第4話 一章 ごっこ遊び その3 通り魔連続殺人事件

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 通り魔連続殺人事件。

 一件目の発生は、二月十日のことだった。

 被害者は、市内大学の大学教員、五十八歳・男性。現場は、同大学内横の関係者用通路。死因は出血性ショック。右手首が切断されて、その場に放置されていた。

 二件目はそれから二日後、二月十二日。

 被害者は市内の会社員、三十七歳・男性。現場は、同市内駅近くの裏路地。死因は失血死。左手首の切断。他にも、右脚と腹部に複数の刺し傷あり。

 三件目は三日後、二月十五日。

 被害者は市内パチンコ店勤務のフリーター、二十三歳・男性。現場は勤務先近くの公園で、木陰に隠れるようにして倒れていた。死因は出血性ショック。左足首の腱の切断。また、左手の親指が切断されていた。

 四件目はそれから四日後、二月十九日。

 被害者は市内の学生十七歳・女性。場所は駅外れの公衆トイレ内。傷害による出血はあったものの、直接的な死因は暴行による心不全。右手と、臓器の一部を切り取られていた。

 五件目は三日前、二月二十二日。

 被害者は市内在住の女性、六十七歳。場所は自宅の庭。死因は出血による心不全。一人暮らしのため、侵入は容易だったと思われる。首をノコギリのようなもので切断されていた。

 それぞれの現場には、被害者の血で同一のメッセージが残されていると言う。

 これが、現在ネット上で集めることのできる、通り魔連続殺人事件の概要だった。

「ふぅ」

 事件の概要をまとめ上げて、わたしは一息つく。

 こうして事件の経過だけを見ても、被害者たちに共通点がまったくないのが分かる。三件目までの間では、被害者は男性であることが共通項だったが、四件目からはその法則も破られた。

 この時点で予想される犯人は、第四の事件を見る限り、男性だろう。――と言ったところで、事件のデータを俯瞰してのわたしの思考は停止する。

 警察ならばもう少し深いところまで捜査を進めているのだろうが、一介の女子高生が調べられるのはこの辺りが限度だ。っていうか、ほとんどはネット上にある情報なんだけど。

 ついでに、ネット上に事件現場の画像がアップロードされている。

 警察が画像を公開するわけもないし、もしかしたら犯人が自分で公開したのかもしれない。そう思うと、ディスプレイ上に広がっているグロテスクな写真が、とたんに怖気が走るほどのリアリティをにじみ出してくる。五件中三件。二件目、四件目、五件目の三枚の写真を、わたしは興奮を抑えきれずに見ていた。

 確かな質感を持って、それらの事件の現場を、脳裏に作り出せる。

 身体の芯を水が流れるような感覚。

 心臓を直接掴まれるような感触。

 それは、死の境界に立っているが故に、確かな生を感じることが出来る。

「でも、駄目だ」

 誰に言うともなく、そう呟いてわたしは首を振る。

 駄目だ。

 これじゃあ駄目だ。

 これでは、わたしは何者にもなれない。

 例えば笠倉が言ったように、女子高生探偵でも気取って事件の経過を追い、犯人と対決する――などと言った流れも、確かに面白いかもしれない。けれど、それは現実的に考えて難しい。事件の調査までならできたとしても、解決というところが無理だ。

 何者かとして関わる方法は、実はもう一つある。

 そちらこそを今試しているところではあるのだけれど、どうにもしっくりこないのだ。

 パソコンのディスプレイ上に表示している、事件の画像を見る。

 猟奇殺人。

 異常者の犯罪。

 だけど、それはやはり、異常者だからこそできることだ。

 例えまねごとをしようとしても、正常な人間では限界がある。それに現代では、猟奇的な事件は、ただ話題として消費されるだけで、深い意味を持つことはほとんどない。

 もし、この連続殺人の犯人が捕まったとして、世間はどう見るだろうか。

 おそらく、幼少時代のトラウマや、ゲームと現実の区別のつかない人間として処理されるのがオチだろう。そんなのは駄目だ、と思う。せっかく、身近にこれだけ大きな事件があるのだ。それを、そんな分かった風な理論で終わらせてはいけない。

 何かないだろうか。

 真剣に、考える。

「……ん。メール」

 携帯がメールの着信音を鳴らす。

 誰だろうかと差出人の名前を見て、一気に気力が削がれた。

 須藤桜花(すどう・おうか)からだ。

 半年近く前に別れた男だった。ここ数カ月はやり取りがなかったから、てっきりもう接する機会はないものだと思っていた。

 急に何のつもりだろうか。

 文面は、要約すると話がしたいという内容だった。彼らしい回りくどい書き方で、少しでも自分を着飾ろうとしているのが透けて見える。そうやって身を繕えば繕うほど、中身が透けていくのが分からないのだろうか。

 うんざりしているのを自覚ながら、わたしは彼の番号を呼び出す。別れた男との数カ月ぶりの会話。そうした視点で見れば、ある意味面白い展開ではあるだろう。けれど、状況を楽しむには、彼との関係は終わりすぎている節がある。

 だから、回りくどいことはせずに、嫌なことはすぐに終わらせる。

 呼び出し音は数回。

 おそらくすぐにでも取りたかったのだろうけれど、急いている自分を見られたくないから、わざと間を置いたのだ。そういうところが透けて見えるのが、癇に障る。

「もしもし。ミナ? 久しぶり」

 自分に自信があるのが、電話越しでも分かる声。

 彼の声を聞いた瞬間、怖気に似た感触が背筋に走った。

 ああ――やっぱりわたしは、この人のことをもう嫌いなんだな、とはっきりと分かった。

 会話を長引かせるのが嫌だった。必要以上に喋らずに、端的に用件だけを聞く。

「何。話って」

「なんだよ。久しぶりなのに、随分機嫌悪いじゃん」

「別に。あなたには関係ない」

「あなた、なんて他人行儀な呼び方するなよ。前みたいに名前で呼んでくれよ」

 自然に話しているつもりなのだろうが、彼の態度からは、余裕を見せることで主導権を取ろうとしているのが透けて見える。

 あんたは薄いんだよ、と心の中で毒づく。

「じゃあ桜花。おうか、おーか、おうかおうかおうかおうかおうか。はい言った。いっぱい言ってあげた。これから先の分まで今言った。これで文句ないでしょう? それで、話って何?」

「……そんなキレんなよ」

「あなたが話をそらすからでしょう? 話があるって言ったのは、そっちだったよね」

「あー。わぁったよ。くそ、面白くねぇ女だな」

 それはお互いさま。あなたも面白くないよ。

 そう言いたい気持ちを、ぐっとこらえた。

 理性でなんとか抑え込まれている感情が、押しとどめられなくなってきている。早めに会話を切り上げたいと、切に願った。

 しかし、こう言う時に限って、願いというのは届かない。

「十一日。駅裏、ホテルマスカット」

 その一言に、息をのんだ。

 わたしの様子は相手にも伝わってしまったらしい。須藤は小気味よさそうな声色を隠そうとせずに、続きを言った。

「俺、見ちゃったんだ。ミナのこと」

「……何が言いたいの」

「べっつにぃ。ただ、隣のおっさんは誰なのかなぁ、って」

「…………」

「証拠もちゃんと撮ってるよ」

 ねちっこい、嫌らしい声。

 身体中から血の気が引く感触がある。

 その感情は怒りだった。理不尽に対する怒り。心音は不思議と落ちついていて、ふつふつとわきあがる苛立ちだけが、血と共に頭へと上っていた。

 この時点では、不快感に対する怒りだけだった。

「回りくどい」

 出来る限り怒りを押し殺すように、わたしは言った。

「あなたのそう言うところが、わたしは嫌い」

「べっつにー。回りくどくはないだろ。ただ、こーゆーことしてんの、学校にばれたら、まずいんじゃないの?」

 一々癇に障る物言いだった。

 その泥のような感触が染み入ってくるのが嫌で、汚いものを全て吐き出すように、わたしは深く息を吐いた。

 ばれてしまったものはしょうがない。

 時計を見る。今の時刻は二十時。

 覚悟を決めよう。

「九時。駅で待ち合わせ。それでどう?」

「何? 誘われてる、俺?」

「うるさい。ごちゃごちゃ言うんだったら、期待にも答えない」

 吐き捨てるように言って、わたしは電話を切った。

 詳しい待ち合わせ場所を定めてはいないけれど、おそらく付き合っていたころの風習に従うだろう。そう思って、わたしは頭を切り替える。

 その時、またメールが届く音が鳴った。

 無感動のまま携帯を開くと、添付ファイルで、彼の言う『証拠』写真が送られてきた。ホテルに入る瞬間の激写である。写メにしては画像が鮮明で、制服を着ている女子生徒がわたしだと言うのははっきりと分かる。それに、相手の姿も、ばっちりと映っていた。

 それを見て、呆れのため息が漏れた。

 彼は馬鹿だ。

 この写真を見て、何も思わなかったのだろうか。

 思わなかったんだろうなぁと思う。日付も場所もばっちりだと言うのに、これがどういう意味を持つかも、彼は分かっていない。

 ただ、ピンチはピンチだ。何故二週間近い時間を空けて来たかという疑問もあるし、早急に片付けるべき問題だろう。

 深夜徘徊になるけれど、母はもはや、わたしに干渉したりしないから問題はない。問題は父だけれど――確認したところ、まだ帰宅していないみたいだ。おーらい。それじゃあ、準備をしていきますか。

 面倒だと、思うこともなかった。

 ただ、下らないという感情だけがあった。

 この時は、まだ。


 6


 心臓が早鐘を打つ。

 焦る必要などどこにもないのに、焦燥にも似た感情がせりあがっていた。

 今、自分にすべきことがある。何をするべきか分からないのに、何かをしなければいけないと言う焦燥感。心臓の鼓動は収まらない。だらだらととめどなく汗が流れる。

 失敗した。

 完膚なきまでに、失敗してしまった。

 よくよく考えたら、とんでもない状況だ。さっきまでのわたしは、何を余裕ぶっていたのか。

 これからどうすればいいのだろう。わたしは駅までの道を歩きながら考える。失敗した。考えてみれば、須藤に呼び出された時点で失敗していたのだ。見られるようなへまをやらかした時点で、終わっていたのかもしれない。そんなことを、今さら気付くなんてどうかしている。駅まであと二分程度。この現実がなくなればいいのに。あの場所に行って、彼がいなければいいのに。そんな、神頼みにも似た身勝手な願いばかりを、繰り返している。

 須藤との待ち合わせの際、大抵は駅の東口のところでの待ち合わせになるのだが、人目を忍ぶ場合は、西口から少し歩いた路地の入口で待ち合わせることになっていた。

 東口に彼の姿はない。

 わたしは駅の構内を素通りし、もう一つの方へ向かう。

 ばくんばくんと心臓が高鳴る。いつも斜に構えて平静を気取っていたくせに、とんだ体たらくだ。今のわたしの姿を、普段のわたしが見たら、それこそ腹を抱えて笑うくらいに滑稽だろう。けれど、今のわたしにとっては死活問題だ。

 途中で考えを変え、一度家に引き返して手に取って来たバックが肩に食い込む。胸の内にあるのは恐怖だ。このままでは、わたしは凡庸に落ち込んでしまう。

 特別になれない。

 何者かに、なれないのだ。

 その恐怖心でわたしは満たされていた。目先の事なんてどうでもいい。不貞がばれようが、過ちがばれようが、そんなことは、大局的なところでは問題ない。けれど、大局が揺らぐのは、非常にまずい。

 心音から耳をそらし、息をのみながら歩を進める。

 路地の入口が見える。

 ぱっと見、他人の姿は見えない。

 気を引き締めて、路地に立つ。

 ――いない。 

 誰もいない。須藤の影どころか、人っ子ひとりいない。

 けれど、なにか、違和感がある。

「…………」

 息をのむ。

 あんなにうるさく響いていた心臓が、急に静まり始めた。

 全身をめぐる血の流れが治まったためか、急激に体温が下がっていく気がした。感じるのは、強い違和感。何かがおかしい、と思った。いつも通りの、人通りが少ない、薄暗い路地裏の道。そこを見て、違和感が襲う。何かが、おかしい。

 右奥のビルは、廃ビルだった。中に入っていた会社が倒産したために、改装工事が途中で打ち切られて、そのまま放置されていた。そこから、異様な雰囲気が漂っている。

 とくん、と。心臓が脈を打った。

 ごくり、と唾を呑む。

 肩にかけたボストンバックを強く握りしめて、わたしは恐る恐るそのビルの入り口に入った。

 扉は随分前から壊れており、たまに肝試しや情事の目的で侵入する若者がいる。かくいうわたしも、利用したことがある。一度息をのんで、わたしは一歩を踏み出した。

 予感があった。

 いったん落ち着いたはずの心臓が、また早鐘を打ち始める。先ほどまでの焦燥感とは違い、今度のそれは、興奮だった。まさか、と思う。こんな状態で興奮するなんて、おかしい。けれど、この時のわたしは、確かに期待していた。

 非日常。

 非現実。

 圧倒的な現実に膝をつきそうになっていた時に、非日常の影を見つけたのだ。興奮しないわけにはいかない。

 ひきつった面の皮が、奇妙にゆがんで行くのを感じる。わたしは、笑っていた。気がふれたのかもしれないと自分でも思う。

 薄暗い廊下は、そう歩かずに終了する。いや、厳密に言うと、わたしは突き当たりまでたどり着くことはなかった。

 その前に、見てしまったから。


 ――月明かりの中、わたしは、彼に出会った。


 ぬらりと。二つの影が月光に照らされていた。

 廊下の突き当たりで、頭から血を大量に流して壁に寄りかかってのは、須藤桜花だった。ピクリとも動かない。傍から見ても、死んでいるのが分かる。暴れまわったのだろうか、辺りにも血が振りまかれている。

 死体の傍には、一連の事件の共通メッセージである、一つの英文。


 Take the blame

 罪を負う。


 そして、異常はそれだけではない。

 死体を静かに見下ろす、もう一つの影があった。

 そいつは、わたしと同じ学校の、男子の制服を着ていて、眼鏡をかけていて、まるで存在感そのものが無いかのように、ただ悠然と、その場に立っていた。

「あ――あぁ」

 全身の血が沸騰するかと思った。

 先ほどまでの絶望感が嘘のように、わたしは興奮していた。

 思考が高速に回転する。

 自分が何をするべきか。その結果、どんな評価が下されるか。わたしは何者かになれるのか。

 興奮で頭がどうにかなりそうだった。

 めぐる血で頭の中の血管が張り裂けそうだった。

 ちかちかと点滅するようにまぶしい現実を見つめ、わたしは、言葉を考える。今この場においての最善の言葉を。最良の言葉を。

 その人影に声をかけた。

「――あなたが、やったの」

 白々しいかもしれない。

 けどそれでいい。

 ゆっくりと、人影が振り返る。

 そいつは、クラスメイトの顔をしていた。見覚えのある、同年代の顔形。けれど、その冷え切った瞳を見つめた瞬間に、はっきりと分かった。

 ――こいつは、殺すだろう。

 何の理由も躊躇もなく、人を手にかけることが出来る。逆に、何の理由も意味も必要とせずに、人を殺さない。その奇妙なバランスが、わたしには気が狂うほどに愛おしかった。

 声がうわずってしまうのを意識しながら、わたしは聞く。

「ねえ。一つ、お願いしていい?」

 それは、ものは試しというものだった。

 おそらくその願いは、今は叶わないだろうけれど、この瞬間に叶ったとしても、それはそれで意味がある。

「わたしを――殺してくれない?」

 彼に殺されることは、意味がある。

 彼に殺されることは、物語の被害者Aではなく、名前が刻まれるような被害者になれると、そうした確信があった。

 だからこそのお願い。

 けれど、彼は。

「断る」

 平淡と、そう言った。

 クラスメイト。

 蒼井茜は、まるで興味がないかのように、空洞のような瞳でわたしを静かに見つめていた。


 満月の夜。

 まるでそれが運命であるかのように、わたしは蒼井と出会った。


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