第8話山人は人也かんこどりは鳥なりけり
結局のところ
夜の明け
それをぼんやりと
日が落ちるか落ちかかるかの
人というのは分らないものだと駿太郎は思う。
「あたしはさぁ、この里で一番の宿屋のお嬢様だったんだよ。父ちゃんにはそりゃあ
しばらく
そんな小梅の
「大丈夫だよ。松っちゃん、ありがとうねぇ」
彼女が苦い顔をそのまま向けると、松っちゃんは何も言わずに
「弟だよ」そんな言葉が小梅の口からころがり、続いて「
小梅の父に当たる
松太郎の本妻は本気の箱入りで世間知らずな上に、その分
妾に先を
大人の
「一体どういう
「あたしは日に三度のご飯を満足に頂けりゃあ、どうだって良かったし。それに面白いじゃないか、
そんな小梅がなぜ急に、そしてあたかも
「ところで駿ちゃん、そちらの
駿太郎の隣には
「この人は目下の俺の
環の紹介も
「ええっ!?何だって!!」
火災が今さっき起った出来事でもあるかのように、小梅は膝を乗り出して駿太郎の身体を
「清子ちゃんも
「それにしても駿ちゃん。そんな大変な最中に何だってこんな山奥に来ようなんて思ったんだい、それどころじゃないだろうにさ?」
「…―ん。大変…?」
駿太郎の他人事を聞くような薄い反応に少しく
さて、駿太郎の現状は文無し家無しの
湯から上がった駿太郎は、内村と差し向かいで朝食を
久し振りに気力も
慣れぬ仕事がかえって有難かった。
そのような日を3、4日も過ごしてみると、宿の仕事の時間割が何となく分るようになり、仕事のコツも
「ううっ、ふぅ…極楽極楽。こっちにこのまま住みつくってのもいいのぉ…。どうだ、私の弟子になる気はないか?今までそんな
「それ、本当に弟子ですか?」
「うう…ん。違うか」
「俺は百歩譲るまでもなく、半歩も医者に興味はありませんよ」ザッと勢いよく 医者の背に流し湯を浴びせた。
「おお、さっぱりした。良い頃合いに腹も減って来たし、とっとと上がって飯にしよう」
源信の
「やっぱり。男の子はこうでなくっちゃねぇ」
「それで女将、今日はどんな
「沢尻のご隠居さんが昼前には来られるとか言っていましたよ」
「他には?」
「その時になってみなきゃ、分りませんねぇ」えいやっと、とりまとめた食器を積んだ盆を持ち上げ、さっさと
「それなら、昼までそこらをぶらぶらして来よう」医者はおもむろに腰を上げると、その中身には
内村も
まるで取るに足らぬ事でもあるような口ぶりだが、内村は町場に居る時よりも忙しそうだった。
駿太郎もきく屋が用意してくれた弁当を手に、そろそろ出掛けることにした。
------------------------
駿太郎はきく屋の勝手口から外へ出ると、宿の
「ほーい、ここだ。ここだぁ」
きく屋の下働きの鶴次郎だ。この人がもっぱらに駿太郎の面倒をみてくれている。
「鶴さん、朝飯!」
駿太郎が頭上高く
きく屋の
「兄さんは今までこんなン、見たことあッかね?」
鶴次郎はたっぷりと海苔を巻かれた握り飯を
「ショウガに似ているようですが、違うんですか」
「ソイツは
確かに
「昔は豚いも…とか、言うちょったかな。すぐに言えば
おっと、女将さんに聞かれたら事だなと、鶴次郎は急いで“菊芋”と言い直した。
きく屋の“きく”はこの
「里から来たモンには
きく屋でも女将と鶴次郎しか承知していないと言う秘密の
管理と言ってもそう難しい事は無い。ここを使うのはほぼ
「そんなん、月番の責任じゃろ言うて、金を
「そこは大店ですか」まさかに松ノ屋では無かろうと思いつつも、小梅不在の松ノ屋を知らない駿太郎は恐る恐る
「んな、威勢の良くねえ宿なんぞには福の神も滅多に足は向けねえなぁ。ずーっと振るわないから、本当は金を出したくとも出せないんさね」鶴次郎の
もしも本当に源信がこっちに移住して来て、本気でここに骨を
湯治場は
男の足だから、しゃんしゃん歩めば
これには最初、駿太郎は
沢のせせらぎの音が近くなってきた。
「ありゃ。何事だ?」思わずといった風のつぶやきが鶴次郎の口から洩れ、
まだ日は浅いとは言え、駿太郎にも異変は感じ取ることが出来た。この
「この
「何でもここが気に入ったから、
それで皆で知恵を出し合って
見渡してみれば、湯治客ほぼ全員の顔ぶれが
年の頃はよく分らない。最初見た時には、小さな女の子が居るものと錯覚を覚えたくらいに
「あら、それならやめた。だってあたし重い物なんて持てないもの」
「まだ始めてもいないのに、もうやめるのか。
「辛抱ならずうっとしてきし、もう
嫌われた嫌われたと
「いいね。あの姐さんは花があるよ。芸者だったら大した売れっ子になれる。けど、それには品が良すぎるかなぁ」
何となく気持ちが浮き立っているのだろう
「姐さんはどこの宿だね。もう直に日が陰って暗くなる。帰り道のついでに送ってやろう」
帰りがけに件の婦人に声を掛けると、迎えが来るからとあっさり断られた。
「鶴さんもフラれたね」
また
「
見れば宿舎の入り口に、
駿太郎はその男に
しかしどうと言う事も無く、男は提げてきた風呂敷を解くと大ぶりの重箱を取り出した。
「本日は皆様に大変お世話になりました。
相変わらず男の
------------------------
男は確か安西と言う名であった。別の土地で骨董を商っているという人物だ。
面識はあるといえ、親しみは無い。安西氏にしても駿太郎を覚えているかどうか…、と
判断した駿太郎は安西氏には特に
機嫌良くさえずっている彼女がどの場面でも輪の中心に居るらしい。それが駿太郎には少し意外であった。駿太郎がおぼろな記憶に
まあ、
「おいコラ、そんなところで突っ立ったまま
飛んで来た医者の声がピシリと決めつけた。
「別に眠っちゃいませんよ」
「嘘をつけ、その証拠にさっきからぴたりとお主の手が止まっておるわ」
「
「だからそれは後できっちり払ってやると言っとろうが」
「一回だけタダで
「安心せい!人間は皆いつか必ず死ぬ。お前だっていつかはあちこちガタがくる。その時になったら今この時の事に感謝して涙するはずだ」
「じゃあ先生、きっと俺よりも長生きして下さいよ」
「ああっ、馬鹿。それじゃない、そりゃただの雑草だ。その横のそれ!オオアマドコロはそっちだ!さっき教えたろうが、居眠りなんぞするから手元がぶれるのだ」
昨夜、入浴も兼ねた湯殿掃除を終えて駿太郎が部屋に戻ってみると、
嫌な予感は有った。
とりあえず
これは何やら一大事なのではと感じた駿太郎は、今やこれ見よがしに大げさな溜息を連発している医者に、うっかり声を掛けてしまったのだ。
うかつであった。
常と様子が違っていると言う事は、そこには何かしらの異変が起こっており、罠が待ち受けているという事なのだ。
―薬品切れ。
源信が持参していた薬が思いの
これが、
そもそも薬草の知識など持ち合わせない駿太郎の作業は、源信がこれと示したあたりの草を
「ねえ。さっきから一体、そこで何をしなさっているの?」
鈴の音にも似た声が響いた。
気がつけば
日傘の下から好奇心できらきらしたあどけない
「薬狩りですよ、奥さん。なにしろここいらには薬屋も無いときている。
「あらぁ、そうぉ?」医者の言葉にふたつの瞳が
「さっき、そこで貰ったの」と、彼女は
地から
謎である。
三人が
「これ?この黄色いお花のついているやつ?」
「そう。それはキンミズヒキ。ソイツは血止めや痛み止めにもなる」
心なしか医者の対応がぐっと丁寧になった様な気がする。
「これは?これで良いかしら?」
「ああっ!!それはバッチいから
「ええ?一応あれも薬草なんでしょう?」
「猛毒だ。それも、どこもかしこも
「げええええーっ!?」
「事あれば、待ちかねた一回タダがすぐにも実現するのだ。文句はあるまい?まぁ、
「はぁーい」
「そもそもがな。薬と言うのは、全部毒なんだ。それを人間の都合の良い様に塩梅して、薬としている。それだけの事なんだよ」
安西氏の母は
「塩だとか砂糖だとかも、大きく言えばあれも薬品だ。調味料なんぞというもので収まるものでは無い。その証拠に、多量に用いれば人も殺せる。醤油なんかもそうだな」
きちきち帳面に書き
「まあ、話はなかなか面白いが。あいつはれっきとした医者なのか?」
母親を迎えに来たついでに、ふと興味を覚えたものか、今日拾ってきた内職に手を働かせている駿太郎の隣にどっかりと腰を
「俺の子供の時から居るお医者ですよ。飲んだくれだけど、腕は良いらしいです」
「古道具屋さん、あんたが言うなら間違い無いだろう」
安西氏は駿太郎の事を覚えていたようである。
「忘れようがあるもんかね。あんたは知っている側の人間だから良い話し相手になる」
覚えめでたいのも相手に寄りけりだ。見込まれて嬉しい相手ならおめでたいが、そうでない場合はご愁傷様である。心の中で自分自身に
「まさか。こんなど田舎なんぞに、うちの買い物など無いさ。たまさかに義理のできた婆さんのお供をしてやっているだけだ。きびだんごを貰っているとはいえ、我ながら健気だよ。毎日毎日退屈でいけねぇや」
「安西さん、お待たせ」
お迎えのお迎えが来て、話はそこで打ち切りとなった。
「ではこれで。そのうちにまた」
いつのそのうちになるものやらゾッとしない申し出だが、少なくとも謎の一つは解けたのだ。彼らは血縁関係者では無かった。似ていなくて当たり前だ。
「おい、
「知っていると言えば、まあ。それほど親しい訳ではありませんけどね。何ですか急に、そんな変な目つきまでして?」
「いやあ、また妙な取り合わせだと思ってな。ありゃあ
絶句する駿太郎をよそに、医者は少しでも想像の
「蛙と龍が一体どこで出会うものかのう。水の中か?だったらどうして龍が蛙なんかを気に掛ける?
ひとり興に乗ってわっはわっはと撒き散らかされる医者の
「何だ。エラく驚いているようだが、どうかしたのか?」
わりと直ぐに林道を抜け、つい先ほどまで
「ああ、そうか。あんたらは反対側からあの集落に入ったのか。あっちは大変らしいな、行った事が無いからよく分らんが。話に聞いた事は有る」
全く。小半時(約二時間)と掛からずにこうして町中に出たのだ、内村が
「それにしても。あんた大変だったんだってな。店も
覚えの無い
「俺は昔から悪運だけは強いらしいです」
源信によると大変なお大尽である安西氏は、
彼は案外なところで駿太郎を見かけ、そぐにその人と分かったのだが、分らないのは温泉客として過ごしているのではなく、どうやら方々で下働きをしているらしいその理由だった。安西氏は早速に宿の女将小梅に問い合わせてみた。
小梅は事のあらましを話し、そこへ盛大な
「この辺みたいな
元より善意から発したものとなれば
「さて、と。
安西氏はまず
「ソイツを2、3日中に谷のきく屋に届けて欲しい。配達にはあんたが
安西氏がここに来るまでの
「あーあ、面倒な事は終わったな。この町の連中はみんなあんな調子で、堅ッ苦しくて
どう受け答えたら良いものかと駿太郎が考えあぐねていると、
ふと我に返った。
かろうじて足先に
がらり引き戸を開ける音はもっと近かった。
ここだ。
首に手ぬぐいを引っ掛け、片手には
「目が覚めたかい、古道具屋さん」
ちょいと上がった先に
つづら
昨日は何の未練も無く安西氏の地元を離れた後、一度食事の為の
安西氏の
しかし彼の住まいは
何故なら、玄関先に巨大なおたふくの面がぶら下がっているからだ。
「ああ、ありゃあ冷やかしよ。叔母が開店祝いに贈って来た。直ぐに言えば嫌がらせだな。けったくそ悪りィから店先に飾ってやったんだ」
言いながら、安西氏は手ずから飯をよそった茶碗を駿太郎に手渡した。
“
通いでも問題無かろうと思われるが、そうもしていないと言う事は、
「しばらく空けていたからな。まずは風を通さないと」
朝飯が済むと自然な流れで家内の大掃除となった。
「やっぱり二人も居ると
高い所のちりを払いつつ、ふと窓外に目を移すと青く遠く海原が広がっている。
海を
昼前までは
「べた
海辺に住むのはなかなかに
安西氏と一緒に
「古道具屋さん。何なら、そっちの部屋に行ってみな」
「部屋?」
安西氏の
「あそこはまだ手を付けていない。これからですか?」
「いや、あそこは放っといて良いんだ。どういう訳か
引き戸を引くとすっと滑らかに開いた。
「なッ、
「…って、安西さん。ここはもしかして?」
「ああ。祟り神は全部そこに収めてある。やっぱり
けろりと言い放つ安西氏に、駿太郎は
「ああ、そうだ。夜
「それは遠慮します!」皆まで言わせずおっ
「はは、冗談だ。こちらとしてもお勧めはしない」そうめんの器を取り片づけながら気も無くのんびりと氏は言う。安西氏は恐らく、自分で一度
ふと。
「安西さん」洗い物をしている彼の背中に問い掛けた。
「あぁ。何だ」振り向きせず返事をする。
「安西さんの店じゃ、あの手の物しか扱わない。そういう事なんですか?」
「だったら何だ」
「いえ、だからどうと言うのでは。何となく聞いてみたくなっただけですよ」
今度は黙り込んで答えない。怒らせただろうか。
洗い物を済ませ、こちらに向き直った安西氏が濡れた手を
「へッ?!」
「だから、よく分らんのだ」
“
「余禄…?」
「
「ああ」そういう話であれば駿太郎にも見当がつく。「無理に
安西氏が
「で、だ。ウチで扱っている連中は飛び切り
やっぱり試したことがあるようだ。
「そのような力がどこまで及ぶものなのかが分らん。こちらが商っているつもりでも…」
「商わされているのかも知れない。そう言う事ですか」
安西氏はフッと短く息をついた。
「やれやれ。こんな
「商っている物の
安西氏と言葉を
気がつけば高かった陽も
------------------------
きく屋に
「それがねぇ…」
小梅が溜息をつきながら言うには、環は山に分け入ったままもう3日ほど戻って来ないのだと言う。
「ひとりで道に迷っているんじゃあ?」
「違う、違う。チマを探しているんだよ」
四日前からチマの姿が見えなくなった。目につくところは探し尽くしたが見つからない。それで、さてはと山に探しに行ったものらしい。
「チマはああ見えても、もういい加減お婆さん猫だったから、あたしにはとっくに覚悟が出来ていたけどねぇ。別嬪の兄さんには、さ」
「あ。ああ、そういう事か…」
「気が済むまで。したいようにさせておくしか無いのさ」
時は無常と移り行く。
それが人であろうと猫であろうと慣れ親しんだ者が去って行くのを知る時には、どうとも旨く言い表せない気持ちになる。そんな
「おや、古道具屋さん。お戻りでしたか。下界の様子はどうでした?」
内村の言い様が面白い。ここだって谷底で、決して高い所に有る訳ではないのだ。
「空気が全く違いますよ。まだまだ地獄の窯のように煮え立っていて、
「おおぅ。くわばらくわばら」内村は大袈裟に肩を
「先生の様子?いや、まだ見かけていないから何とも」
それを聞くと内村は太い溜息を洩らした。ここでも溜息に出くわすとは、一体どういう事なのか。
「いえね。古道具屋さんが出掛けた次の日に、町の生薬屋が出張って来ましてね」
「ああ…」確かに安西氏がその様に指示をしていた。
「それで先生、
「ソデ?」
「ほら、あの薬の勉強に通っていたご婦人ですよ。本職が来たというので、さっさと弟子入り先を
それ以来、源信は昼間宿に居る間はずっと押し入れに姿を隠してふて寝をしているのだと言う。
「今はお部屋に居るはずなんですけどねえ」駿太郎が見かけなかったと言う事は、つまり。「今日も天岩戸にお
言い得て妙である。それこそ
駿太郎が留守にしたのは、ほんの四、五日位のものだ。
なのに状況が一変している。
いや、そうではあるまいと駿太郎は思い直した。
環や源信に限らず、目の前の内村だって、変わらぬように見えても時を過ごした分だけ確実に歳を重ねている。駿太郎にしても出掛ける前よりも見聞が広がっている。万物流転、誰もが思わず知らずに変転し続けているのだ。
安西氏は手狭だから女中は置かないなどと言っていたが、建物自体は廃業した宿屋の建物をそのまま
元々二階部分が客室で、今も二階が店舗に当てられていた。
恐る恐る安西氏の店の中を覗いてみると、さすがに常次郎の店よりもずっと値の張りそうな物ばかりだが、ごく普通の骨董品が飾られていた。駿太郎は多少
「掘り出し物と言ったところで畑の作物でもあるまいし、数ある物では無いから主流はこっちだよ。まあ、他所よりもウチに流れてくる場合が多いけどな」
不在の間に薄っすら溜まった
駿太郎もまさか自分を真っさらの善人とは思っていないが、
「古道具屋さん、面白いものを見せてやろうか?」
通されたのは二階の納戸だった。一階とは違って天井の隅に埃が積もって
これだ、と安西氏が隅の方から引っ張り出してきたのは一帖の屏風だった。開くと地獄絵図が現れた。
「これが?」
一見して凡作ではなさそうだが、取り立てて面白いと感じるものでもなかった。
「コイツの出処は、例の
「えっ!?」
佛具ごしき屋の奥座敷で接見した時はありありとした地獄を映し出し、
「お化け屋敷の名前を借りて、あの家が秘蔵していた遺品はウチで全部引き上げたんだ。それが、最後の最後になって奪獲婆の奴がコイツだけは代々の家宝だから売れないと騒ぎ出した」
音在氏の言っていた見合い相手とは安西氏であったらしい。そう言えば火事騒ぎに紛れてうやむやになってしまっていた。それにしても世話になった相手をお化け屋敷呼ばわりとは。
「生憎とこちらの一番のお目当てはコイツだったから、揉めに揉めて。結局、音在さんが
お蔭でこの有様だけどな。安西氏は屏風の画面を指先で軽く弾いた。
「珠代様、
人を
「とんでもない事でございます。しかしこればかりはわたくしも
キッパリと
手元に戻っても戻らなくても、いずれにしても“傷”がつく事に変わりないのだ。不承不承ながら奪獲婆は折れた。
「その、傷と言うのは何ですか?」
「これだよ。音在さんが若い女の絵描きを連れて来て、描き加えさせたんだ」
小夜子か?
安西氏の指差した先には、
「そうしたら急に婆ァの態度が一変してなあ。よくよく見たら陰気で縁起の悪いこんなものは要らんと言って、あっさりこちらに投げて寄越してきたんだ。その時はこっちもこんなものに用は無かったが、まあ最悪、
焚付け…。
「投げて寄越してたと言っても、代価は払ったんですよね?」
家宝ともなれば安くはなかったはずだ。
「ああ。キッチリとな。だが今回は勉強代だ。そう思えば安い安い。婆さんに貰ったきびだんごとはそれさ」
「え?」
駿太郎の発した情けない声に安西氏が吹き出した。
「あんたも見たもんなぁ、奪獲婆の顔!見違えたろう。と言うか、分らなかったか?あの婆さんはごしき屋の珠代さんだ!」
駿太郎は
「婆さんに屏風が障っていたものかどうか、確かな事は分らん。が、憑き物が落ちたような感じはするな。ま、関わりは有ったんだろうよ。それを涼しい顔で除けてみせるんだから、やっぱりお化け屋敷は
「それで珠代さんは今どこに?」
「あのご婦人はタマヨさんとおっしゃるのですか?もうここには居らんでしょうなあ。あの生薬屋は下の町の者ですから」
おや。内村は迂回路以外も知っているらしい。
「確かにあちらからの方がここに近いし、便利でありましょうが、あたしは安西の地には足の小指も下したくありませんな!」
安西氏の店は近隣の人々から“おかめ屋”と呼ばれていた。まあ、あれだけ大きな面がぶら下がっているのだから当然だろう。店の
たまに見かける店の主とは挨拶を交わすし、二言三言天候の話をする事もある。それ以上の付き合いは無いから人となりまでは分らない。土地での氏の評判は可も無く不可も無い。
別に
君子の
そんな事を考えながら“おかめ屋”の引き戸を開け、玄関の
おや、来客が有ったのか。
「失礼…」
そちらに目を移すと、
「…あっ、安西さんっ!?」
「うん?」
柱の陰からひょっこりと顔を出した安西氏は、駿太郎の
「見たのかって…」
「女が居るらしいんだ。しかと見た者が無いから、らしいと言う
「そんなものをこんな玄関先に置いといて良いんですか?」
「ソイツは人の目の端を狙って横切るばかりで他に何もしない。まあ、放って置いても問題無いさ。あんたの事が珍しくて見に来ただけだろう」
危うきに近寄らずという気配は全く無い以上、君子の
「…古道具屋さん。それでソイツの顔は、やっぱり見えなかったのか?ふぅん…。余程ブサイクなのかねぇ」
何やら
人とは
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます