第9話

 美女の放った言葉でその場が凍りつく。

 美女は鈴を転がすような美声だが、そこにはごく自然に攻撃的な皮肉が込められていた。

 美声だけを見れば甘い香りを放つ花だが、茎を見てみれば猛毒の棘……そんな印象を思わせる。


 エリシア・ゾラ。

 電志はこの美女を知っている。

 幼馴染だ。

〈DDCF〉では電志班の隣の班で活動している。

 既に二年でありながら実質的には班長よりも発言力が強く、班を掌握しているらしい。

 設計では相当な実力者であり、エリシアの所属する【サントス班】は戦果においてここ半年ほどずっと最優秀である。

 その功績はほぼ彼女によって打ち建てられた。

 エリシアの傍に控えているのは目立たない男子。

 伏し目がちにして気配を消す彼はまるで従者だ。

 私はこの方の影です、と平気で言いそうである。

 しかし口は開かず、エリシアや電志達の顔を窺っているだけだった。


 電志は通常通りの仏頂面で応対する。

「甘ったるくも妄言でもない。何か用か?」

 するとエリシアはさも愉快そうに手の甲を口に当てて笑った。

「ふふふふくく……甘ったるいじゃないの。あんこにハチミツをかけてそれをコーラに入れたぐらい甘いわ」

 聞いただけで胸やけがしてきた。

 それから手の甲を口に当てて笑うとかどこの貴族令嬢だよと電志は半眼になる。

 割とその仕草がサマになっているので指摘はしないが。

「その杖はなんなんだよ。魔法で〈コズミックモンスター〉と戦う気か?」

「まさか。これはもっと実用的なものよ。ほら」

 エリシアは杖の抱く丸い水晶を取り外す。

 そしてそれをパカッと開いた。

 中からは饅頭が出てきた。

 饅頭を一口頬張り、はうぅ、と恍惚の表情を見せる。

 それから隣の男に指示すると、そいつはサントス班の机からティーカップを持ってきた。

 ティーカップを受け取りエリシアは一口すする。

 目の前で午後のティータイムが開始されてしまった。

 立ちながらそれを実行するのが凄い。

「……んで、その杖には何の意味があるんだ?」

「え?」

心底驚くエリシア。

 分からないの? と言いたげだ。

「え?」

 電志は怪訝な顔をする。こっちが『え?』だろう。

 エリシアは嘲笑するように大仰なやれやれのポーズをした。

「これは、お菓子入れよ」

「なぁ何でそんな意味不明なことをドヤ顔で言えるの?」

「私の感性がこれを選んだ。だからこれがお菓子入れに最適なのよ。電志は頭で考えすぎなのよ。世の中は思った以上に意味不明なことで成り立っているわ」

「お前の『だから』は何にも繋がってない。それから『世の中は思った以上に~』のくだりは単体で見ればそれっぽく聞こえるがエリシアのお菓子入れのためにある言葉じゃない」

 電志は溜息をついた。倉朋といいエリシアといい、何故自分の都合の良いようにそれっぽい言葉を乱用するのか。思い付きで言っているのがバレバレだ。理論というのは自分に都合の良いものだけ都合の良いように使うものではない。そんなものは単なる自己の正当化だ。そういう恣意的なものは論理思考の対極、感情である。だから感情論は嫌なんだ。

「電志、論理思考であるなら甘さは切り捨てるべきよ」

 急に真剣な眼差しになるエリシア。

 電志は憮然とした表情で見返す。

 そこから電志とエリシアのお互い一歩も退かない論戦が始まった。


「俺は充分論理的に考えている」

「『パイロットのため』なんていかにも夢見がちなことを言っているじゃないの。パイロットは消耗品。良い? これは戦いなのよ。誰も死なないなんてありえない。それよりも〈いかにして効率的に死ぬべきか〉を考えた方が良いわ。【設計】とはそういうものよ。コストのための【設計】は間違いじゃない。むしろ正しいの」

「消耗品? そんな安易な概念に囚われているから新しいものが創れないんだよ。死んだ人間は帰ってこない。コストのためにあいつらを犠牲にするのは誤りだ。『戦いだから誰も死なないなんてありえない』それは分かる。だが。それは設計の放棄だ。だからこそ誰も死なないところを目指し続けるんだろう」

 二人の周囲には火花が散るかのような空気ができあがっていた。

 水と油。

 犬猿の仲。

 そういった相反するあらゆる表現が似合いそうなほど、静かで、そして激しくぶつかりあっている。

「電志はまだ〈生還率一〇〇%〉なんていうキレイごとに囚われているの? 子供ね。生きて帰ってくるだけでは〈コズミックモンスター〉は倒せないわ。生還率なんてもう今の〈DDCF〉では誰も見向きもしていない、あなただけがそんな甘いことを言っているのよ。生還率よりもいかに多く敵を撃墜したか、これの方が重要。冷徹になりなさい電志。命なんてシャボン玉と同じ。いちいち気にする必要は無いのよ」

「生きて帰ってくることの重要性はエリシアだって知ってるはずだろう。今の〈DDCF〉が誰も生還率に目を向けなくても、俺がその重要性を証明すれば良いだけだ」

 電志は表情を変えず淡々としている。

 しかしエリシアはここで挑戦的な笑みを浮かべた。

「なら、この【コスト低減コンペ】で証明してみなさいよ」

何だか倉朋もよく俺にこういう笑みを向けるよなあ、と電志はげんなりする。俺の顔には『挑戦者求む!』とでも書かれているのだろうか。

「それは俺が目指す方向じゃない」

「あなたの目指す方向じゃないところで成果を出してこそ証明になるのよ。そうだ、こうしましょう。電志がもし勝てば私はあなたの設計思想に従うわ。でも私が勝ったら、私に従ってもらう」

「その勝負に乗る理由が無い」

「あら、怖いの? 随分自信が無いのね」

「安い挑発だな。リスクだけ背負う勝負は勝負と言わない」

「…………じゃあ、ノーリスクなら良いでしょう? どの道私の勝ちだもの。私が勝っても何も無しで良いわ。でも……私はこのままいけばいずれ〈DDCF〉の部長になる。そうなったらあなたを追放するわ。これなら受けざるをえないのではなくて?」

「馬鹿げてる……」

 肺の奥底まで溜まっている空気を吐き出す感じで電志は言った。心底馬鹿げている。

「ふふ、それは肯定と受け取ったわ。せいぜい笑われない機体を作ってちょうだいね」

 エリシアは満足げな笑顔を見せ、優雅に去って行った。

 その後ろを目立たない男が静かについていった。


 終始口をつぐんでいた愛佳がようやく口を開いた。

「これはミステリィだね。電志がモテている」

「お前の目は腐ってんのか? 今の一部始終が愛の語らいに見えていたら相当ヤバいぞ」

「だいたいさあ、電志が女の子の下の名前を呼び捨てにするなんておかしいじゃあないか。ボクには〈本当は好きなのにそれをひた隠しにするツンデレな感じ〉で『倉朋』って呼ぶのに、エリシアさんはまるで〈もうお前の全ては俺のものだ〉と言わんばかりに『エリシア』だもんねえ。電志も意外にやるじゃあないか」

「どうしてそんな捻じ曲がった妄想を付け足すの? あいつの場合幼馴染ってのと、それから外国人ってなんか名前で呼びやすいというか、そんな感じ」

 これは日本語で『愛している』というのは覚悟がいるけど英語で『I love you』だったら気軽に言えそう、というのと似ているかもしれない。

 愛佳は意外な発見とばかりに目を見開いた。

「電志に幼馴染かぁ……てっきり電志はボク以外の女の子とまともに話した経験が無いのかと思っていたよ。表向きは『俺、硬派だから』って格好つけた言い訳をしてさ」

「勝手に俺のイメージ付けするのをやめろよ。俺は硬派だけどそれは言い訳じゃないし、ああした話せる女子だっている」

 電志は額に手を当ててまったく……と呟いた。何で女って人のことを勝手にイメージ付けして妄想を膨らませるのだろうか。しかもそれが本人の中だけで収まっているならまだしも、友達とそれを話して盛り上がっていたりするからタチが悪い。そのせいで普段全然関わりの無い奴から『あなたって○○ですよね』と見当違いのことを訊かれることがある。誤ったイメージを広められると迷惑なのだが。

「はいはい、じゃあそういうことにしておこうじゃあないか。しかし困ったね。勝負に負けたら電志が靴を舐めなくちゃならないなんて」

「何で確定情報を渡しているのに『苦し紛れの嘘だけど許してやるよ』的な態度をとられないといけないんだよ。それから勝負は俺はノーリスクって決まってるからな。あいつの靴なんぞ誰が舐めるか」

「そんなこと言ってないよ。電志が舐めるのはボクの靴だよ」

「なおさらダメだろ。倉朋と勝負するわけじゃないんだから」

「大丈夫、勝てば良いんだよ」

「勝てば良いのはそうだけど、そのリスクは無しだ。そんな約束はしてないんだから」

「ケチ!」

「この流れでケチって言われる俺カワイソすぎねえか? お前日本語通じないの?」

「勝負をする以上は何かしらのリスクを負うべきだよ。ノーリスクじゃあイマイチやる気が出ないだろう? じゃあこうしよう。靴舐めはしなくて良いから、負けたら一日ボクの言いなりになってもらう。その代わり勝ったらキスして良いよ」

「はあっ?! お前何言ってんの?」

 あまりのことに固まる電志。理解できない。目の前にいる女の子の思考回路が全く理解できない。突発、突飛、突然……こいつはいつもそうだ。俺とエリシアの勝負なのに罰ゲームだけは倉朋が参加したいという。自分で言ってること理解して喋ってるのか?

「だって、電志の言う通りこの【コスト低減コンペ】は電志の目指す方向じゃない。そこで勝つのは難易度が高すぎる。その難易度に見合った代償を設定しただけだよ。。頼むよ」

 愛佳はいつの間にか、からかう時の顔でなく真剣なものになっていた。

 電志はああそうか、と本音を理解する。最後の『蚊帳の外というのは嫌』こそが彼女の言いたいことだったのだ。『俺とエリシアの勝負』だから一人でやる、という俺の態度が気にくわないらしい。倉朋はあくまで。ただ、負けた時の代償は許容範囲になったが勝った時の代償はやりすぎだろう。勝つ見込みはほぼ無いからそんな大きな代償を支払うことはまずもってないんだろうけど。まあ……倉朋のことだから、勝っても何だかんだでお茶を濁すんじゃないか? それだったら、問題ないか? 万が一勝ってしまったら俺も忘れたフリでもすれば良いか。じゃあ、とりあえず受けるだけ受けるか。これでこいつが納得するのなら。

「…………勝手にしろ」

 電志はわざと突き放すように言ったが、愛佳は手を上げて大喜びした。ホント変なやつ……

 電志にとって愛佳は、わけが分からない存在だった。


 シャバン・ジョルジュはエリシアの隣の席で話を聞いていた。

「シャバン、今回のコンペで電志に見せつけてやるわ」

「エリシアさんほどの設計ができる人間は他にいません。圧倒的な差を見せつけてやりましょう」

 爽やかな笑みを浮かべるシャバン。

 しかし、心の中ではどこか冷めた目で見ていた。正直なところ、勝負はどうでも良い。勝つのはエリシアの方だろうが。

 シャバンは何となく生きていればそれ以上何も望まない性格だ。

〈DDCF〉に入ったのはパイロットのためでもなければ設計のためでもない。

 戦闘機に愛着も無い。

 単にパイロットとして前線に出て行くのが嫌だから入っただけだ。

 幼い頃から死は身近で、既に両親もいない。

 だが【アイギス】では大部分の子供がそうだ。

 それが普通だ。

 だからいちいち命に頓着しない。

 小学校では【アイギス】や人類のため皆で頑張りましょう、とご大層な大義を熱心に教えられるが、どこか他人事に感じていた。教室の机で頬杖をつき、窓の外を眺めながら、頑張らない人間が一人くらいいてもいいだろう、と思っていた。中学に入ればそう思っている者が意外に多いことを知った。なんだ、そんなもんか、と安心した。自分だけがそうでないのなら、悪目立ちすることもない。

「電志はそろそろ現実に目を向けるべきなのよ。いつまでも子供のような甘い幻想に取りつかれていたら駄目なのよ。私達は慈善事業で設計をやっているんじゃないんだから」

 エリシアが大仰にやれやれと言葉を漏らす。

 シャバンはまったくだ、と思った。さきほど電志とエリシアが論戦していたのを見ていたが、電志の言っていることは何だか意味が分からなかった。精神論とかそういう類のものだろう。気持ちで〈コズミックモンスター〉に勝てるなら苦労はしない。もっと論理的に、冷徹であるべきだ。パイロットは消耗品と言ったエリシアは正しい。パイロットの命を考えると言えば口当たりは良いかもしれないが、心では皆消耗品だと思っているはずだ。それを言うとイメージが悪いかな、と言葉を呑み込んでいるだけで。

「プロ意識が欠けているのでしょう」

 涼やかな声でシャバンは言う。プロと言うならエリシアはまさにプロだ。電志のやっていることは趣味みたいなものだろう。作りたいように作るだけ……それはプロではない。プロなら言われたものを言われた通りに作るのだ。【コスト低減コンペ】でコストを下げろと言われたのだから、そうすべきだ。

 エリシアに通話が入ったらしく、彼女が画面を出す。

 そこにはサントス班のメンバーが映っていた。名前は覚えてないな……とシャバンはぼんやり思う。

『エリシアさん、すいません……通学途中で人とぶつかって、骨折させられてしまって、それで今病院にいるんです。ですから今日は……』

「ウチの班の休みの申請は前日の午前中までと決まっているわ。事情は関係無いの。あなたは今回二回目だから、クビね。手続きはこちらで済ませておくわ」

 画面の向こうから焦った声が聴こえてくるが、そこで通話は打ち切られた。

 エリシアは冷徹で冷酷な性格だ。しかしこれが必要なのだとシャバンは思う。プロとはこういうものだろう。慈悲や友情といったよく分からないものよりこの方がはっきりしていて良い。

 次に、班長のサントスがやってきた。

 褐色でがっしりした体格だが少しおどおどしている。

「エリシア、コンペの機体は君を中心にやってもらいたいんだけど……」

 揉み手をしながら三年生が二年生に頼んでいる構図。

 情けないように見えるが、シャバンはそうは思わない。既にエリシアを中心にこの班は回っているのだから当然だろう。しかもエリシアのお陰でこの班は物凄く成績が良いのだ。サントスはいつもこうして『エリシアをうまく使った』という管理的な実績を部長に報告し、成績の追加点をもらっている。恩恵がでかいのだから揉み手だってするだろう。保身に走る性格だが、長生きしそうだ。

「分かりましたわ。今回は徹底的にやらせていただきます。などを考えていますわ」

 にっこり笑うエリシアにサントスが脂汗を額から流す。

「そ、それは大丈夫かなぁ……?」

 それはさすがに冗談だよね? と言いたそうな顔のサントスだが、エリシアにとっては真面目な話だ。エリシアの冷徹さがサントスはまだ掴み切れていない。

「どの道脱出しなければいけない状況まで追い込まれたら、脱出しても〈コズミックモンスター〉に喰われるだけですわ。無駄ですからこの際外してしまおうと思って」

 この時のエリシアの笑顔は普段と変わらない。

 ただ、纏う雰囲気が底冷えする。正論だと思うし同意するが、シャバンはこの笑顔とは向きあいたくないな、と思った。

 サントスは何だかんだで引き下がった。彼も分かっているのだ。エリシアに従った方が良いのだ。一応は綺麗事を並べただけで、それがエリシアに通用しないことは知っている。

 エリシアは上機嫌で後ろ髪をファサ、と払った。

 論戦で勝利すると必ずこの仕草をする。

 だから私は正しいのよ、と誇示しているようだ。シャバンはエリシアに心酔しているわけではないので、心の中では満足ですか女王様、などと言っていた。人を観察するのはシャバンにとって唯一の娯楽といっていい。どこにいてもてきとうに周囲に合わせていれば皆個性をさらけ出してくれる。常にどこにいても遠目から見ている気がしているから、僕には色んなことが見えてくるんだ。そう、僕はとても冷めた人間なんだ。

 エリシアと電志の論戦では、どうだったか。。どう見ても彼女の勝ちに見えたのだが、彼女の中ではそうではなかったのか。また、電志については何を考えているんだか分からない、というのが最初の印象。

 電志という男は何故ああも綺麗事を恥ずかしげもなく吐けるのか。大人じゃないな。ああそういえば、あいつの隣に可愛い女の子がいた。愛佳というボクっ娘だ。ボクっ娘は良い。彼女は始終黙っていたが、あんな子供じみた綺麗事に従っているのだろうか? どう思っているのか訊いてみたいな。


 この時、シャバンの中で愛佳に対する欲望が生まれた。

 うまくすれば電志と引き離して自分のにできるんじゃないか、と。

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