Interlude 2 サイボーグ薫流

 ――2025年6月20日 午前7時 シアトル、ブルガコフ・バーシニャ


『薫流はもうダメだな』

『廃棄する?』

 うすまどろみの中で、薫流はそんな会話を聞いたような気がした。

 聞こえるはずがない。ベッドに横たわる薫流は、バイオセンサーをつけていない。

『情がでて暗殺をためらうようじゃ、役に立たない。再教育をするか、あるいは新しいのを作るかだが……』

 しかし、目が冴えていくにつれ、その声ははっきりと耳に聞こえてくるのがわかった。

 枕元に監視用などに使われるマイクロドローンが鎮座している。それが逆に、指向性スピーカーで薫流にだけ聞こえる声を届けているのだ。

 誰が何のために? しかしそんなことは、話の内容に比べれば些細なことだった。

『新しいのを作った方がいいな。試してみたい部品もあるし。家畜体内培養型バイオウェアの新作とかさ』

『それもそうだな。じゃあ、薫流はこのあとどうする? 無駄飯食わせる理由もないだろ?』

『使えるバイオウェアはアンインストールして、中古市場に流そう』

『すると四肢はまるごともぐことになるな。残った部品は?』

『俺達で食っちまうか?』

『冗談。カニバの趣味はねえよ。そっちの意味じゃなくても、手足のない女を抱く趣味もねえしな』

『そうか? 結構そそるぜ。それにあいつ、処女だしな』

『まじか? 使い込んでるモンだと思ってた』

『エライさんの意向でな。一回しか使えない武器だから、大切に使えって指示だったんだよ。でもまあ、もう使わないんだからいいよな』

 そこで薫流は跳ね起きた。指向性スピーカーの音はもう聞こえない。聞きたくない。

「わたくしは、道具ではありませんわ……」


『緊急警報! 緊急警報! 被験体脱走! 全社員は所定の場所に待機! 警備員はただちにビルを封鎖! 民警に嗅ぎつけられる前に始末せよ! 発砲をBランクで許可! これは訓練ではない! 繰り返す、これは訓練ではない!』

「どこかのゲームで聞いた文句ですわね」

 バイオウェアで強化された薫流は、バイタルチェックのために研究室へ移動するさいに、連れの社員たちを素手でねじ伏せ、セルコンを奪い逃走した。自分のセルコンは持っていたが、社員のものであれば電子錠が入っていると考えてのことだ。

 ブルガコフ・バーシニャの中にいてはあっという間に捕まってしまうだろう。しかし、兄の光流を助けださなければならない。

 社員のセルコンにアクセスし、地図を参照すると、光流の居室はすでに空になっているようだった。

 薫流がバイオボーグになってから、そして汚れ仕事を任されるようになってから、光流とは一度も会っていない。セルコンを使った電話も、対戦ゲームも遊んでいない。

 こんな醜い姿になってしまったわたくしは、兄に会う資格はありませんわね。

 薫流は幼い顔立ちにあわない、太く筋肉質な腕をみた。簡素な手術衣のような服からはみ出る腕も脚も、バイオ筋繊維に置き換えられ、ゴリラのような頑健さを持っている。

 光流がいないのであれば、今はここに用はない。

 幸い、薫流にインストールされたバイオウェアは、監視カメラシステムやドローンの隙を縫って進むことが可能だった。

 しかし警備兵や戦闘用ドローンが相手になれば話は別だ。

 ありとあらゆる格闘術戦闘術をインストールされているとはいえ、丸腰ではかなわない。

 複数の防護ブーツの足音が響く。薫流はやり過ごすため、社員のマスターキーを使って無人の部屋に侵入した。

 マップによれば、ここは重役のオフィスだ。

 部屋の主はなんと、ヘッドハンティング対象の疑いがある、バラニナ中宮だった。

 畳敷きではないものの、日本風の調度品を並べたその部屋の中には、おそらく鎌倉時代のものであろう甲冑一式が飾られている。

 薫流はそこから迷わず、長小太刀を手に取った。屋内で戦うには、メインとなる太刀は長すぎると瞬時に判断してのことだ。

「日本人なら、刀ですわよね」

 誰にともなくつぶやいて、薫流はドアを蹴破る。

 警備兵とドローンのまっただ中に飛び出し、薫流は手近なドローンを斬り伏せた。

 流れ弾による同士討ちを警戒してか、射撃はない。薫流はそのままドローンを跳び箱にし、警備兵たちの集団を突っ切った。

 そして非常階段に飛び込み、中心から飛び降りた。

 ここが何階だったかは気にしていない。落下防止ネットを長小太刀でいくつも突き破り、勢いを殺しながら一階に無事着地する。

「ひいっ」

 驚く黒人清掃夫を薫流は無視した。人質に取ろうかとも思ったが、もうその気はない。兄に顔向けできないことはしないことにしたのだ。

 一階はショッピングモールだ。人混みに紛れれば、逃亡することはたやすい。猫目のバイオウェアの中に、SPAM広告が入ってくるが、一切無視する。

 しかし、甘かった。ショッピングモールに人気はなく、代わりに正面から二人の人影が駆けつけてきた。

 胸にはSPCと書かれた防弾アーマーを着ている。左のドワーフの武器はアサルトライフルで、右の女は二丁拳銃だ。

 SPCシアトル・ポリス・カンパニーですわね。大事になったものですわ。誰一人として殺してませんのに。

 薫流は同時に高揚感を覚えていた。

 兄とゲームで遊んだ時も似たようなシチュエーションがあった。銃で武装した連中を相手に、いかに殺さず逃げるか、だ。

 答えは簡単である。民警は法律で縛られている。

「武器を捨ててその場に伏せろ! 貴様には黙秘権と弁護士を選ぶ権りぎゃっ!」

 前に出てきたドワーフに向けて、薫流は清掃夫からバケツを奪って投げつけた。顔面に命中したのを確認する間もなく、薫流は突進。バケツが地面に落ちるよりも早く、ドワーフにトドメの左ストレートをお見舞いした。

 こちらは簡単だ。だが、手ごわいのは二丁拳銃の女だろう。アサルトライフル所持許可のある民警であるにもかかわらず、携帯用である拳銃を、しかも実用性に乏しいと思われる二丁拳銃使いなのは、実力者であるか、ただのバカだ。

 そして、薫流の予想通り女は前者だった。

 薫流が女の喉元に長小太刀の切っ先をつきつけた時、女の拳銃は二つとも薫流の額に押し付けられていた。

 女がためらわず発砲すると同時に、薫流は上体を逸らした。猫目の真上を二つの銃弾が通過していくのが見えたような気がした。

 背後でガラスが割れるような音がするのをゆっくりと感じながら、上半身だけのバネで長小太刀を振るう。手加減できる相手ではない。

 だが女はすでにそこにはいなかった。すでに薫流の手の届く距離から遠く離れ、こちらに狙いをつけている。

 女が腕利きだったのが、薫流にとっては幸運だった。殺さずに済む。

 薫流は女の手の動きから銃弾の飛来位置を予測し、障害物だらけのジグザグに走り、観葉植物の陰に隠れる。

 やがて、銃撃がやんだ。薫流は様子を伺ったが、もうそこに女はいない。

 どこかに隠れた? いや、だがそれならチャンスだ。目的は女を斬り殺すことではない。むしろそれをしなくて済むなら儲けものだ。

 やがて、薫流の猫目に、陽の光が飛び込んできた。

 綺麗な青空である。

 摩天楼の隙間を縫って、正午の太陽が、薫流を照らしていた。

 日の当たるところに、薫流はようやく戻ることができたのだ。

「おめでとうございます。ゲームクリアですね」

 感慨にひたる間もなく、声が聞こえた。

 自分のセルコンは持ちだしたが、居場所をさとられないよう電源は切ってある。社員のセルコンもさっき捨てた。

 では、この声の主は誰?

 答えはすぐに分かった。枕元にいたマイクロドローンが、小さなプロペラを回して飛んでいる。

 薫流は納刀し、人混みに紛れながらマイクロドローンの声に耳を澄ませた。

「どうも、スイーパーのシャイン・ストーンと申します。ある人物の指示であなたを監視し、あなたにその気があれば脱走を手伝う手はずになっておりました」

「……信用できますの?」

「モンスター・パンツァー仲間になりたい、とも言っておりました」

「はあ?」

「さあ、わたしもよくはわからないんですけどね。子どもは意外と大人の会話を聞いているものですね」

 薫流は思い出した。モンスター・パンツァーを遊んでいた子どもに心当たりは一人しかいない。

 何故か彼が、スイーパーを雇って薫流を救った。そういうことだろうか。

「彼は親にも内緒ですけど、優秀な情報屋でしてね。わたしもよくお世話になってるんですよ。昨日はどうやら、父親が暗殺される可能性を考えて、自ら現場に立った、と言うことだそうで」

「……世も末ですわね」

「子どもの世界の情報屋はバカにできないっすよ。さあ、あなたには二つの選択肢があるっす。一つは、わたしが運転している車に乗るか、もう一つはこのドローンをプチっと叩き潰して逃げるか」

 シャインは言った。

「言うまでもありませんわ。車は?」

 薫流は迷わず答える。

「ではドローンについてきてください」

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