8th stage 魔王と天使

 びりっとした痛みを感じて、薫流は目を覚ました。

 真っ白な部屋の、診察台のようなものに寝かされている。

「……っ」

 身体を起こそうとする。が、身体が動かない。先ほどの注射器には何が入っていたのだろうか。薫流のバイオウェアには、強化白血球による毒物対策も施されているというのに。

「目は覚めていますね?」

 そんな薫流の顔をバラニナが覗きこんできた。答えようにも、口が動かない。

「ああ、思考通信でいいですよ」

 頭に意識をやれば、カチューシャ型バイオセンサーが取り付けられているのがわかった。

『わたくしをどうしましたの?』

「なに、ちょっと対バイオウェア用麻酔薬で眠っていただいただけです。今は脳だけ覚醒させている状態ですねえ」

『わたしを眠らせるなんて、相当な毒ですのね』

「先ほどの紅茶ですが、ミルクで煮出してみたら、これがとても美味しくいただけました。いや、さすがミス・氏原。紅茶に関しては右に出るものがいらっしゃいませんねえ」

『無駄話は結構ですわ』

「……あなた、自分の立場がわかっていらっしゃるんですか?」

『まだわたくしが生かされているということは、何らかの利用価値をわたくしに見出しているということですわ。そうでなければとっととお殺しになるでしょう?』

 薫流は態度を変えない。そもそも、はじめから殺される覚悟をもって殺しに来たのだ。

「わかりました、わかりました。わたくしの負けですねえ、ここは」

『いいから、本題にお入りあそばせ』

「ミス・氏原。あなたには選択肢が二つほどあります」

 バラニナは指を立てて言った。

「一つは、そのバイオウェアを生かして、わたくしの子飼い用心棒になること。もう一つは、お兄さまのところへいらっしゃること」

『わたくしの、ブルガコフ兄弟社が採算を度外視して作ったコンセプトモデルが惜しくなりましたの? ですが、あなたの子飼いはまっぴらですわ。とっととお殺しなさい」

「殺す? 生憎ですが、その選択肢はないんですよ』

 バラニナはオーバーに驚いてみせた。

『お兄さまのところへ連れて行ってくれるのでしょう? どうぞ、お殺しください。お兄さまに会えるのでしたら後悔はありませんわ』

「ええ、ですので会わせてさしあげます。もちろん、あの世にお兄さまはいらっしゃいませんから、霊的コンピュータの中で、です」

『なんですって?』

「ミスター・中宮。準備が出来ました」

 そこに声がかけられる。薫流からは姿が見えないが、声に覚えがある。

 伊藤藤通。霊的コンピュータの開発者にして、先日ヘッドハンティングした男だ。

「結構です。では、始めてください」

「はい」

 伊藤は静かに答えた。ARを操作したのだろうか、薫流の意識が遠のき始める。

「あなたもお兄さまのように、霊的コンピュータにして差し上げますよ」

『わたくしを、お兄さまと同じ霊的コンピュータに……』

 薫流の猫の瞳は、すでに霞がかかっているようだった。

「ミスター・中宮」

 メイドのウィステリアが横から声をかけた。

「お客さまがお見えです」

「ああ、ようやくお見えですね」

 バラニナはセルコンをいじる。受付のコンピュータで来訪者のCRIを確認して、入室許可を出した。

「では、ここはあなたがたに任せます。霊的コンピュータの素材は揃っておりますね?」

「イエス、ミスター・中宮」

「それから、ミスター・伊藤も。あなたに二度も霊的コンピュータを作らせてしまうのは心苦しいのですが」

「……わたしはエンジニアです。作れと言われたものを作るだけですよ」

「結構です。では、行ってきます」


 ――1776年7月4日 魔王城

「魔王さま。勇者の一行がこの城を取り囲んでおります。すでに降伏するものも出ておりまして……いやはや、どうしたもんですかねえ」

 魔王参謀のヴァンパイアが、緊張感のない声で言った。

 諦めているのか? それとも打開策を隠しているのか? いや、彼女はもともとこういう性格なのだ。

「降伏したいものは降伏させてあげればいい。とくにシアルスの一団は降伏させてやってくれ。そうしないとシアトルがなくなっちゃうからね」

 魔王は言った。

「きみも降伏していいんだよ? きみみたいなひとこそ、僕が居なくなった新しい世界には必要なひとだからね」

「いやあ、そうは行きませんよ。わたしという障害を乗り越えた上で魔王さまを倒せるようでなければ、人類はまだまだ強くなれません」

「そうかなあ」

「わたくしの使い魔は残り十体を切りました。まあ、でもまだまだ何とかなりますよ」

 参謀が言った瞬間、伝令のオウガが駆け込んできた。

「勇者、正門を突破! 魔族と二人だけで侵入する模様!」

「わかりました。あなたはもう休んでいいですよ。自由です」

「はっ」

 短く答えると、オウガは大斧を担いで正門へと向かった。

「では魔王さま。わたしは謁見の間にて、勇者たちを迎えに行きます」

「うん。頑張ってね」

 魔王は、まるでお使いにでも送り出すように参謀を見送った。

 だが参謀が向かう先は、死地だ。おそらく生きて戻っては来ないだろう。

「魔王さまこそ、お手抜かりのないように」

「まあ、でもここまで来たら計画は完成したようなものなんだけどね」

「魔王さまを超えられなければまだまだ完成ではありませんよ。では、行ってきます」

「『行ってきます』はどうかなあ。もう帰ってこない覚悟なんでしょ」

「ああ、そうでした。では、行きます」

 そして参謀は、魔王の元を立ち去った。

 あとに残された魔王は、一人つぶやく。

「また一人、僕の前から消えちゃったなあ……。わかってたことだけど、寂しいな」


 チン。エレベータのドアが開く。

 そこで光流は目を覚ました。危ない、単調なエレベータの中で、ついうとうとしてしまったようだ。

 五六階。バラニナ中宮の私室。

 これまでと違い、エントランスにバラニナは迎えに来ていなかった。

 だからドアをノックする。

「どうぞ、お入りください」

 中からは、バラニナの軽快な声が聞こえた。

 バラニナの座るテーブルには、すでに二人分のカップが準備されていた。ポットの中身は薫流に出したアールグレイと同じものを、ミルクで煮出したものだ。

「ようこそ、魔王バーミリオンスパロウさま。改めてよろしくお願いします」

「別に、光流でいいよ。とりあえず」

「わかりました、ではミスター・氏原。改めてお伺いいたします」

 バラニナは紅茶を注ぎながら言った。

「何の用事でしょうか?」

「薫流を返してもらいに来たんだ」

 光流もテーブルに座り、紅茶に口をつけた。毒が入っていようと関係ない。いまの魔力なら治せる。

「残念ですがそれはできません。ミス・氏原は本物のミスター・氏原の元へ送られることになりましたので」

「お兄さんのところへ?」

「はい、そうです。今頃は精神を身体から分離させて、霊的コンピュータになっているころではないでしょうか?」

「外道め」

 光流が鋭く言った。そのらしくない一言に、バラニナもびくりとなったようだ。

「いやあ、申し訳ありません。わたくしも上司には逆らえないんですよ」

「上司がいるの?」

「はい」

「意外。あなたが一番上だと思ってた」

でも、わたくしはただの役員です。わたくしの上にも何人もの役員がおりますし、役員会の決定には逆らえません」

 バラニナが『あくまでも』と強調したのを聞いて、光流はおかしくなった。悪魔でも天使。なんだそりゃ。

「おっと、そろそろお見えになったようですね」

 バラニナは光流の目の前でセルコンを操作した。

「階下へ参りましょう。ミス・氏原に会わせてさしあげますよ」


「ミスト! シャイン! 薫流!」

 真っ白な部屋の中の、診察台のようなものに、三人は寝かせられていた。

 ミストとシャインには、痛々しい包帯が巻かれていた。胸が上下しているので生きているとわかる。一応、殺すつもりはないようだ。

 その横には、以前ヘッドハンティングした、伊藤藤通が機械をいじっている。VRではなくARでコンピュータを操作しているのか、空中で手を動かしている。

 薫流の頭にはバイオセンサーと思われるカチューシャがつけられていた。それは有線でデスクトップパソコンにつながっている。カオル二〇二六というメモ書きが貼り付けられたそれは、おそらくヒカル二〇二五と同型のパーツで組まれたものだろう。

 その隣にはヒカル二〇二五が並んでいた。これもやはり、カオル二〇二六と有線でつながっている。

 薫流はもう身動き一つしない。すでに霊的コンピュータになってしまったのかもしれない。

「ええ、ええ。目的はミス・氏原だけでしたのでね。お二人は無事ですよ」

 バラニナは言った。相変わらずの調子だ。

「それで、僕はどうなるの?」

「そうですねえ、どうしましょうか」

 バラニナが空中に視線を送る。少し考えてから言った。

「薫流さんと一つになっていただくというのは、いかがでしょう?」

「えっ、ここで? エッチ!」

「いえいえいえいえ! ソッチの意味ではありません!」

 バラニナが慌てて否定する。

「正直なところ、ミス・氏原にインストールされたバイオウェアはかなり高価なものでしてね、それを扱ってくれる方が必要なんですよ」

「なるほど、それじゃあ僕の精神を抜き出して、薫流の身体に入れようってわけだね?」

「理解が早くて助かります。いかがでしょう? 女性の身体を自由にできる、またとないチャンスですよう?」

「いいね。自分で自分を抱くことは出来ないけど、一度くらい女の子の身体になってみるのも面白いかもしれない」

「でしょう? それにあなたの魔法がバイオウェアに合わされば、戦闘力も無敵ですし」

「うん、そうだね。いい話だ」

 光流は楽しそうに笑って言った。

「だけど、断るよ」

「……は?」

「断ると言ったんだよ。そう何度も精神を動かしたくなんかない」

 光流はきっぱりと言った。

「天使の技術なら簡単なんだろうね。僕の精神を、光流さんの身体に入れたように」

 バラニナの顔が凍りついた。

「気づいてらっしゃったのですか……」

「気づかないわけないだろう? 鏡っていう便利な道具が、二一世紀にはあるんだよ」

 光流はポケットから手鏡を取り出して言った。

「昔の僕とは全然違う顔だ。いや、ちょっと似てるかもしれないね。髪の毛の色も……これは着色してるのかな? 自分の顔を忘れちゃったんじゃないかと最初は思ったよ」

「……」

「目的はなんだったんだい?」

「ミスター・氏原の身体をミス・氏原に対面させることで起きる化学変化を楽しみたい、というのが上司の意見でしたのです、はい」

「それじゃあ、呼び起こすのは誰でもよかった、と?」

「有り体に言えば。ただ、たまたま封印されていた魔王を見つけ出したので、これは面白いと思いまして。天使も魔王を相手にしてみたかった、というのがあります」

「なるほどね。で、実験の結果は?」

「あまりおもしろくなかったそうです」

「そっか、じゃあ……」

 ドン。バラニナの身体が急に吹っ飛ばされた。光流の念動力で壁に縫い付けられたのだ。

「僕が魔法を使えるというのは想定外だったりする?」

「ぐっ……」

 首をしめられているのだろうか、その顔色はどんどん濃くなっている。

「天使ならこれくらい、防げるだろう? 相手にしてみたかった魔王の力だよ? それともきみたちには、技術はあっても魔法は使えないのかな?」

「……く……るし……たす……け……」

「バラニナを殺しても事態は動きませんよ」

 声は光流の真後ろから聞こえた。

「っ!?」

 光流はとっさに見えない腕をそこにのばした。だが、首にチクリとした痛みを感じると同時に、魔法の集中が解ける。念動力が霧散する。

「きみは、たしかメイドの……」

「ウィステリアです。自己紹介が遅れました。世間ではわたしたちのことを、メイドではなくこう呼んでいます」

 光流の首に手がかかる。

「天使、と」

「そうか、天使は……きみの方だったんだ。じゃあ、上司ってのも、きみ?」

「その通りです」

 ウィステリアは手を弱めない。光流は筋力強化を行おうとするが、魔力の経絡が途絶えてしまったか、上手く体を流れない。

「あなたにどうしても聞きたいことがあったのです。魔王バーミリオンスパロウ」

「どう……ぞ」

「なぜ、あなたは魔王などを名乗り、人間の反感をわざと煽ったのですか?」

「わざと?」

「わたしたち天使のようにすれば、誰にも知られずに、人間を好きなように出来たのに」

「ああ、そういうことか……。そうだよね、人間をおもちゃにしたかったのか、君たちは……」

 光流は最後の力で、ウィステリアを見つめて言った。

「悔しいから教えてあーげなーい!」

「そうですか」

「うっ」

 首を絞めるウィステリアの力が膨れ上がり、しばらくもしないうちに光流は意識を失った。


 ――推定15世紀(詳細不明)

 バーミリオンスパロウは、カボチャ型の冬眠カプセルの中で目を覚ました。

「バーミリオンスパロウ様」

 それを確認した参謀が声をかける。

「しまった、寝過ごした!」

「はい。一〇万年ぶりですね」

「ありゃ……参ったな。で、もうあの猿たちは文明を手にしたの?」

「だいたいは。我々が火を与えてから何年になりますか。魔女狩りとか、宗教戦争とか、まあ我々人類のたどってきたような歴史を繰り返してきました」

 バーミリオンスパロウたちは、一〇万年以上前に地球の覇権を握っていた人類である。

 しかしながら彼らは、地球にあふれる生命エネルギーを奪いあい、争いあい、滅びていった。

 僅かな生き残りは、猿人と呼んでいた動物に知恵を与え、長い眠りについていった。

 ほんの少し寝坊したのが、バーミリオンスパロウである。

「ですが……最近、ちょっと問題がありましてねえ……」

「問題?」

「それがですね、我々人類の一部が、猿人類を支配しようと動き始めちゃいまして、世界大戦寸前なんです。猿人類からは『魔族』なんて呼ばれてしまう始末でして」

「あは、魔族かあ。そりゃ面白いねえ。そうだねえ、猿たちにしてみれば、彼らのほうが人類で、こっちが後から来てるわけか」

 バーミリオンスパロウは愉快そうに笑った。

「面白がってる場合じゃありませんよ。彼らにとっては魔族は異端であり悪とされ、魔族狩りが大規模に行われたりもしてるんです。まったく、あなたが寝坊するから……」

「だったら、いいじゃない。みんなが魔族と呼ばれるなら、僕が魔王になるよ」

「魔王……ですか?」

「組織だって行動しよう。それがまず一つ重要なことだと思う。魔法があるぶん、文明レベルはこっちのほうが進んでるんだからね」

「それがですね……さらに悪いニュースが二つあります」

 参謀が沈痛な面持ちで言った。

「一つ、我々の魔力が急速に失われていってます」

「猿人類が科学を手にすれば、魔法は信じられなくなる。そうすれば生命エネルギーは減っていく。まあ、予測できていたことだよね」

「あなたが寝ている間に、優秀な魔導師たちもだいぶ力を失いましたから」

 参謀の言葉にはいくぶんか責めるような響きが混ざっている。

「ごめん、まあ。冬眠のタイミングが悪かったってことで勘弁して」

「次にですね、異星人がこの星を狙ってるようなのです。開拓済みのちょうどいい移民先として」

「えっ……」

「複数の予言者が同じビジョンを見ています。今から二〇〇年後ぐらいに到達し、人類を支配するだろうと」

「参ったなあ……。いくら住みやすい星だからって、魔族、猿人類、宇宙人が仲良く住めるかなあ」

「その通りです。猿人類たちの科学も進歩しておりますし、おそらく恒星間移動ができる異星人はそれをさらに上回るでしょうね」

「具体的には?」

「魔族と猿人類がこのまま進歩したとした場合の二〇〇年後、宇宙人にこの星は支配されます」

「参ったなあ……。みんなで仲良くやれればいいんだけど」

「どうしましょう……」

 魔王はしばし考えて、それから口を開いた。

「じゃあ、さ。魔族と猿人類の力が、宇宙人の力と釣り合えば、そう簡単には支配されないんじゃないかな?」


 びりっとした痛みを感じて、光流は目を覚ました。

 心の目を走らせる。どうやら例の診察台に縛り付けられているようだ。

 そして頭にはバイオセンサーが取り付けられているようだ。首に感じた痛みは、針だろうか。神経に達しているのか、魔力が思うように練れない。

 バイオセンサーは薫流のバイオセンサーにつながっていた。その先には二台の霊的コンピュータが繋がっている。

 あー、ここまで来たらもうだめかな。光流は思った。

「何かその身体で言い残すことはありますか?」

 ウィステリアが言った。バラニナは先程とは異なり、部屋の隅に控えている。その隣にはもちろん伊藤藤通の姿も見える。

「僕が薫流の身体に入ったら、魔法が使えなくなるってことはない?」

「ありません。あなた方の魔法というのは、精神の方に依存する力だということがわかってます。ですので、あなたが薫流になっても、魔法は今までどおり使えます」

「それならよかった。魔力とバイオウェアの力が合わされば、天使とも戦えるからね」

 挑発ともとれるその言葉に、ウィステリアは答えない。

「薫流は一人でブルガコフ兄弟社のバイオ研究所を抜けだした。魔法を上乗せした薫流の身体はそれ以上のはずだ。僕は決してきみたちの思い通りにはならないよ」

「それだけですか?」

「それくらいしか負け惜しみは言えないし、事実だしね」

「では、残念でした」

 ウィステリアは無感情に言った。

「これから脳にバイオ改造を施します。その結果、あなたは我々に従順な人形になりますので」

「ええっ……そんなあ……困る……」

「それでは、さようなら。そしてまた会いましょう」

 ウィステリアは言って、伊藤を見た。

 瞬間、光流の意識が分解され、肉体から離れて情報に変わる。


 やれる自信はなかった。

 けど、やるしかなかった。


 光流――魔王バーミリオンスパロウの精神を構成する情報は、空白の薫流の身体に移動される。だが、光流も情報を呼び出していた。

「あなたがわたくしの身体を乗っ取ると言うのですの?」

 薫流の肉体を通り抜けた先、霊的コンピュータカオル二〇二六の内部には先客がいた。イメージの姿なのだろう薫流がそこにいる。

「せっかく美容やダイエットにも気を使っていたわたくしの身体が、よりによってあなたのものになってしまうなんて、ぞっとしませんけれども……。ブルガコフ兄弟社が採算を度外視して作ったコンセプトモデルを焼却処分されるよりは、と諦めることにしますわ」

「勘違いしてもらっちゃ困るな。僕はきみに会いに来たわけじゃないんだ」

 光流は言った。

「ヒカルさん、いるんでしょう?」

「お兄さまのことですの?」

 薫流は焦りだした。

「そうだよ、ヒカルさんはきみのお兄さんだろう? 外から見た時、カオル二〇二六とヒカル二〇二五は繋がってた。だから、ここにヒカルさんもいると思ってね」

 どこからか、拍手の音が聞こえてきた。

「正解。はじめまして、いまの光流くん」

「はじめまして、本物のヒカルさん」

 光流に瓜二つのヒカルが、そこにはいた。

「お兄さま……ですの?」

「ああ、薫流。久しぶりだね。余裕があれば、なにかゲームでもしたかったところだけど」

「お兄さま! 本当にお兄さまなんですのね!」

 薫流はヒカルの胸に飛び込んでいった。

「ああ、そうだよ。会いたかった。もっとも僕はずっと薫流のことを見ていたんだけどね」

「シャインから聞いておりますわ。わたくしもお会いしとうございました」

「アンシン・コーポレイトのモニタリングデータももらったよ。アンシン・コーポレイトはおまえのことをずっとモニタリングしていたようだね」

「わたくしのことを……?」

「ブルガコフ兄弟社を逃げ出したのも、きっとアンシン・コーポレイトの計画のうちだったのかもしれない。おまえにインストールされたバイオウェアはすべて監視下にあったようだよ」

「そんな……では、わたくしは彼らの手のひらの上で踊っていたにすぎませんの?」

「もちろん、その愛らしい猫目で見たものも全部ね」

「嫌ですわ……こんな目。お兄さまが綺麗だと言ってくれた、わたくしの本物の目ではないんですもの」

「でも、今の目も綺麗だ。自信を持っていい。……薫流、本当はもっとおまえと話したい。ゲームの腕も少しは上がっただろう?」

「まだまだ、お兄さまにはかないませんわ」

「試してみたいね。でも、時間がないんだ。光流くんの作戦に乗らなきゃいけないからね」

 ヒカルは薫流の肩を抱くと、光流の方を見つめて言った。

「作戦……ですの?」

「ああ、そう。ヒカルさんにはもうわかってたかな?」

「うん、ずっと見てたからね。行くよ」

 ヒカルは走りだした。

「わかった、おいで」

 光流は両腕を広げて、ヒカルを迎え入れた。


「ウィステリア様、マナカウンターの数値が……」

「なんですって!?」

 伊藤に言われて、ウィステリアは自分のARを確認する。確かに、魔力が急上昇している。光流の身体ではなく、薫流の身体に。

「いえ、大丈夫です。薫流の身体には魔王の精神が入ったのだから、魔力が上昇するのは当たり前です。それよりも生体モニタリングの方から目を離さないで」

「生体エネルギー、魔力に伴う形で上昇しております。血液活性化、心拍上昇、強化白血球フル稼働! マナカウンター、振り切ってます! ああっ、焼き付いた!」

 伊藤は悲鳴にも近い声をあげた。

「ばかな! 対バイオウェア用麻酔は通常の三倍は効かせてるのに!」

「ああ、もうだめだ。覚醒、まもなくです」

 薫流の目が開いた。

 薫流はゆっくり身を起こすと、自分の体を確認するように手を見た。

「あのう……ミス・氏原?」

 バラニナがおそるおそる声をかけた。

「つれないなあ、ミスター・中宮。いつもみたいにミスター・氏原でいいのに」

 薫流の身体は、薫流の声で、光流の口調でそう言った。

「起き上がれるはずがないんだ! 一体どうやって……」

「ん。魔法で?」

 ウィステリアの疑問に、光流は答える。

「魔法でだって? 簡単にできるはずがない。膨大な魔力が必要なはずだ!」

「ウィステリア様、ヒカル二〇二五のデータが消滅しております!」

 そこに伊藤がまた声をあげる。

「ヒカル二〇二五が? きさま、まさかヒカル二〇二五を取り込んだのか!」

「シャインから聞いた時にピンと来たんだ。ネットワークに繋げばヒカルさんは逃げ出せるって。じゃあ、僕とヒカルさんふたりで一つの身体に入ったらどうなるかってね」

「これが……魔王の魔力だというのか?」

「人間ひとりを生きたまま丸呑みにしたようなものだよ。これでも、一〇万年前の全盛期にはまったく届かないね」

 光流は言った。

「ひいっ……」

 耐えかねて、我先にと伊藤が逃げ出す。その後を追いかけるようにバラニナも走りだした。光流はそんな二人のために念動力でドアを開けてやった。

 だが力の制御がうまくいかない。ドアは根本からちぎれ飛んで伊藤を直撃、バラニナも下敷きにする。

「ありゃ……こんな魔力に溢れてるのは久しぶりだから、難しいな。ごめんね」

「くそっ……!」

 ウィステリアは飛び込むように、ほかの診察台に駆け寄った。そこにはシャインとミストが寝かされている。

「もし、わたしにその念動力で危害を加えようとしてみろ! こいつも道連れだぞ!」

 ウィステリアはシャインを抱きしめるように抱え上げた。

 なるほど、これではウィステリアだけを念動力でどうこうすることはできない。いまの念動力には精密な動きはできない。

「なるほどねえ……」

「単純に薫流の身体のバイオウェアだけで戦おうとしても無駄だ。我々天使は、はるかに優れたサイバーウェアをインストールしている。つまり、おまえには勝ち目はない!」

「悪党が人質をとった時には、もう追い詰められてる証拠だってさ。僕らの時代からずっとそうだった。今も変わらないね」

「ぐっ……」

「それにもう一つわかった。きみたちは科学は使えるけど、魔法は使えないみたいだ。例えば僕の念動力みたいな、そういうのは使えない」

「なんとでも言うがいい!」

 ウィステリアは内心、ほくそ笑んだ。後ろに隠した片手には注射器を握っている。この中には、最悪の場合に備えて用意された猛毒が含まれている。白血球を異常活性化させ、身体全体を白血球に攻撃させるという恐るべき猛毒だ。それはバイオウェアの強化白血球にはさらに致命的な殺人毒になる。

「さあ、おまえの大切な人間が死ぬぞ。殺せるのか? おまえと薫流の大切な人間だぞ」

 ウィステリアは一歩、また一歩と前に出る。まるで光流を挑発しているようだが、すきを見て注射器を刺せる距離を伺っているのだ。

「シャインには助けられたからね。ヒカルさんに会えたのも、シャインのおかげだし。シャインにコンピュータについて教わってなければ、こんな芸当は出来なかった」

「感謝の気持ちがあるなら、ほら、この女を助けてみろよ!」

 ウィステリアがまた一歩近づく。だが光流は動かない。

「同じことはミストにも言える。僕らの時代はマイナーだった身体強化魔法の使い方をみっちり教えてくれたから」

「身体強化魔法?」

「こんなの」

 声は、正面と真後ろから同時に聞こえた。

「なっ……」

「何が入ってるかしらないけど、こんな物騒なものは捨てようね」

 光流はウィステリアの手から注射器をむしりとる。一〇〇パーセントに近い魔力をもった光流は亜音速に近づいた。生身ではバラバラになっていたかもしれないが、薫流のバイオウェアならそれに耐えられる。

 反射的に、ウィステリアが光流に向かって手を突き出した。その腕につけられた腕輪が赤く輝き、きいんという音を立て始めた。

「あ、それって」

 光流が言葉を紡ぎ終えるより先に、光流の入った薫流の身体は軽々と吹き飛ばされ、壁を叩き壊す。

「やった……か?」

 ウィステリアは言った。だが、瓦礫が動いているのを見て愕然とする。だがすぐ気を取り直した。

「うわああああああああああ!」

 ウィステリアは悲鳴を上げて、腕をひねった。サイバーアームの右腕からは、ベルト給弾式のマシンガンが、左腕からは火炎放射器が、瓦礫を徹底的に襲う。

 それでもウィステリアは安心できない。メイド服の下の胸が膨れ上がり、シュポッと音をたてて、小型グレネードが発射された。

 爆音が轟き、マシンガンは弾丸が尽き、火炎放射器も使い果たした。

「こ、今度こそ……」

「おっぱいミサイルってはじめて見た」

「ひいっ」

 しかし、薫流の――光流の――声はウィステリアの耳元から聞こえた。

「最初のって、あれだよね。魔王城を破壊するに使ったってやつ。ふうん、そんな小型の機械だったんだ。やっぱり魔法とは仕組みが違うみたいだ。魔力は見えなかったし」

 その光流の、薫流の身体が着ていた服にすらダメージは入っていないようだった。

「あ。参ったな。魔力障壁で攻撃は防いだけど、瓦礫でキモノ破いちゃった。……薫流の腕って、顔に似合わず太いんだな。これが強化筋肉ってやつか」

 魔力でその強化筋肉をさらに強化して、比較的大きな瓦礫をぽんぽんともてあそぶ光流を見て、ウィステリアはおののいた。

 なんという化物を創りだしてしまったんだろう。

 殺される。ウィステリアは確信した。

 ウィステリアの手は、今度は後ろ側の壁に向けられた。衝撃波を一発。壁が吹き飛び、シアトルの空が広がる。同時にウィステリアのメイド服を突き破って、折りたたみ式のグライダーと小型ジェットエンジンが展開される。それを確認する間も惜しんで、ウィステリアは空に飛び出した。

 逃げなければ。

 アンシン・タワーから飛び出したウィステリアは、セーフコ・フィールドで試合中のマリナーズを横目に、シアトル市街を抜け、ハイウェイを超える。正面にはレイニア山。あそこまで逃げれば、なんとかなる。

「いい天気だね。空の散歩にはうってつけだ」

「ひいっ!」

 見れば、ウィステリアに並走するかのように猫目の少女が飛んでいた。いくらウィステリアでも、ジェットグライダーに追いつける生物など、いままで見たことがない。

「あの山、裾野が広くてふもとに広い森があるんだよね。まだ残ってるかな? そこにきみの宇宙船が隠してあったりして」

 ウィステリアの顔が蒼白になる。

「貴様、天使の正体を知っていたのか?」

「思い出したんだよ」

 光流は言った。

 抜刀一閃。ウィステリアの下半身が切り離され、残った上半身はきりもみしながら落ちていった。

 身体を分断され、高々度から落下したものの、ウィステリアは、すぐに気を取り直すと、満足に動かない身体で、どこを目指してか、地を這って動き出した。

 だが、その目の前にとすんと、薫流の長小太刀が突き刺さる。

 猫目の少女は低い声で言った。

「きみは許されないことをした」

 ウィステリアからシャインをもぎ取り、両腕を後ろで極め、光流は言った。

「……薫流の身体におまえを移したことか? 二人の女を巻き込んだことか? それともまさか、会ったこともないヒカルをコンピュータ化したことか? 甘っちょろいな、それくらい、魔族のおまえもやってたことだろう」

「……ああ、やってたよ。人造魔族なんてのも作ったっけ。人類を魔族に改造したり、あるいは魔族にさらに強化魔力をあたえたり……」

 光流は目を閉じ、言った。

「人間を食って魔力に変換したことも、あった」

「だろう? きさまら魔族も、わたしたち天使と何も変わらないじゃないか」

「違うね。僕たち魔族と人間は、共存するために戦ったんだ。いずれ来る宇宙移民――天使と戦うためにね」

「わたしたちと戦うために……? なぜだ、なぜおまえは、そこまで考えながら、それでも悪役を買って出たんだ? おまえなら、人類と魔族を協力させることで進化させることもできたんじゃないか?」

「……買いかぶり過ぎだよ。僕個人ならともかく、人類同士でも戦争は耐えなかったし、すでに一部魔族は人類と対立しはじめていた。だから、僕が人類共通の敵になるしかなかったんだ」

 光流はそこで一息つくと、言った。

「きみたち天使には、こう言ってやりたい。ひとつは、僕を封印から目覚めさせてくれてありがとう。彼女たちとの生活は、失った僕の青春を取り戻すのに充分だった。そしてもう一つ、許せないほうは――」

 長小太刀を持たない方の腕が高く振り上げられる。

「――きみたちが、仲良くしようとしてくれなかったことだよ」

 ウィステリアは、もう何も言わなかった。

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