4th stage 魔王の初仕事
その夜には、伊藤藤通の監禁場所が明らかになった。
シャインが鳳凰公司のコンピュータにクラッキングをかけて、所有物件を隅から隅まで当たった結果、鳳凰公司が所有する港の倉庫の中に、不自然な部屋があることを突き止めたのだ。
「というわけで、明日の昼ごろに突入します」
ミーティングを初めて早々、シャインは言った。
「えっ、夜じゃないの?」
それに光流が疑問を挟む。昔は、犯罪行為を行うなら夜と相場が決まっていたものだ。
「もちろん、昔と同じで人気のない時間を狙うのはセオリーです。ですがあえて逃走経路を上手く扱うために人混みの中を通ったりするという作戦を今回は採用しました」
「そうじゃなくて、顔を見られたりとか」
「暗視カメラというものがありまして、暗いところでもはっきり顔がわかっちゃうんですよ。それに警備員がいたとして、暗視ゴーグルとかありまして、暗さは関係ないですね」
「なるほど」
「なにを隠そう、わたしと薫流の義眼も暗視ができます。ま、昼も夜も関係ないですね」
「そろそろいいか?」
ミストが手を挙げて口を開いた。ARで全員が共有している地図にマーカーを置く。
「まず、わたしが警備員なら、配置はこことここだ。ターゲットの重要性が想定通りなら、武装した連中が数人ってとこだろう。それよりも重要なのは、逃走ルートだな」
「はいはい。水路と陸路をそれぞれ用意してあります。陸路は車をここに配置しておきまして、昼休みであふれる人混みの中に突っ込んでください。水路は作戦開始と同時にボートをここに接岸しておきます。その場の判断でどっちかに行ってください」
「水路って、シャイン通れないんじゃない? ヴァンパイアは水の上ダメなんでしょ」
「乗り物や橋があれば平気っす。それにわたしは基本、スイープの現場には出ません。弱点が多すぎるってのもあるんですが、クラッキングに専念するというのもあります。その代わり、このあいだの下水道のときみたく、ドローンを送り込みますからね」
「けっこう優秀な子ですのよ」
当のドローンは薫流の隣で、紅茶を淹れている。シャインが操縦していなくても、半自動操縦で戦闘から給仕までなんでもこなすらしい。
「むしろ、あなたのほうが役に立つのかどうかですわ。わたしは剣を、シャインはクラッキングとドローンを、ミストは銃が使えます。魔王さまは何ができるのですか?」
「ええと、それは」
「下着を外したら殴りますわよ」
「正解。目に見えるくらいの距離であれば、念動力っていう見えない手がとどくよ」
「それならやっぱりテッポー持たせた方が役に立つかもしれないっすね」
シャインがいうと、ミストが若干眉をひそめた。
「あたしのコレクションを使うのか?」
「できれば」
「まあ、使ってない銃はあるが……弾丸代とメンテナンスは自分で負担してもらうぞ」
「よくわからないけど、やれることはやるよ」
少し沈黙してから、ミストは言った。
「……考えてみたんだが、おまえ魔力はそれなりにあるんだよな?」
「見くびったもんじゃないぞ? こう見えても、魔力と精力はまかせとけってもんだ」
「精力ってなあ……」
ミストがぼやくと同時に、くしゃっとという小さな音がした。
音のした方をみれば、薫流が銃弾くらいの大きさの金属をつまんでいる。
「あらまあ。紅茶のスチール缶をまた握りつぶしてしまいましたわ」
薫流は芝居がかった声をあげた。
よく見れば、薫流の手の中にある金属は。さっき薫流が淹れていた紅茶の葉が入っていた缶と同じ色をしている。握りこぶしより大きな、固そうな缶だった。
「ところで、それ以上お兄さまの顔で破廉恥を繰り返すと、あなたの頭蓋骨がどうなるかわかりますわよね」
「わからされました」
薫流の圧力に、光流はおとなしく引き下がる。
「わかったところで、光流とわたしは地下に行くぞ」
それを見て、ミストがやれやれといったふうにまとめた。
ビルの地下には射撃場があった。いくらか支払えば持ち込んだ銃を好きなだけ撃てるという、スイーパーにはお手頃な練習場である。
「見てろ」
ゴーグルをかけたミストは、愛銃ミツビシ・ヤタガラスを的に向けた。
乾いた音が十数回。
的を近くに寄せると、人間を模した紙の、頭に一つだけ穴が開いていた。
「なんだ。何発も撃ったのに、一発しか当たってないじゃないか」
「そうかな? セルコンに動画を送るから見てみろ」
言われて光流はメガネを通して空中に投影された新着メッセージを選択する。数秒の動画だった。
「超高速度撮影だ。銃弾がゆっくり飛んでるのが見えるだろう?」
言われたとおり動画を再生すると、的に向かって銃弾がゆっくり飛んで行くところだった。一発の銃弾が的の頭を貫通する。続いて二発目も的の頭の部分を、三発目も……。
「あれ? 全部当たってるのに、穴はひとつ? どういうこと?」
「どうだ、すごいだろう」
ミストはどうだといったふうに胸を張った。
「自分で言っておいてなんだけど、穴がひとつしかなくてがっかりするってのもエロいよね」
「薫流を呼ぶぞ」
「勘弁して下さい。……ところで、これどういうことなの?」
「簡単な事だ」
ミストは的に開けられた穴に、未装填の銃弾をあてがう。
「全部同じ所に当たったんだよ。寸分違わず」
「ええっ!?」
驚いて光流は動画を再度再生する。確かに、言われてみればその通り、ピンと貼られた紙の的の、一点に銃弾は常にあたっている。
「こんなことできるんだ……」
「曲芸の部類だが、防弾ガラスを破ったりするのには使える。激しく動く相手にはさすがに通じないけどな」
「僕にもできるかな」
光流は銃を持ち上げた。銃に明るくない光流のためにミストがコレクションの中から選んだのは、中東の新興国で作られたハリーファ・マッリークという銃だ。
ミツビシ・ヤタガラスと同じ・五〇〇S&W弾を使うのだが、その中でも比較的メンテナンスが容易である。
「その前に、おまえがどの程度の魔法を使えるかが問題だな。確か、魔力は空っぽなんだろう?」
「せ」
「精力が残ってるかどうかなんて話はどうでもいい」
ミストは先を続けた。
「わたしは銃身固定や視力強化、それに短未来予知、それに……あと何を使ってたかな。無意識レベルで色々やってるんだ」
「へえ……。器用なんだね。確かにそれだけあれば、銃みたいなのを使うには便利だけど。ううん、今の僕にできるかな」
「特に、反動には気をつけろよ。その銃を撃つと、腕が蹴られたくらい跳ね上がる。そのための銃身固定だからな」
「わかった」
言われたとおり、光流はメガネの上からゴーグルをかけた。銃を撃つときには硝煙などで目をやられることが多いため、できるだけ保護ゴーグルを使えというのがミストの教え。
「うわ、これ便利だな」
AR上に投影された情報は、銃から伸びる一本の赤い線。スマートリンクという、銃がどこを狙っているかが一目でわかる装置だ。
「銃の癖は調整したデータを送ってある。どんなバカでも撃つだけなら撃てるはずだ。まずは一発だけ撃ってみろ。できるだけ銃は両手で、こう握るんだぞ」
「わかった」
光流は体内の魔力を操作した。まずは銃身を固定。跳ね上がる反動を軽減する。
そして視力強化。スマートリンクの赤い線をたどるように、その先の的に意識を集中。
それから短未来予知。しかし未来予知はある程度才能に依存するところがあるので、光流は不得手だった。もっとも的は動かないので関係ないが。
タァン! 引き金を引いた瞬間、弾丸が的に吸い込まれていく。
「やるな、ちゃんと頭に命中しているぞ」
的を手近に寄せて、ミストは言った。
「……で、何をやってるんだおまえは?」
そして床に視線を送る。銃身固定に失敗し、反動に腰を抜かした光流が倒れていた。
「たはは、こりゃすごい」
「倒れるほどではないはずだぞ?」
「二五〇年の間に、筋肉が落ちちゃったのかもね」
「……筋トレも必要なようだな」
「明日の昼には間に合わないけどね。まあ、ぶっつけ本番でやってみるよ」
「期待しないでいるさ」
指定の場所で、光流、薫流、ミスト、戦闘装備のドローン、フォード・フライイング・スパイダー・マークスリーがレンタカーを降りた。
倉庫街から少し離れたビジネス街だ。ドローンを伴った武装の一行は目立ちそうなものだが、この時間の社畜たちは、会社から一歩も出られない奉仕活動を余儀なくされている。
「じゃ、わたしは車で待ってるっすから。ってもドローンが同行するわけっすけど」
車の後部座席で、シャインは眠るようにVRに没入している。本来は没入状態で家の外に出るのは危険だが、直接依頼主のもとに行かなければならないので仕方がない。
『で、ここからの会話は思考通信でいきますからね』
シャインの声が直接光流の頭に響く。VRゲームをするのに使ったカチューシャ型バイオセンサーを頭に付けることで、声を出さずに会話ができるというわけだ。
『思ったこと全部伝わっちゃうのは困るなあ』
『心配いりませんわ。伝えるという意思がある言葉しか伝わらないようになってますの』
『そっか、じゃあ薫流が夜中、ベッドの中で何をしているかとかは伝わってこないんだ』
『なっ、なにを! そんな……破廉恥ですわ』
『え、破廉恥なことしてるの?』
『あうっ……』
『いじめてやるな、バカ』
『はいはい。それにしても……』
光流は薫流の姿をもう一度眺める。
薫流の衣服は、黒装束と呼ばれる真っ黒なキモノだった。それに目だけを出した覆面、猫耳のカチューシャ。猫目とあいまって、まるっきりその姿は、化け猫そのものだった。
『聞こえてますわよ。誰が化け猫ですの』
『ああ、不便だなあ……』
『伝えたいという意思があなたの中にあるんですわ』
『まあ。だがその意見にはわたしも賛成だ』
運動着の上下に目出し帽とゴーグルのミストが、思考通信に割り込んできた。
『目だけでも猫なのに、カチューシャまで猫耳。狙いすぎてないか?』
『これはセンサーになっておりますの。空気を読み取るようにできておりますから』
『空気を読むだけなら魔力をつかえばいいのに』
光流が声に出さずに言った。薫流は即座に言い返す。
『あなたほど空気を読めない人に言われたくありませんわ!』
『なんだと? 僕は空気を読んだ上で最適なぶち壊し方をしてるだけだぞ!』
「よりたちが悪いですわ!」
『声にでてます、薫流』
『うっ……わたくしとしたことが……』
やがて一行は倉庫街に到着する。
『先導するから周囲の警戒をお願いしますね』
各自のARに地図が表示される。目的地までのルート、警戒箇所が色分けされている。
『一旦止まってください、ここの監視カメラにダミー映像を……と、OKです』
シャインはタイミングを見計らいつつ、セキュリティにクラッキングをかけていく。はじめに一度に無力化することもできるが、侵入が相手に伝わるリスクを想定しているのだ。
『で、ここが目的の倉庫。地図を再確認してくださいね』
ドローンがシャッター横の勝手口に近寄った。電子キーではなく、物理キーを使っている古い扉のため、ドローンを直接接触させてこじ開ける必要がある。
だが、それもシャインにはたやすい。瞬く間に鍵は開いた。
『開けるぞ』
ミストが片手に銃を持ってゆっくり扉を開ける。その隙間から、ドローンがセンサーを働かせながら突入。一歩後から薫流、光流が続いて、最後にミストが扉を閉じる。
『拍子抜けですわね、なんの気配もしませんわ』
『セキュリティも突破できてます、が……。罠の可能性も考えたほうがいいっすね』
言ってシャインは、ドローンの六脚を展開し、マニピュレーターでシャッターの操作パネルに機械を仕掛ける。
『なにやってるの?』
『ワイヤレススイッチす。これ、遠隔操作で開くようにしておこうと思いましてね』
『ふうん……』
『行きましょう、ここからの先導は薫流にまかせます』
『かしこまりましたわ』
やがて一同は難なく倉庫の奥につく。全体的に古びた倉庫の、部分的に新しくなっている扉には、最新型の電子キーが取り付けられていた。
『間違いなさそうですね。このタイプなら……』
ドローンがセンサーにマニピュレータを近づける。ピッと音がして、キーが解錠された。スライド式のドアが自動的に開くと、そこはビジネスホテルのような小さな部屋だった。
「きみたちは……?」
デスクには若くない男が座っていた。ARを通じてCRIを照会する。伊藤藤通に間違いない。
「アンシン・コーポレイトに雇われたスイーパーですわ」
打ち合わせ通り、ドローンの替わりに薫流がそう告げる。ドローンよりも、ひとの形をしていたものが告げたほうがいいだろうとの判断だ。
「急いでいますので質問は一つまでにしてくださいまし」
「大丈夫だ、荷物もブリーフケースひとつにまとまっている」
「かまいませんわ。ですがご自身でお持ち下さいまし」
伊藤が立ち上がったのを確認して、薫流は部屋を出る。そして気配を探った。
『……やはり囲まれておりますわね』
『入口付近に、人数は……五人です。一人はオウガですか。……やっかいですね』
シャインが、クラッキングしたカメラで見たままを伝えた。
『オウガ……ですの?』
『ええ、珍しいですね』
オウガは魔族の一種だ。大きな固体では二メートル半もする巨大な体躯と、数本の角をもつ種族であり、その圧倒的なパワーで人類を苦しめた。繁殖能力が弱いことと、魔王が倒れた後も最後まで魔族側についていたことから、人口は多くない。
そんな彼らであるが、都市部でその姿をみることはめったにない。背の高い彼らの大半が、天井の低い都会暮らしを嫌い、田舎で農林業などに就いていることが多いからだ。
だが、もちろん都市生活を気に入るものも少なくはない。その代表が、警備員やスイーパーなどの荒事師である。ライトマシンガンすら拳銃のように使いこなし、パンチですらバットを握ったほどのリーチがある彼らは、一人で数人分の働きをする。
『獲物はわかるか?』
『予想通り、四人は銃です。オウガは弓矢と斧を担いでいますね』
斧、と聞いて薫流の猫目が輝く。
『わかりました。オウガはわたくしにおまかせください』
『やれやれ……また薫流の悪い癖がはじまったか』
狭いドアを抜けるのは危ないだろう。シャインが仕掛けていたシャッター開閉装置が幸いした。トラック二台くらいなら同時に通れる大きさのシャッターを開ける。
ブウウウウンッ!
同時にひとつながりになった銃声が蜂の羽音のように響く。
「ひっ」
オウガの持っていた、本来なら車両などに固定して使うガトリングガンは、伊藤の防弾ブリーフケースを砕き、コンクリートの壁に穴をあけていたいた。
「ばか、隠れろ!」
箱を盾にしていたミストの声が飛ぶ。慌てて光流は伊藤を押し倒し、障害物の陰に隠れた。
同時に、ドローンが煙幕を張る。煙幕を無力化する装置は二〇世紀でも存在していたが、その装置を無力化する煙幕を無力化する装置を無力化する、イタチごっこの末の最新型だ。
薫流の足音が響いた。煙幕の中でも薫流の耳にはすべてが把握できている。
「はあああああっ!」
気合一閃、薫流の刀が煙幕を切り裂き、オウガを襲う。
だがオウガの対応も早い。弾丸切れになったガトリングガンはとうに捨て、斧で斬撃を受け流した。
「真ん中で二人が戦ってる限り、銃は撃ちづらくなってるはずっす、今のうちに」
シャインがドローンを先行させる。光流も伊藤を伴ってその後を追った。
しかし、シャインの予想を裏切ることが起きた。
ころころ……光流の足元に何かが転がってくる。
「避けろ!」
ミストの声が飛ぶ。だが避けてどうにかなるものではない。破片手榴弾だ。
「任せろっ!」
反射的に、光流はそれを蹴り返す。煙幕の向こうに、それは消えていった。
しかし、爆発は起きない。
「あれ……不発?」
「いや、安全装置だ。自分の近くでは爆発しないようになってるんだ」
「そんな、ずるい!」
薄れていく煙幕の向こう側で、一人の男が手榴弾からピンを抜き、投げようとした。
「あのピンがそのセンサーかな?」
「そうっすね。あれがある限り、爆発はしないっすよ」
「だったら……」
光流は意識を集中した。ブラのホックを外すより簡単だ。
二人の男が持っているピンに、それぞれ見えない手を引っ掛ける。そしてそのままこっちに引っ張ってくる。それで終わりだ。
バン!
手榴弾を持ったままだった二人は、至近距離で破裂したそれにより、真っ赤にはじける。
「突破するっすよ!」
「おう!」
シャインの操るドローン、フォード・フライイング・スパイダー・マークスリーには、毎分一〇〇〇発の弾丸を吐き出すベルト給弾式のライトマシンガンがぶら下がっている。弾幕を張る形で敵の行動を阻害し、そこにミストが・五〇〇S&Wを叩きこむ。
「思ったほどじゃないっすね」
「薫流は?」
薫流と対峙するオウガは、背中に手榴弾を浴びていた。それだけではなく、薫流につけられたと見える刀傷もいくつも見える。にもかかわらず立っているあたり、恐るべき強靱性だ。
薫流は薫流でオウガの巨体を盾にしたのだろう、手榴弾による怪我は見られない。
薫流が刀を振るう。オウガはそれを斧で受け止め、振り返す。
オウガの斧を薫流は受け止めない。刀で弾くように横に流す。そしてそのまま踏み込み、斬りかかる。体格によるリーチの差があるため、またオウガも身を引いているため、ほんの少しの差で薫流の刀は届かない。身にまとった革ジャケットが薄く切られるにとまる。
オウガの斧は、壁を砕くほどの超合金製バトルアクスだ。それをわずかな動きで力の向きを変える薫流の腕もさることながら、それを避けられてすぐ身を引くオウガの腕もなかなかのものだった。
だんだん、オウガの動きに焦りが見えてきた。オウガはシャインの扱うドローンのような、金属製のもの砕くために連れて来られたのだ。それが蓋を開けてみれば、一番背の小さな猫娘と斬り結ぶのが精一杯。しかもその間に仲間はすべてやられてしまっている。
だが、それは必ずしも薫流の有利ではない。至近距離で斬り結んでいる以上、ミストもシャインも迂闊にオウガを狙い撃つことができない状態だ。
「先に行っててくださいな。少しこの人と遊んでから行きますわ」
薫流が思考通信を送ってきた。
「あのゲームオタクめ、敵を倒しても経験値なんかもらえないってのに」
「だ、大丈夫なんですか?」
それまで自走式荷物だった伊藤が、ようやく言葉を発する。
「薫流なら大丈夫っす。行きましょう」
薫流とオウガを残して、あとの一行はその場を去っていった。
「いいのか? 置き去りで」
オウガが口を開いた。その隙を狙って刀が空を斬る。しかしオウガもそれは読んでいたか、超合金製バトルアクスで防御する。
「かまいませんわ。なにせわたくし――」
薫流の構えが変わる。刀を握った両手を顔の前に揃え、刀が天を仰いだ。
「ブルガコフ兄弟社が採算を度外視して作ったコンセプトモデルですのよ」
「とうに潰れた会社じゃねえか」
誘われたとみて、オウガが動く。カウンター狙いなのはわかっている。だが、この体格差と威力があれば、防御ごと叩き切れるはずだ。
斧が横薙ぎに振るわれた。
きいんっ。固いもののぶつかる音がした。
「くっ……」
薫流の手首に、大きな切り傷が走る。
かつんと、軽いものが落ちる音が、あっけなく響いた。
「うがああああああああああっ!」
オウガが吠える。
「畜生、俺の角をっ!」
「あら、ごめんあそばせ」
薫流は相手のリーチのギリギリ外側に立ち、手首を引いた。完全には逃げられず手首に傷を負ったが、その瞬間につきだした刀が、オウガの角を片方、切り飛ばしたのだ。
「狙いは首でしたのに」
「殺してやるッ!」
「そういう言葉は、殺してからお言いなさい」
逆上したオウガを仕留めるのは簡単だった。上段から叩きつけられる斧に刀を当てて筋をそらすと、そのまま左手を刀から外し掌底をオウガの腹に叩き込んだ。
あとは一瞬だった。
オウガの胸に刀が突き立てられる。
「っはあ!」
オウガは盛大に血を吐き、黒かった薫流が真っ赤に染まる。
「もう終わりですか?」
薫流は掌底を当てたまま、刀を引き抜く。その反動で、オウガはどうと音を立てて、コンクリートの路面に倒れた。
「もう少し遊んでくださると思ったのですが。残念です」
薫流は懐から紙を取り出して刀を拭うと、鞘に納めて立ち去った。
手首の傷は、もうふさがっていた。
レンタカーがアンシン・タワーの地下駐車場に到着した時、光流と伊藤はそろって胃の中の物をエチケット袋に出していた。
ちなみにこの車はアンシン・コーポレイトが処分してくれる手はずになっている。
「酔い止めも効くときとそうでないときがあるんですねえ」
昨日アンシン・タワーに来たときは、ミストも気遣って少し優しめの運転をしていたし、酔い止めも効いていたが、今日は逃走である。徹底的に街中をぐるぐる回って追手がないことを確認してからなので、当然走る距離は長いし、運転もよりいっそう荒かった。
「朝ごはん食べないできたんだけど、胃が痙攣して余計つらいかも……」
「まあ、どっちにせよここまでくればほとんど大丈夫っす」
一行は地下駐車場の受付でCRIを照会する。すると上階でバラニナがキーを開け、エレベータに通された。今回は私室ではなく、三六階の社宅フロアだ。
「いやあ、ご苦労様でした」
エレベータを降りた時、やはりバラニナはエントランスホールまで迎えに出てきていた。例のメイドも連れ立っている。
「はじめまして、ミスター・伊藤。わたくしがバラニナ中宮です。ええ、ええ。ここならもう安心ですよ。なにせアンシン・コーポレートのアンシン・タワーですからね。お疲れでしょうからお話はまた後ほど。ウィステリア、ミスター・伊藤をお部屋にご案内してさし上げてください。それから、スイーパーの皆様方は応接室へどうぞ」
言うことを言い切り、バラニナはさっさと歩き出してしまう。伊藤はメイドに付き添われて数ある部屋の一つへ送り届けられるようだ。
光流たちはそのフロアの中心にある応接室三六〇一号室に通された。
「いや、お疲れ様でした。ミス・氏原は居らっしゃらないようですが別行動ですか?」
「あ、はい。別行動をしておりまして……」
「そうでしたか、いえ、お怪我などでなければ幸いです。なにせオウガは手強いですからね。せっかく紅茶の淹れ方を勉強したのに、お見せするお相手が別行動でしたら腕のふるいようがありません。いや、失礼。皆様にも楽しんでいたければいいのですが」
「あ、いえ……。その……」
「ええ、ええ。わかっております。わたくしはどうも話が長くてよくないと言われるんですが。上司にもこれでよく叱られておりまして。そのかわり行動は早いのが自慢です。謝礼はセルコンに入金しておきました、ご確認ください」
「はい、いや、これは……」
シャインが視界の隅にARで表示されている新着アラートを選択する。そこにはアンシン・コーポレイト経理課の名目で、契約より若干多めの金額が入金されていた。
「あなた方の仕事が早いので、少々色をつけさせていただきました。いえいえ、これはわたくしからの感謝の気持ちでして個人資産から、まあわたくしにとってはほとんど小遣いのような額ですのでどうかお気になさらず。ええ、受け取ってください」
「ですが……」
「わかりました、それではこうしましょう。多いぶんは口止め料ということで」
「それは、まあ……もちろん遵守ですが……」
「それを徹底していただくための追加契約ということで、受け取ってください」
「はい、それでは、ありがたく頂戴いたします」
「気づいてた?」
トヨタ・オヒメサマに乗り換え、アンシン・タワーを離れてしばらくして、光流は言った。
「何にっすか?」
「ミスター・中宮は、薫流がオウガと戦ってること、どこで知ったんだろうね」
しばし沈黙が支配する。
「赤!」
シャインが交通信号の停止表示を叫び、ミストが急ブレーキを踏んだ。
「すまん。考え事をしてた」
「らしくないっすよ。っても、無理もないですね」
「光流、ミスター・中宮については多くを気にするな」
「いや、でも知っておいた方が知りたくなくなると思いますね」
ミストは言ったが、シャインは反論した。
「ちょうど薫流もおりませんし、今のうちに話しましょう」
「……あたしゃ知らないからな」
「どこからお話ししましょうかね。ええと、アンシン・タワーがむかし、ブルガコフ・バーシニャって呼ばれてたってことから行きましょうか」
「ブルガコフって……薫流を改造したっていう?」
「そうです。去年まではアンシン・タワーと一帯の建物は、ブルガコフ兄弟社のものでした。ですが、ブルガコフ兄弟社は去年、薫流の脱走のあと、倒産してるのです」
「へえ……」
「で、代わって世界規模企業にくわえられたのが、アンシン・コーポレイトなのです」
「ううん、いまいちピンとこないけど」
「ブルガコフ兄弟社が倒産する直前に、一人の役員が転職をしたんです」
「あ、それって……」
「そうっす。それがバラニナ中宮です。経済界ではちょっとした有名人でしてね。色々な噂があります。その中の一つが『バラニナ中宮は天使である』というやつです」
人類を陰から支配する謎の存在の名前を、シャインは口にした。
「こんな噂もあります。『ブルガコフ兄弟社は天使に見捨てられ、代わって天使と契約したのがアンシン・コーポレイトだ』ってね」
「そのこと、薫流は知ってるの?」
かつて自分を兄から引き離し、改造したブルガコフ兄弟社。それを陰から支えていた天使が、自分の今の雇い主であるということ。
そして――薫流の兄は、生きていて、その天使の監視下にあるということ。
「さあ、知ってるかもしれないし知らないかもしれません。確認したことないっすからね。ま、お互い面識はないようですが」
シャインはとぼけるように言った。
「冷たいかもしれないけど、薫流が深入りしてほしくないところには深入りしないようにしてるっす。わたしらもそれぞれまあ、後ろ暗いところはありますから」
「知ってても関係ない、ってところだろうな」
運転席のミストが言った。
「薫流が憎んでるのはブルガコフ兄弟社であって、その陰の天使じゃないんだろうよ」
「遅かったですのね」
三人が帰宅した時、薫流は一人優雅に紅茶を飲んでいた。すでにキモノに着替えている。
「ボート、助かりましたわ」
「こういうこともあろうと思っての二段逃走ルートっす。実はもう一個ルートを隠してましたが、使いませんでしたね。あ、シャワーはミストが先に使っていいっすよ」
言って、シャインはフォード・スパイダースリーを連れて自分の部屋に戻っていった。
ミストも着替えをとりにだろう、自分の部屋に戻っていった。
あとには光流と薫流が残される。
「薫流」
光流は真剣な目で薫流を見つめた。
「なんですの?」
「お兄ちゃんって呼んでもいいんだぞ」
「お断りします。わたしのお兄さまはただ一人ですわ」
薫流の答えは、そっけないものだった。
「わたくしはお兄さまとゲームで勝負して、一度も勝ったことがありませんの。あなたはどうですの? 手榴弾を投げ返された次の手が考えつきますの?」
「手厳しいなあ……」
「どうしたんですの? いきなり」
「僕の気まぐれに理由なんかないさ」
「……そうですの?」
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