つとっても、無駄のない、まるで計算しつくされたような動作。かといってロボットじみていると言うわけではなく、あくまで生身の人間としての完成形のような動きだった。
彼女はわたしの目の前まで来ると、こう口を開いた。
「ねえ、ちょっと」
彼女の手が伸ばされる。
「道を教えてほしいんだけど」
その時である。
わたしは、自分の喉元をナイフで裂かれる幻を見た。
飛び散る鮮血の臭い。
ぱっくりと皮膚が裂ける感触。
痛みはなく、ただ空気が流れる感触と、鮮血が飛び散る幻想が、視界をちらついた。
思わず――両手に持っているプリントを片手に持ち、左手で自分の喉元を確認してしまった。
斬られてはいない。
傷なんてありはしない。
けれど。確かに。
わたしは今、殺されたと思った。
「ん? どうしたの?」
ハッと我に返ったのは、目の前の女の声が聞こえたからだった。
わたしは今、何を見たのだろう。
喉元は、幾ら確認しても傷一つない。
綺麗で、我ながらほれぼれするほどすべすべな肌だった。
しかし。
そんな現実よりも、引き裂かれて鮮血をまきちらした先ほどの幻想の方が、よっぽど現実味があったようにすら思った。
「え――と」
我に返って、目の前の女の不思議そうな顔を見上げる。
いつのまにか、膝をついていたらしい。
いけない。これじゃ変な女だと思われる。脳裏にこびりついた幻像を振り払いつつ、わたしは彼女が伸ばした手を取った。
「す、すみません」
「いいよ。それより、大丈夫?」
「あ、はい」
本当になんでもなかった。先ほどまでの幻想が嘘のように、当たり前の感覚に戻っている。
わたしは握った相手の手を離す。彼女の右手――手首に軽く包帯が見えたが、怪我でもしているのだろうか。
そんなことを考えながら、わたしは彼女に尋ねた。
「それより、道を教えて欲しいって、どういうことですか?」
「ああ。ちょっとね。教室の場所を教えてほしいの」
優雅さを感じさせる声で、彼女は語り始める。
「といっても、別に人生を解いてもらおう、なんてつもりは、毛ほどもないんだけど。もちろん、道は道でも地図上の道――ってね。まあ冗談は置いておいて。あたし部外者でさ、今年の教室の配置知らないんだよね」
あははー、とそんな風に笑う彼女は、しかしどう見てもうちの学校の制服を着ている。
部外者、ということはOGということだろうか。そういえば、明日は卒業式もあるので、外部の人間が出入りしていても不思議ではないが――しかし、すでに卒業している人間が制服を着ていると言うのは、ちょっと痛々しい人のようにも思うけれど。
「いいですよ。ただ、もう少しで次の授業始まってしまいますけど」
「あ、そっか。おねーさん見落としてたなぁ。失敗失敗。それじゃ、場所だけ教えてくれないかな。五十分後に行ってみるから」
目的がはっきりしているのか、迷いのない様子だった。
わたしは彼女にどの教室かを尋ねた。
「えっと、2―Cなんだけれど」
それはわたしのクラスだった。
「それなら、二階の東側ですよ。クラスは表示があるから分かると思いますけれど」
「サンクス。なるほど、反対だったか。いやあ、ありがと。やっぱり持つべきものは親切な他人だね。そんじゃま、それまで少し時間潰そっかなー」
と、彼女はぼやきながら廊下を歩いていった。
わたしはというと、彼女の「サンクス」の発音が妙に良かったことに感動しつつ、ハッと自分の仕事を思い出して、駆け足に教室に戻った。
その時にはもう、殺された幻想の事なんて頭の中に残っていなかった辺り、わたしの図太さは凄まじいと思う。
授業は、滞り無く進行した。その頃には、変な女のことなんて、頭から消えていたくらいだ。
事態が動いたのは、昼休みに入った時の事だった。
予告通り、彼女は教室に現れた。
ガラガラと無遠慮に教室の扉を開け、女は教室に入って来た。
突如として現れた女生徒の姿(しかも美形)に、教室の意識は集中する。いやまあ、中には午後の授業の予習に忙しい生徒や、蒼井のようにひたすら本に目を落としている生徒もいたけれど、一瞬とは言え、クラスのほとんどの生徒が入口の方に視線を向けていた。
問題の彼女はというと、「んー」と可愛らしく考えるようなしぐさをして(それがまた妙に似合ってて驚く)、教室を一通り見渡した後、諦めたのか身近な生徒に声をかけた。
「ねえ、呼んでほしい男子がいるんだけど」
「はあ。誰ですか」
「蒼井茜っていう子。今、いる?」
え、と。
教室の空気が変わった気がした。
そこで彼の名前が出るとは、クラスの誰も予想していなかった。聞かれた生徒も、うまく質問が呑みこめなかったのか、呆けた顔をしている。
そんな中、気を利かせたのか、はたまた野次のつもりなのか、威勢のいい男子生徒の一人が、声を大きくして言う。
「蒼井。お前に客だぞ」
自分の名前が呼ばれたからか、迷惑そうな顔をしつつも、素直に顔を上げる蒼井。
男子生徒に促されるまま、彼は教室の入り口に視線を映した。
はじめ、彼は怪訝な表情をしていた。眼鏡越しの視線は、明らかに億劫そうだ。現状を理解していないような、無表情にも近い普段通りの彼。
続けて、そんな無表情を、彼は驚愕に染めた。
たとえ空が落ちてこようとも驚きそうにない蒼井が、驚愕の表情を浮かべたのだ。
飛び上がるように椅子から立ち、蒼井は上ずった声で叫ぶ。
「なっ。き、きつみっ」
「やっほー。おひさ、ムラサキ。来ちゃった」
蒼井の様子を楽しむように、ふざけた調子で言う女。
そこからの蒼井の行動は早かった。
手元の本を閉じて乱暴に席を立つと、慌てたように入口に近づく。迷いなく女の手を取り、強引に外に連れ出そうとした。
「ちょっと来い!」
「ああん。もうっ。そんなに強引にしないで。みんなびっくりしているじゃない。ぷんぷんっ」
「気色悪い声を出すな。齢を考えろっ。いいから来い」
無理やり引きずるようにして、蒼井と女は、教室を去った。
後に残された教室のクラスメイト達は、ただ呆気にとられることしかできなかった。
しかし、教室が騒ぎに満たされるのは時間の問題だった。波風立たないほどに沈黙の底に沈んでいた教室は、ふとした拍子に、大嵐でも吹き荒れるように騒然となった。
話の中心は先ほどの女である。『あの女誰』という疑問から始まり、その女の相手が蒼井であると言う衝撃の事実に、皆が口々に想像をまくしたてた。
なにせ、あの蒼井である。
まあ、わたしはあまり、他者に対して感情を向けたりすることは少ないためピンとこないのだが、うちの教室での蒼井の評価ははっきり言って低かった。それもそうだろう。普段ほとんどクラスメイトと話もせずに、黙々と活字に目を落としているような男子である。オタクだなんだと、非常に馬鹿にされていた。そんな根暗メガネの蒼井が、美形の女と逃避行である。ランデブーである。そりゃあ、話題にならない方がおかしい。
そんなわけで昼休みは騒がしく過ぎたものの、五時間目が始まっても六時間目が過ぎても蒼井は帰ってこず、結局その日、蒼井は教室に戻ってこなかった。
ちなみに、蒼井は、翌日には普通に登校してきた。しかし、その日は卒業式ということもあって、学校中がどたばたとしていて、クラスの空気としても、彼を追及するだけの余裕がなかった。結果、釈然としない、もやもやとした空気がクラスに流れていた。聞き出したいけれど、なんとなくためらわれる。蒼井自身も、聞きづらい空気を放っていることもあって、その件はなあなあとなった。
それが、『蒼井、美女と逃避行』事件の顛末である。
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ちなみに、わたし個人がその女と再会したのは、その次の日。三月四日のことだった。
週末ということでそこそこ気分も高揚していた。やるべきことをこなす前に、今日の放課後も蒼井とコミュニケーションをとっておこうかと思ったのだが、蒼井を誘って見ると、そっけない返事が返って来た。
「今日は読みたい本がある」
あ、そうですか。
本を読んでいる間の蒼井が会話に乗ってこないのはすでに分かっていたため、わたしはあっさりと引き下がって帰ることにした。
ちなみに、昨日の放課後は、蒼井と話す機会があった。
卒業式の後ということで時間もたくさんあったため、その時に例の女については尋ねていた。
「昨日の女の人の事なんだけど」
「…………」
「あれ、誰なの?」
他の子ほどミーハーな感じではなかったと思うけれど、聞いている内容が内容である。黙り込むのも仕方ない、と思って尋ねてみたのだが、意外なことに、しぶしぶと蒼井は答えた。
「ちょっとした知り合いだ。うちの学生じゃない」
「やっぱりそうだったんだ。部外者だろうなーとは思ってたけど」
「同類だ」
「同類?」
どういう意味、と聞き返すと、蒼井は軽くため息をついて、白状するようにして言った。
「あいつも、俺の事を『殺人鬼』と呼んだことがある。意味合いは随分違うがな」
「へぇ」
なるほど。それで、『同類』というわけだ。
そう言えば以前、わたしが蒼井の事を殺人鬼呼ばわりした時、彼は二回目と言った。つまり、彼女が一人目ということなのだろう。
「ちなみに、彼女だったりするの?」
「……そう見えるのか」
心底嫌そうに、蒼井は答えた。
「だって、美人じゃん」
「美人だからと言って、恋愛の対象になるかとは話が違う。お前だって、性格が合わなかったら、どんなにいい男でも駄目だろう?」
「性格悪いんだ」
「いや。そう言うわけじゃないんだが」
歯切れが悪そうに、蒼井は言葉を濁す。
普段泰然としている姿ばかり見ているからか、そんな蒼井の様子が少し新鮮だった。
話自体はそこまでで、それ以上話を聞くことはできなかった。女の名前すら聞き出せなかったことに後から気付いたが、それはすぐに判明することになった。
そんなわけで、放課後である。
蒼井と約束が取れなかったから、他の誰かと一緒に帰ろうかとも思ったが、こんな時に限ってみんな用事があったりする。
仕方ないので、わたしは一人で帰ることにした。
帰宅してからのことを考えながら、校門を出て、しばらく歩く。
それは、学校を少し離れたところだった。
「よお」
と。
気安げに、声をかけられた。
うん? と思い、わたしは声の主を探して、辺りをきょろきょろと見渡した。
はて、もしかして今のは、わたしではなく別の誰かに向けた言葉だっただろうか。そう思ってしまうほどに、声は自然とかけられていた。
ほどなく、声の主はすぐに見つかった。
というより、すぐそばにいた。
声の主は、道のガードレールに軽く腰掛けるようにして、片手をあげてニコニコとしている。
あの女だった。
しかし、ぱっと見の印象が何だか違った。顔はその女で間違いないのだが、服装が違った。制服を着ておらず、長い髪の毛は全部帽子の中にまとめられている。そして、ベストにジーンズという女らしくない格好をしているところだけが、外見的な違いだった。
そうした外見的な違い以上に、印象が違って見えた。
まるで、違う人物のような。
わたしが彼女を注視していると、女はどこか楽しげに笑いながら、興味深そうに言った。
「なるほど。確かにこれは、紫の言う通りだ」
「えっと。あの」
「ああ、悪い悪い」
軽快な様子で謝りながら、彼女はガードレールから降りると、いらずらっぽく言った。
「君を待ってたんだ。あたしのこと、覚えてる?」
「まあ」
曖昧にうなずきながら、わたしは彼女を観察する。
女性――のはずだ。胸のふくらみだってあるし、身体の線だって、男性に比べると細く丸い。女性にしては背も高い方だけれど、それだって、百七十くらいだ。
それなのに、何だろう。
初対面の時に比べると、随分と男っぽく見えた。
蓮っ葉な感じ、とでも言えばいいだろうか。ボーイッシュ、とは少し違う。前提として女性的な印象があり、それを薄くしたようなイメージ、という感じか。
端的に言うと、中性的なイメージだった。
学校で会った時は、その中性を女性的な雰囲気に寄せていた感じだったが、今はどちらかと言うと男性的な雰囲気に寄せている、という様子だ。
まじまじと見つめていると、彼女が悪戯っぽく言う。
「どうした? あたし、そんなに面白いか?」
「どういう意味、ですか?」
「だって君、さっきからあたしのこと、観察しているじゃないか」
けらけらと笑うように、彼女は言った。
言葉の割には、別に気を悪くした様子ではない。ただ、可笑しそうに彼女は笑った。
「あたし、高浪っていうんだ。高浪きつみ」
唐突に、彼女は自分の名を名乗った。
名乗られたのなら、こちらも名乗るしかない。
「はあ。どうも。小原です。小原、純奈」
「ふぅん。こばる、すみな、ね」
じぃ、と。
何が楽しいのか、気分よさそうな表情でわたしを眺めた後、高浪はひとこと。
「その割には、濁っているんだな」
と、言った。
「はい?」
「いや、名前の事」
彼女の口調はどこかいたずらな感じで、それがどこかつやっぽく感じた。相手が女性であるにもかかわらず、わたしは少しどぎまぎしてしまう。
そんなわたしに構わず、彼女は近づいてくる。
「ほら、『すみな』って名前だろ。『純粋』だなんて言っているのに、苗字の方は小原(こばる)で濁っているじゃない。『こはら』や『おはら』じゃないんだねって」
「は、はぁ。まあ」
曖昧に相槌を返す。
そんなことを言われても、という感じだが、それが高浪にはツボにはまったらしい。彼女は、少しだけ考える仕草をした後、「よし」と言って、無邪気に笑った。
「じゃあ、濁音取って、ハルちゃんでいいかな」
「は、ハルちゃんって?」
「だから呼び名。こう言うのは捻った方が面白いじゃん」
きひひ、と。何が楽しいのか、高浪は楽しそうに笑った。
正直『ハルちゃん』というネーミングは居心地が悪くて遠慮してほしいのだが、それを言いだせるような雰囲気ではなかった。
先ほどからペースを乱され続けているが、しかしどうしていいか分からない。
高浪を前にしていると、なんだか不思議な気分だった。彼女の口調は、まるで長年の友人のような気安さであるのに、妙な距離間を感じるのだった。それは例えるなら、画面越しに話をしているような、そういう距離間。
会話というのは、独特の空気が流れるものだと思う。電話のように相手の見えないコミュニケーションと違って、面と向かった会話は、いろんな要素が紛れ込む。だからこそ対話の上手下手はあるし、空気の読み合いというものも必要となる。
しかし、高浪はそうしたものを意識していないような気がした。好き勝手にしゃべって、好き勝手に受け答える。普通そんなことをすればまともな会話が成り立つわけがないのだが、それを許すような空気を、高浪は纏っていた。
「学校で会った時から、気にはなっていたんだ、ハルちゃんの事」
そんな風に、高浪は言葉を始めた。
「そんで、紫に話を聞いたら、随分面白そうな奴みたいだから、こうして待ち合わせてたわけ」
「あの。ムラサキって、一体」
先ほどから何度か口にしているが、どうも何の事だか分からない。
高浪は悪びれた様子もなく、あっさりと答えた。
「ああ。あいつのこと。蒼井茜。ほら、『青い赤』で、紫」
その説明に、不覚にも、なるほどと思ってしまった。
確かに、彼は青でも無ければ赤でもない。どこか浮世離れした、紫というイメージではある。
「ま、そんなわけで、ちょっと歩きながら話さない? ハルちゃんの帰り道でいいからさ」
その提案に、わたしはあまり迷いもせずにうなずいた。
まあ、一人で帰るよりは、会話をしていた方が楽しいだろう。
歩道の安全圏を歩くわたしに対して、高浪はまるで子供のように、車道との境界に設置してあるブロックに足を乗せる。いい年齢をした女が恥ずかしい、と思われるかもしれないけれど、そうした仕草が彼女は妙に似合うのだった。
「ハルちゃんはさー」
わざとバランスを崩しては元に戻す、ということをしながら、彼女はぼやくように言う。
「紫の事、殺人鬼って言ったらしいね」
「ええ。まあ」
いきなりその話題から来るか。
しかし、こうして聞いて見るととんでもない言葉である。いきなり人の事を殺人鬼というなんて、場面が場面ならこっぱずかしくて枕に頭をうずめるくらいの発言だ。まあわたしの場合はちゃんと理由があるし、それが間違いではないのだけれど。
「まあ、あたしが言えた事じゃないんだけどさ。一応聞いておこうかな、って思って」
「はぁ。何を、ですか?」
「どうして紫の事を、殺人鬼と思ったのか」
ちょっとだけ先行し、後ろ向きにブロックの上を歩きながら、高浪はわたしを見る。
「あの目立たない子を、どうして殺人鬼だなんて思ったのか」
「それは……」
正直に答えていいものかどうか迷う。
まさか、殺人現場でばったり出会ってしまった、なんて正直に言えるわけがない。いや、彼女ならわたしの知らない蒼井の事も知っているかもしれないし、蒼井自身がすでに話しているかもしれないけれど、それでも余計なことは言わない方がいいだろう。
「なんとなく、です」
だから、なんだかすごく怪しい返答をしてしまった。
そんなわたしの返答に対して、高浪は「ふぅん」と目を細めて、口の橋をゆがめる。
なんだか楽しそうだった。
「随分と、自分の観察力に自信があるようだけど、君」
「そんな。そういうつもりじゃ」
「いやいや。無自覚ならまだしも、これだけはっきりとあたしの事見といて、否定するのは謙遜って奴さ」
どこか芝居がかった風に言う彼女は、わたしの返答を待たずに、手前勝手に語りだした。
「殺人鬼ってのは、何だと思う? ハルちゃん」
「それは……」
蒼井からもされた質問だ。
あの時、蒼井は――
「キャラクター」
不意に。
わたしの思考に声を被せるように、高浪の声が響いた。
「紫なら、そう答えたんじゃないかな? 人を殺す鬼。他者から人外としてのレッテルを貼られた、キャラクター、って」
「はい。確かにそう」
「けどま、それは一面的にしか見てない、ってあたしは思うけどな」
わたしのうなずきに構わず、彼女は持論を展開させていく。
「殺人鬼っていうワード単体で見れば、紫の言うことは的を射ていると思うよ。限りなく正解だ。大学の単位だったら、『良』くらいはもらえるだろうね。ギリギリ『優』に引っかかるかな? でも、満点、パーフェクトじゃない。なぜなら、彼の答えじゃ、カバーできない性質を、殺人鬼というワードは孕んでいるから」
「それって、一体」
「そだね。それを説明する前に、ハルちゃんは殺人鬼って言われて、誰を思い浮かべる?」
唐突にそう聞かれて、わたしは虚を突かれた。
さっきから不意を突かれっぱなしだ。
えっと、殺人鬼……。
これまで読んできた小説のキャラクターなんかが何人か思い浮かぶが、そうしたモノよりも、もっと知名度の高いものの方がいいだろうけど。
さんざ悩んだ挙句、無難なところを挙げることにした。
「やっぱり、ジャック・ザ・リッパーとか、ですかね」
「へえ。また随分と有名な所を持ってきたもんだ」
拍子抜けしたようなその言い方に、ちょっとカチンとくる。
む、わたしは別に、他の殺人鬼を知らないわけじゃないんだぞ。
ムキになっているのを自覚しながらも、開く口を止めることはできなかった。
「具体的な人名を上げろっていうんでしたら、シリアルキラーの元になったテッド・バンディ。性的倒錯の中ではアンドレイ・チカチーロ。大量殺人で言うんなら、ウ・ポムゴン辺りが有名ですよね。日本で言うと、津山三十人殺しの都井睦夫。あとは――」
「あー。あー。おーけーおーけー」
呆れたように苦笑いしながら、高浪は言う。
「悪かったよ。煽るようなこと言って」
「あ、いえ。別に、怒ったわけじゃ」
急に謝られたせいで、冷静になる。しまった。頭に血が上ってしまっていた。
わたしは気分を落ちつけながら、付け加えるように言う。
「それに、挙げたのだって十分有名どころですし」
「有名どころって言っても、そらでそれだけ名前が出せるんなら、相当だよ。なんだい、君、オタクかなにか?」
「別に、これくらいは、興味があったら覚えるでしょう」
まあ、興味があることの方が問題なのかもしれないが。
うら若き乙女である女子高生が、好き好んで殺人鬼事件の知識収集をしているなんて、褒められたことではないだろう。
「じゃあさ」
そこで、高浪は仕切りなおすように言う。
「君の一番想像する『殺人鬼』像っていうのは、切り裂きジャックでいいのかい?」
「あ、いえ。それじゃあ」
ある程度話が通じるのなら、出しておきたい名前があった。
「キングズベリー・ランの屠殺者で」
「ん? ふぅん?」
何を驚いているのか、高浪は目を丸くした。
キングズベリー・ランの屠殺者。
それは、アメリカのオハイオ州クリーブランドで、1935年から1938年の間に行われた連続殺人の犯人の通称である。
この殺人者は、実に十二人の人間を殺しており、身元が判明しているのはそのうちの三人だけである。当時は世界恐慌の影響もあり、クリーブランドではスラムが発生していて、被害者はそこの住人だった。そのため、身元の確認からして困難だったと言う。
被害者は一様に斬首されており、中には生きたまま切断された者もいるそうだ。また、四肢や胴体を切り取られている者もあった。
犯人は未だ不明である。捜査には、映画のアンタッチャブルで有名なエリオット・ネスが当たっていたそうだが、それでも犯人は検挙できなかったらしい。
そうした事件の概要は知っているのか、高浪は詳細を聞くことなく、こんなことを尋ねた。
「ちなみに、その選択の理由を聞いていいかい?」
「そんな大した違いじゃないんですが、無差別っていう意味で、こっちの方が的を射ているかな、と思って」
「つまり、殺人鬼は無差別であるべき、って思うわけか」
うなずく。
シリアルキラーやサイコキラーの中で多いのは性的倒錯者であることが多いが、そうした欲望が出ているモノよりも、理由の分からないという点が、『殺人鬼』のキャラクター性が出ていると思うのだ。
何のことはない。わたしも、蒼井と同じように殺人鬼をキャラクターとして見るタイプなのだろう。
「だから、最初に切り裂きジャックを挙げたのか。確かに、一般に通じるって意味ではそっちがいい。けれど、切り裂くジャックは娼婦を狙っているから、厳密には完全な無差別じゃないしね。しかし、よりによってキングズベリー・ランね」
参ったな、という感じで、高浪は苦笑をしていた。
一体何が彼女の中で引っかかっているのか。それは結局分からず、高浪は話を戻した。
「それじゃあまあ、ハルちゃんが言ったキングズベリー・ランの屠殺者を例に挙げるけど、それはそのまんま、キャラクターとしての殺人鬼になる。そこは分かる?」
「はい。わたしも、分かって挙げました」
殺人鬼としての、キャラクター。
ジャック・ザ・リッパーにも通じるが、この事件で一番重要なのは、犯人がまるで分からないという点である。
切り裂きジャックはともかく、こちらに関しては容疑者が二人ほどあがっているので完璧とは言えないが、それでも事件が迷宮入りしている。
殺人犯が実体を持たない。
それが、殺人鬼という印象をより強める。
「動機が分からないっていう所も余計に強いなぁ。分かりやすい動機が無いっていうのは、それ自体が恐怖になる」
「殺人鬼事件の多くが、性的倒錯による殺人であることは分かっています。ただ、それはなんて言うか……」
「美しくない」
言い淀んだわたしの言葉を、高浪が捕捉した。
「そう、言いたいんだろう?」
「…………」
図星だったが、安易にうなずくのはためらわれた。
わたしのためらいが分かるのか、高浪は満足そうにうなずきながら、「いいよ」と言った。
「ためらうのは分かる。その一線は大切にするべきだし、安易に越えるべきじゃないからね。ただまあ、これで君の嗜好はなんとなくわかったって感じかな」
ぴょん、と。
高浪は、石段からおりると、わたしの目の前に立つ。
そして、わたしの横に並ぶようにしながら、話を続けた。
「それじゃあ続き。キャラクター性、というのは、確かに殺人鬼の強い要素だけれど、それは結局のところ、創作であると言える」
「創作……フィクション、ですか」
「そう。まあ分かりやすく切り裂きジャックで言うけどさ。アレなんてもう、創作上で扱われ過ぎて、実際の事件がどんな状況だったかなんて、知っている人は少ないし」
「まあ、そりゃあ。当時を生きていた人がいるわけじゃないですし」
「違う違う。そんな話をしてたら、第二次世界大戦だってフィクションだ。ま、性質は似ているけど、戦争はまだ現実感を保っている方だろう? あたしが言いたいのは、現実感の事」
現実感。
リアリティ。
「リアリティがなくなっている」
ばっさりと、高浪は言った。
「それが、キャラクターとしての殺人鬼の本質。事件は現実の出来事だけど、その現実をしっかりととらえる人間が少ないが故の、虚構性。事件そのものが、創作になっちゃっているわけ。それは言ってしまえばさ、現実であって現実ではないのさ」
そこで高浪は、含みを持たせたように言う。
「ちなみに、紫はそのタイプの殺人鬼」
「…………」
詳しく。
もっとその理由を詳しく聞こうとしたところで、高浪はあっさりと話題を次に進めた。
「キャラクターとしての殺人鬼の多くは、『動機』が重視されない。理由のない殺人、ってのが多いよね。動機がつけられた場合でも、犯人が『異常だから』ということで片づけられる」
「それは、分かりますけど」
「実際の事件でも、やっぱり殺人鬼は異常者扱いされて、普通の人間とは『違うモノ』とされる。それも、殺人鬼をキャラクターという枠に入れ込もうとしているのと変わらない」
高浪は指を立て、一つ一つ数えるようにしながら続ける。
「性倒錯、思想や信仰、または精神異常。そうした動機は、犯人が異常なだけで、普通の人間とは一線を画したものとされる。ま、実際殺人なんて犯す奴は、例えどんなに良い人であろうと、どっか狂ってるもんだけどね。けれど、その『狂い』は、誰もが平等に持っているものであると言うことを、キャラクターとしての殺人鬼は無視させてくれる」
「それは、どういう意味ですか?」
「どういう意味って、言ったまんまの意味さ。殺人鬼というキャラクターを夢想するのは、結局のところ、人間の誰もが持っている『狂い』から目をそむけるための防衛本能だってことさ。奴らは、自分たちとは違う。自分たちは、正常なんだって思い込むためのね」
そう言って、高浪はわたしの目を見る。
「みんな気づかないふりをしているのさ。けれど、たとえどんなに虚飾にまみれたところで、一皮むけば、その事実は否応なくあたしたちの前にさらけ出される」
横から、まるで諭すような目がわたしを刺す。
「殺人鬼だって、人間なんだぜ?」
そう、まるで軽薄な男のように言った。
殺人鬼は、人間。
そうだ。人を殺すのは、人間だ。
意志を持って、自覚を持って、理由を持って、人を殺すのは、そういう確固たる人間だ。動物じゃあ、そうはいかない。動物は、ただ本能に支配されるだけだ。あれは、厳密には殺人とは言えない。ただの原理だ。
殺人鬼は、殺人者でしかない。
「異常性癖なんてもんは、ただ性衝動に負けただけのこと。もちろん、その欲望に負けるのが問題だけど、そうした精神異常は、機会があれば誰にだって起きる。戦争を見てみろ。地獄の中じゃ、強姦や死姦なんて珍しいことじゃない。追い詰められれば食人だってやるだろう」
「そ、それは、さすがに言いすぎじゃないですか?」
「言い過ぎなもんか。人間は誰でも、禁忌をやらかす可能性があるって言う立派な証左さ。それをやるかやらないかは、理性の強さなのだけれど、堪えようとしている時点で、やらないことを否定することはできない。堪えるってことは、欲求があるってことだからね」
皮肉気に、高浪は笑う。
「最も、まともな精神では、そうした地獄は耐えられないものだけど。多くは欲望に走ったとたん、気が狂って死ぬだろうね」
「……そうしたところが、正常な人間、ってことですか」
「いいや。それは単に気が弱い人間だ。正常や異常なんてもんは、明確な規定が定められない限り、語ることなんて出来やしない」
興が乗ったようにまくしたてていた高浪は、ふと、その熱を冷ますかのように口調を緩めた。
どことなく、攻撃的な雰囲気が消え、柔らかい印象を受ける。
「殺人鬼には、大きく分けて三つある」
三本、指を立てる。
薬指を折りながら、高浪は続けた。
「一つは、キャラクターとしての殺人鬼だ。これはもういいだろう。動機も何も無視され、ただ異常性だけが強調された殺人鬼だ。他者から殺人鬼というレッテルを貼られた、ただの要素と見ていい。そして、二つ目」
中指を折る。
「現実的な欲望のために人を殺す殺人鬼。己の目的のために殺人を犯し、それを止められなくなった者の事だ。これは、性欲、食欲の二つに起因することが多い。さすがに、睡眠欲で人を殺す殺人鬼は知らないが――欲求の倒錯という、酷く人間臭い殺人鬼。現実の殺人犯が、この二つ目とされることが多い」
最後の一本になった指を振りながら、高浪は言った。
「最後は、生存のために殺人を行うタイプ」
「生存……?」
思わず、問い返していた。
「そう、生存」
高浪が大仰にうなずく。
「ソイツは、殺さないと生きていけないんだ。殺さないと死んでしまうとも言える。あたかも殺すことで生命を吸い取るように、ソイツは殺人を犯す」
「それは、欲求とは違うんですか?」
「違うよ。だって、このタイプの殺人鬼の殺人には、性欲や食欲がからまない。いや、ちょっと語弊があるかな」
そう前置きして、彼女は言いなおした。
「殺人に快楽などの感情が伴わない。それが、三つ目の殺人鬼だ」
「快楽……と言うと、例えば?」
「だから、性欲に食欲さ。最も、三つ目のタイプの殺人鬼は、食人者も含むんだけれどね。もし、人肉を食うことで快楽を得るわけじゃなく、人肉しか口に出来ないような人間がいたら――ソイツは、三つ目のタイプの殺人鬼になる」
「生存のため――ですか」
けれどそれは、食欲と何が違うのだろう。
わたしの疑問をくみ取ったのか、高浪は聞かれる前に話しだす。
「欲、というのは、確かに生存のために設けられた機能だけど、問題はそれ単体が力を持っていることだよ。別に寝なくてもいいのに眠ったり、食べなくてもいいのに食べたり、子孫繁栄を望まなくても性衝動だけはあったり。つまり、そうした本来必要のない次元での欲求こそが、二つ目の殺人鬼の要素に成る」
「じゃあ、三つ目は、そうした欲求が無い、ってことですか」
「ああ。だから三つ目の殺人鬼は、ただ殺す」
高浪は、静かに言う。
「人を殺すことで自分が生存できると信じて、殺す。むしろ、人を殺さないと死んでしまうと思い込んで、殺す。――これは、理由なき殺人の最も分かりやすい理由付けだ。他にも、ドラキュラの元になった奴らだとか、戦争の英雄なんかも当てはまる。彼らは生きるために殺しているんだ。その過程で快楽を得たとしても、快楽そのものを目的にしていない。だから、言ってしまえばこいつらは、天災そのものと言えるだろうね」
まるで芝居の語りのように、高浪は優雅に話す。話している内容は生臭いどころか血みどろな話にもかかわらず、その様子はどこか気品すら感じられた。
いつの間にか。
わたしたちは、駅を過ぎ、自宅付近にまでたどりついていた。道中を忘れるほどに、わたしは熱心に彼女の話を聞いていたようだ。
高浪きつみ。
彼女の語る殺人鬼の在り方は、蒼井のそれ以上に、よく考えこまれているように思う。
「さて、ここでだ」
ちらり、と高浪はわたしの視線の先を負いつつ、話をまとめるように言う。
「ハルちゃん。君は、紫の事を殺人鬼と呼んだ。ああ、その観察眼には敬服するよ。まさかただの一般人が、彼が必死で隠遁しようとしていた要素を見出すなんて、誰が考えるだろうか。そんな君だからこそ、この質問をしたい」
目が合う。
深い瞳。
深い深い、漆黒の瞳の中に、わたしの姿が映る。
「この街で起きている通り魔殺人」
高浪は、ついにそれを言う。
「果たしてこいつは、どんな殺人鬼なんだろうね?」
「…………」
これは、試しているのだろうか。
よく分からないままに、わたしは緊張した。高浪の意図が分からない。もしかしてこいつは、わたしが犯人を知っていることを、知っているのか?
「もしかして、通り魔殺人でも、調べているんですか?」
下手なことを言ってしまわないように注意しながら、わたしは彼女にそう問いかけた。
それに対して、高浪は「うん?」と白々しく疑問を表情に浮かべながら、にやりと笑みを浮かべた。それは、小悪魔を思わせる笑み。
「まあ、そんなところかな。さすがに七件も連続で人が死ねば、無視できる人数じゃないし。ちょっとしたボランティアってわけさ。すでに大事だけれど、これ以上大事になるのはさすがに困るからね」
その言い方は、まるで事件そのものを見過ごせないと言っているようである。
そこには、事件に対して何らかのアクションを起こさなければならない――暗に、アクションを起こせるだけの能力があると、言っているようなものだった。
そうした彼女の自信のようなものを見てとって、わたしはこう尋ねた。
「探偵か何かなんですか、あなた」
「探偵?」
きょとん、と。
彼女は虚を突かれたように、呆けた顔をした。
「どうして、そう思うんだい?」
「いえ。ただ、事件を調べているんなら、小説の名探偵みたいだな、って思って……」
考えそのものは、酷く短絡的なもので、別に根拠があるわけではない。
いつもの妄想癖の延長だ。
そうだったら面白いだろうな、程度の、他愛もない戯言。
しかし、それが高浪にスイッチを入れた。
彼女が呆然とした時間は、一瞬。
「探偵――か。あははっ」
急に、高浪は笑いだした。
不条理を笑うように、けらけらと。
始めは、ごく小さな笑いだった。それが、いつの間にか止まらないほどに大きくなる。
「あは、あはは。あっははははっ。探偵、探偵、探偵っ! ディテクティブ! ミステリの花形、名探偵! よりによって、探偵と来たか! このあたしが、探偵ッ! こりゃあ傑作だ。どう考えても戯言でしかないのに、なかなかどうして傑作じゃないか」
哄笑。
高らかな笑いは、しばらく続いた。
「いいね、面白い。うん、決めた。もう決めた。あたしは探偵だ」
ニィ、と。
彼女は口の端が避けるのではないかというくらい、唇を釣り上げ、表情をゆがめて笑った。
そこには、子供のように生き生きとした目をした女の姿があった。
まるで胸躍る冒険活劇を前にした少年のように、高浪は言う。
「くふふ。いいだろう! 探偵というからには、事件を捜査しないといけないね。さてさて、どうしようかな。とりあえず各現場でも回ってみようか。現場検証しようか。推理しようか。ねえ、どうすればいいと思う? ハルちゃん」
口調が少し、女性に近い雰囲気になっていた。
いや、問題なのはそこじゃない。
「えっと、はい?」
「いやだから、ハルちゃんはどこから調べたらいいと思う?」
「どうしてわたしに聞くんですか」
「そんなの決まっているじゃない」
にっこりと、無邪気な笑顔を浮かべて、彼女は言う。
「あたしと一緒に、捜査をするからに決まっているじゃないか。可愛いワトスンくん?」
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