第7話

五月の雨はそれだけで憂鬱な気分になる。

まだ初夏には早いこの季節には憂鬱な気分とともに寒さがその身を襲う。

湿り気を帯び肌に纏わりつく服や髪がより一層帰路につく歩みを重くする。


「全く、騒がしくするから追い出されちまったじゃねぇかよ。女が三人寄れば姦しいとは良く言ったもんだ」


「一人足りないでしょ。あんたはいつから女になったのよ」


あの後二人の会話は飽くことなく続いていたが流石に見かねたのか図書委員と思しき女子が声をかけてきてやんわりと退室を促された。

それまでも随分と騒いでいたから大分寛容な対応だったと言える。美少女というだけで対応が変わるのだから羨ましいものだ。

今は野々宮とも別れ、姫と二人いつも通り帰っていた。違うのは今日が雨ということで向かう先が最寄りの駅であることだけだ。


「にしても。可愛かったわね、野々宮さん」


「まぁ、クラス内順位二位ですからなぁ」


昨日今日のやり取りだけでもその結果は納得できるものだった。

容姿だけなら他にも上はいるのだろうがその仕草や性格が人気に拍車をかけているのだろう。姫が指摘しなかったから珍しく天然物でもある。

へぇ、と姫も納得したような声をあげた直後顔を向けてくると今度は疑問の声をあげる。


「何であんたが知ってんのよ」


「謙司に聞いたんだよ。正確には勝手に教えてきたんだけどな」


「それっていいの? 一応公表前なんだしまずいんじゃない?」


「知らん」


ついでに言えば一位は姫だとよ。――そう教えてやるとあっそ、と興味無さげな返事が帰ってきた。


「どーでもいいわ、順位なんて。大切な人からの一票に比べれば何票あっても関係ないもの」


「おぅおぅ。去年の学年覇者が言うと嫌味にしか聞こえねぇな」


「そういうものよ。あなただってそうなんじゃない?」


「そうか? 人気があるってのはいいもんだと思うけどね」


軽口を叩き合いながら俺たちは広い通りから人通りの少ない裏道へと入る。


「昨日帰るとき髪が少し濡れてたのは野々宮さんとのやり取りで傘を買いにいくのが遅れたから?」


「良く見てるね」


ふふっと思わず笑い声が漏れた。口許を押さえながらそういうこと、と肯定する。

昨日のSHR後傘を持ってこなかった姫に帰る前に買ってくるように頼まれていた。

にも拘らず予定外のことに巻き込まれ、コンビニに着く前に雨に降られてしまった。

その後、学校に一度戻り姫と二人で帰ったところを相田に見られたんだろう。


「内容は話せないのよね?」


「話せないね。頼まれちったから」


「……そう。頼まれたんだ」


「頼まれたんだよ」


頼まれたなら仕方ない。口を滑らせるようなことはできない。簡単なことだ。


「ところでどこまで信じられた?」


話を変えるように俺は感じていた疑問をぶつける。姫は何のこと?と顔に書き首を傾げた。


「《朝の一件》の俺の言い分。出来としてはそんなに悪くはないと思うんだけどな」


俺がそう言うとはぁ、とため息をつく。


「あなたと榎本のその悪い癖どうにかできないの?」


「出来ないね。だって気になるだろ。自分が考えたものが第三者からはどう評価されるのか」


好評なのか不評なのかそれだけでも分かれば充分だが出来るならばどこがどう、と詳しく聞ければなお良い。

姫は俺の言い分を聞くとまたため息をつく。幸せ逃げちゃうよ?


「別に何も知らないクラスの皆が聞けば納得できるくらいには辻褄はあってるけど私には、あとついでに言えば榎本にも分かるでしょ」


さも当然のように言い切る。

けれどそれは俺の中で簡単に腑に落ちた。身近な人間にしか分からないことはたくさんある。逆に身近だからこそ分からないこともある。


「何で、野々宮さんに嘘ついたの?」


「嘘?」


「生徒手帳」


あぁ、それね。

あの誤魔化しのために使った生徒手帳。あれは正真正銘俺のものだ。それはそうだろう。高屋は生徒手帳を渡したときなかを開いて確認していた。生徒手帳の1ページ目には学生証も入れてある。簡単に目につく場所にあったそれが本人のものでなければすぐに高屋が指摘していたことだろう。

昼休みに謙司に返していたのは定期のみ。謙司は生徒手帳を定期入れにしていなかった。


「さあ、なんでだろ?」


「私が聞いてるのよ」


「すべての嘘に理由がある訳じゃないからね」


俺にも分からないことの理由を俺に聞かれてもな。だからと言って誰に聞けばわかるものでもないが。


「理由もなくあんたがを見せるの?」


気づけば姫は足を止め、顔を俯かせていた。


「さあねぇ。から結構経ってるからね」


俺も足を止め答える。

それでも姫は納得しないのか。そこから動こうとはしなかった。


「あんたがあの写真を簡単に見せるわけないじゃない」


「口調、戻ってんぞ」


「答えてよ!!」


突然顔を振り上げそう叫ぶ姫の顔は悲愴に歪んでいた。


「……言ったろ、さあねって。近すぎれば分からないこともある。俺に一番近いのは俺自身だからな」


それでも納得しないだろう。納得はしなくてもそれ以上は踏み込めない。踏み込んだところで俺自身が分からないことを説明しようがない。それをわかっているから今も沈黙が続いているんだ。


「……違うんだよね?」


何が、とは聞かない。ゆっくりでも話すのを待つ。


「……野々宮さんと付き合ってる訳じゃないんだよね?」


違う、とも答えない。今俺が答えても不安は拭いされない。


「……忘れてないよね?」


声に涙が滲み出す。それでも俺は答えられない。答えればそれを実現させてしまいそうになるから。

だから、それ以上は口にして欲しくない。

それでも、俺はそれを止められない。止めてはならない。止める術を、俺は知らない。


「私は藤のことが好きなんだよ?」


雨のなか、それでもその言葉はしっかりと俺の耳に届く。

それまで何度も言われ、叫ばれ、叩きつけられ、そして優しく伝えられ続けた想い。

それでも俺はその想いに返す言葉を持たない。


「ごめん。先帰るね」


だから、俺から離れていく姫に掛ける言葉も見つからず立ち尽くすしかなかった。








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