第7話 二章 語り部ごっこ その3 心理戦
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異変は帰宅直後にあった。
玄関を開けると、見知らぬ靴が二つほど置いてあった。
来客だろうか、と思いながら家に入ると、なんと冷戦中であるはずの母が声をかけて来た。
「純奈。お客さん」
そっけない口調ではあったが、語尾が震えているのが分かる。緊張しているのか、心なしか、顔色も悪い。
母から話しかけられたのは数カ月ぶりだった。わたしからも、しばらく話した記憶はない。けれど、受け答えは自然とできた。
「お客さん? 誰?」
「警察の人だって。聞きたいことがあるそうよ」
その言葉に、とうとう来たか、という思いがあった。
母を見ると、青くなっておろおろとしている。娘が何をやらかしたのか心配なのだろう。
「カバン置いたら、居間に行くから」
そう一言告げて、わたしはまず自室に入った。
一呼吸。
うん、大丈夫だ。
須藤の死からすでに三日。こうして考えると、むしろ遅すぎるくらいだ。
どうやら報道規制が敷かれているらしく、被害者である須藤の名前は公表されていなかった。それでも風の噂程度で話が流れてくるものと思っていたが、どうやら須藤はあまりよろしい生活をしていなかったらしく、わたしたちの周辺にはまったく話は伝わっていなかった。うちの学校で、彼が被害者であることを知っている人間は、今のところいない。
しかし、かつてわたしが彼と付き合っていたことは、調べればすぐわかることだろう。いつかは、こうして事情聴取に来るのは分かっていた。
もう一度息を吸い、吐く。
大丈夫。わたしは落ちついている。
居間に降りると、スーツを来た男が二人座っていた。
「こんばんは」
「ああ、こんばんは。ごめんね、学校帰りの疲れているところに」
そう、にこやかな対応をしてきたのは右の中年の男性だった。彼は菊原と名乗った。くたびれた上着と少し緩んだネクタイは、まるで創作上の刑事のようで、見ていて少しドキドキした。
対して、左側にいたのは若い刑事だった。彼は、嶋野と名を名乗ったっきり、必要以上に喋ろうとはしなかった。それが役割なのか、彼は手帳を手に持って、聴取の構えを取っている。
「少し、純奈さんにお聞きしたいことがあってね」
柔和な様子でしゃべる菊原刑事は、しかし目がまったく笑っていなかった。
「須藤桜花、という人物を、知っているよね?」
質問形式を取ってはいたが、その言葉はほとんど断定だった。
白状すると、この時わたしは少なからず緊張していた。まあ、本物の刑事を前にして緊張しない一般人がいるわけがないが、わたしは大丈夫という考えが、わずかながらでもあったのだ。そんな自信過剰な過去の自分をぶん殴りたくなりつつ、わたしは上ずった声で答える。
「はい。その……友達、です」
「友達、ね」
じっと、わたしの反応を観察するように、菊原は見つめている。
余計なことをしゃべればぼろが出る。間をつなぐための言葉を吐きたいと思う気持ちを必死に抑え、わたしは沈黙を保った。ひたすら、刑事の言葉を待った。
「その須藤くんなんだけれどね」
ようやく口を開いた菊原は、あっさりと、その事実を告げた。
「彼が亡くなったことは、知っているかい?」
「…………」
多分、できる限り反応は抑えられたと思う。
言葉がつまったのは驚きの所為。そう見てもらえたらいいなという淡い希望を抱きつつ、わたしは言う。
「いえ。今、知りました」
「そうか。いやぁ、ごめんね。突然こんな話をしちゃって」
いえ、と。尻すぼみになるように意識しながら、わたしは菊原の言葉に首を振った。
様子を観察されているのを感じていた。主に話をしている菊原もそうだけれど、隣で手帳を片手に持っている嶋野も、さりげなく、じっとわたしを見ていた。
大丈夫。これは当たり前だ。
別に、やましいところを突かれているわけじゃない。
「実は、彼、事件に巻き込まれていたみたいでね」
緊張をほぐすためか、大仰な調子でしゃべる菊原。
「彼に近しかった人に、話を聞いて回っているんだ」
「はぁ」
「一通り、彼の友人には話を聞いたんだけれど、その時に、純奈さんの名前が出てね。それで、お邪魔させてもらったんだよ」
「…………」
ちなみに、須藤の携帯は、事件現場のどさくさにまぎれてわたしが回収している。そうでなかったら、もっと早くに警察が来ていたことだろう。
この様子だと、あの夜に須藤がわたしと待ち合わせをしていた事実は、まだ知られていないようだった。
それでも、緊張はやっぱり続いていた。何せ、わたしは通り魔殺人の犯人を知っている。どこかでぼろが出ないか、細心の注意を払う必要があった。
「彼の友人からは、純奈さんと須藤くんは、以前交際をしていた、という話も聞いたのだけれど、それは本当かい?」
「はい。間違いないです」
「それで、今は別れているのも?」
「はい」
うなずく。
余計なことは言わない。
「それじゃあ、彼と最後に連絡を取ったのは、いつかな?」
「えっと……」
そこで、少しだけ答えに迷った。
思い出すふりをしながら、軽く考える。
事実をありのまま話すか、はたまた、嘘をつくか。
長くは迷えない。とっさに、嘘をついていた。
「三ヶ月。それくらい前くらいだったと思います」
「というと、別れた後もちょくちょく連絡は取っていたのかい?」
「いえ。それは」
まずい。彼らは、わたしと須藤が別れた時期のことまで、捜査を終了している。
てっきり何も知らないからわたしに質問をしているものだと思ったが、見誤ったらしい。安易に三日前の事を伏せたのはまずかったか、と思ったが、もう遅い。
ここまできたら貫き通すしかなかった。
「たまに、彼から一方的に連絡が来ていたんです。その……彼は、あまり、わたしと別れたくなかったみたいで」
「ふぅん。それは、ストーカー行為を受けていた、ということかな?」
「いえ。そこまでではありません」
とっさにそう否定したものの、事実としては少し違う。もう少し彼の行動が過剰だったら、そう言われても仕方ない状況になっていただろう。
彼と絶縁してから三ヶ月の期間。彼から送られてくるメールや電話の着信が煩わしく、それが原因で携帯をあまり触らなくなったという事情もある。
そうしたことを思い出しながら、本音の混じった、うんざりした声でわたしは言った。
「もう、わたしは彼とは何の関係ありません。これは確かです」
「そうかい。いやあ、そこまではっきり言うんだったら、そうなんだろうねぇ」
と、どこか食えない様子で言う菊原だった。
「ちなみに、これはちょっとした興味なんだけれど」
そう前置きして、菊原は真面目腐った調子で聞いてきた。
「別れた原因って一体何だったのかな?」
「言わなきゃいけませんか」
「いやいや。強制はしていないよ。あくまで私個人の興味でね」
へらへらと笑いながらいう姿は、タヌキを思わせた。
「なんでも、君たちは、交際中は随分仲が良かったらしいじゃないか。それがどうして、と須藤くんの友人たちが首をかしげていたくらいだよ。何か、トラブルでもあったのかな?」
間違いない。疑われているかどうかまでは分からないが、この質問は、彼の個人的な興味なんかじゃなく、捜査の一環だ。
菊原のニヤニヤ笑いが癇に障った。さすがにそれを表に出すわけにはいかないが、苛立ちは無視できなかった。こうしてペースを乱すのは、向こうの常套手段なのだろう。
面倒だ、と思った。
こう言う場合は、下手に尻込みしたりすると余計に面倒になる。物事がこじれるのは、大抵の場合前後をはっきりとさせないから起きるものだ。
だからわたしは、はっきりさせることにする。
一息、間を取る。
そして、虚を突くために、いっそ堂々と言ってやった。
「彼に肉体関係を迫られたので、拒否しました」
「へぇ。ふぅん」
一瞬。
たった一瞬だけれど、菊原の表情が真顔になった気がした。
すぐに元の含み笑いの表情に戻ったものの、少なくとも瞬間的には、彼の虚を突くことができたらしい。それに、わたしは気分を良くした。プロ相手に、動揺させることができた。そのわずかな満足感。
それが、決定的な隙になるとも考えないで、わたしは良い気分に浸ったのだ。
と。その時だった。
「…………」
じっと、見られている。
すっかり忘れていたのだが、隣にいた嶋野刑事は、さっきからずっとわたしを見つめているのだった。それも、存在感を消して、会話の全てを菊原に任せて――ただじっと、静かに、まるで獲物の隙を探るように、狡猾に、機を測るように、
見ていた。
隙は見せてしまっていた。
何かを思う暇も、考える暇もなかった。
嶋野の、一言。
「私からもいいでしょうか?」
「へ。え、と」
「須藤桜花のご友人からの話です」
わたしの了承を待つ間もなく、嶋野は畳みかけるように続ける。
「須藤桜花が、近々あなたに連絡を取ろうとしていたという話を聞きました」
「……ッ」
「その予兆のようなものは、ありませんでしたか?」
鋭い眼光を光らせながら、嶋野刑事ははっきりと言葉を告げた。
やられた、と素直に思った。
うまく表情は隠せただろうか。
多分、ここが一番の勝負どころだったはずだ。刑事たちは、この一手によって、わたしの反応を見るつもりだったに違いない。
わたしは油断していた。須藤と別れた理由なんて聞いてくるくらいだから、てっきり、彼らには他に打つ手がないのだろうと勘違いしていた。何のことはない。全部伏線だったのだ。わずかな隙を付け込まれたことで見せたわたしの反応は、日常会話だったら気づきもしない程度の微かなもののはずだ。しかし、ここは取り調べの場と同義である。プロを前に、うまく隠し事が通用するほど、甘くはないと言うことだ。
失敗した。
少なくとも、わたしが須藤と連絡を取っていた可能性は、気取られただろう。情報としては些細なことだけれど、一つの指針を得た彼らの捜査は、これまでとは違って確かな真実に向かうことだろう。そのきっかけを、わたしは与えてしまった。
ならば――と。
判断は数瞬の間に下した。
わたしは開き直って、動揺を動揺として処理した。
「そ、それって。どういう、意味、……ですか」
驚いた調子から、続けて、不安におびえるような声。
演技ではない。これは紛れもない本音だ。
目の前の問題を無事に越えることが出来るかという不安に対しての、怯え。
「どういう意味、と言うと?」
嶋野の冷淡な口調に、わたしは金切り声で返した。
「し、知りませんっ」
そして続けざまに、勢い込んでまくしたてた。
「す、須藤とは、もう関係ないって言ったじゃないですか! 彼とはもう三ヶ月も話してませんっ。今さら、あいつがわたしに何の用があると言うんですっ」
いっそヒステリックな程に、わたしは取り乱した。
その反応があまりに予想外だったのか、嶋野は狼狽したように鉄面皮の表情を崩す。いい気味だ。何やら、なだめるような言葉を吐いているが、わたしには知ったこっちゃない。
「知らない。知らない知らない知らないッ」
ヒスを起こした女のように、はたまた駄々をこねる子供のように、わたしは叫ぶ。
髪をかき乱し、頭を振り、嫌々をする。
「だ、だいたい。いきなり家に押し掛けてきて、何なんですかッ。須藤の事は思い出すのも嫌なんです! 平気なふりをするのも限度があるッ。もうやめてください。わたしは何も知らない。どこで死のうと、わたしの知ったこっちゃないですッ!」
落ちつかせるために添えられた手を振り払い、わたしは勢いのまま立ち上がると、衝動に任せたといった体で叫んだ。
「帰ってくださいッ」
予想以上に、大きな声が出た。
癇癪じみた甲高い声を、叩きつけるように響かせる。
「知らないもんは知らないですッ。これ以上、あいつの話をしないでくださいッ」
言うだけ言って、わたしは居間を飛び出した。
自室へと走る。
慌てているのを落ちつけながら、扉を閉め、背を扉に預ける。
そして、「ふぅ」と一つため息をついた。
まだかすかに、興奮の残滓が残っていた。
熱っぽい身体に、くらくらと痺れたような感覚。普段なら滅多にできないような、痺れるような非日常の感覚。
けれど、楽しむ前に、冷静に考えなければいけないことがあった。
はたして、今のわたしの選択は正しかっただろうか。
おそらく詰みのつもりでいたであろう嶋野に対しては、効果的だっただろうと思う。理知的な面をしていた彼が、狼狽しておろおろとする姿は、思い出せば思い出すほど笑えてくる。
それに、あそこまで取り乱すのであれば、須藤に対して並々ならぬ嫌悪を抱いているもの、と判断されると思う。それならば、例え須藤から連絡が来ていても、無視すると考えてもらえるはずだ。
唯一不安点があるとすれば、今のわたしの反応を、『嫌悪』ではなく『憎悪』と捕えられた場合だ。その場合は、下手をすると殺人の容疑者に入れられかねない。
全てはわたしの演技の出来が鍵というわけだ。分が悪いかどうかすら判断し辛い賭け。そう考えると、あまりの綱渡りっぷりに、不安と興奮がないまぜになって襲ってきた。
この感覚、たまらない。
何をのんきなことを、と言われるかもしれないけれど、警察相手に賭けをするなんて、めったにできることはない。というか、多くの人間は、一生体験することなんてないだろう。それを考えると、須藤にも少しくらい感謝してやってもいいかなと思う。うん、ほんのちょっと、だけれど。
じっと耳をすませていると、刑事たちが帰るのが分かった。この部屋からは外の様子を眺めることは出来ないけれど、大人しく帰ったと言うことは、一先ずこの場は切り抜けたと言うことだろう。次に彼らと対面した時の対応を考えなければいけない。そう思いながら、わたしは机の前に座る。
警察が来たことで、わたしに必要な項目は、とりあえず全てそろっていた。
あとは、それをどのように配置するかだけ。
何者かになるための、わたしだけの物語。
パソコンをつけてワープロソフトを立ち上げる。そこには、一昨日から手をつけていた文書が表示されている。それを見ながら、今度は使っていないノートを取り出し、日付を考えて、ノートに記す。
日付は――一ヶ月前からでいいだろうか。
通り魔殺人の始まった日の前後から。大丈夫。今日までの分は、一応回想形式にしても構わない。それより、問題はこれからだ。
そう思いながら、わたしは初めの一文を記した。
5
その日の夜。日付が変わって数時間後。
通り魔殺人第七の事件が起きた。
三月二日。
被害者は男性、十五歳。場所は深夜営業コンビニ裏手の林の中。死因は、腹部を刺されたことによる失血死。後頭部を鈍器で殴られた痕跡が残っている。他に外傷として、喉元に切断をしようとした傷が残っており、また左手の指が三本落とされていた。
現場には、これまでと同様、被害者の血で書かれたメッセージが残っていた。
Take the blame
罪を負う
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