第2話

今日は生憎の曇り空だった。

空には薄雲が敷かれ一面を覆っている。

夜からは雨が降り始め、それが週末まで続くらしい。日が傾き、早ければもう降ってきてもおかしくはない時間となっていた。

空に浮かぶ雲は茜色に染まり、所々は濃くもしくは淡く、見事なコントラストを作り上げていた。

そんな景色の中にたたずむのは一人の少女。改造がほぼ公認となっている彩鐘高では珍しく学校指定の制服に身を包んでいる。時折吹く心地よい風にチェックのスカートをたなびかせた。


―――それが、俺が目を奪われた光景だった。


扉を開けてすぐに目に飛び込んできたそれが暫しの間俺の時間を止めた。

心が高鳴ったわけでも頭が真っ白になったわけでも決してない。

ただ、絵画のような美しさがそこには確かに存在した。理由を問われれば何となく、としか答えられず、けれど確かに目を惹く曖昧とした美しさだ。

この場所が告白スポットとして成り立っている理由を今、理解した。

これは、

普通の少年少女たちが二割増に綺麗に見え、幻想的ともとれるこの空間が己の日常から一歩進む躊躇いを霧散させる。

これは、ダメだ。思考がまとまらない。扉の前で決めたことでさえ嘲笑うかのように掻き消される。いつまでも魅入っていたい。


「あのっ……!」


そんな視界に映る少女が上擦った声をあげる。

それでようやく陶酔感にも似た感覚から脱した。

思考が再開されると、目の前の少女のこともはっきりと知覚することができた。

二年四組、野々宮ののみや日向ひなた。俺のクラスメートだ。

野々宮は緊張、安堵、困惑、そんな感情を綯い交ぜにした表情で俺に問いかける。



俺は、この言葉の意味を正しく理解できた。

即ち、


「……何で敬語なんだよ」


とりあえず、


「えっと……どこかで会いましたか?」


発覚!クラスメートと認識されてなかった!? 見出し風に言ってもショックなものはショックなのね。知りたくなかった。


「……どうも、はじめまして。二年四組のクラスメートです」


たっぷりと皮肉混じりにそう答える。

すると、野々宮は今気づいたかのようにハッと肩を震わせる。


「ふ、!?」


そう野々宮は驚きながら俺の―――保坂ほさか藤見ふじみの名を呼ぶ。


「え、えっと。何でここにいるの?」


野々宮は今度は隠し事がバレそうな子供のようにこちらの顔色を伺いながら訪ねてくる。自分がここにいる理由を俺に知られたくないのだろう。今度は適当に世間話としてその話題を振ってきたのかもしれない。けれどそれは悪手だろ。


「野々宮こそ何でここに?」


こう問い返されるのが容易に想像できる。そして、本題に繋げるためにも俺は迷わず問いかけた。


「ッ!?べ、別に。ただ、その。夕日を見に?」


「あ、そう」


なんとも分かりやすい誤魔化し方だな。それじゃ疑ってくださいといっているようなものだ。

野々宮は今混乱しているのだろう。普段は誰も来ないはずの北校舎屋上に想定してなかった第三者がやって来たのだ。これから告白しようと緊張していた身からすれば容量越えキャパオーバーしてもおかしくはない。さっきの俺をクラスメートと分からなかったのもそのせいだろう。そうだと信じたい。


「俺は辻に用がある奴を探しに来ててな」


俺がそう言うと野々宮は先程よりも明らかに狼狽し始めた。これは間違いなくだろ。


「これ、この手紙が俺の靴入れに入っててな。野々宮だろ、いれたの」


俺はそう言いながらポケットから手紙を取り出す。やはり、それに見覚えがあるのだろう。野々宮は目を見開いて、けれどそのまま口を開かなかった。俺もそのまま相手が話し出すのを待つ。


「なんで?」


やがて野々宮は小さく誰にともなく問いかける。


「なんでって。指定された場所ここに野々宮しかいなかったし。さっきの反応で確信したけど。」


「そうじゃなくって!?」


声をあげると同時、俺の手元を見ていた野々宮が俺に一気に近づいて顔をあげる。必然的に野々宮の端正な顔が眼前までやって来る。その大きな瞳は潤んでいて微かに開かれた唇からは呼吸の音が聞こえる。

反射的に下がろうとしたが野々宮の手がシャツの袖を握りしめていてそれも叶わなかった。

突然の出来事に心拍数が上がる。顔が火照り始め呼吸がわずかに荒くなる。

(何で俺が狼狽えてんだよ!?)

それでも慌てた声をあげることだけは回避した。

上半身だけをわずかにそらしながら僅かに残った冷静な思考が野々宮の疑問を汲み取る。


「辻の出席番号って確か21だろ? ここの靴入れ六段になってっから俺と辻、隣同士なんだよ。俺が27だからさ。数字似てるしそれで間違えたんだろ」


てか、近ぇよ。と最後に告げることも忘れない。

俺の説明を聞いた野々宮は最初は呆けていたみたいに、次第に納得したのか視線を下げながら「そっか……」と呟いた。

次に顔をあげればあはは、と空笑いを浮かべながら肩を竦めてみせた。


「ダメだなぁ、わたし。緊張したりパニックになったりしたら周りが見えなくなっちゃうみたい」


えぇ、そうですね。未だに手ぇ離してくれませんものね。近いし。


「藤見くんにバレちゃったし」


なにを、とは流石に聞かない。

少し声のトーンを落としシャツを握る手をさらに強く握る様はヤンでるような怖さがあった。

ここでニヤリと口角をあげ「仕方ないか」と、ナイフでも取り出そうものなら本物なのだがそんな雰囲気でもない。


「だから、ここで待ってても辻は来ねぇぞ。それだけ伝えに来ただけだから」


「あ、うん。ごめんね。わざわざありがとう」


告白が失敗したと知ったからか少し悲しげに、それでも笑顔を取り繕って謝意を伝えてくる。

その表情が少し気になるもそこまで踏み込むのも野暮だろう。

これで役目は終わった。あとは家に帰るだけ。なんだけど……。


「…………」


無言で俺を見つめてくる野々宮。


「…………」


俺も無言のまま目を合わせる。


「……?」


流石におかしいとは思ったのか眉を少し寄せ小首を傾げる。その際にふわりと髪が揺れシャンプーの匂いがした。決して派手でなくシンプルなその匂いは未だに落ち着いてない鼓動をもとの緩やかなリズムに戻してくれた。

傾いた顔にはきょとんと擬音が聞こえてきそうな表情が鎮座していた。その小柄な体躯も合わさり形容し難き庇護欲をくすぐって―――


「じゃなくてっ!」


唐突な奇声に野々宮は全身を跳ねさせて身を寄せる。俺に。勿論シャツは握ったまま。


「いや、だから……」


俺は右手で顔を覆いながら顔を逸らす。

ただ離してくれと言うだけなのに妙に緊張する。


「シャツ、握られたままだと帰れないんだけど……」


それでも、なんとか事実を野々宮に告げる。

何のことかわかっていないのか、え? と言うようにまた首を傾げそのままゆっくりと目線を下げていく。

やがて自分の手が俺のシャツを握っているのが視界に入ったのだろう。彼女は後ろに飛び上がりながら手を離した。バランスを崩したのか靴音を何度か響かせながらわっとっとっと、と体勢を整えていた。


「大丈夫か?」


自分より慌ててる人を見ると逆に冷静になる原理と同じなのか、その様子を俺は自然と緩んだ口許を隠しながら見ていた。

野々宮は自然に近づいていたことか、はたまた慌てふためく姿を笑われたことにたいしてか。恥ずかしげに顔を朱に染めながらコクコクと頷いた。


「だ、大丈夫。ごめんね」


「別に嫌だった訳じゃない。気にすんな」


それじゃ、と会話を締め屋上唯一の扉に手をかける。


「あっ、待って!」


すると、後ろから呼び止められ何事かと思い振り返る。


「この事、誰にも言わないでくれると、助かります」


なるほど。確かにそれは必要な約束だ。普段あまり親しくもない相手に自分の秘密を握られたに等しい。元々が間違いで知られてしまったものが、気付いたら全員に知られてしまっていた。何てことになったら目も当てられない。

恐る恐るといった調子で懇願してくるその様がやけに弱々しくつい、こちらも丁寧な口調がついて出た。


「大丈夫だよ。他人ひとの秘密をバラして愉しむような趣味、俺にはないから」


野々宮の安堵の表情を確認し今度こそ俺は扉を潜った。






 「」 「」 「」 「」 「」


靴入れから下足を取りだし履き替える。

トントンと靴の先端を叩きながら外に出れば辺りは薄暗く影が景色と同化し始めていた。

空を見上げれば茜色だった薄雲はその大半を藍色の濃色に変えている。

思っていたよりも長く話し込んでいたらしい。

グラウンドで練習をしていたサッカー部や野球部を筆頭とした部活動も早めに切り上げるのか片付けをしているようだ。

そう言えば夜からは雨が降る予報だったと今更ながらに思い出した。

携帯を確認すれば夜と言っても差し支えない時間となっている。

生憎と置き傘もしてなければ折り畳み傘も持っていなかった。


「頼むから、あと10分は降らないでくれよ」


最寄りのコンビニまでの時間をざっと思い浮かべ独り言ちる。






















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