6th stage 魔王と霊的コンピューター
――1776年7月4日 魔王城
「魔王バーミリオンスパロウ。最期に言いたいことはありますか?」
聖剣を握った少女が、それを突きつけながら言った。
すでに魔王城の魔族は死んだか、逃げたか、降参したか。残ったものは魔王一人だ。
「おとなしく降伏すればよし、なければこのままあなたを殺します」
「僕は、許されるにはふさわしくないよ。最後まで自分の主義を通して、死ぬ」
「理解できないな」
少女に連れ添ったエルフの女魔術師が言った。
「なぜ魔王ともあろうものが、こうあっさりと負けを認める?」
「さあね。悔しいから教えてあげない」
「目的は果たしたということか?」
「まあね」
魔王は少し考えて、言った。
「蠱毒って知ってるかい?」
「なんだ、突然? たしか毒虫を一箇所に集めて殺し合わせ、残ったものを使った呪術だろう?」
言って、エルフは気づいた。
「まさかおまえ、世界規模で蠱毒をやろうとしたわけじゃあるまいな」
「どういうことですの?」
少女が聞き返す。
「魔族の大半は魔王の旗のもと統一された。人類も魔王に対向するため統一された戦力を持った。そして長い戦いの中で、魔術・科学ともに発展していった……」
「まあ、読みはいいよね」
魔王は否定も肯定もしない。ただうなずいた。
「何と戦うつもりだ?」
「ん?」
「世界を蠱毒にして、生き残ったものと何を戦わせるつもりだと聞いているんだ?」
「教えない。杞憂だったらかっこ悪いしね。歴史書には絶対残したくない」
「じゃあ聞きませんわ」
少女が言った。
「聖剣で眠りにおつきなさい」
「いいよ、僕に勝てたらだけどね」
どすんと、重いものが倒れる音がして、光流はまどろみから目覚めた。
音の発生源はシャインの部屋。シャインはいま、ヒカル二〇二五を探すためにブルガコフ兄弟社にクラッキングを仕掛けていたところだ。
クラッキングを行うには、VRが最も適している。電子の海を泳ぐようにコンピュータの中に侵入していくのだ。
だが、当然それにはリスクが伴う。セキュリティ装置に見つかれば直接脳にダメージを受けることもあるのだ。VRでのクラッキングは、物理的に忍びこむのと大差ない。
もし今の音が、クラッキングに失敗したシャインが倒れる音だとしたら……。
「大丈夫か?」
ミストが慎重に扉をノックする。
「あー、大丈夫っす。しかし、まずいことになりましたね……」
とりあえずシャインの声が聞こえたので一同は安堵する。だがまずいこと、という言葉に、今回のスイープが一筋縄ではいかないことを覚悟した。
「まあ、いいでしょう。みなさんそろってます? よければ始めましょう」
シャインはARで情報を共有し始めた。
「正直な話、倒産した会社と思って舐めてかかってました。それが失敗でしたね」
「失敗だったの?」
「厳密には、半分成功です」
「さきっちょだけ、とか一往復だけ、とか?」
「何を言ってるんですの?」
「半分性交って」
「言わなくてもいいんですわ!」
「目的のひとつ、ヒカル二〇二五のありかは突き止めました。お話通り、ブルガコフ兄弟社のワシントン支社、五階の特設コンピュータルームにあるようです」
立体地図で目的の建物が表示される。確かに五階に、特設コンピュータルームと呼ばれている部屋があるようだ。風呂場の脱衣所のように、前室を通って入る形になっている。
「ヒカル二〇二五を置くためにわざわざ作った部屋のようです。立ち入るためにもセキュリティをかいくぐる必要がありまして、えらいこっちゃです」
「無力化はできなかったのか?」
「これが、手強くてですね。いやはや、さすがはもと世界規模企業。腐っても鯛というべきでしょうか」
「できなかったのか……」
「入室の際にCRIと社員証と指紋生体認証と、かなり細かい認証が行われるのですが、それはごまかせるとおもいます。ですがもう一つ、手荷物も含めた体重計量があります。退室時に体重が少しでも異なると、部屋から出られなくなるという仕組みですね」
「何かを持ち出すことも、置いてくることも不可能というわけですのね」
「そうです。で、その体重計というやつがアナログな仕掛けでして……歯車と金具だけで構成されているらしいのですよ。これはクラッキングではどうやっても対応出来ません」
ごくごく単純な仕組みだ。ドアを閉めた時の体重でロックされ、もう一度乗った時の体重が同じであれば開く。それだけの仕組みである。
「とすると、エレベータシャフトを伝って、壁側の通風口から侵入するのがもっとも安全な経路に見えます。が、ここにも問題があります」
部屋の裏にはエレベータシャフトがあった。なるほど、完全な密室では窒息の可能性がある。ゆえに小さな通風口が壁に取り付けてあった。
「室内に重量センサがもうひとつあります。床全体に張り巡らされておりまして、入り口がロックされていない状態で床に何か乗ると、警報が作動します」
「ということは、どうあろうと中に入ることは出来ないということか」
「天井裏からであれば、ぶら下がることも出来たのですが」
「壁からでは無理か……。ドローンのアームではどうだ?」
ミストがお茶を給餌するフォード・フライイング・スパイダー・マークスリーを示して言った
「おそらく難しいでしょう。ヒカル二〇二五の重さがおそらく、耐荷重量を超えています。それにですね……」
「まだあるのかよ」
ミストがうんざりとして言った。
「ヒカル二〇二五そのもののセキュリティレベルが不明なのです。ということは、一度はヒカル二〇二五に有線で接続し、クラックしなければなりません」
「ドローンのアームでジャックを取り付けることはできませんの?」
「おそらく難しいでしょう。この場合の有線ケーブルには長さ制限がありまして、どうしてもエレベーターシャフト内に、わたしが待機してなければならないっす。その間にエレベータを使われたらアウトです」
「そうか……。他には?」
「いまわかるのはこれだけですね。エレベータを止められればいいんですが」
そうして、シャインは腕を組んで考えこんでしまった。ミストと薫流も同じくだ。
「あのさ、よくわからないけど」
光流が口を開いた。
「よくわからないなら黙っててくださいまし」
「まあまあ、アイデアはなんでも惜しいもんです。聞きましょ」
「なんでエレベータを止めなきゃならないの?」
「わかるだろう。シャインがエレベータシャフト側で待機してたら、エレベータが動いた時引っかかる。もう一つ、シャインがコンピューター室に侵入すれば、重量センサーで侵入がバレる」
「飛べばいいのに」
「バカですの? ドローンの飛行装置では、人間を持ち上げる力はありませんのよ」
「僕、シャインぐらいなら持ち上げて飛べるけど」
「「「えっ」」」
三人の声がそろい、六つの目が光流に集まった。
夜中になったといえ、ビル街の人通りは絶えない。
この時間に外を歩いている社畜は幸せな方である。
光流の時代と異なり、電話ができて、インターネットができて、セルコンができた現在では、ミーティングのために社畜が働き蜂のように飛び回ることは少ない。
夜はどこの会社も、できる限り休む時間に当てている。だが、本当に休めるものはごくわずかだ。多くの社畜がまだ檻に閉じ込められていた。
光流たちはこれからその檻の中に忍びこむのである。
『静かに。ここからは思念通信でお願いします』
一同はシャインの声を頭で聞きながら、下水道を歩いていた。今回はドローンの代わりにシャイン本人が同行している。ヒカル二〇二五をクラックするためだ。
『ブルガコフ兄弟社には下水道から潜入。中庭に出ますので、隙を見て機械室へ侵入。わたしと光流はそこからエレベータシャフトに侵入します。薫流とミストは機械室でエレベータを操作。帰りはその逆です』
『わかった』
『かしこまりましたわ』
『それから僕とシャインは通風口から目的の部屋に飛行状態で入る。わかってるよ』
『はい、それでいいです。では行きましょう』
服装は青のツナギで統一している。何かあったときに整備員だとごまかすためだ。薫流も刀を短刀に持ち替え、工具入れに隠している。バイオセンサーも猫耳ではないもので妥協した。
『っと、そうだ。参りましたね。このタイプですか』
丁字路になっているところで、シャインは立ち止まった。下水もそこで合流していて、作業員通路として、金網のようなグレーチング橋がかけられている。
『どうした?』
『大丈夫です、すぐに渡ります』
シャインがその場に腰をおろし、目を閉じた。VRに没入したのだろうか。
ややあって、シャインは目を開く。すると下水の流れが緩やかになり、やがて止まった。
『ほら、わたし引きこもりだから皆さん忘れてるかもしれないけど、ヴァンパイアなので流れの強い水の上を渡れないんですよ。普通の橋ならいいんですが、こういう金網は渡れません。だからちょっと下水道の流れを止めさせて頂きました』
『なるほど、面倒だな……』
『生まれつきですからね。慣れました』
シャインは起き上がり、改めて橋を渡った。
『さて、この上がブルガコフ兄弟社の中庭につながっているはずです』
出てきたマンホールの蓋を閉じ、シャインが鍵を開け、中庭からビル内に侵入する。機械室の鍵も電子錠だ。こんな鍵は、シャインにとっては存在しないのと同じである。
『天気予報では雨の予報でしたからね、早めに済ませましょう。ビニール袋がありますが、一応コンピュータを運ぶわけですし』
もちろん、監視カメラにも偽の映像を流してある。あとは薫流が人の気配を探り、動くだけだ。幸い、社畜のほとんどはデスクから離れず、廊下には誰もいなかった。
『エレベータの操作は……ここをこうですね。ミスト、あとはお願いします』
『だいたいわかった。やってみる』
エレベータの操作盤はミストでもできる簡単な作業だ。ほんの一瞬だけエレベータを止めてドアを開け、その間に光流とシャインがエレベータシャフトに飛び込む。
光流とシャインはエレベータ前までは誰にも見つからないように行かなければならない。そのさいも、魔王の力が役に立った。
『前からひとが来るっすよ』
『大丈夫、あっちからは見えないし、聞こえないから』
言ったとおり、生気のない顔をした社畜は、光流たちを一瞥もせず通り過ぎた。
『やっぱ、便利っすねえ。魔法なんて時代遅れだと思ってましたが』
『だろ?』
やがて二人はエレベータ前に着く。
『一階エレベータ前、到着しました』
『了解。エレベータを地下一階に下ろし、ドアを開ける』
ややあって、ドアが開く。エレベータリフトは一つ下の階にあるため、そこにはむき出しの機械があった。
『次は四階に止めてください』
エレベータは四階へ。上に乗っている光流たちは、五階の壁面に到着する。
『じゃあ、お願いします』
『わかった』
光流は魔力による身体強化を試みた。あの肉の摂取で、魔力は充分にある。
バキリと音をたてて、通風口のフィルターが外れた。
そこに光流は入ってみる。よし、なんとか入れそうだ。
「魔王バーミリオンスパロウの名において命ず。浮かばせろ」
中に入ったら小声で呪文を唱え、浮かび上がる。
『大丈夫っすか?』
『OK。静かに入ってきて。念動力で持ちあげるから』
シャインも後に続く。見えない腕で抱えられているように浮かび上がった。
『おー、飛んでるっすね』
室内に灯りはない。だが、シャインの義眼には関係ないし、光流も魔力で暗視が可能だ。
部屋の中心に、タワー型デスクトップコンピュータが鎮座していた。ケースの壁面にヒカル二〇二五と書かれている。
『有線ポートは……こりゃ今時めずらしい規格ですね。変換アダプタを二重に噛ませて、と』
シャインは持参したケーブルをポケットのセルコンとつなげた。もう片方をヒカル二〇二五に接続する。
途端、シャインの身体が脱力する。VRに没入したのだろう。意識のない身体は急に重く感じる。それは念動力でも同じだった。
『あー、なるほど。こういうコンピュータっすか』
思考通信を通してシャインの声が聞こえてきた。
『GPSとかはないっすね……。ふむ、これなら普通に持ちだしても大丈夫っすよ』
『わかった』
光流は念動力でヒカル二〇二五を持ち上げた。だがその瞬間にシャインが叫ぶ。
『あ、待つっす!』
『えっ』
しかし、遅かった。
プツッ……。シャインとの思考通信が途絶える。
『えっ?』
みればヒカル二〇二五の後ろにあったケーブルが本体からはずれ、デスクの上に転がっている。
『え、どうしたの? シャイン?』
『何があった?』
ミストが聞いてきた。光流は見たままを話す。
『いや、コンピュータ持ち上げたら、後ろのケーブルがとれてシャインが倒れた……』
『後ろのケーブル……? 電源ケーブルじゃないのか? シャインはVRでヒカル二〇二五に入ってたんだろ? そのまま電源が落ちたらとんでもないことになるぞ!』
『どっ、どうしよう……』
『意識を失うほどのダメージなんでしょう? 二、三日は目を覚まさないかもしれんませんわね。最悪、後遺症がでますわ』
『あんまり脅すな。とにかく、エレベータを元の位置に戻すから、シャインとヒカル二〇二五を運んでそこから出てこい』
光流は来た時と逆に、まずシャインを念動力で動かす。
だが通気口は気絶した人間を通すには狭すぎる。
苦労して手足すべてを操り、なんとか通り抜けようとした時、シャインのポケットから何かがこぼれ落ちた。
ヒカル二〇二五とつながったままのセルコンだ。
あっと思うまもなく、セルコンは床に落ちて――。
わずか数センチ上で、動きを止めた。
『ふう……』
念動力がギリギリ間に合った。
光流はヒカル二〇二五からセルコンを外そうかとも思ったが、電源ケーブルを抜いたときにとんでもないことになったのを思い出した。念のためこのままにする。
結果、シャインに数本、コンピュータに一本、セルコンに一本の見えない腕を伸ばしつつ、自分自身の浮遊も制御することになる。その消費魔力はかなりのものだった。
シャインをエレベータに動かしたら、今度はヒカル二〇二五とセルコンだ。ケーブルはつなげたまま、通風口から押し込む。今度はうまく行った。
最後に残った光流は、一度深呼吸。落ち着いてから通風口をくぐり抜ける。
『エレベータシャフトについた。一階までお願い』
『薫流がそっちに行く、それまで待て』
言った瞬間、エレベータが動き出した。下ではなく上に向かって。
『逆だよ!』
『違う、誰かがエレベータを使ってるんだ』
エレベータはスピードを増し、天井がどんどん迫ってくる。
『ぶつかる!』
だが、そうはならなかった。
もとよりこのエレベータは、上にメンテナンス用のスペースがある。
『乗った奴が一階のボタンを押したな。よし、一階に止まった時に二階で降りろ』
言われると同時に、落下感が光流を襲う。車酔いにも似た感覚がこみ上げてきて、シャインを固定していた見えない腕が少しずつほどけていく。
「わわっ」
慌てて光流はシャインを抱きとめる。
やがて、エレベータが止まって、ドアが開いた。
『……何をしてるんですの?』
薫流の冷たい声が頭に響いた。暗がりの中で猫目が光る。
『えっと……』
『意識を失ったシャインに何をしてますのと聞いているんです』
『違う。魔力がもう足りなくて、これは誤解で』
『ここは二階ですわ』
『帰ってからやれ!』
ミストの怒鳴り声が頭のなかに響いた。
『仕方がありませんわね。行きますわよ』
薫流は奪い取るようにシャインを担ぎあげた。肩に担ぐ、いわゆる人さらい抱っこというやつだ。光流もあわてて、薫流が持ってきたビニール袋にコンピュータ包んであとを追った。
一階の踊り場にはすでにミストが来ていた。
『急げ!』
『慌てなくても、下水道は逃げませんわよ』
薫流が落ち着いて言い返す。
だが問題は起きていた。外にはいつの間にか大雨が降っていたのだ。
『……シャインって、雨が流れる地面は大丈夫なのか?』
『……大丈夫だった……と思いますわ』
『……もう一つ。さっき下水道せき止めただろ? この雨で溢れたりしてないか?』
『……ミスト、見てきてくださる?』
言われてミストは、薫流と光流を見る。薫流にはぐったりしたシャインが乗っているし、光流は防水袋に包んでいるとはいえ、水濡れする訳にはいかないコンピュータを抱いている。
『……わーったよ。くそっ』
ミストは雨に濡れながら、下水道のマンホールを開けて中を懐中電灯で照らした。
降りるまでもない。どう見ても、中は水であふれている。
そしてせき止めた下水道を正常に戻せるシャインは、この有様だ。
『ダメですのね?』
『うろたえるな。こうなりゃ正面突破だ』
ミストは戻ってきて言った。そして両手に銃を持つ。
『正気ですの? この状況で? シャインがこうで、わたくしがこうで、さらにお荷物もう一人かかえて?』
『あたし一人戦えればなんとかなる!』
『だからあなたは脳筋だというのですわ! 警備員のいる玄関をどうやって突破するおつもりですの?』
『何とかしてだよ!』
『何とかってなんですの!』
薫流とミストの間に火花が散る。
『話し合う時間がもったいない、行くぞ』
『待って』
しかし、それを止めたのは光流だった
『僕にいい方法がある!』
一行はビルの屋上に飛び出した。
鍵がかかっていたが、それはシャインをミストに預けた薫流が文字通り斬り開く。
『本当にできるのか?』
『長くは無理だけど、一瞬なら行けると思う』
『水が流れますわよ。シャインは大丈夫ですの?』
『そういうイメージじゃないんだ。大丈夫だと思う』
『思う思うで……大丈夫なのか?』
『信じて』
言って、光流はポケットから小さなビニール袋を取り出した。
『なんだそりゃ?』
『干し肉。こんなこともあろうかと思ってさ』
光流はその、食用とは言いがたいビーフジャーキーを、口に放り込んだ。香辛料で誤魔化しているが、逆に香辛料と塩の味しかしない。だが、必要なだけの魔力は回復した。
『行くよ。僕のあとに続いて』
薫流が落下防止柵を切り倒す。光流はそれを乗り越え、空中に飛び出した。
『どうなっても知らないぞ!』
『なるようになれですわ!』
「魔王バーミリオンスパロウの名に置いて命ず。創り出せ!」
光流の銀朱色の髪が尾を引くようにきらめきを撒き散らす。
『いぃぃぃぃぃぃいやっほおおおおおおおおおおおおおっ!』
空中に、見えない滑り台ができていた。プールのウォータースライダーのように、曲がりくねったそれは、少しでもブルガコフ兄弟社から離れたところへと向かって進んでいく。しかし力場は水を素通しし、流れる水を作らない。シャインのためだ。
その後を、ミスト、気を失ったシャイン、コンピュータを抱えた薫流が続く。
『大丈夫なのか、これ大丈夫なのか!』
『……南無三……』
幸い、大雨の中で上を見るものはいなかった。ビルの窓から外を覗く社畜もいない。
いくつもの曲がり角を越えて、やがて地上スレスレに降りてくる。
そこには下水道に入った場所、チームの愛車、トヨタ・オヒメサマが駐車してあった。
ボフン、ボフン、ボフン、ボフン。空気が抜けるような音が続けて四つ。
光流の最後の力場は、クッションの役割を果たしていた。
風船がしぼむように、やがて一同は地面に近づいていく。
ミストはシャインを後部座席に放り込み、自分も運転席に乗り込む。薫流もコンピュータを抱えて助手席に。光流も後部座席に滑り込んだ。
「つかまれ!」
言うが早いか、エンジン始動と同時にアクセル全開。急発進急加速。
どこをどう走ったかは、魔力を使い果たして、かつ車酔いにやられた光流には覚えられなかった。
おそらく一時間以上。たっぷり時間をかけてグルグルとまわり、車はアンシン・タワーの地下駐車場に入っていった。
「お待ちしておりました。いや、今回もお早いお仕事で。……おや、ミス・ストーンはいかがなされました?」
一行はシャインとヒカル二〇二五を担いでアンシン・タワー五六階、バラニナの私室にたどり着いていた。
シャインとセルコンとヒカル二〇二五を引き離していいものか悩んだので、とりあえず意識のないシャインを担いだまま連れてきている。それをバラニナは指摘したのだ。
「深夜に申し訳ございません。実は、ミスでジャックアウトをやってしまって、意識が戻らないんですの」
シャインにかわって薫流が言った。
「ジャックアウトを? ……もしかして、ヒカル二〇二五に? あー……そうでしたか。いえね、ヒカル二〇二五は普通のコンピュータとは違いますので、VRでのアクセスはしないでいただきたいと言えばよかったですねえ。申し訳ございません。ですが、逆にジャックアウトを行ったのがヒカル二〇二五でよかったです。ウィステリア。すぐにヒカル二〇二五を電源に接続してください」
バラニナはメイドを呼びつけ、受け取ったコンピュータを電源に接続させた。シャインのセルコンをつなげたまま、電源をオン。
「待ってください! まだ話したいことが……。あれ?」
シャインが飛び起きるように目を覚ました。
「シャイン!」
「ああ、よかった。これで安心です。アンシン・コーポレイトだけにね」
バラニナはあらかじめわかっていたかのように、言葉を読み上げた。
「そんな、ジャックアウトしたのにこんなに簡単に目覚めるなんて、ありえませんわ」
薫流がつぶやく。それをバラニナは見逃さなかった。
「そうなのですよ。実はこれ、スピリチュアルコンピュータと申しまして……」
「ミスター・中宮」
ウィステリアと呼ばれたメイドが、バラニナの言葉を遮った。
「ああ。すみません、ウィステリア。時間でしたねえ。上がってくださって結構ですよ」
「かしこまりました」
言って、メイドは部屋を立ち去った。
見れば、時計はちょうど日付の変更を示している。
このメイドさん、随分遅い時間までいるんだな。と、光流は思った。
「僕もメイドほしいなあ」
「頑張って働けば、あなたにも雇えますよ。さて……というわけで今日はお茶も出せないのですが、ありがとうございました。謝礼は入金しておきましたので、ご確認ください。あ、もちろんですが、他言無用にお願いいたしますよ」
夜闇に紛れることなんかできないんだな。
光流はトヨタ・オヒメサマの窓から外の景色を眺めて、そう思った。
ビルは遅い時間まで灯りを絶やさなかったし、車道沿いの街灯も途切れない。それに、もう日付が変わっているというのに車のヘッドライトもビュンビュン通り過ぎていく。歩いている人影もまだチラホラといる。
「見直しましたわ」
そんなふうに考えている光流に向かって、薫流がつぶやいた。
「えっ、僕のこと?」
「他に誰がいるんですの?」
「あ、うん。……えへへ」
「でも、シャインがピンチに陥ったのはあなたのせいでもあるんですよ」
未だ意識がはっきりしないのか、車に戻るなり寝てしまったシャインを見て薫流は言った。
「ですから、プラスマイナスゼロです。わかりましたわね」
「……そんなあ……」
「だが、おまえの魔法が役に立つことはわかった。それは事実だな」
ミストが運転席からそう言った。
「けど、光流。……あたしは逆におまえが怖くなったよ。おまえが魔力を取り戻したら、また人類を支配するんじゃないだろうかってな」
「ああ……それなら大丈夫。もう、魔王さまがどうのって時代じゃないだろう?」
「……まあな」
「それがわかったら、ポルノ返してよ」
「駄目だ」
「認めませんわ」
薫流もミストに同意した。
「そんなあ……」
「だが、肉の代金は一部チーム費用から出してもいいかもしれんな。あたしの弾丸代やシャインの機械工作費用と同じだ。あとで考えよう」
「ううん……結局、うまくいったんですか?」
それを聞いてか否か、いつの間にか目を覚ましていたシャインがぼそぼそとつぶやいた。
「寝ててもいいんですわよ。お疲れでしょう」
「気になりましてね。さっきエレベータでも聞きましたが。わたしが死なないウォータースライダーなんて、意識がなかったのが残念でならないですよ」
「余裕がおありでしたら、逆にわたくしにも聞きたいことがありますわ」
薫流が言った。
「スピリチュアルコンピュータって、なんだったんですの?」
「……普通のコンピュータに思えましたねえ」
シャインは窓の外を見る。
「ジャックアウトで意識を失うほどのダメージを受けたのに、コンピュータとのリンクを再確立すれば戻る。普通のVRアクセスだけでは考えられませんわ」
「時々あることっすよ」
「嘘おっしゃい。まるでコンピュータに意識を捕らえられてしまったかのようじゃありませんこと?」
「あの、ちょっとよくわからないんだけど」
光流がそこに割り込んだ。
「よくわからないなら黙っていてくださいませんか」
「いいですよ、なんでも聞いてください。……答えるとは限りませんけど」
「ジャックアウトって、何?」
「はあ? そこからですの?」
薫流が呆れる。相手が二五〇年以上昔の人間だということを忘れているのだ。
「うん、一からじゃないと、わからないんだ」
「簡単に言うと、ここにホースがありますよね。それで十メートル先に水を送ってる最中に、蛇口からホースを外したらどうなります?」
シャインはたとえ話を持ちだした。
「蛇口から水が溢れ出す……よね」
「似たようなものでして、VRで意識がコンピュータに入ってる最中に繋がりが途絶えちゃうと、何らかのエラーが起きるんです。深刻な場合は後遺症が残ったりもします」
「普通、VRは本当に精神をコンピュータに落とし込んでいるわけではなく、コンピュータからの信号を脳が受けて擬似的に侵入しているように感じているに過ぎませんの」
薫流が補足する。
「ですから、その最中にジャックアウトを行なっても、脳に負荷がかかるだけなのです。本来ありえないほどの電気信号が送られてきてパニックを起こすような感じですか」
VRによるコンピュータ操作は、少なからず脳にダメージを与える。アクセスしている最中に信号がとだえたら、なおさらだろう。
「ですが今回のはどうですの? まるで、本当にコンピュータに精神を吸い取られたかのようではないですか。電源が落ちると同時に本人が抜け殻になり、電源が戻ると目を覚ます。普通のコンピュータでは考えられませんわ」
「偶然っすよ。偶然、あたりどころが良かっただけです」
「中宮さまはおっしゃいましたわ。それがスピリチュアルコンピュータというものだというようなことを」
しかしシャインは答えない。
「答えてくださいまし。何を見たんですの?」
「すみません……」
シャインは辛そうに言った。
「今は、休ませてください。あとで必ず話しますから」
「……わかりましたわ」
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