第4話

〈DDCF〉に戻り、それから三十分後。

 電志達のいる部屋の扉が開き、パイロットスーツに身を包んだ五十人弱の集団が顔を覗かせる。

 集団の一人が元気溌溂な声を発した。

「たっだいま――――――――――――――――――っ!」

『お帰りい!』

〈DDCF〉の面々が立ち上がって返事。


 これは慣例。

 パイロットチームは帰還すると挨拶に来てくれるのだ。

 生還できました、と。

 家族で行うと深く考えない挨拶だが、ここでは出発した者が帰ってこないことが頻繁にあるため『ただいま』『お帰り』の言葉の重みが全然違う。

 昔は全員で行っていたが、現在では隊長のみが挨拶に訪れる。

 元気溌溂な女の子はナキ・オリランパート。

 電志と同期の高二。

 健康的な目鼻立ちで肩くらいまでの長さの赤茶髪を持つ。

 宇宙戦闘機操縦士部、通称〈DPCF〉チーム【スクーラル・スター☆】隊長。


 ナキは人生が一秒でも惜しいとばかりに電志に駆け寄ってくる。

「ねえねえ電志! 今日もすっごく調子良かったよ! 安定性が上がったみたい!」

「さすがナキ、僅かな調整でも分かるんだな」

「ううん、電志の方がさすがだよ! リクエストすれば何でもやってくれるんだもん!」

 ナキは何の躊躇も無く電志の間近まで迫ってくる。

 電志はそんな彼女に何となく気圧されてしまっていた。

 皆から『怖い』と言われる表情を全く気にしないのは愛佳と同じく変わっている。

 ただナキの場合誰にでも同じ調子なのだ。

 媚びているとかそういう含みのあるタイプでもない。中学の時でも目立っていたので覚えているが、女子グループのボスにも隅っこで教室を観察しているロンリーにも等しく『ねえねえ今何やってるの? 教えて教えて!』と突撃していくのだ。分け隔てが無さ過ぎてたまに先生にも『お掃除頑張ろう!』と言って雑巾を渡していた。人を覚えるのが苦手なようで先生と生徒の区別が付かなかったようだ。ちなみにその先生は顔に傷もあるごつい体育教師だったのだが、黙々と雑巾がけしたらしい。『ナキに言われると断り辛いんだよなぁ』だそうだ。確かに純粋なのが分かっていると断れないんだよな。無下に断るわけにもいかないみたいな罪悪感が芽生えてくるんだ、これが。

 とにかく全力で、とにかく楽しそう。

 そんな空気だから多くの人に好かれているようだった。

 電志も気圧されている部分はあったが、嫌な感じはしないのだ。

 ただ元気すぎる半面、心配なところもあるのだが。

「パイロットのためだからな」

 鼻を掻きながら返す。

 すると愛佳が会話に入ってくるが、少々企んだ表情だ。嫌な予感。

「そうだよナキ、電志は言えば何でもやるゲス野郎なんだからね」

 聞き慣れない言葉ながらも、何の疑いも無くナキは大きな緑の瞳を爛々と輝かせる。

「へーゲス野郎なんだ! カッコイイね!」

 嫌な予感が的中。ああもう、騙され易いんだから。

 これが彼女の心配なところなのだ。

「いや格好良くない。ナキ、この意地の悪い女に騙されちゃ駄目だ」

「ナキ、ボクの目を見て。電志は謙遜してるだけだよ。ほら、大声で言ってあげるんだ」

「……〈ゲス野郎〉電志!!」

「何だよその恥ずかしい二つ名?! 皆こっち見てるじゃないかよ!」

 電志はだあーっと頭を掻きむしった。ナキはよく言えばピュアすぎる。以前誰かに騙されそうになっていたのを見かねて、もう少し論理的に考えてみろと言ったことがあった。そうしたら『論理? なにそれおいしいの?』と真顔で返されたんだよな。これで生活に支障が出ないのかと心配でならない。誰か保護者が必要だと思う。

 すると別のパイロットが近付いてきて、ナキの肩に手を置いた。

 ナキのパイロットスーツは赤や橙を基調としていたが、そのパイロットは黒と薄い緑を基調としていた。


「ナキ、少し言葉を慎んだ方が良い。知らない言葉は連呼する前に調べよう」

 穏やかな声の男子、シゼリオ・フォルクラウス。

 彼もナキと同期だ。

 中性的な顔立ちで銀髪のさらさらミドルヘア。

〈DPCF〉チーム【ファイアーブランド・パラディン】隊長。

 ナキと双頭を成すエースパイロットだ。

「あそうか、調べれば良かったんだぁ! シゼは頭良いね! じゃあ調べてみよっと! あ、え? 愛佳、何で止めるのー?」

「ナキ、世の中には知らない方が良いことも沢山あるのだよ。必要な時期が来たらボクが教えてあげる。さ、画面をしまって」

 腕輪から画面を出現させたナキを捕らえ愛佳が慈愛の眼差しで諭す。

 何の疑いも持たない少女は言われた通りに画面を閉じた。

 シゼリオは生真面目な表情で報告を始める。

「愛佳、僕の機体も万全だった。ありがとう。旋回の感度が鋭くなって回避が楽になったよ」

「あそこまでやってよく操縦できるね……こっちが心配なくらいだったのに」

「慣れだよ。今一年生が訓練中なんだけど、もう少しでデビューだ。彼らにもいずれこれくらいのを乗りこなして欲しい」

「シゼは特別だよ。そもそも同期だってそこまでは殆ど無理じゃないか……もっと言えば先輩達だって」

「いずれ僕達も戦闘機の進歩に付いて行けなくなるさ」

 愛佳が微笑みで返す。

「進歩が速過ぎて進化って呼ばれているくらいだからね」

 愛佳が話す横顔を電志は観察する。どうも俺とシゼリオでは扱いが違うと思う。シゼリオと話す時の愛佳は乙女というか。口調が若干柔らかくなっているし表情も嬉し恥ずかし、といった感じ。俺と話す時は口調がもっと挑戦的だし表情も不敵だぞ。何だこの差は。まあ、美男美女でこの二人ならお似合いだとは思うが。

 シゼリオはイケメンでエースパイロットなのに驕り高ぶったところが無い。〈DPCF〉では毎月月間MVPを発表しているらしいが、それに選ばれた時こう言ったのだ。『機体が僕を守ってくれたお陰です』このコメントからも謙虚さが分かると思う。しかもMVPの回数がナキよりも大幅に少ないのだが、他チームのサポートに回ることが多いから、というのがその理由のようだ。縁の下の力持ち的な存在なのである。これらのことも本人が全く言わないものだから、シゼリオのチームメンバーからまず整備班に伝わり、巡り巡ってようやく俺達の耳に入ってきたのである。真面目で実直、性格はおとなしくて地味なのだ。素直に好青年だと思う。軽くて女の噂が絶えないといったことが無く、好感が持てた。

 シゼリオはプラチナの目を歪め、自嘲気味に笑った。

「最近は少し進歩が落ち着いてきたみたいだから、内心ほっとしているよ。進歩が激しかった時代にパイロットをやっていた先輩方はさぞ苦労していただろうに」

 この言葉に電志は考え込んだ。

 確かに最近進歩が落ち込んできている。シゼリオはやんわり『少し』と言ったが、実際はかなりのものだ。停滞に近い。後で倉朋と話し合ってみるか。

 その時、ナキは電志に戦闘のことを語っていた。

「ねーねー電志、今日はガグォンて凄かったんだよ! これが見せられれば良いのに!」

「ほうそうだったのか。でも俺が見てもなぁ……」

 苦笑で返す電志。それを見てどうするのだろう。

 現状の受け持ちは、電志が【スクーラル・スター☆】で愛佳が【ファイアーブランド・パラディン】だ。

 だから電志がナキの報告を、愛佳がシゼリオの報告を受けている。

 それぞれのチームで三十名ずついるので、電志班としては計六十名分の機体の面倒を見ていた。

 愛佳が電志班に入るまでは電志が一人で面倒を見ていたのだが、愛佳が入ってきてくれたので助かっている。ちょっと手助けしてあげるだけで一つのチームをきちんと面倒見られるのはなかなか凄いことだ。

 それからしばらく四人で談笑し、〈DPCF〉の面々は帰っていった。

 ナキ達の熱気は、いなくなってもしばらく残っているような気がする。

 大窓から外を見れば冷たい黒の世界が広がっているが、室内は温かかった。


「これが今日の結果だね。んーなかなか被撃墜十機より抑えられないね」

 愛佳が画面を覗き込み感想を漏らす。

 電志もぼやいた。

「そこら辺がボーダーラインなのかな。最近は改良重ねても性能の上積みが少ない」

 電志と愛佳は今回の戦闘結果の情報を画面に表示し、反省会を開いていた。

 一つの画面を二人で見ようとすると、愛佳が肩が触れそうなほど接近してくるので電志は緊張していた。

 女子に免疫が全く無いので、接近するだけで、ふわっと花の香りがするだけで、緊張してしまうのである。もう少し警戒したらどうなんだ。俺のような嫌われ者とこうしているところを見られてあらぬ噂でも立てられたら倉朋株にとってダメージになるだろうに。実際今、俺の背中に幾つもの恋に飢えた男子の視線が明確な殺意を持って突き刺さっているしな。それとも敢えて面倒を避けるために周囲を誤認させようとしているのか? 『この班に来てから告白される回数が減った』とか言っていたしな。

 愛佳の真意は分からないので、結果の確認に意識を戻した。


 約一〇〇〇機が出撃し、被撃墜数は一八機。

 電志班の受け持つ【スクーラル・スター☆】と【ファイアーブランド・パラディン】は被撃墜が〇機だったものの、全体で見ればやはり被撃墜があり、そこには死があるのだ。

 電志は椅子に深くもたれかかり、頭の後ろで手を組んでその情報と向き合っていた。

 愛佳は足を組み、足先を猫の尻尾のように揺らしていた。

【アイギス】において死は安い。

 大安売りだ。

 だがこれでも十年前に比べたらだいぶ高くなった方である。


「もう実際これ以上は難しいんじゃあないかい?」

「さっきシゼリオも進歩が落ち着いてきたって言ってたよな。実際はもう停滞と言って良い。ここらで何か、もう一段階上に行きたいところだ」

「そうは言ってもねえ。最近の機体は来る所まで来たって感じで調子も良いし。火星を取り戻すのだって夢じゃないって皆言っているよ?」

「そういう動きも出てきているみたいだな。でも今は迎撃しているだけ。こっちが攻めるとなればもっと被害が出る事を想定しなくちゃならない。攻める時にも耐えられる機体を作ってからだよ、火星を取り戻すのは」

 今の状態は『成熟』なのか?

 それとも『停滞』なのか?

『停滞』と見ている電志は圧倒的な少数派。

 しかしそれでも多数派に流れるつもりは微塵も無かった。

 師匠である七星も〈DDCF〉で部長を務めていた当時は誰にも理解されなかったらしい。

 時代の先を見ている人間は理解されないものだ。

 電志が行き詰っていた時に七星が背中を叩きながら言ってくれた言葉だ。その時はパイロットである友人の死があり、設計そのものにもどかしさを感じていた。自分の設計を貫くことに不安を抱いていた。そんな時に文字通り背中を叩いて押してくれたのである。

 電志も七星のようになりたいと願っていた。


「電志は設計フェチだね。いやフェティと言おうか。もう性癖と言って良い。ボクが『セッケイ』に改名したら途端に襲われてしまいそうだよ」

「フェティはまだしも襲わねえよ」

 電志は額を押さえた。何でいちいち語感に拘るんだこいつは。『ミステリー』を『ミステリィ』と言ったり、どっちでも良いじゃないか。妙な所に拘りがあるよな。

 そんな言葉を無視して愛佳はその身をかき抱き、恐怖に怯えた演技をした。

「『で、電志……ボクをどうするつもりだい?』『お前を俺好みに設計し直してやるぜぐへへへ!』」

「変態すぎる! その俺を今すぐ宇宙に放り出せ!」

 行動だけでなく言葉もイカレてやがる。俺はあくまで設計に真摯なだけだ、変態性はねぇ。

「まあ電志が変態かどうかはこの際目を瞑るとして。もう一段階上の設計に行くためにはどうしたら良いんだろうね」

「目を瞑らなくても変態じゃない、で確定だ。もう一段上に行くにはそうだな……【設計とは何か】を考えないと駄目だろうな」

「【設計とは何か】……それはまた変わったことを考えるね」

「七星さんに設計の極意を訊こうとしたんだけど、教えてくれなかったんだよ。代わりに課題として出されたのがソレ。多分ソレが分かればもう一段上に行けると思うんだ」

「何気無くやっているだけでは頭打ちなのかもしれないね。考えてみるのも面白そうだ」

 顎に手を当てて頷く愛佳。

 電志もまったくもってその通りだと思った。何気なくやっているだけでは駄目だ。何気無くやっているだけでは同じ周回コースをぐるぐる回っているのと同じ。確かにそのコースでの練度は上がっていくが、一定以上のタイム短縮は途端に困難になるだろう。果たしてそのコースに留まっているだけで良いのか? 世界がそこだけでは狭いのではないか? 世界を広げるためには根本を考える必要があると思うのだ。そうすれば、同じコースがいずれ違ったものに見えてくるかもしれない。コースに変化をもたらしてくれるかもしれない。

「何とかシゼリオやナキを驚かしてやりたいな。進歩が落ち着いたなんて言っていられないくらい。きっと今の頭打ちじゃあいつら退屈している」

 すると、愛佳はニヒルな笑みを浮かべて立ち上がった。

 腰に手を当て、指を立てる。


「よし決めた、究極の機体を作ろう!」


 電志はあまりのことに硬直してしまった。話が飛んでいる。しかもどこに飛んだのか分からない。何言ってんだこいつ?

「いきなり何言ってんだ……?」

 愛佳は演説のように滔々と語り始めた。

「今って出撃が一〇〇〇機で被撃墜が一〇機ちょい、生還率九九%弱。一〇〇%にしたいんだろう? 最後の一%ちょいは果てしなく重い。だから、究極の機体を作るのを目標にするんじゃあないか。目標が無ければ張り合いがないだろう? この目標を達成するにはどうやら【設計とは何か】を考えないといけない。ほら、こうすればそこをどうしても考えないといけない気がしてきただろう? これで悲願達成、火星も攻略できるね!」

 電志はあまりにあっさりと言ってのける彼女に圧倒されてしまった。

 まるでその難しさが全く分かっていないかのような軽い口調。

 いや、できることを確信しているような自信すら見える。

 だがあまりにも難題を簡単そうに語るので、むしろ『無理』とか『どうやって』とか反論する気が起きなかった。面白いという意味でバカバカしい、と思う。なんなんだ。何でこんな発想ができるんだ?

 論理的なことを言っているようで実際は思い付きを口にしただけだろう。

 これだから感情論は……と思いつつも気持ちが乗せられ、上向いていくのが分かる。

 ワクワクする。

「ずいぶん大きく出たな」

「電志とボクに、できないことがあるのかい?」

 挑戦的な、それでいて不敵な愛佳の笑み。

 これでは退けないじゃないか。

 気付けば電志も同じような笑みに変化していた。

 そんな自分に軽く驚いてしまう。面白くもないのに笑うことは無い、というくらい笑わない自分が。チクショウ、まったく乗せるのがうまい奴だ。釣られちまうなんて俺も馬鹿っぽいな。


 でも馬鹿っぽい、馬鹿っぽいけど。

 目標なんてそれくらいで、良いじゃないか。


「……どうせなら究極のやつだな。それこそガキの頃夢見たような、デタラメな機体をさ!」

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