第5話
夕方。
業務終了と共に愛佳は猫のように伸びをして、電志の様子を窺った。買出しの約束をしたハズだが、ちゃんと覚えているだろうか?
でも自分からは言わない。覚えているか試してみるのだ。これみよがしに帰る準備を始めてみる。すると電志が頭を掻きながら言ってきた。
「買出し行くんだろ?」
面倒臭そうな表情で面倒臭そうな声。その割にはタイミングよく声をかけてくれた。面倒臭そうにしているのは表面上だけだろう。律儀だね。
「うかつ。そうだった買出しに行くんだったね。電志はよく覚えていたね。ボクとデートできると思って頭がいっぱいだったんだね?」
「買出しに付き合うだけでどこがデートなんだ」
投げやりな口調になるのがたまらなく面白い。電志をイジるのは本当に愉快だ。皆はこの仏頂面を『怖い』とか言っているけど、分かっていないな。話してみれば結構面白いのに。
愛佳が電志より先に歩き出す。
しかし扉が近付くと電志が追い抜いていった。
傍から見れば『電志が自分が先に出たいから前に出た』だけ。
でもそれは間違いだ。
扉が電志を感知し開くまでの僅かな間、電志は立ち止まらなければならない。
愛佳の方は扉が開ききった所でそこに辿り着くので立ち止まる必要が無い。
結果として、二人同時に出ることができる。
電志はこういう細かい所で気遣ってくれるのだ。仏頂面だけど。
「電志は『付き合うだけでどこがデートなんだ』と言った。付き合うのにデートではない。これはミステリィだね、ミステリィ」
愛佳は顎に手を当てて探偵風を意識しながら言った。愛佳は形から入るタイプだ。
こういうのは形が大事だ。特に語感は大事。『ィ』を強調すると気持ちいい。せっかくだからデートも『デェト』と言おうか。雰囲気を重視するなら『デヱト』かな。
「意図的に『買出しに』を抜くな。どこもミステリーじゃねえ」
「これには密室トリックがあるハズだよ。容疑者は五人だ」
「何で二人しかいないのに容疑者が五人もいるんだよ。倉朋には妖精さんでも視えるのか?」
「電志はボクと二人っきりが良いのかい? 密室で?」
「意味分かんねえ……倉朋と話していると本当に疲れるな」
電志はげんなりした様子でぼやく。
愛佳は気にせず口の端を上げた。
「そう? ボクは電志と話していると面白いけどね」
特にこうやって主導権を握れた時は。
愛佳は会話の主導権を握るのが好きだ。
どうせなら自分のペースで話したい。相手を自分のペースに巻き込みたい。相手を翻弄できた時はたまらなく気持ち良いじゃないか。ボクはややこしいことを考えるのが昔から苦手だった。それはもう小学校の時から。でもそれを補う方法を見つけたのだ。勢いで捲くし立てれば嘘でもそれがみんなの真実になる。髪飾りを落としたコーシラという女の子がいたが、どうもそれはコーシラが姉の物を勝手に持ち出してきた物だったらしい。髪飾りを失くして帰り、姉に詰め寄られて咄嗟に『盗まれた』と嘘をついたそうだ。そして翌日、教室に行くとクラスの男の子の机に置いてあるではないか。そこでコーシラは姉に怒られるのが嫌で『盗まれた』設定を貫き通した。『あんたが盗んだんでしょ』と男の子に詰め寄り、捲くし立て、泣かした。そしてそれがみんなの真実になった。これを傍から見て『なーんだ、嘘か本当かは関係無いんじゃないか』と悟ったのだ。主導権さえ握ってしまえば真実は作れるのである。
街並みは本当につまらない。
箱が並んでいるだけ。
【アイギス】という限定された空間に何かを望んでもしょうがないのだが、何とかならないものかと思ってしまう。そこは理屈ではないのだ。
例えば、【アイギス】の十倍の空間が確保できたなら。
いや、それなら月面都市を作った方が早いか。どっちが難しいんだろう。無性に蒸しケーキが食べたくなってきた。月なんか思い浮かべたからだ。ふわふわの蒸しケーキを口いっぱいに頬張りたい。卵と砂糖と色んなものが口いっぱいに広がり幸せになれる。
〈DDCF〉から歩いて三分の所にあるスーパーに到着。
明るく清潔な店構えで、表には今日の特売品が画面で表示されていた。
今日は次の弁当のために食材の補充をしに来た。
特売品を中心に買う物のリストをその場で作成していく。
電志が覗き込んで来たので意味も無くエッチと言ったら、二度と見ねえとヘソを曲げられてしまった。良い反応だ。
リストの作成が終わると入店。
愛佳は食は素晴らしい文化だと思っている。
宇宙に進出し始めた時の人が食の充実に力を入れたみたいだが、まったくもって賞賛に値する。味気ない食事ばかりではいくら栄養が足りていてもつまらないではないか。多少高くても全然構わないよ。
「んで、何を買うんだ?」
あまり楽しそうじゃない感じの声で電志が言う。
でも率先してカートを取ってきている姿に愛佳は思わず笑みを漏らしてしまった。
優しいくせにそれと反対のイメージを与える表情と言葉を使うのだ。
不器用という外ない。
「そうだね……全てのコーナーで入念にウインドウショッピ」
「ウィンドウショッピングとかは駄目だからな。買物ってのは目的の物を買ってさっさと終わらせるのが一番効率が良いんだ。見たって買わない物は見なくて良い」
愛佳はやれやれ、と肩を竦めた。
「電志も我慢のできない子供たちの一人かい? ボクは悲しいよ。ああそこのレタス取って」
「そういうのと一緒にするな。俺は買物に時間をかけない主義なんだ。これか?」
悪態をつきながら言われた通りにする電志。
「買物に時間をかければ意外なものが手に入るかもしれないんだよ。次はね……」
愛佳は腕輪を操作し、買う物リストを表示させる。
実は愛佳もさほどウィンドウショッピングが好きな方ではない。
しかし電志が言うことにはとりあえず揺さぶりをかけたくなるのでそれっぽく言っただけだ。天邪鬼だろうか?
店内はそれなりの賑わいを見せていた。
スーパーが少ないので必然的に人が集まってくるのだ。
女性率が圧倒的に高いように見える。
どうやら食を充実させようという男性が少ないらしい。
見回してみると〈DDCF〉の人もぽつぽつといるようだ。
中でも同学年の女子と目が合うと、ぱたぱたと駆け寄ってきた。
「ちょっ愛佳ちょっとちょっと……!」
同学年の女子エミリーが慌てた様子で愛佳の腕を引っ張っていく。
まるで『電志といると危険だから離れなさい』と言うように。
愛佳は苦笑しながら電志に買う物リストのデータを送信した。
電志はぶつくさ言いながらも意図を察してくれたようで単独で買い物を始める。
なかば拉致みたいに連れていかれた愛佳は少し離れた所でようやく解放された。
「やあエミリー、買物かい?」
「やあ愛佳……ってマイペースすぎ! 何であんなのと一緒に買い物してるの? 脅されているの?」
エミリーはふわふわの茶髪に人好きのする顔を目いっぱい怒らせている。
さしずめ『あの怖い奴から救出してあげる!』といったところか。
彼女の目には愛佳が攫われたお姫様に見えるらしい。誘ったのはこちらだと言って信じるだろうか?
「特にどうということは無いよ。ボクの買い物に付き合ってもらっているだけさ」
「嘘だあ! きっと同じ班だからって理由だけで狙ってきてるんだよ。女の子が誰も相手してくれないからって、ちょっと同情で話してあげたら勘違いするタイプ。よくいるよね~」
エミリーの剣幕は凄い。
愛佳は説明するのを諦め、適当に流す態勢に入った。
「電志がボクを狙ってきているかもしれないんだね。てっきり設計と結婚しようとしているのかと思ったよ」
「あー設計に対して異常に執着してるの、あれおかしいよね。先輩にまで逆らったりしてアンタ何様のつもりだよって話。空気読めよ。大人気ないよね」
「お疲れ様なのかもしれないよ」
「それ良い! あいつよく遅くまで残って設計やってるって言うし、疲れてるから怒りやすいのかもね!」
電志の怖がられっぷりは相当なものだな、と愛佳は苦笑を深くした。
こんな誤解はしょっちゅうだ。
それからやっかみも混じって、噂が噂を呼んで、尾ヒレ背ビレだけでなくタコ足までくっつけられて電志の人物像が皆の中で独り歩きしている。
だが愛佳も『よくそんな噂を信じる気になるね』とは言えない。
元々は愛佳もそっち側の人間だったのだ。
愛佳は電志班に来る前、他の女子や男子と同じで電志をはなもちならない奴だと思っていた。
設計については拘りがあるようで『生還率』や『パイロットのため』が口グセ。
先輩の指示にも真っ向から『それではパイロットが可哀相だ』と否定していた。
大抵こういう輩は口だけで終わるのだが、電志の場合その上で最優秀機体を作り上げてしまう。
先輩の面目は丸潰れ。
要は、もう完全に『モノが違う』というやつだった。
でもそんな力がある奴なんてのは皆認めたくない。
殆どの人間は陰口に花を咲かせていた。
愛佳はそれはそれで違和感を覚えていたのだが、ある時周囲にノリで言われたのだ。
『アンタ学年主席なんだからどうにかしてやってよ』
そこで思い立ったのだ。
電志は既に先輩達によって一人だけの班に追いやられていた。電志班に入り、鼻を明かしてやろう。道場破りだ!
意気揚々と頼もーというつもりで挑んだ。
結果は惨憺たるものだった。
事あるごとに設計のディベートに持ち込み言い負かしてやろうとしたが、全然敵わない。
『その論理には致命的な欠陥がある』『理に適っていない』『こことここが矛盾している』……そんな理詰めでお前は機械か! と喚いてみたが、『設計を論理的にしないでどうする』と言われてぐうの音も出なかった。
最終手段は居直って『聞きたくない!』と耳を塞いでみたが、それはさすがにちょっと迷惑をかけてしまったかもしれない。電志はそれをどう思っているだろうか……
ともかく、論戦に負け続けて愛佳は次第に〈電志に論理的に指摘されるとしどろもどろになってしまう体質〉になってしまった。
負けグセというやつだ。
今ではもっと範囲が広くなり、電志に強く何かを言われただけで調子が崩れてしまう。
主導権を握りたがるけど握られやすいというのは、つまりはそうして出来上がった性格なのだ。
そこで方向性を変えてみた。
電志に何か一つでもいいから『凄い』と言わせてやりたい。認めさせてやるんだ。そして充分な優位性を得たら、捨てゼリフを残して出て行ってやるんだ。悲しい顔して引き留める顔が待ち遠しい。弁当もその一環。何だかあっさり『凄い』と言われて拍子抜けした。でも、やっぱりどうせ『凄い』と言われるなら設計で言わせてから出て行きたい。
エミリーはしばらく熱弁を振るった後、気が済んだようで去っていった。
腕輪を操作。
画面を開くと、電志からメッセージが入っていた。
『全部かごに入れた。他に何か買う物あるか?』
画面を操作し、電志に通話要請。
繋がった。
「フハハハさすが我がしもべ! ちゃんと全部手に入れ」プツン。
通話が切られた。
愛佳は口を尖らせた。ユーモアの分からない奴だ。
再度通話要請。
繋がった。これでもちゃんと繋いでくれるところが甘いというか。
今度は電志が先手を打ってくる。
「端的に返事をくれ」
「ない」
「分かった。レジにいる」プツン。
愛佳は口を尖らせた。ナニコレ。ナンナノコレ。こんな面白みのカケラも無い会話をしていて人生つまらなくないのだろうか? 熟年離婚寸前の夫婦かよ。
若干不機嫌になりながらレジに向かう。
しかし行ってみると、電志はどのレジにも並んでいないようだった。
よく見ると、既にレジを通過して作業台の所にいた。
品物を持参した袋に詰め始めている。
愛佳はとてとて近付いていった。
「電志、もうこっちにいたのかい?」
「ああ」
ぶっきらぼうに返事をする電志。
愛佳はレジを振り返り、何たる……と呆れた。既に支払い済みか。
「ああって、支払いがあるじゃあないか」
「済ませた。今日食わしてもらったからな」
愛佳の不機嫌はあっという間に上機嫌に上書きされた。普通、女の子の機嫌を取りたいならレジでこれみよがしに『俺が払うよ』などと言って優しさをアピールするだろう。これではアピールできなくて損ではないか。優しいクセにそれをアピールしないんだから、もう。まるで俺は優しくなんかないって隠しているみたい。
エミリー達の知らない電志を自分は知っている、と思うと愛佳は愉快な気分になった。
電志が荷物を全て持ち、二人はスーパーを後にした。
十年前の、あの襲撃。
愛佳は避難区画でぼんやり七星と電志が入ってくる姿を眺めていた。
大泣きしている電志を見ても、麻痺した感覚では冷静に捉えることしかできなかった。
【アイギス】はもう終わるのだろう、せめて苦しまずに終われたら良いな、と空虚が胸を満たしていた。
愛佳だけでなく、多くの集まった人達が似たようなものだった。
理不尽と言う外無い。太陽系の外からやってきた〈コズミックモンスター〉は、友好関係を築くつもりなどさらさら無く、一方的に攻撃してきた。
彼らが何故攻撃してくるのか、何者なのか。
それが分かるような暇も無く、ただただ戦闘が続いている。
たったの六年間で何で人生が終わらなければならないのか。
本当に理不尽だ。
少女がそう思った時、青年が高らかに宣言した。
『皆さん、勝てます! 勝てるんです、あいつらに!』
勝てる。
あいつらに。
愛佳の受け取り方は、電志とはまた異なるものだった。
勝てるなら生き延びてやろう。
上手に生きて、少しでも人生を楽しもう。
その人生設計から言えば、電志は対極と言っていい人間だった。
小学校の時。
愛佳は電志を見て変わっていると思った。
周囲の男子と『〈DDCF〉』を叫びながら戦隊ヒーローのポーズをきめたり、突然閃いたと叫んで一心不乱に落書きを始めたり。
それが中学になると、戦隊ヒーローは止めたものの落書きは全く変わっていなかった。
〈DDCF〉に行って一人でも多くのパイロットを生還させるんだと口癖のように言っていたし、設計に関する授業の成績はトップクラスだった。
本当に設計一筋。
だが〈DDCF〉の受験依頼を忘れていたらしく、愛佳が教えなければ彼は受験すらできなかった。
受験依頼は担任に提出する事になっていたが、愛佳が締切前日に依頼書を提出した時、言われたのだ。
『アイカは〈DDCF〉志望か。そう言えばデンシはまだ出してないんだよなあ。志望変わったのか?』
愛佳が不思議に思い翌日電志に訊くと、飛び上がって絶叫された。
自己紹介で絶対〈DDCF〉に行くんだと語っていたものだから誰よりも早く受験依頼を出しているのだろうと思っていたが、違った。
理詰めで理屈っぽいのに、妙なところで抜けていると感じた。
そして、〈DDCF〉に入ってからの彼は強烈だった。
『これが七星さん流なんだよ!』
そう豪語していたが、自己紹介でいきなり先輩達に啖呵を切ったり、たとえ先輩の指示でもそれがパイロットを考えていない設計思想なら断固拒否したり、先輩から殆ど無視されながらも独学で当時最高の機体を作り上げたり。
変わっているという意味では常に記憶に残る存在というのが電志だった。
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