2nd stage 魔王と電子化社会
「ええと、これはきみのかな? 返すよ」
青年が起き上がって、胸に刺さった刀を抜く。
「あ、ありがとうございます。ええと、お兄さま……?」
「お兄さまって……さっきも言ってたけど、僕のこと?」
「お忘れですか、お兄さま。わたくしです。妹の薫流でございます」
「ううーん……? ごめん、記憶がないや」
「そんな……」
「それより、その傷……大丈夫なのか?」
ミストが言った。青年の胸の傷は、じゅくじゅくと音をたてながら塞がっていく。
「え、これ? ああ、うん。大丈夫みたいだね」
「どうやら……魔王かどうかはさておき、なにがしかであるのは間違いないようっすね」
「うわっ、でっかい虫が喋った!?」
シャインのドローンが声を発するのを見て、青年は驚いたようだった。
「ドローンを知らない時代というのもまた信ぴょう性がありますね。こう言ったロボットとかは、一世紀前にはあったらしいですし。これは……
「ああ、なるほどね」
「んで、それよりも青年。聞きたいことがあるんですけど」
「ええと……僕に?」
「そっす。まず名前を覚えてますか?」
「ええと、うん。僕はバーミリオンスパロウ。覚えてる」
「やはり、あなたは魔王バーミリオンスパロウだったんですか」
言われた青年は、棺の縁を改めてみやった。そこに書いてある文字を読む。
「魔王、バーミリオンスパロウ……ね。魔王……ふむ」
硬いものを噛むように何度かつぶやいたあと、青年はおもむろに立ち上がって、言った。
「ふわははははは! 娘たちよ、よく我が封印を解いた! 礼を言うぞ」
最初に反応したのはミストだった。両手の拳銃を発砲。青年が真後ろに倒れる。
「やっぱりヤバかったか……」
「ミスト! 早すぎますわ」
倒れた青年を見送りながら、薫流が言った。
「そうだそうだ! 名乗りの最中に攻撃するなんてずるいぞ!」
反論の声は薫流だけじゃない。ミストはぎょっとする。
額のほんの少し前と胸のほんの少し前に、銃弾が固定されたかのように静止している。
「頭にこんな金属球叩きこむなんて……脳ミソ削れて大切なこと忘れたらどうする!」
やがて、銃弾はそれをつまんでいた手を開くように、下に落下していった。
「今度はこっちから行かせてもらうぞ!」
青年が指を立てた。そこに小さな光が灯る。
「危ないですわ!」
ミストの前に、刀を抜いた薫流が立ちふさがる。
「悪霊よ、我が命に応じ、爆ぜよ!」
青年が指を突き出す。だがしかし、何も起こらない。
「……? なんともありませんわよ」
「そりゃそうですねえ。マナカウンターによれば、さっきの弾丸を止めた段階で、魔力スッカスカになってしまってますもん」
シャインが冷静に言った。
「てへ」
青年が舌を出す。その仕草は別に可愛いわけでも何でもない。
「わかっててやったっすね?」
「うん。もう一発そのバンってやつ撃たれてたら、死んでた」
「なんすか、その命がけのジョーク!」
「な、なんですの、このノリは……」
薫流はどっと疲れたようだった。無理もない、生き別れの兄に遺体で対面したと思ったら、それが生きていてコントを見せてくるという非常識な状態なのだ。
「いや、まあ。うん。僕が魔王バーミリオンスパロウってのは、多分間違いないと思う」
「まったく信用出来ませんわ!」
「ううん、それが信用するしかないんですよねえ」
シャインが言った。
「銃弾を受け止めたのもさることながら、衣服を簡単な年代測定で調べてみたんです。そしたら確かに着てるもの全部、三〇〇年くらい前の絹製品なんですよ、これが」
「三〇〇年といいますと……今日は独立二五〇年記念のパレードですわよね」
「魔王かどうかはさておき、三〇〇年前の野郎なのは間違いないというわけか」
「あーあ、一張羅に穴開いちゃった。血のりもベッタリだし……」
「あ、あの……それは……ごめんなさい」
「高そうな服っすねえ。絹なんて高級品、なかなかお目にかかれませんよ」
「えっ、三〇〇年も経ってるのに、絹ってまだ安くならないの?」
「いや、三〇〇年前よりは安くなってると思いますけど、もっと安価で頑丈な人工繊維が作られるようになりましたしね」
「わたくしとしては、三〇〇年も経っていることに驚いていないという方が驚きですわ」
「えっ! 三〇〇年も経ってるの!?」
「今驚くんですの?」
「ちょっと待って、いまはいつなの?」
「二〇二六年の、七月四日っす」
「二五〇年かあ……。まいったな、すると、もう知り合いも誰もいないよね」
言った瞬間、ぐう、という間抜けな音がする。
「……二五〇年寝てたからお腹すいちゃった」
「な、なんか……シリアスな話かと思いましたが。そっちなんですか……」
「だが、そのメシを食うあてもないってことだろう? 金も持ってなさそうだし」
ミストが言うと、魔王はとぼけたふうに言った。
「まあ、そうだね。頼るあては全然ないし……。第一、ここがどこなのかもわからないんだ」
「それでも、魔王さまなんですよね?」
シャインは何らかの期待を込めて言った。
「蘇ったからには、人類を再び征服しようとか、そういうのないんですか?」
「ないよ」
魔王はきっぱりと答えた。
「いや、ほら、寝ぼけてるからなのかな。なんで僕が魔王だったのかとか、いまいち覚えてないからさ。とりあえず、食べてく方法を探さないと」
「まあ、そうっすよね」
「ここで会ったのも何かの縁だし……。なんか、ちょっと食べ物分けてくれない?」
魔王が言うと、シャインは興味深そうに言った。
「ま、武力清掃もあらかた終わってますし、わたしも魔王様にちょっと興味あるんですよね。昔の話も聞きたいですし、うちへご案内しましょうか」
「うちへですの!? 嫌ですわよ、そんなの」
「あたしは賛成だぜ」
薫流は反対した。だが、ミストがそれを遮るように賛成した。
「本物の魔王かどうかはわからんが、魔力がないならなにも出来ないだろ。このままほったらかしたら寝覚めが悪い」
「それはそうですけれども……。民警に引き渡すのでもよくありません?」
「しかし仮にも魔王です。厄介事になったらかわいそうじゃないですか」
シャインが言った。確かに、警察に引き渡したとしても、三〇〇年前の人物だ。現代社会に溶けこむのは大変だろうし、その上、かつて人類を支配していた魔王なのだ。
「それになにより、面白そうです」
「そうやって興味本位でうごくから、エンジニアって嫌なんですわ!」
「あの、それで……僕はどうなるのかな?」
おずおずと、魔王らしくない態度で魔王が言った。
「やっぱり衛兵かなんかに突き出されちゃうの? だとしたら逃げたいんだけど」
「ほら、薫流。衛兵なんか恐れる魔王さまなんか、怖くないっすよね?」
シャインが言った。薫流も少し考えて、返す。
「ま、まあ……そうですけど……」
「ゆっくり考えましょう。焦ることはありませんから」
「うわ、ここが魔王城のあった土地? あのころは何もなかったのに、高い建物がいっぱいある!」
下水道入り口の階段を登った魔王が最初に見たものは、そびえ立つビルの群れだった。
「そうですねえ。独立戦争のあと、ここに残ってた魔族を居留地に押し込んで、人類が街を作ったのが、その一〇〇年くらいあとですね。いまはシアトル市って言います」
シャインが何かを読み上げるように言った。ワイヤレスネットワークの向こうで情報を検索しているのだろう。
「ああ、あいつの名前がついてるんだ」
「知ってるひとっすか?」
「部下の一人だよ。ってことは、あいつが居留地のチーフだったりしたのかな」
「……なるほど、確かにそのようですね」
「にしても、居留地かあ……。今度は逆に魔族差別とか、やっぱりあったのかな」
「ありましたね。今は人類と魔族は表向き仲良くしていますが」
「うん、でも表面上だけでも仲良くしてるのはいいことだよ」
魔王は満足そうにうなずいた。
「それが人類を支配していた魔王の言うことですの?」
「魔王は倒されたんだもの。残ったひとたちまで争うことないでしょ」
「綺麗事ですのね」
「手厳しいなあ……。あれ、そういえばもう一人のエルフの子はどこへ行ったの?」
そこに、プップと車のクラクションが鳴る。ミストが駐車場から自動車を運んできたのだ。トヨタ・オヒメサマというドローン充電機能つきのミニバンだ。
「え、なにこれ。馬車? それとも小型の機関車?」
「そんなようなもんっす。中にちっちゃいオッサンが入ってて動かしてるっす」
「ウソだろ?」
「ウソです」
「なんだ、ウソか。女の子のウソは感じてるフリとかそういうのだけでいいのに」
「破廉恥ですわ!」
薫流が大声をあげた。
「あ、こういうの嫌い?」
「お兄さまの顔でそういうことを言って欲しくないだけですの」
「ま、とりあえず車に乗るっすよ」
そういうとシャインは、ルーフの上にドローン本体を乗せた。薫流は助手席に座る。
「……すごい音だね」
二〇世紀末に、ハイブリッドエンジンや電気自動車など、ガソリンエンジンに替わるエンジンはいくつも実用化されたが、恐るべきことに、現代でもまだガソリン車が主流である。
「シートベルトはしたほうがいいですよ。ミストの運転は荒いっすから」
と、このシャインの声はドローンではなく車内スピーカーから。
「え、シートベルト?」
魔王がシートベルトとやらがなんだろうと考えている間に、ミストがアクセルとクラッチを踏む。急発進急加速。
「うわっ!?」
魔王の時代にはなかったスピードの乗り物である。ハンドルのきり方も荒く、魔王は社内で激しくシェイクされてしまう。
「んもう、もう少しやさしく運転してほしいものですわ」
顔色一つ変えず、薫流は言った。
三人が使っているアパートの地下駐車場についた時、当然のように魔王は胃液を吐いた。
「こんな方が魔王なわけありませんわ。ましてお兄さまでもあるわけありません」
薫流はすまして言った。情けないその男が兄に似ていることがそうとう不満なようである。
「ほら、立てるか?」
「うう……ありがとう」
ミストは魔王に肩を貸して立ち上げた。
「ああ、二五〇年ぶりの女のにおいだ」
その言葉を聞いてかどうか、ミストは即座に魔王をアパート共有の台車型ドローンに乗せる。
「乱暴だなあ。もっといたわってよ」
「そうですよ。台車も共有なんすから、あんまり乱暴にすると大家に怒られるのわたしっすよ?」
「知るか。そいつが悪い」
シャインは抗議したが、ミストも薫流も知らん顔でエレベータに乗り込んだ。
「あ、この台車も
「機械で動くものはだいたいドローン可することができますからね」
そして飛行型ドローンと台車型ドローンが遅れてエレベーターに乗り込む。
「随分狭い部屋だね」
そのエレベーターをみて勘違いしたか、魔王が言った。
「あー、ここはほら、階段の代わりに上下してくれる乗り物っす」
「乗り物? うっぷ」
「エレベータで酔うっすか?」
「いや、乗り物って聞いたら反射的に」
「情けないっすねえ。これが魔王ってんですから世も末……。いや、明るいんですかね」
「馬や女の子に乗るときは別に酔わないんだけど」
「破廉恥ですわ」
エレベータを五階で降りると、一行の住宅である四LDKの部屋は目の前だ。
「ずいぶん大きな建物だね。何人で住んでるの?」
「さあ? これ、共同住宅なんですよ。大きな建物を仕切ってるんです」
シャインが説明しつつドアを開ける。
「さあ、我が家へようこそ。魔王さま」
シャインが招き入れた部屋は、リビングを中心に四つの個室があり、三人がそれぞれの部屋に割り振られていた。
「三人だけで住んでる割には、広いんだね」
「ええ、これでも我々の稼ぎと身分じゃ、ホントは無理な物件なんですけど」
強盗が入って一家皆殺しがあった部屋だから家賃が安い、ということは、言わなくてもいいだろう。シャインはそう判断した。
「さて、いつまでもドローンで話すのもアレなんで」
言いながら、部屋の奥から顔色の良くない女が、眠そうな顔をして這い出してきた。同時に飛行ドローンは部屋に引っ込む。
「お疲れ様っす、みなさん」
その声は間違いなく、さっきまでドローンから発されていた声と同じだ。
「改めてはじめましてですね。シャイン・ストーンです。一応このスイーパーチームのリーダーをやってます。さっきのドローンは、フォード・フライイングスパイダー・マークスリーっす」
シャインは魔王の手をとって半ば強制的に握手をした。
「いや、声を聞いたとおりかわいい子でよかったよ」
「やだもう、ほめてもなんもでませんよ? そりゃ嬉しいですけど」
シャインの見た目は、血行は悪そうだが素材は良い。目鼻立ちははっきりしていて、肌荒れはない。銀色の髪を後ろで縛っていて、着ているものは清潔そうだが飾り気がない。
「そうだな。わたしも自己紹介がまだだった。トワイライト・ミスト。ラクヨウ族のエルフだ。ミストとかTMとか呼んでくれ」
ミストは逆に、健康的を絵に描いたようなエルフだ。
とんがった耳は上向きで、長い髪の隙間から飛び出している。その髪も綺麗な金髪だが、それを太い三つ編みにしているので綺麗というより頑丈そうに見える。体格はやや筋肉質で、背も胸もある程度大きい。
「氏原薫流ですわ。日本の産まれですので氏原がファミリーネームでございます」
薫流は三人の中で一番背が低い。キモノを着ているからかもしれないが、体型の凹凸はまったく見られない。
髪型は黒髪のおかっぱで、いわゆる東洋の市松人形とやらによく似ている。注目すべきはその目だ。よく見ると、猫のように瞳孔が縦に開いている。
「よろしく。もちろんきみたちもかわいいよ」
「嬉しくないわけではないが、声に出されるのは好きとは言いがたいな」
「右に同じです」
そういう二人も、まんざらでは無さそうな顔をしている。
「いやー、それにしても長丁場のミッションでした。まる三日がかりでしたねえ」
「あなたはいいですわね。家でじっと座ってればいいんですもの」
「そんなことないっすよ。半自動操縦ならともかく、完全遠隔操縦だと、わたしが直接現場に行ってたのとなんらかわらないっすから」
「それでも身体に下水の臭いが染み付いてないのは羨ましいですわ」
と、薫流は帯に手をかけて気づく。
「……わたくし、シャワーを浴びて着替えたいんですの」
「ん? よくわからないけど、いいよ」
魔王は本当にわかっていないようだった。
「要するに、わたくしが自分の部屋で着物を脱いで、シャワールーム……湯浴みをする部屋まで行く所にあなたがいらっしゃると困る、と言っているのですわ」
「うん、わかった。僕はかまわないよ」
「わたくしがかまうんです!」
「あ、そうか。一緒に入ってくれってことかな?」
「全然違いますわ!」
「東洋のキモノは、パンツはかないって聞いたけど本当なの?」
「三〇〇年の間に変わりましたわ! どうしてそんなことはちゃんと知ってますの?」
「シャワー使わないんならあたしが先に使うぞー」
「あ、ちょっと、ミスト!」
口論をしている間に、ミストがさっとシャワー室に入ってしまったので、薫流は慌ててあとを追う。だがもう脱いでいるかもしれないので、ドアを開けるのは踏みとどまった。
「ああ、もう。あなたのせいですわよ!」
「だったら一緒に入ってくればいいんじゃない?」
「お断りですわ! このアパートのシャワールームは狭いんですもの」
「いいじゃないか、可愛い女の子同士が、裸で、身を寄せ合って、水が肌の上を……」
「ほんとにやめてくださらない? お兄さまの顔でそういうことをおっしゃるのは!」
「薫流、うるさいですよ。お隣から怒られたいなら別ですが」
「うう……」
シャインに注意されて、ようやく薫流が矛を収める。
「ところで、さっきから言ってたけど、そのお兄さんって誰なんだい?」
「……本当に、あなたはお兄さまではないのですよね」
「僕? ……いや、きみみたいな可愛い妹がいれば、覚えてると思うんだけど」
「その軽口といい、態度といい……。どちらかと言えば、あなたが兄ではない方がわたくしにとっては幸せなのかもしれません。ですが、あなたが昨年生き別れた兄であると、わたくしにはどうしてかそう思えるのです」
薫流は複雑な顔をして言った。
「うーん……そうは言っても、ほら、僕は魔王じゃん? 二五〇年寝てたわけじゃん?」
「それも疑わしいのですけれども」
「きみが二五〇年寝てたんじゃない限り、僕の妹ってことはないと思うんだけどなあ」
「本当に二五〇年寝ていたのですか? 知らないふりなどいくらでも出来ますわよ」
「うーん、そう言われちゃうと、違うって証拠を持ってくるのは難しいなあ。天使みたいな可愛い顔してるのに、いうことは悪魔みたい」
「天使ですって!」
薫流が突然怒鳴ったので、魔王は面食らう。
「え、悪魔じゃなく天使に怒るの?」
「あ、いや、そのですね」
シャインが横から言った。
「天使って、今は人類の敵みたいなモンなんですよ」
「え?」
「その様子だと、ほんとに知らないっぽいっすね」
「そりゃ、二五〇年寝てたから、ね」
何度目かの言い訳を、魔王はした。
「いや、いるんすよ天使。いつの間にか人間社会に溶け込んでいて、陰から人類を支配してるんです。一九九九年の七月、天使アンゴルモアと名乗る男が合衆国大統領選出馬のさいに色々リークしましてね。ま、他の天使に暗殺されましたが」
「……そうか……。やっぱり来ちゃったのか」
「なんすか? 魔王さまには予言できてたんすか?」
「いんや。適当にそれっぽいこと言っただけ」
「期待したわたしがバカでしたよ」
「ばーか」
「はいはい、バカでいいです」
魔王がシャインを茶化すさまをみて、薫流は苛立ちつつもくすりと笑った。
「いいコンビですわね」
「でもさ。それが天使だって名乗っただけで、誰も信じなかったんじゃない?」
「手から出した衝撃波で旧魔王城遺跡を粉々にするまでは、誰も信じませんでしたよ」
「ひどい! 僕ん家だったのに!」
「寝ている間にホームレスになってたんですわね、あなた」
薫流が皮肉げに言った。
「まあ、トリックだ何だの言われて信じてないひともいますけど、その後が色々ありまして、例えば生身より優れたサイバーウェアだの、新しいコンピュータだの、薫流にインストールされてるようなバイオウェアだの、天使がもたらしたと言われる技術が多いんです」
「よくわかんないけど、なるほどね……」
「で、現代では
「少なくともわたくしのお父さまは、天使ではありませんでしたわ」
薫流は小さな声で言った。
「失礼。まあ、ですからね、薫流のお兄さんなら、天使のことを知らないはずがないんです。つまりこれで、あなたが薫流のお兄さんじゃないってことが証明できちゃったわけですね。これこそ天使だけど、悪魔の証明ってんですか? たはは。ちなみにその会社にいた天使ってのがわたしたちのスポンサーでもありまして……」
「シャイン。おしゃべりがすぎますわよ」
薫流が小さな声で、しかしシャインのおしゃべりを止めるには十分な声量で言った。
「あー……ごめんなさいっす」
天使。
彼らがいつから歴史の影にいたかは不明だ。
魔族の陰にすでに居たという者もいる。
アンゴルモアと名乗る男が唯一の天使であるという説もある。
だが、彼らは確実に存在している。
二〇世紀末、急激に科学技術は進歩した。その一つがセルコンとARと呼ばれる技術だ。
メガネやコンタクトレンズ、あるいは義眼などで普段から常にARを見ながら生活するというのは、それまでの生活スタイルを大きく変えた。
その核となる小型コンピュータは、それぞれ細胞のようにリンクしているため、ひとそろいでセルコンと呼ぶ。
そしてその次に進んだのがサイバーウェアである。身体の一部を機械に置き換えるというのは、四肢を失った者などのための医学であったが、いつの日か健康な四肢をもっと高性能な義肢に交換するという選択をするものも増えていった。
さらにそのなかでも特殊な技術が、生体パーツを使ったバイオサイバーウェアだ。強化人工筋肉を筋繊維に並行させたり、心肺機能を強化したり。人間の身体を機械に頼らず強化する技術、それがバイオウェアである。
サイバーウェアとバイオウェアの最大の違いは、肉体に与える影響の大きさだ。機械でできたサイバーウェアのほうが、生身の部分に対する負担が大きい。
薫流はそのバイオウェアの塊である。
全身の筋肉はもとより、強化心肺は長時間の戦闘にも息を上げず、強化白血球はどんな毒も効かない。もちろん強化血小板は出血を抑えるための役割を果たすし、特徴的な猫目は、低光量での視野を確保するだけではなく、メガネなどの器具なしにARを投影することも可能である。
「そういや、思ったんすけど、魔王さまの
しばらくして、シャインは聞いた。ミストも薫流もすでにシャワーを浴びおえている。
「CRIって……なに?」
「
「へえ。そんなものがあるんだ」
「もちろん、持ってないっすよね?」
「もろちん、持ってないよ」
「いまなんか変な言い換え方しませんでした? まあいいんですけどね。それからCRIを入れるセルコンも持ってませんよね」
「セルコン……ねえ」
「こいつだ」
横から聞いていたミストが、カードケースくらいのプラスチックの箱を取り出した。
「現代人はほとんどみんな、一人一つはこれを持ち歩いてます」
「まあ、百聞は一見にしかずっていうだろ。あたし、このあいだ機種変更したばかりだから、ひとそろい余ってるんだ。やるよこれ」
「え、いいの?」
「その分働いて返してもらうけどな」
「あ、身体で返せってこと?」
「現金で、だ。あたしたちの仕事を手伝えばいい。分前はやるから、そこから払え」
「ちょっと待っていただけません?」
抗議の声をあげたのは薫流だ。
「それじゃあ、わたくしたちのチームに、この方を入れるように聞こえるのですが?」
「女の子に入れるって卑猥だなあ」
「そんなことは言ってませんわ!」
魔王が茶化してきたので、薫流は思わず怒鳴り返す。
「だが、それのどこかに問題がある?」
ミストにも反論はあった。
「そもそもこいつ。今後なにかすることはあるのか? 収入は? 家族は?」
「それはそうですけど、わたくしたちはボランティアをやってるわけじゃありませんわ」
薫流は言った。
「一応、僕の意見も言っていい? 当事者なわけだし」
「どうぞっす」
こういう時はシャインが議長をつとめることになっているのが、三人の暗黙の了解である。ミストと薫流を制して、魔王の言葉を促した。
「僕は一回死んじゃったわけだし、第二の人生みたいなものだからね。とりあえず魔王としてなにかをどうこうするつもりも、当面はない。だから、あえて言うなら、封印を解いてくれたきみたちに恩返しがしたいってのは、だめかな?」
「だめに決まってますわ!」
「あたしはかまわんぞ」
ミストは言った。
「魔王とまで呼ばれた男が、まっとうに働こうなんて、えらいじゃないか」
「甘いですわ。ミストは甘いですわ!」
「それじゃあ、おまえは」
ミストは途中で黙ると、セルコンのARで空中のキーボードを叩き、チャット機能で薫流に伝えた。
『魔王と名乗る男を放逐して、いざ魔力を取り戻したらどうなるか、考えているのか?』
『そ、そうですけど……』
「それともあれっすか? 魔王さまの顔がお兄さんに似てるのが嫌とかっすか?」
「そんなことはありません! そもそも、わたくしたちは女性だけのチームなのですよ。そこに男性を入れるなんて、正気の沙汰とは思えませんわ!」
「女性に男性を入れるなんてそんないやらしい」
「ですからそんなこと言ってませんわ!」
度々、魔王が茶化して、薫流が怒鳴る。
「あなたがたは、この性欲の塊と共同生活がおくれるのですか?」
「逆におまえは、力づくでこの男に負けると思っているのか?」
「は? そんなことはございませんわ。わたくしにインストールされたバイオウェアは、ブルガコフ兄弟社が採算を度外視して作ったコンセプトモデルですの。一般に流通しているものと比べ、出力は三割高いものですし、それを使うわたくしの脳にも剣術格闘術はもとより、銃火器を含むありとあらゆる戦闘術がインストールされておりますもの!」
「はい、わかりました。それじゃこれで決定です」
「えっ、ちょっとシャイン……」
「こいつが風紀を乱そうとするならお前が片手でひねって……」
ミストは自分の首を絞めて舌を出す。
「グエー。だろ?」
「そうですけれども……」
「もちろんあたしもおまえほどじゃないが、この優男にどうこうされるほどヤワじゃない。シャインだってそうだろ?」
「ま、部屋のセキュリティには自信がありますからね」
「んもうっ! 知りませんわよ!」
そうして薫流は再び紅茶を手に、黙りこんでしまった。
「で、このセルコンの使い方ですけど、画面やボタンはありますが、本体で使うのは電源のオンオフと充電端子くらいです。便利なのはリンクしてるメガネっすね。立体映像で現実の風景の上に重なるように情報が表示されるわけで。まあこれがありますから、本なんかも今は紙はほとんど使われなくなりましたね。この技術をARと呼んでおります」
「なるほど、わからん!」
「いっぺんに話してもわかるものか」
「……そっすね、まあ。おいおい説明してくとして。次はCRIっすねえ。とすると、闇のルートで偽造をする必要があるわけですが……正直、いまお金不足なんですよねえ」
「お金……やっぱり時代が変わってもお金なんだねえ。金の玉ならここにあるけど」
「つっこみませんよ」
「つっこむのは男のすることだろ」
「いいかげんにしてくださいまし!」
「とにかくですね」
話が進みそうにないので、シャインは割りこむように大声をあげた。
「偽造するためにお金がいるんです」
「偽造、ねえ……」
魔王は一息ついて言った。
「偽造してまでそんなものが必要なの? 身分証明書なんて必要ないでしょ、きみたちも僕たちもここにいるってことは間違いないんだから」
「いやあ、ですが、そうは言ってもCRIがなければ買い物一つできませんからねえ。わたしたちも結局、本物のCRIは持ってないのですが」
シャインは言った。
「何の因果か、公的には存在してないことになってるのが、わたしたちなわけです」
「出生届も提出されず、貧困やら混乱やらの中で産まれて育ったのがあたしらだ。おかげで偽造CRIじゃまともな仕事は無理だし、飛行機のチケットすら簡単にははとれん」
「そういうのを
「それじゃまるで、差別を作るためにある身分証みたいじゃないか」
「まあ、たしかにそうなんですが。といって偽造でもなんでも、CRIを持たないのは不便っすよ」
「それはそうだけど……」
魔王は少し考えて、降参したふうに言った。
「わかった。きみたちに従うよ」
「でしょ。わたしたちみんな一応クリアーなわけですし。魔王さまもクリアーですから偽造CRIを使いましょ」
「まとめないでくださいませんか?」
しかし、そこに薫流が異を唱えた。
「わたくしはブルガコフ兄弟社の産まれですから。クリアーではありませんの。不本意ですけど、本物のCRIを持ってますわ」
「っと、そうだ。この手があったじゃないですか」
シャインがぽん、と手を叩いた。
「薫流のお兄さんのCRIって、いま宙ぶらりんになってませんか?」
「何を企んでますの」
「いや、行方不明のお兄さんが戻ってきたことにして、CRIの再発行をお願いすれば、簡単にCRIが手に入るなあと思いまして」
「おふざけあそばせていらっしゃるのですか?」
「真面目ですよ、わたしは」
「百歩譲って、お兄さまのCRIを一時的にこの男のために貸し出すことを許すとしましょう。そうすると法的にわたくしとこの男が兄妹ということになってしまいますのよ!」
「法的に、でしょ? それくらい我慢してくださいよ」
「いーやーでーすーわ!」
薫流は強固に反対し、そっぽを向いた。
「……どうしても、だめかな?」
そこに、魔王のか細い声が聞こえる。
「……いや、わかってるんだ。薫流にとって、お兄さんは大切なひとだから。僕ごときがそんな、お兄さんの椅子に替わりに座るなんて、たいそれたことだよね……」
薫流がちらりと魔王を見ると、魔王の目には何か光るものが溜まっていた。
「ちょ、ちょっと。何も大の男が泣かなくても……」
「ああ、ごめん。二五〇年寝ていた反動かな。だって、ほら……世界は全く変わっちゃったし、知り合いもいないし……。もう頼れるひとなんか誰もいないし。……ごめんね、きみには全く関係ないことなのに」
「薫流……おまえ、鬼だな」
ミストが目を細めて言った。
「ああもう! わかりました。本当にもう、わかりましたわ!」
「え、でも……そんなことお願いできないよ」
魔王は、小さな声でそれを遮った。
「いいですわ。お兄さまのCRI、貸して差し上げます! その代わり、兄が帰ってきたときにはあなたは偽造CRIに戻すんですのよ?」
「……ありがとう、薫流。本当に、ありがとう」
「わかりましたから、お兄さまの顔で泣かないでください!」
「わかった。いやー、一時はどうなるかと思ったよ」
そう言った魔王の顔は晴れていて、今まで泣いていたのが全くの嘘のようだった。
「あ、あなた……騙しましたわね!」
「一杯食わされたな、見事に」
ミストが面白そうに言った。
「それじゃあ、あたしらも光流と呼ぶことにするか。よろしくな、光流」
「わたくしは認めませんからね!」
「認めさせてやるぜ! 俺の、存在をなっ!」
「なんで急に暑苦しくなるんですの……」
そうして、魔王バーミリオンスパロウは、氏原光流と名乗ることになった。
前述の通り、技術は進歩したが、じつは街そのもの、生活そのものはあまり大きくは変化していない。
あえて特筆すべきは、社会状況の変化だ。先進国のほとんどは国という形が形骸化し、すべての人間は、どの世界規模企業の庇護下にあるかということにアイデンティティを置いている。そういった中でも下層の存在を
もっとも、インドのカースト制度が、日本の士民制度が、歴史上様々な身分制度がかつてそうだったように、身分制度からはじかれた人間はあとを絶たない。
シャインたちクリアーはそういう存在だった。社会的には存在しないのと同義であり、まっとうな仕事につくこともできない。
異様に発達した技術。
異様に分化された身分。
それがこの世界である。
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