第8話
放課後の教室は存外静かだ。
生徒の皆が部活に行くなり帰宅するなり教室には人影はめっきり減り、音もなくなっている。
教室の窓も閉めればグラウンドで部活をしている生徒たちの声も随分と遮断できた。
だから今この教室には俺ともう一人の少女の息づかいだけが響いていた。
少女は涙で潤んだその瞳を正面にいる俺へと向ける。自然と上目遣いになる少女に、それでも現実を突きつける。
「一学期の中間テストで赤点取るとか要らねぇ才能発揮してんじゃねぇよ」
「ぅぅ~っ」
目の前の少女――野々宮に不機嫌を隠すことなく言ってのける。
あれから週が明け、予定通り一学期中間テストが行われた。一週間丸々使ったそのテストは先週終わり、週がまた明けた月曜日の今日一部の教科でテスト返却が行われた。
二年四組で返されたのは数学と保健体育の2教科。その内の片方――数学でクラス唯一赤点を取ったのが野々宮だ。その答案用紙を返されるとき担当教師に点数を読み上げられていた当人の表情はひどく面白いものになっていた。
「にしても、どうやったら範囲の狭い一学期中間で赤点が取れんだよ」
「だって……」
そう言ったきり話そうとしない野々宮にため息をつき、机の上に広げられた答案用紙を指差す。
「取りあえず、その22点は再テストでも確実に取れる22点なのか?」
えっと、と言葉を濁しながら椅子に座っていた体勢を直す。答案用紙を持ち上げ確認すると首を縦に振り肯定した。
「大丈夫。これには自信ある」
「ドヤ顔で言われてもたった10問だからな」
しかも前半に配置された、いわゆる『取ってくれ問題』だ。
「んじゃそれは放っといて、先ずは取捨選択から始めますか」
落ち込んでる野々宮に構わず勉強会を再開する。
「取捨選択って?」
「再テストの合格ラインは70点だろ。余裕持って80点取るとして残りの20点は捨てる。その捨てる問題を選んでくって作業」
復活した野々宮に説明するとへぇ~、と感心したような声を漏らす。
「取れるだけの点数を設定して後は切り捨てた方が時間も効率的に使えんだろ」
まぁ実際一学期中間ということで問題数は多くない。そのため点数配分も高く設定されている。切り捨てられる問題も多くはないし取るはずだった問題を数問落としただけで不合格になりかねない。全体を覚えて余裕を多く持つか、余裕を減らしてでも取り落とす可能性を少なくするか。その違いでしかないが。
「ん? でもそれじゃ藤見くんは何で、100点満点取れたの?」
「取捨選択してひとつも捨てない選択をしただけだ。数学は得意だからな」
「なんか頭の良い人の発想だ……」
そうでもないだろ。自分が得意な教科で取れる問題を落とす必要なんかない。一学期中間はテスト範囲も広くなくとりやすい問題が多い。一学期末のテストが難しい可能性もある以上中間は気合い入れないと一学期の成績が大変なことになる。目の前の少女みたいに。
「それにしても、
「しかも点数順にな」
お陰でこんな面倒なことに巻き込まれた。
「」 「」 「」 「」 「」
昼休み、数学を含んだ午前中の授業を終え弁当を広げていつも通り謙司を待ったいたとき野々宮が深刻な表情をしてやって来た。
「あの、藤見くん。お願いがあるんだけど」
「やだ」
取り合えず否定からはいるのが俺の常なのだがそれを理解してない野々宮はおろおろと狼狽えだした。
どうしたものかと考えていると謙司が戻ってきた。
「あれ、日向ちゃんどしたの?」
「えっと、藤見くんにお願いがあったんだけど断られちゃって」
「藤見が断った?」
確認するように視線を向けてくる謙司に頷くと今度は野々宮に視線を向けた。
「もしかしてまだお願いの内容言ってない?」
野々宮が首肯すると「なるほどね」と言っていつも通り椅子を逆に向けて俺の机に戦利品を乗せた。
それを俺も確認してから弁当を食べ始める。
「理由くらい聞いてあげたら?」
「とっさに癖で否定しただけで聞く気がない訳じゃない」
「だってさ。話してみたら?」
謙司が促すと少し深呼吸してまっすぐ俺を見る。
「数学を教えてほしいの」
「あぁ、……22点」
顔を赤くしながら俯く野々宮はいつもよりも小さく見えた。
「別に教えるのはいいけど。……分かってる?」
何が? と首を傾げる野々宮に懸念をぶつける。
「先々週の噂がまだ残ってるのにそこで俺と22
点が二人でいるところなんて見られたらまた何かしら言われるぞ?」
「点数で人のこと呼ばないでよ」
今こうやって喋ってるだけでクラスの何人かはこちらをチラチラと見てる。
相田なんてガン見だ。おそらく野々宮が立ち去ったあと内容を聞いてくるんだろう。めんどくさい。
「そだね。俺もあんまお勧めはしないかな」
「と、謙司くんもおっしゃっておりますが?」
それに。
「辻にも関係を勘違いされても嫌だろ」
小声で言いながらちらりと野々宮の後方を見やる。
そこにいる辻も俺たちの方を見ていた。野々宮も遅れて気づいたのか困惑の表情になる。
さて、どうしたものかと考えを巡らせる。
野々宮としては勉強を見てもらいたいがそのせいで辻に余計な勘繰りをされるのも嫌だろう。なら手っ取り早く俺の方に先客を作ってしまえば良い。
「姫ぇ!」
教室中に届く程度の大きさで姫を呼ぶ。呼ばれた姫は友人との談笑を中断しこちらに顔を向ける。
「今日も一緒に帰るだろ?」
「……えぇ、当たり前でしょ」
「悪いけど野々宮に数学教えることになったから部活終わったら教室に来てよ」
「わかったわ」
教室がにわかにざわめき出す。
俺と姫はほぼ毎日一緒に帰っているがそれは二年四組の周知の事実ではない。この発言によってはじめて知るクラスメートもいるだろう。だから、これは新しい餌になる。
予想通り姫の周囲には女子が押し寄せていた。ここからでも聞こえる質問は概ね俺と姫の関係を尋ねるものだ。
「というわけで、心配はなくなったけどどうする?」
「……お願いします」
「」 「」 「」 「」 「」
あの後、野々宮が自分の席に戻ると普段話さないような男子どもが押し掛けてきては質問攻めにされた。いや、普段から話す奴なんてあんまいないんだけどね。コミュ障なもんで。だから、質問なんて全部むしっちゃった☆
そんな経緯で今に至る。
「えっと、こんなところかな?」
「ん、見せてみ」
今は一度一通り教えた後で佐々木先生に言って貰った今回のテストをまたやっていた。
「で、何でわざわざ補習があんのに俺が教えてるんでしょう」
佐々木先生が補習してくれるってのに事前に勉強をする意味が分からないんですけど。
「佐々木先生にお願いしたら初日に再テストをやってそれで合格したら補習受けなくて良いって。わたし佐々木先生苦手なんだよね」
あはは、と笑いながら話す野々宮の顔には疲労が浮かぶ。
佐々木先生は年老いたハゲ面の教師だが彼の説教はネチネチとしつこいことで有名だ。それだけならまだいいがその口臭もキツくマンツーマンともなると精神的にひどく疲れる。
「得意な奴なんかいないだろ。そりゃ三日も補習なんてやりたくないわな。同意見だよ63点」
採点が終わり答案用紙を渡す。赤字で63と書かれたその紙を見て補習の少女は落胆をみせた。
「ま、惜しかったな。ちょっと休憩しよう」
そう言って俺は席を立った。窓際の自分の席に行き鞄からペットボトルを二つ取り出す。それを持って戻り胸の前に掲げる。
「レモンティーとミルクティー、どっちがいい?」
「えっと、それじゃミルクティーで?」
「何で疑問系?」
「くれるの?」
「要らないならそこに置いとけ」
カキョッと小気味いい音がなりペットボトルの蓋が開く。中身を喉に流し込めば程好い酸味が口の中に広がる。図書室だと飲食禁止だからな、教室の方が自習するにはいいんだ。
「22点から63点か。随分と大幅に上がったな」
元々この高校に入学できただけのことはあるということか。30分ほどの勉強会でこれだけ点数が上がったのだ、頭は悪くないらしい。だとしたら――
「何で最初っからこの点数が出なかったんだよ。テスト勉強しなかったのか?」
ギクリと野々宮の肩が震える。なるほど、分かりやすい。
「なんか理由でもあんのか?」
「えっと……。辻くんに告白することで頭が一杯になっちゃって手付かずのまま……机の、上に」
「思いっきり自業自得じゃねぇかよ」
体を小さく縮こませ肩身狭そうにしている目の前の少女にため息がこぼれる。
「そう言えば、何でこんな時期に告白なんてしようとしたんだよ」
割りと当初から疑問に思ってたのに聞くタイミングがなかったな。
「えっと、辻くんの誕生日って8月で夏休みだから。何か特別な関係でもなければお祝いできなくなっちゃうと思って。それに、」
「それに?」
「『美人コンテスト』で辻くんに投票する人多くて焦っちゃった」
空笑いを浮かべる少女は酷く儚く見えた。
「人気者を好きになると大変だな」
「お互い様だね」
あぁ、全く本当に……。
「ん? 誰と誰がお互い様?」
「? わたしと藤見くんが、だけど」
「なにゆえに?」
「だって七峰さん、人気高いよね?」
「まぁ、あの容姿と外面だからな」
「外面って彼女に対してもそんな言い方なんだね」
「まぁ、基本的に……彼女?」
「うん。七峰さんと藤見くんって付き合ってるんだよね?」
…………はぁ?
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