第6話
買物に行った、翌日。
〈DDCF〉で朝一番に総合科目の講義を受ける。
愛佳は講義内容を再生し、画面で観ていた。
足を組んで足先を猫の尻尾のようにぶらぶらさせながら。
講師が喋るのを聴きながら、手元にはもう一つ画面を出し教科書内容を表示。
更にもう一つ画面を出してペンを走らせていた。
このペンもキーボードと同じく実物ではない。
全てが〈コンクレイヴ・システム〉で完結する授業形態だった。
愛佳はときおり、近くの大窓の向こうに広がる宇宙に目を向けたりして視線を遊ばせるクセがあった。
別に講師を常に凝視していなければならないとは思っていない。
その視線が何となく電志に向く。
電志も淡々と講義を受けていた。
そこで気付いた。
昨日電志に課題を手伝ってもらったせいでこの総合科目の時間を潰してしまったはずだ。
それなのに電志は何事も無かったように淡々と講義を受けている。
自分の勉強が遅れるとか文句を言うでもなく、感謝しろアピールをするでもなく。
気を使わせないために敢えて何事も無かったように振る舞っているのだ。
愛佳は込み上げてくる嬉しさに任せて口を開いた。
「電志、ありがとう」
『昨日は』が抜けていた。
電志は一瞬怪訝そうな表情をしたが、それでも察したらしい。
「ああ、別に」
ぶっきらぼうな返事。
言葉が圧倒的に足りないのに察するとは電志は察しが良いようだ。
そして総合科目の時間が終わり、専門業務の学習。
ここですることはもう決まっていた。
「ディベートしようディベート。いや『ディベイト』と言った方が良いか。いやいや『ディベエト』も捨て難いね」
「【設計とは何か】を本格的に話し始めてみるか」
語感への拘りをシカトしてさっさと進める電志。
愛佳は口を尖らせた。これは重要なことなんだぞ。
愛佳にとってディベートは儀式だ。
特別な意味を持つ。
ここで電志を言い負かしてやりたいのだ。勝てる見込みがないって分かってはいるけど。でも人間なんだから絶対勝てないなんてことがあるわけがない。ディベートは対立した意見をぶつけあうのだから戦いだ。電志と全身全霊をかけた戦いをするのだ。そんな重要な儀式だから、語感は特に大事。
「どうせなら『ディヴェイト』はどうだい? 『ベ』じゃなくて『ヴェ』だ、良いだろう?」
「じゃあそれで良いよ」
「……気が変わった。それでは駄目だ。たまには電志が考えてくれたまえ」
「超絶メンドクサイ奴だな! ディベートやる度に毎回毎回このくだりやってんだからもう出尽くしてるだろうが」
確かに電志の言う通りだった。
ディベートを五回もやるまでにネタは出つくしていた。
その毎回毎回の気分で語感を変えてきただけだ。
でも、これだけは譲れない。
「電志、お願いだ。これは大切なことなんだ。真剣に考えてくれ」
どこまでも透明感を宿した瞳で愛佳は訴える。
その真剣さを汲み取ったのか電志は頭を掻いて唸った。
「……そんなに大切なことなのかよ」
電志は真剣に頼んだことは真剣に聞いてくれる。
本来『怖い』というレッテルさえ無ければ相談役としてぴったりなのだろう。
これは『話しやすい』とか『聞き上手』とは違う。
愛佳はそういった人達に真面目な相談をしてもロクな話にならなかったと記憶している。
あくまで気持ちがちょっと楽になるとか、それだけだ。
電志の場合、本気で相手の立場に立って考えてくれる。
そこまで求めていない時には話し相手に向かないかもしれないが、これからは真面目な相談事は電志に持っていこうと思った。
「そう、大切なんだ」
ゆっくり頷く愛佳。
電志は腕組みして黙考した。
待つことしばし。
「…………『ディベイト』。オーソドックスなのが良い、『ディベイト』で」
「ありがとう電志。さぁ始めようじゃあないか……!」
「なんか倉朋ってディベートになるとやけに燃えるよなあ」
電志にとってこの時間がどれだけの意味を持つのかは分からない。
だが愛佳にとってこの儀式は特別だ。
このために電志班に入ったのだ。
語感一つとっても手は抜けない。
愛佳はちっちっと指を振った。
「電志、今回は『ディベイト』に決まったんだ。『ディベート』と言っては駄目だよ」
「ああそうか、『ディベイト』な…………で、テーマとしては根源的なものだけに難しいから何か一つ小テーマを決めて話したいな」
「じゃあ電志に設計のどこに欲情するかという性癖を語ってもらい、それをボクが全否定するというのはどうだろう?」
「却下だ。俺は設計に欲情なんかしねえ」
これなら勝てたのに、と愛佳は残念に思った。『変態』と一言言えば勝ちだったのに。
「わがままだなあ。それならいつも電志が言っている〈生還率〉ならどうだい?」
「ああ、それは良いかもしれないな。【設計とは生還率一〇〇%を求めるもの】かどうか。これを小テーマとしてやってみようか」
「それでいこう。くふふ電志、今日こそボクの本気を見せてあげるからね……!」
愛佳は魔王を倒しにきた勇者のつもりで、魔王の笑みを浮かべる。
電志は頬をぽりぽりと掻いた。
「それいつも言ってるよなあ……いつになったら本気が見られるんだか」
こうして二人の儀式が始まった。
先手必勝とばかりに愛佳が仕掛ける。
「【設計とは生還率一〇〇%を求めるもの】かどうか。ボクは『否』だと思うよ。だって電志は既に生還率一〇〇%が〈DDCF〉の悲願だと知っている。その上で七星さんは【設計とは何か】を考えるように言ってきたんでしょ? この両者がイコールならわざわざ考えろと言うはずがない。だから両者はイコールではない」
絶対の自信。
これは論戦をする前から結果が分かっているようなものだ。
これで両者がイコールというオチなら七星は性格がねじ曲がり過ぎである。
これで勝ち馬に乗ったも同然。
テーマを見た段階で『結果はこっちだろう』と大体予想がつく場合はその立場を先に表明してしまえば断然有利になる。
ディベイトの特性上残った人間は対立の立場をとらなければならないからだ。
でも、これぐらいで表情が変わらないのが電志だ。
「まあ順当だわな。でも、イコールかもしれない」
電志は『個人』を消すのが得意だ。
きっと電志自身も愛佳と同じく『否』だと思っている。
しかし二人とも同じ意見では議論が深まらないからとそういった『個人』の意見を消し、対立の立場を取るのだ。
「へえ、何故だい?」
愛佳は挑戦的な笑みで問い掛ける。
一見この流れで負けるとは思えない。
でも内心はドキドキだった。
何せ、電志の真価が発揮されるのはここからなのだから。
「倉朋の提示したのは状況証拠であり、聞く限りでは確からしいと言える。でも確定とまでは言い切れない。言ってみれば九九%確からしいけど一%だけそうでない確率が残っているという状態だな。ではその一%について考えてみる。例えば【設計とは何か】を求めるのは【設計の理想像】を求めるものと言い換えることもできるんじゃないかな。果たして俺達は普段設計を行うに当たって【設計の理想像】を意識しているだろうか? その意識を促すために敢えて七星さんが婉曲的に【設計とは何か】を考えろと言ったのかもしれない。〈DDCF〉の悲願はある意味【設計の理想像】の設定と言える。〈DDCF〉の悲願は生還率一〇〇%だ。それであればイコールが成立すると思うがどうだ?」
理路整然と語る電志の言葉に愛佳はビリビリとプレッシャーを感じる。
電志の凄いところは『個人』を消しただけでなく、本当に表明した立場に立って真剣に論理思考を巡らせるところだ。
愛佳はよく自分の考えとは別に電志が言ったことに揺さぶりをかけようとして反対意見を言ったりするが、これとは異なる。
愛佳の場合そこに真剣さは無いし、動機的部分も相手を言い負かしたいというものだ。
電志の動機的部分は勝ち負けに執着が無く、より良い答えさえ出ればそれで良いというもの。
個人を排除した徹底的な客観性をここまで確立できる者は愛佳が知る限り電志一人だけだ。
「【設計の理想像】が〈DDCF〉の悲願であり、生還率一〇〇%。だからイコールが成立する……それは…………それは果たして、そうだろうか?」
愛佳の鼓動がプレッシャーで一層速まる。
ディベイトの時はドキドキしっぱなしだ。
電志が次に何を言うのか。
どんな論理を展開するのか。
そしてそれに抗う術はあるのか。
「ほほう、というと?」
こうやって先を促す時、電志は若干優しい表情になる。
他人の論理を聞くのが好きだからかもしれない。
本人は多分この表情を気付いていないだろう。
それはそれとして、愛佳は頭の中で必死に思考を巡らせた。
『果たして、そうだろうか?』などと言いながらその時点ではまだ何も思い付いていない。
とにかく反論の意思は先に示すのだ。何かないか、何かないか。考えろ考えろ考えろ。いや考えるんじゃない、感じるんだ。直感に従い閃いたことを口にすればきっと道が開ける! ほらキタ!
「生還率一〇〇%が【設計の理想像】というのはおかしくないかい? 現実はそんなに甘くない。そう……現実は理想通りにはいかないじゃあないかっ!」
良い切り返しができたと思った。
愛佳は期待に胸を膨らませる。
勢いよくびしりと指を突き付けた。
電志は顎に手を添えてふむと頷いた。
もう何も言わないでくれ……と愛佳は祈る。
だが。
「現実は理想通りにはいかない。確かにそうだな。でも、理想ってそういうものじゃないのかな? 理想というのは限りなく実現困難なものを掲げるのであって、容易に実現できるならそれは理想と言わないんじゃないのか? 〈目標とモチベーションの相関関係〉を提唱している学者がいたと思う。人間は一〇〇を目指しても達成は七〇もいけば上等である。しかし、だからといって目標値に七〇を設定してしまうと、人間はそれに対しての七〇、だから四九程度しか達成できなくなってしまうのだ……要は目標にやる気が密接に結びついているというやつだな。現実はなかなか理想通りにはいかないといっても、理想を掲げるのにはこうした意味や意義があるんだよ」
「…………あ、そ、それは……あぅぅ……」
愛佳の期待はもろくも崩れ去ってしまった。
途端に打ち砕かれた感覚が襲ってきて頭が白くなる。
負けグセの発動だ。
電志に突きつけた指がぷるぷる震え出す。滅茶苦茶カッコワルイ。この指はどのタイミングでおろせばいいのか。こんなハズじゃなかったのに。今回は圧倒的有利な立場だったのに。悔しい。負けは認めたくない。助けてよぅ。
そんな視線を愛佳が向けると、決まって電志は助け船を出してくれる。
「しかしまあ、生還率一〇〇%というのは〈落ちない機体を作れ〉という話だから、無理だろうという気持ちも分かる。この理想というのを意識することによって普段の設計プロセスにどんな影響を与えるのか考えてみるのも面白いかもしれないな」
さりげない話題の変更。
電志の助け舟は相手が乗りやすいように寄り添ってくれる。
これは愛佳にとって打ち砕かれた後の甘い囁きのようでもあった。
すかさず船に飛び乗る。
「あ、ああそれも良いね。ボクもそう思っていたところだよ! うん、そうしようじゃあないかっ」
「じゃあ、まずはフェーズ1から……」
一言で〈設計〉と言ってもただ設計図を描けば良いというものではない。
【フェーズ1】や【フェーズ2】など作業工程が段階的に分けられているし、〈DPCF〉だけでなく開発部門や研究部門とも〈会話〉をしながら取り組まなければならない。
この〈会話〉は情報収集のみならず、何かの依頼をしたりされたり、議論や交渉を行ったりと幅広い。
設計図を描いている時間というのは、実は部外者がイメージするよりよっぽど少ないのだ。
それだけ多岐に渡る業務なので、おさらいをするだけでも話題には事欠かなかった。
時間を忘れて話し合っていると昼になる。
そうしたら、珍妙な訪問者があった。
「電志、愛佳、お願いがあるんだけど聞いてくれる?」
それは、枕を抱えたエースパイロットのナキだった。
パイロットから何かを依頼されるのはよくあることだ。
しかしこんな奇妙な格好をして依頼に来ることはそうそう無い。
電志は『悪い予感しかしない』という微妙な顔をしていたが、愛佳は『面白い予感しかしない』というワクワクでいっぱいになった。
自然と口の端が持ち上がる。
「その枕はいったい何だ?」
電志が尋ねるとナキは枕を頭上に掲げて元気いっぱいに答えた。
「枕営業だよ!」
ざわっ……と室内が異様な空気になる。
周囲の班から一斉に電志班へ視線が注がれる。
「……いちおう訊いておいてやるが、意味分かってるのか?」
「あのね、ウチのチームのコたちが『枕営業すれば男は何でも言うこと聞いてくれる』って言ってたから枕持ってきたんだよ! 枕元で話せば良いんだって! さあ電志、相合傘ならぬ相合枕しよう!」
ナキがボフッと枕を机に置いて催促。
電志は眉間を揉んだ。
「絶対分かってねえ……机の上に枕置いて相合枕ってどんな営業だよ。あのなあ、ナキ、お前騙されたんだよ。何でもかんでも信じるな」
そこですかさず愛佳が面白い方向へ軌道を捻じ曲げにかかった。
「そうだよ。さあ電志、枕営業の本当の意味を教えてあげるんだ!」
そうしたら電志は目をぱちくりさせ、苦い顔になった。
どうやら気付いたらしい、ナキが騙されていることを理解させるには本当のことを教えるしかないことに。
「いや、それはだな……どうせだから倉朋が教えてあげれば良いじゃないか」
「ボクは生まれて初めて聞いたよそんな言葉。ボクも教えてほしい」
愛佳がすまし顔でそう言うと電志はぐぬぬと睨みつけてきた。愛佳は心の中でほくそ笑む。良いねその表情。ボクの大好物だよ!
ナキは待ちきれないらしく枕をバフバフ叩いて催促した。
「ねー早く教えてよ枕営業! 正しい枕営業はどうやってするの! 正しいやり方が分かったら枕営業しまくるんだから早く教えて!」
恥ずかしい言葉を連呼するナキの方は真剣な顔をしていて、聞かされている電志の方が羞恥に顔を染めていた。
野次馬も集まり始めていてこれは相当に恥ずかしい。
まるで拷問。
電志は苦渋の決断とばかりに腕輪を弄り、枕営業の意味を検索した結果をナキに見せた。
すると今度はナキがみるみる内に真っ赤になり枕で電志をバフバフ叩いた。
「もー何でこんなこと言わせるのよおっ! 電志のバカ、エッチ!」
「これはどう見積もってもお前が全面的に悪いんだろうがよ……」
電志が責任の所在に言及するが効果は無い。
ナキはその場の思いつきで行動するのでそこに連続性など無い。
『恥ずかしいのは電志のせい』と決めたら『元々は自分が元凶』というところまで思考が遡ることが無いのだ。
電志の脳内が川のような長い流れで探検隊を派遣して源流まで遡ることができるとすれば、ナキは川が一メートルも続かない。
水溜りが点々と人生という道に続いているようなものだ。
彼女はその水溜りに気ままに飛び込みバシャンと跳ねさせる。
快活奔放そのものだった。
「電志のバカ、エッチ!」
とりあえず愛佳も便乗しておいた。
「うわームカツクわー」
電志は拳を震わせ引き攣った笑顔で怒りを露わにした。
愛佳はたいへん満足した。くふふ、可愛い奴め。
気を取り直しナキの依頼を聞くことになる。
「んで、依頼っていうのは何だ?」
電志が尋ねるとナキは話し始めた。
「あのね、機体の使いやすさを向上させてほしいんだ。ウチのチームのコが昨日突き指しちゃったんだけど、機体の設定を新しくしたら反応が追いつかなくなったんだってさ。それで立て直そうともがいている内にあちこちぶつけて怪我しちゃったんだって。他にも何人かそういう状態のコがいて、何とかならないかって言ってるの」
それは奇妙な内容だった。
愛佳は眉をひそめた。おかしい。どこがおかしいかというと、『機体の設定を新しくしたら怪我をしたから何とかしてくれ』というところ。だって、機体の設定を新しくしてくれと頼んできたのは……他ならぬパイロット自身なのだ。
これは難問の予感。
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