誰もが矛盾を抱えている
空水雲
第1話
高校生というものを客観的に見るならばどういったものになるだろう。
大人からすればまだまだ子供で世話がかかるし、そのくせ態度のでかい厄介な存在なのかもしれない。
或いは、自分の高校生時代を思いだし、想いを馳せ郷愁に身を浸すのかもしれない。
逆に。
これから高校生へと成長する子供からすれば、自分よりも遥かに大人に見えるのかもしれない。
若しくは、これから訪れる自分の未来像として虚栄を追いかけるのかもしれない。
では、当人たちから、主観的に見たならばどういったものになるのだろうか。
幼年の頃に想いを馳せた幻想との違いに戸惑うことになるのだろうか。
近く訪れる社会人としての自覚をもって自分自身と向き合うことになるのだろうか。
長いようで短い三年間である。
けれど、月日と共に想いや考えが変わるのは、幾度とある。
一年の入学当初は期待と不安を交錯させ、それでも次第に周りの状況に順応する。年の半ば頃にもなれば、周囲とも安定し自分のテリトリーを確保できているだろう。
二年になれば己の境遇に不満を覚えたり新たな快楽を求めたりするようになるものも現れる。それ故に、恋愛や非行といったスリルと快楽を求めるのだ。
三年になれば自分の進む先を見始めなければならなくなる。両親や教師からも進路について考えさせられる。そしてやはり、自分を見つめ直さなければならなくなるのだ。
紆余曲折したものの、つまり何が言いたいかというと物事にはそれ相応の時期があるということだ。タイミングと言い換えることもできる。
時期によって感情や考えるものが変化したり、逆に感情や考えるものがあって、時期を見定めたりするものである。
故に、なぜこの時期の靴入れの中に手紙が入っているのか。
「」 「」 「」 「」 「」
中学二年の時の担任の台詞だったか。曰く、「中学・高校の三年間とはサンドイッチと同じである。最も大事な具の部分である二年の時に怠けるか努力するかによって学生生活三年間、ひいては今後の人生まで変わってくる」と。
そんな大事な時期である今、恋愛にうつつを抜かすなど持っての他である。
学生の本文とは勉学であり、恋愛などといった一過性の感情に振り回されていい時期ではないのだ。
…………ま、そんな現実逃避はおいとくとしよう。なんだよ、サンドイッチって。
だが、実際なぜこんな時期に……。
手紙の差出人である相手、仮にXとしよう。
もし、Xが一年だった場合を考えると。
GW明け三日目の今日である。入学して間もない一年が部活にも入っていない、校内で有名というわけでもない先輩相手に一月やそこらで好意を寄せるとも思えない。一目惚れされるほど、見た目がいいわけでもないはずだ。
それ以前に接点がない。せいぜいが先月行われたオリエンテーションで最前列に座らされたくらいだ。
では、三年ならばどうなのか。こちらもやはり、疑問が残る。
ほんの三ヶ月前に、恋の三大イベントのひとつである「お菓子メーカーの策略」もとい「バレンタインデー」があったのだ。そんな絶好の機会になにもしないでこんな中途半端な時期に行動を起こす理由がない。
ならば三ヶ月以内に好きになった可能性はどうか。勿論ないわけではないだろうが、やはり接点がない。この三ヶ月にあったとすれば終業式と始業式、それと先のオリエンテーションくらいだ。どう考えても現実的ではないだろう。
二年の場合も「お菓子メーカーの策略」に嵌まらず今日行動する意味はない。
三年よりかは『三ヶ月の可能性』は高いが、残念ながらそれ以前の問題なのだ。
時期云々など関係なく二年は守護者がいるためにあり得ない。
つまり、時期という観点からのみで言えば、このラブレターの存在は不可思議である。
以上の事からXは男である。
まぁ、実際これが女子からの手紙だとしても、ラブレターと断ずるのは尚早に過ぎるだろう。
そんなことを考えながら、俺はその手紙の封を開け中を読む。
『
わたしはあなたのことが好きです。
色々とお話がしたいので、
放課後部活が終わったあとでもいいので
北校舎の屋上に来てください。』
…………うん、これはあれだ。浮かれて屋上に行ったら大勢の男子に囲まれて笑い者にされるパターンだ。
なにそれ怖い。何が怖いってそれを真っ先に思い付く人間不信気味の俺が怖い。
それかあれだ。浮かれて屋上に行ったら「好きって言ってもぉ、異性としてじゃなくてぇ友達としてっていうかぁ、これからもヨロシクッみたいな?」的な感じだ。
なにその突然の友達宣言。意外すぎて逆に引く。
……うん、やめよう、この自ボケ自ツッコミ。得るものがなにもない。
少し落ち着くために深呼吸する。そしてもう一度文面を読んで見る。
当然ながら先程と変わらない文面。残念だ。
つまり俺は、今から屋上へと行きこの手紙の差出人に色々な話すら出来ない。と、伝えなければならない。実に気が重い作業だ。
そんなことを思いながらさっき来た道を引き返すように、靴入れの扉を閉め背を向ける。
「」 「」 「」 「」 「」
この私立
故に、当然のごとく屋上への出入りも自由となっている。五年ほど前にPTAが問題視して抗議してきたことがあるけれど、その年の校長が丸め込んだらしい。詳細はわからないが最終的には「生徒たちの楽しみを奪う気ですか?」の一言で親達はそれぞれ思うところはあったのだろうが矛を納めた。とのことだ。
つまり、今でも屋上は解放されており昼休みなんかはシートを広げ昼食を食べるものも多い。広さも校舎の広さとほぼ同等のため多少人が多くても気にせず過ごせる空間になっている。いわずもがな、生徒たちの憩いの場となっている。
しかし、『放課後の北校舎屋上』となるとそうでもない。滅多に人影は見えず人の声も聞こえない。端的に言ってしまえば利用する生徒が一切いないのだ。何も知らない他校の生徒が見れば不思議に思うだろう。
しかし、これが彩鐘高生からすれば当たり前なのだ。理由は単純で遠いからだ。北校舎とは即ち特別教室棟である。校舎に詰められているのは家庭科室であったり美術室に音楽室であったりと、一般科目とは違った授業を行う場合に使用する教室だ。普段使う一般の教室は南校舎であり、しかも行き来するための渡り廊下は二階にしかない。五階建ての屋上に行くには少々くたびれる。
部活に行く生徒もいる為、そう多くない放課後の利用者は後ろめたいものがない限りは南校舎の屋上を利用することが多くなっている。
つまりは、生徒の間での告白スポットにもなっている。逆にそれが暗黙の了解となって生徒たちも近寄らないのかもしれない。
そんな場所への扉の前で運動不足がたたり少しばかり上がった息を整える。
整ってからもう一度深呼吸をする。見つめる先にはドアノブがある。これを捻り、押し開ければその先にはめくるめく薔薇色の未来が待っている。
ごめん、嘘。人によっては間違っていないのだろうが、少なくとも今の俺はそんな心境ではない。これを開けたら先程の手紙の差出人、Xに残酷な現実を突きつけなければならないのだ。
思い出すだけでため息が出る。自分が悪いわけでもないのにこうも億劫になるのも珍しいだろう。逃げた幸せはドアに跳ね返って戻ってこないだろうか。無理か。
意を決しドアに手をかける。手を引く。ため息をつく。帰りたい。
そもそも相手が誰なのかわからん。手紙にはXの名は書かれていなかった。お陰様でXとか犯人のように呼んだり推理したりしてしまった。違うか。趣味か。違うな。違うよな?
そんな風に自分の思考を混乱させる。
落ち着いてきたところでもう一度深呼吸。今度はさっきよりもゆっくりと、深く。目を開ければ思考はクリアになる。
相手は一人か、はたまた複数か。どちらでも構わない。俺が伝えることは変わらない。
相手は近くにいるのか、遠くにいるのか。近くにいればそのまま、遠くにいたならばこちらから近づいて伝える。
問題ない。今ならば行ける。
旧くも手入れが行き届いているのか、カチャリと小気味良い音をたて、扉は静かに開いた。
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