Interlude 1 料亭『サカモト』にて

 ――2025年6月19日 午後6時 シアトル、料亭『サカモト』


『薫流さん。ミッション内容を復唱して』

 ブルガコフ兄弟社の女性オペレーターが、思考通信で薫流に指示を出してきた。

『急成長中の日系新興企業、アンシン・コーポレイトの重役暗殺。それが不可能な場合は、我がブルガコフ兄弟社のバラニナ中宮なかみやのヘッドハンティングを妨害』

 薫流はかんざし型バイオセンサーを通し、淡々と答えた。

 ここはシアトル有数の料亭の一つである。と言っても、アメリカ人が期待している日本に合わせた、すこしおかしな日本を演出した店だ。

 建物の様式は、日本人が見ればわずかに違和感を覚えるような、平安様式と江戸様式のごった煮であり、玄関には中国の商売の神、関羽の像が飾ってあったりする。

 出てくる料理には期待できそうもありませんわね。わたくしには関係ないことでございますけれども。薫流は思った。

「失礼しなんす。猫奴ねこやっこでありんす」

 薫流は付け焼き刃で練習した、正しいのかどうか、日本人でもわからないような花魁言葉を使い、座敷のふすまを開けた。

 身にまとっているのは化学繊維の金襴緞子きんらんどんすもどき。頭は日本髪を結い、その髪飾りのひとつがバイオセンサーになっている。

「おっと、オイランが見えましたよ」

 金髪碧眼の体格のいい男が流暢な日本語で言った。下座に座っていることから、おそらく彼が今回の暗殺対象、アンシン・コーポレイトの重役だろう。

 薫流はこの相手の名前を知らされていない。誰が来るのか、ブルガコフ兄弟社の上司も把握していなかった可能性もある。

「いやあ、花魁ではありませんね。ご存知ですか? 花魁というのはですね、エッチなサービスをしてくれる女性のことなんですよ。太夫っていう言い方もありますが、これは西の方ですね。どちらにせよ位の高い遊女のことですが、はてさて、昔のことはよくわかりませんねえ。どちらにせよ。本日はそういうサービスは不要ですから、花魁でも太夫でもないのでしょう」

 そしてペラペラとしゃべる金髪に黒い口ひげの日系人。ブルガコフ兄弟社の重役、バラニナ中宮だ。

「まあ、お詳しいお客様でありんすね。わっち、嬉しゅうございますえ。お客様方に於かれましては、日本語でよろしゅおまんすか?」

 変な日本語だ。薫流が日本にいたのは小さなころだが、一度も聞いたことがない。

「イエス。僕もミスター・中宮も日本にいた事があるんだ。それにしても君の日本語は変わっているね」

「そうなんですよ。遊女言葉とでも言うのでしょうか、江戸時代頃に、日本中から出稼ぎにやってきた遊女たちは、みんな方言がキツかったわけですねえ。ですので、独特の言葉を編み出したらしいのです。これが日常の退屈な世界と、吉原という特別な世界とをはっきり分ける不思議な演出でもあったそうですね。いやあ、色々と面白いことを昔の人は考えるものです」

 ミスター・中宮がべらべらと喋ると、三人目の客が言った。

「よく喋る猿だな」

 これは英語だ。アンシンの重役の隣りに座っている、金髪の子どもだった。小学生くらいだろうか。

「パパ、僕、ジャップの店なんか嫌だって言ったのに」

「シャラップ!」

 父親が言った。

「申し訳ありません、ミスター・中宮。このご時世、シングルファザーは苦労しまして。今日は大切なお話がある日だというのに、シッターが急病なんですよ」

「ええ、ええ。理解できます。ローティーンを留守番させてはいけない法律など馬鹿げている。おりこうそうなお坊ちゃまですから、ご自宅で一人でいるくらい問題なさそうでございますのに」

 バラニナはこれは英語で言った。子どもに対して、英語くらいわかるぞというアピールでもあるのだろう。

「では、お客様。お料理をお運びしてもよろしゅございますか?」

 薫流は言った。

「ああ、始めてくれ」

 金髪の父親が言ったので、薫流はバイオセンサーで厨房に指示をだす。

 すると厨房から、和風に飾り立てられた給仕ドローンが次々と料理を運んできた。

 薫流はそれを丁寧に卓上に並べる。正直、店の雰囲気から比べると、マトモな日本料理だった。刺し身にマヨネーズもつけていない。

 しかし薫流の仕事にはそれは関係ない。やることは一つだった。

「では、何かござんしたらお呼びなんし」

 そう言って薫流は座敷をあとにした。聞き耳を立てる必要はない。すでに監視ドローンは仕掛けている。

 しかし、話の内容は当たり障りのないものだった。薫流にはわからない経済不況の話、社畜の上手な飼い殺し方、上司の愚痴など、とてもヘッドハンティングに関わるとは思えなかった。

 やがて退屈になったのだろうか、料理が口に合わなかったのかもしれない。子どもがバッグからセルコンを取り出した。

 いや、セルコンではない。よく見ればそれは、セルコンが今のように普及する以前に発売された、ゲームしかできない専用端末だ。

 薫流ははっとなった。その端末は日本製で、薫流も子供の頃、兄の光流と遊んだことがある。

「失礼しなんす。お茶でござんす」

 ターゲットに見つかるリスクを冒して、薫流は座敷に上がった。

 ゲームタイトルは、モンスター・パンツァー。戦車で大型怪獣と戦う協力型ゲームだ。兄と薫流が最も長い時間遊んだゲームのシリーズであり、今も続編が作られている。

「あら、懐かしいゲームでありんすね。ARやVRのゲームは遊ばないでありんすか?」

「知らないの? レトロゲーが流行ってるんだよ。自分の目と指で遊ぶ。それがいいんじゃん」

 自分の目と指。そう聞いて薫流はショックを受けた。

 薫流の目は猫目のバイオウェア。

 薫流の指は強化筋繊維のバイオウェア。

 もう、兄とゲームを遊んだ時の目でも指でもない。

「わ、わかるでありんす。わっちも、子どものころはよく遊んだものでありんすよ」

「わかるの? 大人に?」

「ええ、でももう思い出の中でありんす」

「……ふうん」

 言って、興を削がれたのか、つまらなさそうに子どもはゲームをしまった。

 お兄さま……

 薫流は心のなかでつぶやいた。

『薫流。余計なことは考えないで。ターゲットの会話に集中して』

『……かしこまりましたわ』

 しかし、薫流にはもう、そのゲームを遊ぶ子どもの父親を殺す気にはなれなかった。


 その日、ヘッドハンティングの話題は一切出なかった。そのため薫流が荒事を起こす必要もなかった。

 しかしその一月後、バラニナ中宮はブルガコフ兄弟社を退社する。新たな勤務先は、アンシン・コーポレイトだった。

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