第10話

 昼休み。

 シャバンは近くの食堂に入った。

「シャバン、わたしそろそろデビュー戦なんだぁ」

 シャバンの向かいに座るのは〈DPCF〉の女の子。

 同じ一年のイライナ・カント。

〈DPCF〉に入った一年生はまず訓練期間があり、そろそろ実戦投入される時期が迫っていた。

 それをデビュー戦という。

「今イライナの機体も設計しているところだよ」

 柔らかな笑みと声で返すシャバン。イライナの所属するチームはちょうどサントス班が面倒をみているので都合が良い。今度のコンペで優勝した機体を届けることができる。優勝はきっとウチの班だ。ウチの班の機体は最高の戦果を上げているので安心して乗ってもらえるだろう。

 しかし、何だかイライナはそわそわしている。食堂に何かあるのだろうか。

 見回してみれば特に何のことはない簡素な内装の食堂だ。

 長い机が並べられ、それぞれが思い思いの場所に腰を降ろしている。

 食堂自体がそんなにあるわけではないので、盛況だ。

 満員に近い。

「デビュー戦って一番死亡率が高いんだよね……」

 イライナは水の入ったコップをしきりに弄っていた。

 ああそうか、とシャバンは納得する。彼女は緊張しているのだ。初めての実戦の前には極度の不安に襲われるとよく聞く。死ぬかもしれないと思って緊張状態になっているのだろう。

 二人は幼馴染で何となく一緒に過ごしてきた。

 そして互いに遠過ぎず、かといって付き合うところまでは踏み込まずにいる。

 互いにこの距離が楽だから、これからもこのままいくのだろうとシャバンは思っていた。

「ウチの班の機体に乗ればきっと大丈夫だよ」

 シャバンは表情を変えずに言うが、やはりどこか他人事だ。どんな機体だってパイロットがヘマをすれば墜ちる。それは防ぎようがないから、あとは君次第だよ。そんなことを思う僕は冷たいだろうか?

 ただ、イライナは訓練成績が学年上位だったと思う。三回ぐらいその話は聞いたが何位だったかまでは忘れた。でもきっと腕は良いから心配ないだろう。良い腕に良い機体なのだから、それで撃墜されたらもはや運としか言いようがない。そこまで設計士が責任を問われる必要はない。

 だがイライナは口をもごもごとして何か言いにくそうにしている。

 彼女は普通という枠の中で少しおとなしめかもしれない。和を乱すことは言わないように気を遣っている。僕はそんな彼女をよく分かっているから、こういう時は促してあげるのだ。彼女のこの様子は『言いにくいから訊いてほしい』のサインなのだから。

「何か不安があるんだね?」

 シャバンは心配そうな顔をしながら心で自嘲する。訊いておいて何だが、さして興味があるわけでもない。僕は常に相手にてきとうに合わせる性格だから、そうしているだけだ。人の悩みを解決してあげようなどという善良な人間じゃない。

「わたし、最近夢で何度も出撃して、その度に死ぬんだ。そうしたら怖くなっちゃって。できることなら出撃したくない。ねえ、何とかならない? シャバンって小さい頃はよく守ってくれたじゃない。わたしの手を引いて避難区画まで走ったり」

 イライナは安心したように胸中を吐露し始めた。

 ああそんなこともあったな、とシャバンは軽く驚いた。自分にもそんな時期があったか。【アイギス】まで敵が辿り着いていた頃はしょっちゅう避難していた。逃げ遅れて家の隅で震えていたイライナをよく迎えに行っていたような気がする。その頃は僕が死んでも彼女だけは助けるみたいな正義感を持っていた。今ではそんな情熱はすっかりなくなってしまったが。

「そうだねぇ……でも僕にできることは最高の機体を作ることだけだから。それに、〈DPCF〉では皆デビュー戦の前は不安でしょうがないって聞くよ。パイロット仲間に相談してみたら?」

 とりあえず無難な受け答えをしてみる。僕を頼られてもね、とシャバンは困った。多分不安というのは話していればいくらか解消されるものだ。パイロット同士で話せばそのうち落ち着くだろう、と軽い気持ちでそう思った。

「パイロット仲間とはもう話しているんだ。それでも、不安なの……」

「うーん……まあ僕のできる限りのことはしてみるよ」

 その場しのぎの嘘。でも仕方ないよね、とシャバンは思う。人間とは嘘をつく生物なんだ。

 するとイライナは、おずおずと変なことを訊いてきた。

「あのね、【電志班】って知ってる? 同期の娘から聞いたんだけど」

「あ、うん」

 今日エリシアと論戦を交わしたあいつの班か。

「でね、その娘のチームは電志班が設計担当なんだけど、その娘はあんまり不安じゃないって言うんだ。電志班が作る機体って生還率が凄く高いんだって。だから守られてるみたいな安心感があるんだって」

 シャバンは首をかしげた。サントス班が現状では一番の成績だ。電志班なんて上位にすら入っていなかった気がする。〈DPCF〉では何か勘違いしているんじゃないだろうか?

「生還率? んーでも、電志班って〈DDCF〉の中ではそんなに成績良くなかった気がするんだよね。気のせいじゃないの?」

「そうかなぁ……確かにあの娘のチームってエースパイロットのナキさんがいるから、助けてもらえるってよく言われてはいるけど」

「ああ、それじゃないの? エースパイロットが敵を殆ど倒してくれれば他の人はあんまり戦わなくて良いから危険も少ないし」

 イライナは心配しすぎなのだろう、とシャバンは思う。〈DPCF〉で勘違いが起こるのも分かる気がする。死ぬかもしれないという不安から何にでも縋りたい気持ちが起こったからだろう。げん担ぎやジンクス……そういったものを電志班に求めたのだ。たまたまエースパイロットを抱えているから電志班がその対象になったのだ。そうに違いない。しかし、エースパイロットを抱えているとは羨ましいな。サントス班が面倒を見ているチームにその人だけでも移籍させられないかな。エースパイロットなら〈DDCF〉で一番の班が担当するのがふさわしいと思う。

「う、うん。そうだよ……ね」

 納得したような、していないような。そんな歯切れの悪いイライナは、いつも悲しい顔で笑う。でも〈DPCF〉に入った以上は仕方ないのでは、とシャバンは感じた。それが嫌なら最初から別の部署を目指せば良いのだ。

 ただ、何となくイライナが死ぬことは無いだろうと思う。エリシアがきっと最高の機体を作ってくれる。それに、彼女はおとなしそうに見えて、やる時はやるのだ。小学校の時、窓ガラスを誤って割ってしまった野球少年達に罪をなすりつけられそうになったことがある。そこで追い詰められたイライナは消火器を持ち出して反撃したのだ。その時の絶叫は凄かった。『わたしはどんなことをしてでも生き残ってやる!』だったか。ガラスを割ったくらいで処刑されるハズはないんだけど、本人の中ではそこまで追い詰められていたらしい。その時はなだめるのに丸一日かかった。

「まあ、ウチの班にも凄い設計士がいるから任せてよ。きっと気に入ると思う」

 そう言ってシャバンは微笑を浮かべた。きっと、心配なんてデビュー戦を経験すれば何でもなかったと笑えるはずだ。


 昼食後。

〈DPCF〉に戻ったイライナは訓練の合間に同期の娘と話していた。

「ねえシュタリー、わたしやっぱりデビュー戦が怖いよ」

「わたしも怖いけどぉ……でもウチのチームは電志班の機体だから安心しろってナキさんがいつも言ってくれててぇ」

 ちょっと下っ足らずな声の可愛らしい女の子。

〈DPCF〉【スクーラル・スター☆】の一年生、シュタリー・アラード。

 ショートボブの金髪で大きな琥珀の瞳を持ち、背が低い。

 同期の間ではマスコット的存在だ。

 イライナは焦るような、怖いような、とにかく話していないといられない気持ちだった。

「それなんだけどさ、【スクーラル・スター☆】の一年って皆シュタリーみたいな感じなの? 怖くて逃げ出したいって娘はいないの?」

 シュタリーは半ば口癖のように電志班の機体は大丈夫と言っているのだが、その安心は本物だろうか? 彼女だけが言っているのであれば、何か安心できる気がする。彼女も実は自分と同類なんじゃないかという、嫌な安心が。でももう嫌な自分を取りつくろうのも難しい。気持ちなんてもう到底取りつくろうのは無理だ。それだけ焦り始めている。だって死ぬのは嫌だ。

 しかしそんなイライナの気持ちを知ってか知らずか、シュタリーは花の咲くような笑みを浮かべた。

「皆似たり寄ったりだよぉ。〈DPCF〉に入った以上覚悟はできているけどぉ、でも他の班より撃墜される危険が少なくて良かったねって、皆言ってるよぉ。でもね、その電志っていう人はすっごく怖い人なんだって。わたしはそんなことないと思うんだけどぉ。だって撃墜されにくい機体を作ってくれるってことは、皆を守ってくれるってことだしぃ。絶対優しい人だと思うんだぁ。早く会って話してみたいなあって思う。そう言ったら皆はわたしが電志って人を好きなんでしょおってからかってくるんだよぉ」

 イライナは思わず舌打ちしそうになった。わたしは覚悟なんてできてない。覚悟ができているなんて、余裕があるから言えるのだ。誰が誰を好きとかからかうのは余裕がある証拠だ。

〈DPCF〉には進んで入る者は半分くらい。

 残りの半分は他の部署を受験して落ちた者達だ。

 イライナもそう。

 本当は研究部署を受験したのだが、落ちてしまった。

 競争率が高く、狭き門だったのだ。

 小学校から前線に出ることに忌避感が出ないよう【アイギス】や人類のための大義を入念に教わるが、それでも怖いものは怖い。当たり前だ。

 せめてこの中で生き残っていくためにはどうしたら良いのか。

 訓練期間からずっとそればかり考えている。

 チーム配属ではどうやら運が悪かったようで、【スクーラル・スター☆】には入れなかった。

 目の前の少女が羨ましい。

「……電志班の機体ってさ、ウチのチームにも回してもらうことって、できないかな……?」

 ついそんな非現実的なことを口走ってしまう。何とかして生還率の高いと言われる電志班の機体を手に入れることはできないだろうか……

 シュタリーは小首をかしげた。

「無理じゃないかなぁ? だってイライナのいる【プラチナ・スター】はサントス班が担当でしょぉ」

「だからなんだってば……」

 イライナは絞り出すような声で返した。シュタリーは知らないようだ。。シュタリーはどうもぽややんとしている感じで、察しが悪かったり世間に疎かったりする。そこが可愛くもあるのだが、こちらが焦っている時には難点だ。

 自分勝手なのは自覚している。ただ、切実なのだ。〈コズミックモンスター〉と戦うなんてやっぱり嫌だ。

「うーん……どうすれば良いんだろぉ」

「それじゃあさ、わたしを【スクーラル・スター☆】に入れるのならできる?」

「それだったら……ナキさんに相談してみるけどぉ」

 何だかシュタリーの返事は頼りないものだったが、もうこれに縋るしかない。

 イライナは追い詰められる寸前で、希望に縋っていなければ壊れてしまいそうだった。


 電志達はコンペの構想に入っていた。

「さて電志、やり始めたコンペだけれども、何か良い案はあるのかい?」

 愛佳がくっくと悪者の笑顔で言ってくる。

 訂正したい表現が含まれているが、電志はスルーすることにした。いちいち相手にしていられないからな。こいつにツッコミを入れていたら時間がいくらあっても足りない。

「今のところ思い浮かばないな。正攻法で行っても駄目な気がする」

 電志にとっての『正攻法』はただコストを下げることではない。

 現状の機体の能力を極力下げずにコストだけを下げることを指す。

 この正攻法ではコンペで優勝などできない。エリシアはきっと規定ぎりぎりの能力でコストを下げまくってくるだろうからな。それに対抗するには変化球の一手が必要だ。

「うーん、せっかく電志が頑張り始めたのに、良い案は無しかあ。これは困ったね。これには何か変わったアイデアが必要だよ。いや『アイディア』と呼ぼうか。いやいや、『アイディーア』だね。『ディー』を強調するのが良い」

「アイデアの語感なんぞに使う労力をアイデアを出す方へ向けろよ。それから俺はキ」

 スのためにやるんじゃない、と言おうとして呑み込んだ。せっかくスルーしたのだからそこはスルーし続けよう。突っ込みを入れたらこいつの思う壺だ。

 そんな電志を見透かすように愛佳は顔を覗き込んでニヤリと笑った。

「幼馴染がいるのにボクのキスのために頑張るなんて不純だなあ。というか、愛しのエリシアさんには随分凄い言われようだったね? まるで電志が親の仇であるかのようだったよ」

 だからキスのためじゃねえ、とそろそろ我慢の限界がきつつ必死に堪える。お前はスッポンか。一度面白そうなネタに喰いついたらなかなか離れやがらねえ。

「エリシアも以前はじゃなかったんだよ。〈DDCF〉に入ってしばらくは今みたいな冷たい感じじゃなかった。あんな奇抜な格好もしていなかったしな」

「何かきっかけでもあったの?」

「まあな……」

 電志は懐かしむように机に視線を落とした。話すかどうかで判断すると、話さない。〈DDCF〉の部屋では無関係な人が多すぎる。そんな所で話すものじゃない。それに、こいつが本気で聞きたいのかどうかも分からないしな。

 愛佳はこういうところではよく察するので、素直に引き下がった。本気で聞きたくなったら後で訊いてくるだろう。


 それから二人は現状の機体について不要な部分は無いか話し合ってみた。

「機体前面の形状って拘る必要無いんじゃないのかな? 宇宙でしか使わないって想定なんだし。機体前面の形状をあまり作り込まなくて良いようにすれば加工の手間が減るしコストダウンできないかな?」

 電志が戦闘機の設計図を画面に表示しながら言う。

 砲弾型に突き出たコックピット部。

 そこから伸びる杭型の胴体に短い主翼。

 水平尾翼も垂直尾翼もある。

 地球内部で活躍していた機体の延長線上にあるような形状だ。

 愛佳は探偵を意識したように顎に手を当てて言葉を返す。

「でも、宇宙とはいえ全く気にしなくて良いのかい? それにダサイ量産機丸出しじゃあないか。〈DPCF〉からクレームが来るかもしれないよ?」

「機体の角になってる所を全部丸く削れば少しは材料費浮くんじゃないかな?」

「なんか削る費用の方が高そうな気がするよ……それだったら装甲板を薄くした方が良い」

「それは駄目だ。防御力は下げられない」

「言うと思ったよ。〈集中防御方式〉にすれば良いんじゃあないかい? 被弾すると致命的な箇所だけ装甲板を厚くして、他は薄くするという方式」

「戦闘機も若干その方式を採用しているけど、まだそこを突き詰める余地はあるな。エリシアは多分そこを突いてくるんだろうけど……ウチの班でそれはやりたくない。装甲を薄くする、要は捨てて良い部分というのがどれだけ影響を及ぼすのか分からないんだ。戦艦のような大型艦艇ならまだしも、戦闘機ぐらいの大きさだとささいなことで全体に悪影響が出たりする」


 会話を重ねるもコストダウンは遅々として進まず。

 電志と愛佳は設計図を眺めながら溜息をつく。

 すると愛佳がああっと声を上げてぽんと手を打った。

 電志は何か閃きがあったのかと視線を向けた。突発・突飛・突然のこいつなら何か新しいアイデアを出してくれるかもしれない。

 愛佳はもったいつけて溜めを作ってから指を立てた。

「電志、こういう時は運を天に任せれば良いんだよ!」

 期待外れもいいところだった。本当にこいつと話していると調子狂わされるな……

「あのなあ、そういうアホなことを」

 言葉の途中で通話要請が入る。

 愛佳が『自分が奇跡を起こした』と言わんばかりにニヤリとした。

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