第3話

翌朝。

予報通り昨日の雨が続き生憎の天気模様となっていた。

登校してきた俺は昨日購入したばかりのビニル傘を傘立てに入れ、少し濡れた靴を脱ぐ。

上履きに履き替えようと靴入れに延びた手が止まる。

一瞬の間を置きすぐに手をかける。開ければそこには何の変鉄もない上履きだけが入っている。

日を跨ごうとも、いや。跨いだからこそ昨日のような面白おかしいことがまた起きることもなく今日も変わらぬ日常が繰り返される。


…………ええ、そう思っておりましたとも、はい。

俺が自分のクラス――二年四組の教室にたどり着くと廊下にまで中の喧騒が届いていた。

静かではないにしろいつもはもう少し落ち着いているはずだとおかしく思いながらも些末なことだと前の扉から教室に入った。

直後、教室はしんと静まり返った。

クラスメートたちは教室の中心付近にある机に群がっていた。そこに集まっていた全員の視線が俺へと寄せられ、固まる。

あんるぇ~~。そこはかとなく嫌な予感。

女子たちからは好奇の視線が。

男子たちからは嫉妬の視線が。 

え、なぜ? 何故に視聴率百パーセント?


「えっと、ごめんなさい……?」


取り敢えず謝っておく。

偉い人が言いました。女の人が怒っていたらすぐに謝りなさい、と。いや、別に怒ってる様子はないんだけどね。でもなんて言うかね、視線の威圧感ってすごいね。

けれど、その一言が琴線に触れたのか一人の男子が俺のもとにやって来る。


「マジ?」


その男子――相田あいだ晋也しんやは俺の肩をつかむと神妙な面持ちで問いかける。

いや、だから何が? ついでに言えば近いよ。昨日とは真逆の意味でドキドキするからやめてね。いやほんとに。


「ちょっと男子、やめなよ」


困惑している俺の耳に甲高い声が届く。声のした方を向けばそこには委員長、ではなく髪を茶色に染めた女子がこちらを、相田を睨んでいた。


「別に日向が藤見に告白しようがあんたらに関係なくない? 興味持つのは自由だけどさ」


「だから違うんだって、美奈子!」


あぁ、なるほど。ようやく理解できた。

つまり、昨日のやり取りが部分的に見られていたのだろう。だから、野々宮が俺に告白したのがバレたのだ。野々宮としても照れ隠しで否定してるし。

ん? いや、違うね。コクられてないね。産まれてこのかたコクられたことがないね。うわなにそれ泣く。ごめん嘘。コクられたことある。あれが告白じゃないとか怒られる。

それより、この流れはマズイ。今この教室には野々宮の本来の想い人である辻もいる。このまま勘違いされたらたまったものじゃないだろ。

俺としてもそう思われるのは本意ではないしあまりこの噂が広がっても事だ。

面倒だが事態の収拾に努めるとしよう。時間もあまりないだろうし。


「取り敢えず説明求む」


俺は相田の手を除けながら視線を集団の一角へと向ける。

目が合うのは、おそらく俺の問いに対して最適解を述べてくれるだろう榎本えのもと謙司けんじがいる。

謙司は一瞬呆けた顔をするが俺の意図を察してくれたのかすぐに話始めた。


「オーケーオーケー。順序だてて説明するよん。と言っても簡単な話なんだけどね。日向ちゃんがおみゃ~さんの靴入れの中に手紙を入れたのを昨日の帰り見たんだってさ。あぁ、相田がね。んで二時間後くらいかな。お前が傘差しながらいつも通り帰ってった後に日向ちゃんが落ち込んだ様子でトボトボと帰ってたんだって。相田は部活があってそれ以外の部分はどうだったのか知らないけど」


そこまで言って謙司は俺と目を合わせながら数秒すうびょうを置き口角を少しだけ上げる。


「まぁ、これだけでも十分予想はできるよね。『野々宮日向日向ちゃん保坂藤見藤見に告白してフラれて帰っていった』。多感な年頃の少年少女だ。この予想は必然でそ。あぁ、けど残念。予想はあくまで予想。なら、確かめたくなるよね。それが人のさがだよね。そういうわけで聞いちゃいました、ご本人に。でも日向ちゃんは『違う』の一点張り。ならあれは何なのかと聞いても答えられず。会話だけが一人歩きして気づけば全員集合。そこへご本人登場。しびれを切らした相田が端折って確認。てな訳」


「ウザい、長い、キモい」


どう? と目で問いかけてくる謙司に俺は正直に答える。だって話し方がウザいし説明長いし存在がキモかったんだもん。「もん」とか俺もキモいな。

ひどいッと手で顔を覆う謙司を尻目に、けれど内心ではGJグッジョブと賛辞を送る。

経緯を先に、後半は無駄な身ぶり手振りと合いの手で時間を稼いでくれたお陰で充分考えをまとめられた。

俺ははぁ、とため息をつき皆の注目を集めてから誤魔化説明し始める。


「なるほどね。けど違ぇよ。あれはそんなんじゃなくてただ、俺が落とした生徒手帳を届けてくれただけ」


俺がそう言うとほぼ全員が、は? と顔に表していた。

特に驚いていたのは野々宮だ。自分の知らないことを平然と言われたからだろうけど知ってること言ったらただの事実だからね。


「どういうこと?」


そう聞いてきたのは謙司だ。

そのまんまだよ、と前置きして堂々と言い切る。


「俺が落とした生徒手帳を野々宮が届けてくれたってだけ。手紙はそれを返したいから来てね、って内容」


やっぱりこれだけでは納得してもらえないんだろう。最初に食って掛かってきたのは相田だ。


「何でわざわざ手紙で? 直接そのまま渡せば良いだろ」


「お前は放課後誰がどこにいるのか全部把握してんの? 探し回るより呼んだ方が効率良いだろ」


次いで金髪男子が。


「それなら別に休み時間とかでもよかったんじゃね?」


「アホ。帰りに拾ったんならそんな時間ないだろ。いつ拾ったかまでは聞いてなかったから知らんけど」


眼鏡女子が。


「今日返すじゃダメだったの?」


「定期入れてたからな。アウトだと思ったんだと」


謙司が。


「藤見、チャリ通じゃなかった?」


「雨んときは電車だよ」


美奈子高屋が。


「じゃあ、何で日向はそんなんを隠してたのよ」


「……あー」


侮りがたし、高屋美奈子たかやみなこ。一番答えたくないことを普通に聞いてきやがった。

答えは用意してあるものの出来れば使いたくなかったんだけどね。

俺は持っていた学生鞄を開くとそのなかを探る。目当てのものが見つかりそれを高屋に放ると危うげなくキャッチした。

高屋はそれを開いたり閉じたり、弄りながら横目で俺を見る。


「これが何?」


高屋が持っているのは彩鐘校の生徒手帳だ。

彩鐘校の生徒手帳は濁った藍色で二つ折りになっている。内側には学生証や校則が書かれたページもある。

裏表紙の部分には定期などといったカードを入れるスペースがある。生徒手帳のわりには薄っぺらく作られているため定期入れとして活用しているものも多い。ご多分に漏れず俺も定期入れとして活用している。


「定期の裏側、見てみ?」


俺の指示に従い高屋は裏を見ようとして定期を抜き取る。

その直後。


「うっわ」


高屋は顔を顰めながら呻く。

その背後で一緒に確認しようと首を伸ばしていた女子たちも程度は違えど同様の反応をしてみせた。

それは定期と一緒に入っていた一枚の写真。そこに写るのは一人の少女だった。その少女はたった二枚の布に包まれていた。

透き通るような澄んだ黒髪。幼さを残した小顔。純白に覆われた吸い込まれそうな黒瞳くろめ。それらを支えるのは少し赤みを帯びた首。前屈みになり強調された胸元。細く肉感のある大腿には水滴がついていた。

アクアブルーの水着を着けた少女は少し恥ずかしいのか、頬に朱が差していた。けれどその表情は対照的に、妖艶で蠱惑的に笑んでいた。

端的に言えば――エロかった。

写真を見た男子の何人かが生唾を飲み込んだ程度にはその少女には肉感的な魅力があった。


「つまり、日向はこの写真を見た。って言いたいの?」


そんな写真を健全な男子高校生が持っていた。つまり、そういうことである。


「拾ったときにその写真を見ちったらしい。昨日までは普通に挟んでるだけだったからな」


俺は頬を掻きながら苦笑を浮かべてみせた。


「俺を庇ってくれたんでしょ? 説明しようとすればその写真のことまでバラさなきゃならないと思って」


野々宮に視線を向け確認するように語りかける。


「え? あ、う、うん」


野々宮も俺の意図を読んでか、首肯する。

周りの奴等も蓋を開けてみれば大したことのなかった話題に興味を失ったのか各々の席へと戻り始めていた。

けれどまだ納得してないやつもいたみたいで。


「それじゃあ、なんで野々宮さんは落ち込んでたの?」


そう聞いてきたのは辻だ。

正直、辻がこの話題に触れてくるとは思わなかった俺は驚いていた。同じクラスになって一月ほどだが、で自分から発言するとは思わなかったからだ。


「……知らん。気になるなら本人に聞けよ」


全部俺が答えてしまったら、反って怪しまれると思い最後は知らないことにした。

べ、別に終わったと思ったところに水を差されたからぶっきらぼうになったとかそんなんじゃ、ないんだからね。あーハイハイ、キモいキモい。


「……そっか。ごめんね」


それだけ言い残すと辻も自分の席へと戻っていった。






















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