第5話
変な夢を見た。
アルファのそっくりさんが出てきて、俺に鴇子と結ばれる願いを叶えてくれるという夢だ。夢は願望の裏返しというが、つくつぐ俺は鴇子のことで絶望しているらしいことがわかって、自分の思いもよらない繊細さに余計惨めになったりした。
初恋は実らないというが……いつまでもずるずると叶わぬ想いを引きずるのもよくない。
腹に力を込めて布団から這い出し、アルファとの関係を詮索してくる母親を巧みにかわしながら朝食を食べ、家を出た。
天気は快晴、夏の日差しが強まりつつある。もはや初夏といっても差し支えない天気だった。
俺が校門まで歩いてきたとき、自分の異変を感じた。
はて……どうもおかしい。
心が透けて見えるという表現はよくあるが、そんな他人の心の動きが見えるようになっているこの感覚は、どう説明すればいいのだろう?
通学路には複数の登校途中の学生たちで混雑していたが、校舎に向かって歩く学生達の心の動きが、色彩を帯びているように思えた。その考えは教室へと入ると確信へと変わった。
例えばいつも神経質な館林は青い感情がゆらめき、先日、飼っていた犬が天寿に召されたと嘆いていた相模さんは、黒い影を背負っているかのように見えた。
彼女が出来てこの世の春を謳歌している猪狩は、ピンク色の甘ったるいオーラを漂わせて不快なことこの上ない。彼女と待ち合わせ、手を握って中庭をつっきる際には、弾幕シューティングのラスボスの如く、桃色の破壊光線を周囲に振り撒き、繊細な男子たちのハートを撃墜させている。傍目から見ていても鬱陶しい。
だが、どうやらこの色合いの意味がわかってきた。悲しい時や落ち込んでいる時は寒色系に近く、楽しい時、幸福に感じている時などは暖色系になるようだ。
まるで何か特殊なフィルターを通したかのように、そんな文字通りの人間模様が観察出来るのは一体どういうことだろうかと首をかしげていると、アルファがやってきた。
「楽しそうだなお前」
ちなみに、アルファが背負っているのは明るい黄色、黄金にやや近い威圧的な光を放っている。ゴットかこいつは。
「手に入れたようじゃな」
「やっぱこれはお前の仕業なのか?」
「さあて……どういう説明をすべきか……」
そんなことを言っている間に鴇子が教室に入ってきた。相変わらずそこに居るだけで存在感がある。
ちなみに鴇子の感情の色は読めなかった。
「っ…………」
俺のほうをじっと見つめてから、なにやら驚愕の表情を浮かべている。
「おっはよー、ってどうしたのトッキー?」
鴇子を見つけたごっさんが、不審げに声をかける。
「あ、いえなんでもないわ」
「ふうん……?」
ごっさんに声をかけられようやく自分を取り戻した鴇子は、いつものように取り巻きに囲まれ優雅に会話の花を咲かせている。
それにしても鴇子がああいう風に、自分の感情をみせるなんて珍しいな。ひょっとして教室まできて、今日は靴下の左右を間違えてはいて来たことに気づいたとか……
「感情の色じゃ」
「なんて?」
唐突にアルファが語りだした。
「既に察しがついているかもしれぬが、今そなたが見ているのは人の感情の色じゃ。詳しい説明が欲しいじゃろう?」
一も二も無く俺は頷き返した。
「それでは説明してやろう」
「よろしく頼む」
放課後、俺を連れ出して誰も居ない屋上へと上がってきたアルファはこの現象の詳しい説明を開始した。
「全てを透徹する魔眼の話を覚えているかの?」
「確か鴇子が持っている能力とか……」
「うむ、今そなたが見ている風景はその力によるものじゃ。人の本質を見通す新しき知覚、真に開かれた眼をもち、誰よりも新しき世界を認識する。その端緒がその目に顕現してくる。人は誰しも肉体の檻から抜けられぬ、肉と言う物質からは抜けられぬ。ゆえにそれぞれの思考や意識はその肉体に縛られる。自分で選択したその意識ですら、肉体の決定を追随したに過ぎん。肉体からの真の意味で解き放たれた人間なぞこの世に存在しない」
とアルファは言った、いつものように大きな主語を使ってくるが、初めに聞いたときより人類とか新種とかいう単語がしっくり入ってくるのは、俺が相当毒されてきた証拠だろうか?
「だが、その目を持つ人間は違う、それは人類に稀に現れる聖人や救世主と謳われる超人の証じゃ。その目は全てを透徹し、人の処理を超える情報量を受け入れ、誰よりもいと高きに……」
「ちょっと待った」
「なんじゃ」
「アルファさ……それって新種の話だよな……」
「じゃからそう言っておる。そなたと鴇子は同じ精神の頂に到達したのじゃ」
なかば予想していたが……やはりそういうことなのか。
「鴇子も俺と同じように世界が見えている……と?」
「感じ方は人それぞれじゃからの、同じように見えているかは知らぬが、おそらくそれは表現の違いであって質の違いではあるまい。そなたが他人の感情が見えるのは、新種としての能力の本質ではなく、そこらへんの能力はおまけに過ぎない」
「じゃあ、鴇子の心が見えなかったのは?」
「同じ高度にいるのだから、塔の高みから見下ろしている人間は見えても、隣にいる人間まで見通せるわけがない。どうじゃ? 新しき人類と同じ高みに上った気分は?」
気分はと言われても……
「正直困惑してて、どう表現すればいいのやら……一体俺はどうしてそうなっちまったんだ?」
「もう一人の私に出会ったのであろう? あのオメガに」
「そうそう、あの女の子のことも聞こうと思ったんだよ! 何なんだよあいつ、双子?」
「双子ではない、同位体といったとこかの……私と同じ起源を持つが、別の道に分かれていったもう一つの可能性じゃ」
「なんか……高度すぎて言ってることがわからないんだけど……
「我々は神でもないが人というわけでもないということじゃ。ゆえに人では理解が追いつかぬ、左様了見することじゃな」
解ったような解らないような……とにかく目の前にいる金髪ロリ娘は、人ではないということだけはわかった。今更確認するものではないけどな……
鴇子が無色なら、アルファは七色の光を背負ってその光の移り変わりも留まる事を知らず移り変わっていく。今までみた光は直感で喜びや悲しみが感じられた。だが取り留めなく流れていくその光の流れは、様々な感情が入り乱れ、何を読み取って良いのかさえわからない。
「お前ってなんなの?」
「人類の最高責任者と言うとろうが」
人よりも上位に経つ存在、人の可能性を超えた存在。だが、とふと考える。神ではないとすれば……それは件の新種という存在ではないだろうか?
「お前が本当にわからなくなってきたな……」
考えてみればこいつはどこに寝泊りしているのかも、どういう立場なのかも良く解らない。君子は怪力乱神を語らずという故事にならうのであれば、これ以上理屈や常識に合わぬことをあれこれと思い巡らすことはよくないはずなのだが、目の前に実際にいるのだから、どうしても無視できない。
「我は偉大なる一つより別れたる等しき昼を分かつアルファであり、汝がであったのは等しき夜を分かつオメガである」
俺のいぶかしむような視線に気づいたのか、アルファは自分を語りだした。
「なんだそれ……?」
「そういう存在なのじゃ。我ら姉妹は起源を同じくするちょっと変わった人間じゃ」
それがどういう意味か、俺にはちょっと解らなかったが彼女の本質をあらわしているのだろうと、言葉よりも深い領域で感じることが出来た。
「別の女に興味を示している暇はあるまい。そういうことをしていると余計な爆弾に火がつくぞ」
そう言ってアルファは、まるで恋人のようにぴたりとくっついてくる。
「何をしている?」
「女に寄り添われているのに、もう少しまともな感想はないのか、この朴念仁め」
「と言われてもなあ……」
こいつのことだから、何か考えがあって引っついてきているとしか思えないのだが。
「あ……」
不意に嫌な感じがして俺は後ろを振り向いた。
「……!」
予感的中! 鴇子だ!
屋上の入口に鴇子の顔が見えたと思ったら、すぐにただならぬ気配を察知して階下へと降りていった。
「おい! ちょっと待て!」
「悋気は女の慎むところというが、男の七つ道具でもあるわけじゃ。この色男め」
「お前、なんてことしやがる!」
先日、衆目を前にして告白したようなものだし、鴇子の性格上きっと気分を害しているに違いない。俺は言い訳を考えながら、アルファを無視して、鴇子が消えた階段へと走り出した。
向かう先はもちろん茶道部。
「トッキーなら帰ったよ」
「はあ」
茶道部訪問を告げて鴇子を探そうとすると、ごっさんがぶっきらぼうに教えてくれた。
それならそれで、早いところ追いかけるべきなんだが、何故だかごっさんが俺を放してくれなかった。
「正直に言って、トッキーは自分勝手だと思うんだよね。相手を放置しておいたくせにさ、いざその時がきたら逃げ回るなんてちょっと虫が良すぎるんだよ」
「それはいいけど、あいつ部活休んでいいのか? 部長なのに」
「良くないよ。でも、どうせトッキーに文句言える人間なんていないしね」
なるほど、ここは女王の支配地域であったか。
鴇子の影響をモロに受けている茶道部の部員たちが、遠巻きにしてこちらをチラチラと見ているのは、あまり気持ちのいいものではない。その視線に棘を感じられるのは決して勘違いではないだろう。事実、連中からは血の濁ったような不気味なオーラが見てとれた。
何しろ俺は公衆の面前で鴇子への好意を口にした勇者であるし、鴇子の姦計によって俺の評価はあまりよくない。そんな男が何を今更何をしに来たという感じだ。
「聞いてる?」
「聞いてるよ。俺そろそろ鴇子を追いかけたいんだけど」
「ちょっと待って、その前に確かめたいんだけど」
と、ごっさんは言葉をきって、俺を真正面に見つめる。
「トッキーのこと本当に好きなんだよね」
俺はややためてから、その答えを口に出す。
「好きだよ」
自分でも、思った以上にすんなり言葉にできたことに驚いた。
「じゃあつき合うの?」
「…………」
つき合える……かなあ……あいつと。
今まさに俺達の関係は雪解けを迎えている。だが、歴史を振り返ってみても、冷戦からデタントの時代に突入したからといって、世界平和が訪れたわけじゃない。
天使が第七のラッパを鳴らして俺と鴇子のアルマゲドンが始まる前に、なんとか仲直りしようと努力してきたつもりではある。そのはずなのだが、正直いってあいつを二、三発なぐってやりたいと思う気持ちが完全になくなったわけでもないのだ。
「正直、あいつの泣いた顔が見たいな」
そんな今の心情を包み隠さず答えたら、待っていたのは批難の嵐だった。
「何考えてんのさ、好きな子相手にそんな愛情表現しか出来ないの君達は」
「でも、鴇子もきっとそう言うと思うぞ」
俺と鴇子の憎しみは根が深いのだ。余人には、その精神の海溝を窺うことすら難しい。
「すまないけど、ごっさん俺、早く行きたいんだけど」
「待って、ここって居心地悪い?」
「そりゃまあ、言ってみれば敵の本拠地だからな」
「でも、現状はこんなものだよ。トッキーがこの学校ですっごく人気あるの知ってるでしょ?」
「まあ……確かに」
男に告白された回数は数知れず、隠れて想いを寄せる男の数もさぞかし多かろうと思う。
そんな人間からしたら、俺なんてケーキにまとわりつく羽虫の様に忌々しい存在だろう。
「流石は撃墜王なんて呼ばれるだけはあるな」
「最近じゃ決して落とさないから不沈戦艦なんて言われてるみたいだよ。正直、トッキーに告るのってきついと思う。だいたい君ってトッキーが本命のくせにマッキーとも仲良くしてるしさ。そういうのよくない」
「え、あいつとの関係ってそう見られているのか」
「いつも二人でヒソヒソ話してるじゃない? 何話してるの?」
「人類の行く末についてだよ」
「誤魔化さないでちゃんと答えてよ! そういう不実な態度をとるからトッキーだって不安になるよ」
誤魔化すも何も、本当のことなんだけど説得出来る自信はなかった。
「ともかくさ、トッキーに避けられてるし、告白した割には他の女の子と仲良くするような、不埒モノって評価が今の君なの」
「そこから一発逆転はかなり難しそうだな……」
普段の俺の評価から考えると妥当な線だけど、今更ながら、俺の人望の無さにあきれ返る。とはいっても、これも鴇子が暗躍した結果でもあるのだが。
「あたしはやるなって言ってるんじゃないよ。君達は友達だから応援してあげたいもん。ただ、やるならやるできちんと足元見てからのほうがいいって言ってるんだよ」
「ああ、そういうことね」
相変わらずおせっかいというか……人が良い。
「わかった……でも忠告はありがたく受け取るが、それでもやることは決まっているので変わらないけどな」
その瞬間、おもいっきり頭をはたかれた。
「い、痛いぞおい」
いきなり手が出るあたり、バイオレンスさは後藤先輩の妹なだけあった。
「ぜんっぜんわかってない! 君達は自分たちの関係にこだわりすぎなの!」
いきなり怒りの形相で俺を非難してきた。
「トッキーと君がいつまでも子供じみた喧嘩してるから、そんなことばっかりしてるから、君達は今みたいにこじれちゃってるんでしょうが! 君の目的はそれを解消して普通の恋人同士になることでしょ? 違う!?」
「ん……まあそうだけど……」
恋人という言葉にひっかかるが、ここは素直に頷いておくことにした。
「だったらもっと周りを良く見てよ。トッキーもそうだけど全然周りの人間見てないもん。もっともトッキーはわざと無視してるし、それを許される力は持ってる。でも、そんなんじゃダメなの! 君達は、恋人になった後でも二人だけの世界に閉じこもっちゃうつもり?」
「それは……ないと思うけど」
でも、確かにごっさんの言うことには説得力があった。
俺と鴇子に友人がいないわけでもないと思うが、鴇子のこと以外はどうでもいいという気分がないわけでもないのだ。かなりありえない仮定だけど、もし俺と鴇子がくっついたらイチャイチャカップルになり、さぞ周囲をイラつかせるだろう。
それは、本質的に俺も鴇子も自分たち以外の人間なんてどうでもいいと思っている証拠だ。俺と鴇子だけで完結する人間関係……それは非常に不健康だし、良くないことだけは確かである。
「そうだな……すまない変なこと言って」
「別にいいよ。解ってくれたなら、それで」
そう言ってごっさんはため息をついた。まるで出来の悪い弟をたしなめる姉のようだった。
ごっさんの忠告を考えるに……「恋人になりたいのなら、鴇子だけじゃなくて鴇子の周囲も納得させろ」と言いたかったのだろう。
今まで鴇子との喧嘩にあけくれ、周囲の人間への無関心を貫いていた俺としてはなかなかに堪える。一人の人間関係を大事にするあまり周りを無視していたことに、俺は気づいていなかった。それでも平気な顔をして、学校に通っていたのだから、俺は自分が思っているより、他人に冷たい人間なのかもしれない。
「周囲の人間か……」
ぱっと思い浮かぶのは学校の関係者ではなく……
「おじさんとおばさんだよな」
それは学校の関係者などより、はるかに厳しい障害に思えた。
行動が早いのが、向こう見ずな若者の特徴だ。
と言うわけで、俺は友人の忠告に従い。鴇子の家のまえまでやってきた。
目の前にある喜連戸家は海鼠塀に囲まれ、古い建築物によくある威容を誇っている。古めかしい和風建築は住んでいる人間と同じような頑固さを保持しているかのように見えた。
あいもかわらず代わり映えのしない家である。『朗月庵』という屋号のわりには、家の規模は庵どころか屋敷であった。
鴇子の親父さんたちには顔をあわせ辛いので、家の裏側へと回る。昔は何度も遊びに訪れ、勝手知ったる他人の家。屋敷の裏手は小山になっており、そちらから藪をくぐりぬければ中庭に侵入可能であることは既に熟知していた。そのルートは、かつて俺が鴇子の家に遊びに行くのに使っていた懐かしい思い出があるが、まさか侵入するのに使うとは思ってもいなかった。
藪をこいで雑木林を潜り抜けると鴇子の祖母自慢の日本庭園が見えた。久しぶりに見るこの庭は幼い頃の記憶とまったく変わらない、古めかしい雰囲気を残したまま、まるで時が止まったかのようにそこにあり続けていた。
「さて……鴇子の部屋は……」
庭に面した二階端の鴇子の部屋には、灯りが点っているのが見える。何から何までありがたいと思って俺は、物置から失敬してきた梯子を使って窓の近くに立てかけた。脳内BGMに『ミッション・インポッシブル』のオープニングを流しながら、俺はそっと窓から中を覗いてみた。
部屋の中には、机に向かっている鴇子が見えた。しかも、かなりの至近距離で。
「ちょっ……」
いきなり目が合った。
「よう」
勝手に侵入してあまりの挨拶ではあるが、驚いて梯子を踏み外さないだけ上出来だといえよう。
「どうやって入ってきたのよ! 鍵は?」
「どうやってって……いつもどおりだよ」
「いつもどおりで十年前の話じゃない……」
「それより入っていいか? そろそろ体勢が辛いんだけど」
鴇子は少し忌々しそうな顔をしながら、
「早く入って、そこだと人に見られるでしょ」
一瞬のうちに他人に見られるリスクを計算して、俺を部屋に招きいれた。おそらく、拒むと俺が騒いで家の人間にばれるかもしれない、その可能性を考慮したのであろう。
「で、何を考えているのよあんた」
「う~~ん……」
久しぶりにみる鴇子の部屋は、かなり女の子らしさがグレードアップしていた。
古めかしい家に相応しく、和風テイストで統一された小物類。使い古された黒壇の学習机には似つかわしくないパソコンが存在感を際立たせている。
「話聞いてる?」
鴇子は不満そうな声をあげた。いつもと違い、大分感情がわかりやすくなってきているのは珍しく思う。
「いや、昔とかなり違っているなと思って」
「当たり前よ、あなたがここに来てたのはもう十年以上前の話なんだから」
「流行の男性アイドルのポスターとか、イケメンばかりが出てくるアニメの抱き枕とか、あるかもしれないと思って楽しみにしてたのに」
「あるわけないでしょ馬鹿馬鹿しい。そういうの趣味じゃないの」
「ゴスロリは趣味なのか?」
壁のハンガーラックにかけられているゴシックドレスを指差すと、途端に動揺し始めた。
「ちょっ! 見るなっ!!」
ああ、そういえば、あの服ってデートに着てきた奴だな。
この部屋の和風趣味から考えると、あまり鴇子の好みっぽくない……とすると……
「お前あのデートのために、その服をそろえたのか?」
「そうよ、わざわざ気合いれて用意してきたんだから、感謝しなさいよね!!」
いやがらせに感謝しろと言われてもなあ……
「で、いきなり他人の部屋に入ってくるなんてどういう了見なの?」
こういう質問をしてくるあたり、鴇子はかなり切羽詰っているように見える。
そんな鴇子を見るのはかなり久しぶりだ……要するに、鴇子は今の俺のように感情の色を見抜けない。よって、鴇子のアドバンテージはない。
「…………」
「な、何よ……」
鴇子はやや脅えた顔をする。
同じ条件になったいま、今のこいつはもう新種特有の力は発揮できない。俺の心を読めないただの普通の女子だ。だが、力に頼っていた鴇子にとっては、感覚の一つを閉ざされただけでかなり動揺しているはずである。
「お前に話がある」
「い、言っておくけど……変なこと考えているならすぐ人を呼ぶわよ!」
「呼べるのか?」
「くっ……」
鴇子が苦しそうな表情を浮かべる。
他人の評判を気にする鴇子のことだ、親にでさえ自分の仮面を被り続けてきたこいつにとって、俺との関係を邪推されるのは避けたいと思っているはずだ。感情の色が読めなくても、こいつの考えくらいはすぐに読める。そうでなければ鴇子と渡り合うことはできない。
だが、新種の力に頼り続けていたこいつはどうだ?
「侮らないで、自分一人でもこれくらいの準備をしているんだから」
と言って、鴇子はスタンガンを取り出す。
「物騒なもの持ってるな」
「一応護身用にね」
「逆にこっちが脅されているように感じるのは、俺の勘違いか?」
「か弱い乙女が男と談判してるのよ。スタンガンくらいいるでしょ」
とっさにこの状況に対応出来るあたりは流石である。例え新種の力をつかわなくとも鴇子は鴇子だ。油断をすればただではすまない。……と、そう思わせたいと彼女は考えている。
「…………」
おそらく、あのスタンガンを使うつもりはないだろう。ただ俺に主導権をとられないように、自分の保有する武力をみせつけただけだと思う。
博打でいえば、見せ金、はったり、単なるフェイクでしかない。いきなりスタンガンを向けるとは、ちょっとアレだけど、俺達の今までの関係を考えれば当然だとは思う。
当然だとは思うけど……やはり、うんざりする、こういう関係は……
「鴇子」
「近づかないで!」
今までに無い焦った様子で俺にスタンガンを向ける。電流の流れる無機質な音が、俺の耳朶に響いた。
「勘違いするな……俺は話し合いに来たんだ。そういうのを、もうやめにしないか?」
「は?」
鴇子は、眼を大きく見開き、しばし呆けた様子で虚空を見ていた。
そして、ややあって……口を開く。
「何を言ってるの?」
「お前といがみ合うのやめたいんだよ。要するに仲直りな」
「だから、何を言ってるのかって聞いてるの!」
それは拒絶の言葉のように思えた。
「じゃあ聞くけど、いつまでこんな馬鹿なこと続けるつもりだ? 俺達もう高校生だぞ? 昔みたいに、水鉄砲かけあったり、いがみ合ったりする年でもないだろ? 顔をあわせれば嫌味を言い合って、陰でお互いを罵り合って、そういうのもううんざりするんだよ」
「…………」
「お前が気に入らないって言うのなら、俺の負けでいいからさ……とにかく、こういうの疲れるからいい加減俺達も大人になって……」
「…………ゃ……」
「え?」
「絶対にイヤ……」
「いやじゃないだろ」
と俺は呆けている鴇子のスタンガンを奪うように掴んだ。
「あ、ちょっと返して!」
もみ合って、お互いの腕をよっつに組み合う形になる。鴇子の顔が近づいてちょっと動揺したのは、あまり表にだしたくなかった。
「こういうの持ち出してどうするつもりだ? もう子供の喧嘩じゃないだろ? お前はこれを使ってまで俺を叩きのめしたかったのか?」
「それは……」
これを使うのは鴇子の本心ではないはずだ、それくらいは解っている。子供っぽい意地の張り合いで始まった俺達の喧嘩は、長い間続けていくうちに負けられなくなった。
ただの子供の意地……ただそれだけだ。
「いいかげんに気づけよ、こういう喧嘩はな……俺達はもう似合わない歳になったんだよ」
まだ大人とも言えないけど、俺達はもう高校生だ。だったら高校生には高校生らしいつき合い方というのがあるはずだと思う。
確かに子供の頃みたいな遠慮のないつき合いというのは、気軽で簡単で、鴇子が拒否するのもわかる気がする。
だが、それもいつかは卒業しなければいけない。年相応の落ち着きと礼儀をもって相手と接するべきだろう。面倒ではあるが、歳をとるというのはそういうことだと俺は思う。
「そ、それでも……」
鴇子が口を開く。
その声は震えていたが、今まで聞いた鴇子のどんな音よりも美しく聞こえた。
「それでも私は……」
「何をしている」
その瞬間時が止まった。
気づかなかったのは不覚だが、いつの間にか、鴇子の親父さんが苦虫を潰したような顔で、ドアを開けたまま仁王立ちをしていた。
明らかに怒っている顔だ。と俺がようやく気づいたのは数瞬のタイムラグがあった。
「何をしているのかと聞いている」
「え……あ、その……」
その時の俺の格好といえば、(鴇子から奪った)スタンガンを片手に、鴇子に覆い被さるように腕を押さえている。どこからどう見ても……俺がスタンガンを持って鴇子を襲っているようにしか見えない!
「えっとこれは……その……」
こいつからスタンガンを奪って、説得するためにもみ合った結果なのだが、これまでの喜連戸家との関係からして、果たして信じてもらえるだろうか?
「これもどうぞ、うちのお野菜ってね田舎から送ってきてもらってるの。どう? おいしいでしょ?」
と鴇子の母親である澄子おばさんは、嬉しそうに俺に話しかける。
「はあ……」
何故か俺は鴇子の家のリビングで、夕ご飯をいただいていた。
あれから、親父さんの説教が始まるかと思いきゃ、俺を見つけたおばさんによって強引に連れられて、こうして居間でご飯をいただくことになっている。
対面には親父さんと澄子おばさん、俺の隣には鴇子という布陣。何もしらない子供の頃なら、気安いまま飯を頂くことも可能であろうが、あれから何年も経って個人の自我が発達したこの年齢にあっては他人の家の団欒は少し緊張を強いられる。
「久しぶりよねえ、みんなで一緒にごはんを食べるなんて何年ぶりかしら、ね、あなた」
「ああ」
親父さんは先ほどから仏頂面で眼光が鋭い。料理に手をつけず猪口で酒をちびちびやりながら、じっと俺を見つめて監視を怠らない。後に背負った黒いオーラは禍々しいほどの殺気を放っていた。
「ごめんなさいねえ。この人嫉妬してるみたいなの」
対しておばさんは神々しい虹色のオーラを放っていた。俺を歓迎しているのは態度からも察せられる。
「男友達が遊びに来たくらいで、大人気ないわねえ」
とこっちに同意を求められても困る。当然の如く鴇子は助け舟を出してくれない。
「はあ」
としか答えられない自分の人生経験の不毛さが悔やまれる。
だいたい親父さんが仏頂面なのも、年頃の娘の部屋に知った顔とはいえ男が忍び込んでいたのだから無理もない。こうして大人しく机に座っているのは、家庭の体面を保とうとしている努力の表れだろう。その苦渋が刻まれた顔と皺からは、家庭団欒の和を保とうとする父親の苦悩が見て取れた。
というか、おばさんのほうはそんな軽いノリでいいのか、娘の貞操の危機かもしれなかったのに。
「大丈夫よあなた、彼は鴇子を襲うような不埒な男じゃないわ」
「わかっとる。わかっとるがな! 親しき仲にも礼儀くらいあるだろう、挨拶の一つくらいあっても当然じゃないか!」
はい、至極ごもっとも。
「す、すみません、どうしても鴇子と話をしたくて……」
「いいのいいの気にしないで、昔みたいにいつでも遊びにきてくれていいんだから」
と、おばさんが取り成してくれるのはありがたいが、余計に親父さんの怒りの炎に油を注いでいるようにも見える。
「ふん……まあいい」
と猪口を置いて、親父さんは俺を値踏みするように睨みつける。
「学園での様子はどうだ? 元気にやってるのか」
「は、はいおかげさまで……」
「鴇子ったら、学校でのことちっとも話してくれないのよねえ」
「……」
隣に居る鴇子がぴくっと反応した気がした。
おそらく家族から自分を語られることに慣れていないので、ちょっと動揺しているのではないだろうか?
「どうなんだお前達は、仲良くしているのか?」
その問いかけは、かなり難しい。
父親としては、娘の学校生活が気になるのは当然だとも思う。
だが、最近の俺達は多少は関わるようになってきたが、その前はさんざんいがみ合ってからの、しばらくの没交渉期間がつづき、現在は険悪というよりは対立しているような関係に落ち着いている。
間違っても仲が良いとは言えない。それもこれも幼い頃からの因縁を引きずり続けた結果だ。未だに俺達が子供じみた関係を続けていることを、鴇子の両親の前で開陳するのは、少々恥ずかしい思いがした。
「…………」
殺気を含んだ視線で睨んできたあたり、鴇子も同じ思いらしい。
「も、もちろん仲良くしてますよ」
と、無難に答えておく。
「ええ、幼なじみですから」
と、鴇子も無難にあわせてきた。
「そうか……これからも友人として仲良くやって欲しい」
その時の親父さんの声は、はやや棘が隠れているように聞こえた。
「これ、持っていきなさい」
帰り際、玄関まで見送れたところでおばさんから、風呂敷に包まれた荷物を渡される。
持ってみると、ずしりと重い。
「これは?」
「この前うちがあなたのお父様から借り受けた器よ。割れモノだから扱いには注意してね」
ああ、そう言えば、この前貸し出していたのを思い出した。
「良かったわ、あなたが鴇子に会いに来てくれて、もう来てくれないかと思ってたから……」
「まあ、敷居が高いことは確かですけど……」
「はあ……やっぱりそうなのね……」
と、おばさんはしばし悩んで言葉を切った。
「私達のこと恨んでる?」
「恨んでるってどうしてです?」
「鴇子のこと……あの子、許婚がいるのよ」
そもそも、この婚約は是が非でも欲しいと、向こうから話を持ってきたらしい。商売の取引相手ということもあり、鴇子のおじさんは無下にはできないと聞いていた。
「そのことで、貴方達の関係が悪くなったのは、私たちの責任じゃないかと思っているのよ」
「え……」
と意外な言葉に俺はしばし絶句する。
「だって貴方達、ずっと喧嘩していたんでしょ?」
「えっと、その……」
肯定するべきか、否定するべきか、しなし俺は逡巡する。
「隠さなくてもいいわよ。あれだけ仲が良かったのに、全然遊びにこなくなったし……親ならそれくらい気づくわよ」
「す、すみません……」
しばらくあたふたしたあげく、俺は咄嗟に頭を下げることしかできなかった。
「謝らなくてもいいわよ、さっきも言ったとおり私たちにも責任があるんだから」
おばさんは、どこか諦めているかのような口調だった。
「はあ……」
としか俺は答えることが出来ない
「うちの人もね、本当はすまないと思っているのよ。だから娘の部屋に年頃の男の子が侵入してきても何も言わなかったのは、そういうことだと思うの」。
親同士が決めた結婚。家という重み。そもそも鴇子を嫁にだして、その後の跡継ぎはどうするのかという疑問もあったが、子供の俺がそれらの重い話題を口にするには少々経験が足りない気がした。そもそも、他人の家の事情に口を挟むことも躊躇われる。
「いけないわよね、こういうことあなたに話しちゃ……ごめんなさいね」
「いえ……」
そんな俺の戸惑いを察したのか、おばさんは俺に謝ってきた。
「頼みますから、あの子と仲良くしてやって頂戴ね。あの子、あなたと一緒なら子供になれると思うのよ」
珍しく鴇子が見送りすると殊勝なことを言い張ってきたので、俺は鴇子と一緒に夜道を歩いている。もっとも、仲の良い幼なじみを取り繕うための演出に過ぎないであろうことはわかっていたが、俺にとっては鴇子と一対一になれる貴重な機会。
一方の鴇子は仏頂面で俺に話しかけてこない。話があるならそっちからしろという、無言のプレッシャーを感じて俺はレディーファーストの精神を発揮しようと試みた。
「なあ鴇子」
「なによ」
喜連戸家の居間でご飯をいただいた時と比べて、態度がそっけない。
こんな状態の女の子に気安く話しかけるほど人生経験を積んではいないが、童貞を理由にしてばかりでは前に進めないので、俺は鴇子の父親によって途切れていた用件を続けることにした。
「話し忘れてたんだけど、屋上のことなんだが……」
「ああ、あんたが屋上であの女とよろしくやってたことがあたしと何か関係が?」
いきなり会話のハードルを上げてくる。
「いいから聞けよ、あいつとは何もない」
「それはあなたの好きな相手に言ってやったら?」
「だから今言っている」
その時、鴇子の足が止まった。
暗がりで鴇子がどんな顔をしているのか見えない。それがちょっと不安に思えたが、俺は言葉をつむいでいく、
「俺はお前が好きだ。だから誤解しないで欲しい」
「………………」
反応なし。
その瞬間、俺達が積み上げてきた歴史が走馬燈のように脳裏に流れていった。
初めて喧嘩して、親父に殴られたこと。鴇子の下駄箱にマヨネーズをつめて、先生に叱られたこと。その報復で、鴇子によって俺が鼻くそを食べる趣味があるとデマを流されたこと。
やってはやりかえされの、子供じみた喧嘩の連鎖が延々とつづき、そしていまぷっつりと切れた音が聞こえた。願わくば、鴇子もその音を聞いていて欲しいと、俺は願った。
「鴇子……だからもう一度いうぞ」
おそらく、鴇子はこの時の自分の顔を見られたくないだろうから、俺はそのまま言葉をつむぐ。
「喧嘩はもうやめよう。俺と仲直りしてくれ」
「……んで……」
鴇子が小さい声でつぶやく。
「何だ?」
「今更遅いわよ! そんなの!」
そう叫んで、鴇子はもと来た道を走って帰っていった。
一応、一世一代の告白だったんだけどな。
だけど気分はそう悪くない。あいつに言えなかったことをようやく言えた。
長い間心に埋まっていたつっかえ棒がとれたみたいに、心は晴れ晴れとしていた。
『仲直りしよう』たったこれだけの文章を口にするために、俺は青春の大部分を浪費した。
他人から見れば他愛ない成果かもしれない、だけど俺にとっては途方もなく難事業を成し遂げた、そんな達成感で胸が満たされていた。
そのせいか、家に帰ると親父は男の顔になっていると褒めてくれた。
その夜、また夢を見た。
「また、あんたかよ……」
目の前にはあのオメガと名乗る女。
そしてアルファと初めて出会ったあの異空間。
アルファと同じ格好だが、かの目が覚醒してからというもの、その身にまとうオーラを見ると誰だか判別出来るようになっていた。仏の後光のような金のオーラは同じだが、それはアルファよりは威圧的に光り輝く。アルファの光はどっちかというと、荘厳な感じがして、決して人に圧力をかける類のものではなかった。
それになにより、このふてぶてしい表情。二人ともかなり顔立ちが整った女の子であるが、その鋭い目つきは鴇子に似ていた。つまり……ちょっと苦手な感じがするんだよな、この子……この前だっていきなりキスされたし。
「また会ったわね」
と冷たい声のオメガ。前回はかなり機嫌が良かったが、今回はそうでもないらしい。
俺は簡単に懐に入り込まれないように、警戒しながら、体を半身にして、足を開き斜め横のスタンスをとり、急に襲われても対応出来るよう構えた。
「この前は唇を捧げたのに、その態度、ちょっと失礼じゃない?」
「あれは捧げたっていうより強奪だったけどな。お前んとこの関係者ってあれか? キスが別れの挨拶なのか? ひょっとしてロシア系か」
念のために逃げ場を探した。ランタンのオレンジ色の光が謁見用の玉座と、申し訳程度の装飾品を照らすのみで、周囲は茫漠とした闇が広がっている。さながら闇に浮かぶ小島のようだった。
「いい気になってるんじゃないわよ」
オメガがかなり不満そうな口ぶりだった。
「いきなりだなおい」
「ここで幼なじみと手と手をつないで、仲直りー♪ なんて映画にしては安っぽすぎるわ! なにそれ? 恋愛ドラマの主人公にでもなったつもり? 残念、面白くもなんともないから!」
「おい、お前を楽しませるために、こっちは苦労してんじゃねえぞ!」
いきなり現れて、文句を言われてはさすがに俺も面白くない。
「こっちは、それを楽しみに色々ちょっかいかけてるのよ! もっとギャラリーを楽しませなさいよ! つっまんない男ねえほんとに!」
「やっかましい!」
俺も対抗して声を張り上げる。
「お前らのような意味不明な奴らにつきまとわれて、こっちだって迷惑してるんだよ! それになんだよちょっかいって、なんでお前ら鴇子と俺の関係にくちばしを入れてくんだよ!」
「私を責めるのは筋違いね。私はあなたたちの願いに応じて新種としての自覚を得るために、ちょっと手助けしてやっただけなんだから」
「あなたたち?」
「そうよ、あなたが望んだことは鴇子も望んでいる。だから私はここに居るの。初めに会った時に言ったでしょう? 私はあなたたちを結ばせるために、ここにいるんだから」
そう言って彼女は俺の不肖をなじるかのように、にやりと笑った。
「にしては言ってることが滅茶苦茶のような……」
「鴇子と和解する? 負債を帳消しにしてやるから彼女になれってこと? 上から目線で女の子の頭を撫でてやったら、さぞかし気持ちいいでしょうね。でもそういうの全然似合わない上に、ムカつくのよ」
「そういうつもりじゃない、俺は鴇子を……」
「恋人にしたいんでしょ?」
「それは……」
「言葉にする勇気もないくせに、あなたはどこに着地するつもりなの? そんな不覚な男が恋愛しようとしても、女は不幸になるだけよ?」
「ぐ……」
それは……なかなか厳しい指摘だった。
「あなたが鴇子を好きなのは知ってるわ、だからこそ、貴方達は最後まで子供じみた喧嘩を続けるべきよ! それが一貫してるってこと。矛盾がなく隙がない。数式のように無矛盾性に満ちた完全無欠の結論。そのかいあってあなた達は新種という人類のネクストレベルに到達しようとしているのに、その美しさをあなたは自分で捨てようとしている。それがどれだけもったいないことかあなたにはわかってるの?」
「また新種か馬鹿げた結論だ! 俺にも鴇子にも関係ない! これは俺達が手をつけるべき問題だから他人はとやかく言うな!」
「いいえ、言わせてもらうわ。だって相手はあの鴇子なのよ? あなたが憎み続けた人生最大の敵なのよ? 敵に敬意を抱くのはいいでしょう。でも、だからといって、仲直りしてはダメよ! あなたたちはこれまでの応酬で培った憎しみを帳消しに出来る? 出来るわけがないわ、だって、憎しみを消すってことは、その中で育まれた愛情をも否定することなんだから」
「ぐっ……」
反論したい……だが、オメガの発言にどこか納得してしまっている自分がいる。非常に腑に落ちる。しっくりくる。あまり信じたくないが、当たり前の事実を喋っているように思えてならない。
「忘れているようだから思い出させてあげる、殴り殴り返されがあんたたちの関係よ! だからあなたはさっさとあの女に喧嘩を売ってきなさい」
「お前を楽しませるためだけにか? ごめんこうむる」
「いいえ、自分で選ぶのよ」
自分が先ほどまで眼をそらしてきた事実を照らされて、俺は思い知らされたような気がした。
「あの子と愛情を語り合いたいだなんて、とんだオママゴトね、あなたは鴇子との関係を清算したいようだけど、それはこれまでの喧嘩のケリをつけるって意味なのよ? どっちが上で、どっちか下か勝ち負けを決めるのよ。あなたにそれが出来るの? それとも、鴇子に負けを認めさせるの? どっち?」
「それは……」
プライドが疼く。
勝利か、それとも敗北か。
「なあなあで終らせた関係なんて不健全じゃない。あなたたちは、例えその繋がりが憎しみだけしかなかったとしても、その関係は誠実だったの。敵として誠実であり続けたじゃない。鴇子もあなたも自分の望む関係になれたじゃない」
「………………なんだよお前……」
「何って何が」
「アルファとは違うのか?」
「アルファね……あの人は、ハッピーエンドがお望みのようだけど、私は違う。私は私のやり方であなたたちを番わせてあげる。鴇子とあなたのカップルには、愛情よりも憎しみがふさわしいと思うわ」
確かにそうかもしれない。だが……
「俺はそうは思わない」
「あら……」
オメガは、意外そうな顔をした。
「そもそも、あいつと喧嘩を続ける理由なんてないんだ。例え親父たちが仲が悪いからって、それを継承する意味もない。だけど、俺達は憎しみ合ってその関係に埋没した。だから、ほかの人間と交流することを忘れて。ただ、自分たちの関係で完結している、それこそ不健全だろ」
「ふん……」
そう、それこそ俺の当初の目的だ。
普通の幼馴染なら、それこそお互いに遊んだり、疎遠になったりもしただろうけど、俺達の関係は普通じゃなかった。特別な関係。だがその関係性を維持する代わりに、憎しみ合いを重ねて過ごしている。
これは異常だ。異常であるなら是正しなければならない。
「お前が俺のやり方に不満があるのはわかった。だが、もう口をはさむな、これは当事者の問題だ」
「言われて見ると、確かに私は傍観者にしかなれないのよね……」
とオメガはため息をつく。
「だから、決めるのはあなたよ。私はちょっと手を貸したりアドバイスをするだけ。その労力の分文句も言わせてもらうけど」
「俺のやることはもう決まっている。だからもう助けはいらないし、文句は言うな」
「そう、じゃあ頑張りなさい。鴇子と仲良しごっこで満足出来るのならね」
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