第3話

 昼休み。

 電志は歩いて数分のコンビニに向かおうと席を立つ。

 すると愛佳に呼び止められた。

「まあまあ電志、待ちたまえ。電志はいつも味気無い食事で済ませているだろう?」

「ああ、うん」

 電志の昼といえば大体スティック状のお菓子みたいな総合栄養食だった。だが【アイギス】生まれにとっては普通だろう、と思う。


【アイギス】の中だけで完結させるのが基本理念なので資源も食料も少ない。

〈コンクレイヴ・システム〉も資源節約のために何にでも使われているのだ。

 紙は高級品である。

 食材の方は宇宙進出時に生産システムに相当力を入れたようだがそれでも若干高いのだ。

 地球生まれはやはり食事を楽しみたいという希望が多かったらしいが【アイギス】生まれだと毎日総合栄養食でもさほど気にならない。

 生まれた時からそういうものだと思っている。

 安く済むし手間もかからないし合理的だ。


 だが愛佳はふふんと思わせぶりな顔をすると、弁当箱を取り出した。

「今日はボクが沢山作ってきたから電志も食べるが良いよっ」

 電志は目を丸くした。手作り弁当だと……?

「まじか。材料費だって結構するだろうに」

「別に【アイギス】じゃあ他にお金の使い道も少ないしね…………っていうか、気にするのはそこかい?」

 やれやれまったく……と残念そうに首を振りながら箱を開ける愛佳。

 電志の論理思考ではその意味がなんなのか分からない。どこを論点に話しているんだ? もっと嬉しさを前面に押し出した方が良かったか? 小躍りしたいぐらいの嬉しさはあるんだけど気持ちを言葉でどう表現したら良いのかいまいち分からないんだよな。

 弁当の中身が露わになる。

 いつも味気無い食事で済ませている電志には宮廷料理かと感動を覚えるものだった。

 つやつやの白米や瑞々しいサラダ、ぷりぷりの鶏肉が急激に食欲を刺激する。

「お、おおぉ」

 これはいくら気持ちを言葉で表現するのが苦手な電志でも表情が如実に表していた。

 ごくりと唾を呑み込む。

 それを見て愛佳が満足そうににんまり笑った。

「ははは電志、ボクに至上の感謝をもって食べるが良いさ。ボクを尊敬したまえ!」

 弁当箱は二重になっていて、ぎっしり詰まっている。

 愛佳は小皿と箸を二組取り出した。


『いただきます!』

 二人で同じ弁当箱をつついての食事。

「倉朋はこんなに料理が上手いのか。凄いな」

 電志は米の旨味を噛み締めたり肉汁にうっとりしながら感想を述べた。

 食を楽しむのもたまには悪くないな、と思い始める。

 愛佳はにひひ、と照れくさそうに後頭部に手をやっていた。


 食べ終わった頃に館内放送が入った。

『敵影発見。敵影発見。迎撃態勢レベルB。迎撃態勢レベルB……』

〈コズミックモンスター〉の襲撃だ。


〈迎撃態勢レベルB〉は戦闘機の発進。

 避難の必要性無し。

 持ち場での待機の必要性無し。

 充分迎撃可能で敵が【アイギス】に損傷を与える心配が極めて低いという状況。

 これがレベルAになると【アイギス】に損傷を与える心配があり、持ち場での待機が必須、市民は避難となる。

 レベルSは【アイギス】に敵が到達、指令部などを除きただちに避難だ。

 レベルBであれば部屋の空気も騒然となったりしない。

 いつものことか、という感じ。

 二~三日に一回は襲撃があるのだ。


 しばらくすると電志達はそばにある大窓に目をやる。

 その先に広がる黒い空間に豆粒大の灯り達が飛んでいくのが見えた。

 戦闘機達が迎撃に出たのだ。

 愛佳がその光景を眺めながら呟く。

「パイロットは凄いよね、あんな奴らと戦えるなんて」

「俺らは設計するだけ。俺らにできるのは、せめて生還できるよう良い機体を作ることぐらいだ」

 自嘲気味に電志は言った。

 こうして見送っていると時々申し訳ない気持ちになる。命張ってる彼らに比べたら、俺達のやっていることなんて……

 そして、電志は外に出て行き公園区画へ向かった。


 十年前、ある襲撃の時。

 電志は無表情に、通路に立っていた。

 壁や床は非常灯の弱い暖色系の明りで照らされ、早く避難するよう必死の館内放送が急き立てている。

 通路には電志一人しかいない。

 先程までは人の波が死から逃れようと荒れ狂っていたが。

 五発程の弾丸がこの辺りを襲った時、それまであった『逃げなきゃ』が失せてしまった。

 野球ボール大の穴達に自動で充填剤が注入されていく。

【アイギス】が受けた傷は、このように小さな傷ならば修復されるのだ、問題無いのだ。

 だが塞がれていく穴を見ても、何の希望も持てなかった。

 何故ならば、既に切り離した区画が幾つもあるから。

【アイギス】に敵が到達してしまった時点で、もう駄目なのだ。

 どこへ逃げれば良いのだろう。

 逃げ場などどこにも、無い。

 六歳の少年はその言葉に辿り着いてしまってから、思考を、生を、放棄していた。

 既に一人身になってショックを受けていたのに、襲撃がある度にに怯えて過ごさなければならなかった。

 そんな中に復讐してやろうという気持ちでぎりぎり繋いできた糸も、今ぷっつりと切れてしまった。

 目の前に広がる大窓、その向こうにある冷たい空間。

〈コズミックモンスター〉の姿が何度も横切っている。

 こんな奴らに、勝てる訳が無いのだ……

 呆然と立ち尽くしていると、一人の男が駆け寄ってきた。

「おいおい、何で避難してないんだ! 怪我したのか?!」

 空虚なまま電志が見上げると、そこには鬼の様に厳しい表情の、武骨な青年が立っていた。

 少年は首を振る。

 青年は訝りの目で更に問い掛けた。

「じゃあ何だ? さっさと避難するぞ」

「どうやって……」

「そりゃ防御構造のある避難区画へ――」

「どうやって、に勝つの?」

 電志は言葉に何も感情を乗せず、算数の問題が分からないから質問する、といった感じだった。

 そしてその手が窓へと向けられ、小さな指が向こう側を示していた。

 そこには何の温度も持たない様な翼竜が映っていた。

 電志は寧ろ安心した。

 これでもう、絶望する必要が無くなるから。

 作業の様に口を開ける

 何かが窓枠を横切った。

 の首が、取れた。

 玩具の接続部が外れてしまったかの様な、自然な流れだった。

 青年は自身の腕輪に向かって「ジェシー流石だ、助かった」と労いの言葉を掛けた後、電志に向き直りキレのある声で断言した。

「勝てるさ、ああやって。光の翼で……!」

 電志はやや遅れて、横切った何かがナイフの様だったと認識する。

 バカみたいにでかい、ナイフだと。

 そして、それよりも遅れて、漸くもっと大切なことを認識した。

「勝てる……?」

「そうだ、勝てる。だから希望を持て」

「おじさんは何者……?」

「オジサンかよ……俺は〈DDCF〉の部長だ。今のあの機体も俺が設計したんだ。どうだ、凄いだろう?」

「設計……?」

「んーまあ、平たく言うとあの飛行機を作ったんだ、俺が。どうだ、君も大きくなったら〈DDCF〉に来るか? モンスターどもをやっつけるんだ」

 少年の頭ではイマイチ理解できなかった。やっつけるのはパイロットじゃないのか、と。戦って倒す以外に何があるのか、と。そんな感想を抱くと、このおじさんは戦いにも行かず何でこんな所にいるんだろう、と疑問が湧いてきた。

「おじさんは、何でこんな所にいるの?」

 幼い故の、直球の質問。

 青年は目を丸くした。

 しかし、その目はすぐに毅然としたものに変化。

少年の肩をごつごつした手でがっしと掴み、真っ直ぐ目を合わせて、言った。

だからだ……!」

 少年は言葉を失った。

 この時、言われている事をきちんと理解できたかと問われると怪しい。

 しかし『この人が言う以上はそうなんだろう』と思わせる、何かのパワーを感じた。

 青年が立ち上がると、背が高くて背中がとても大きく感じられた。

 電志少年は黙って青年に付いて行き、三十秒も経った頃に漸く、泣き出した。

 泣こうと思えるほどの安心が得られたのだ。

〈DDCF〉という言葉は涙と共に刻まれている。


 電志は公園施設の一角にいた。

 木の幹を背に膝を立てて座り、目つき悪く膝の上には腕を乗せていた。

 口にはストローを咥えたままパックのジュースをぶら下げている。

 親子連れが通りかかると、親が電志を一瞥しただけで小さな悲鳴を上げ、子供を庇いながら足早に立ち去っていった。

 電志は心の中で舌打ちした。何で普通にしているだけなのに逃げていきやがるんだ。俺が何か悪いことでもしたのか。ああん?

 するとパシンと頭をはたかれた。

 見上げると、そこには愛佳がいた。

「電志、皆が怖がるじゃあないか。そのもろ不良って格好はやめたまえよ」

 愛佳は眉を逆立てて腕組みし、仁王立ちだ。

 そして喋り方は妙に探偵みたいな芝居がかかっている。

「俺は不良じゃない」

 面倒そうに電志は返事をする。実際面倒臭かった。何でこいつはいちいちまとわりついてくるのか理解できない。その『皆が怖がる』顔に臆面もなく接してくるところとかも。よほどの世話焼きなのか姉御肌なのか。でも委員長タイプというほど風紀にうるさいわけでもないし。

俺みたいに一人になろうとする人間を見過ごせない性格なのかもしれないな。苦労しそうな性格だ。

 電志は咥えたストローを揺すってジュースをぶらぶらさせた。

 それを愛佳がビシリと指差して鬼の首でも取ったように高らかに笑った。

「そうそれなのだよ! 不良なのに不良じゃないと電志は言い張った……これはミステリィだね、ミステリィ。『リー』と伸ばすのでなく『リィ』という風に『ィ』も発音するのが通なんだ、分かるかい? それで、不良の証拠を今この時見つけたよ……ボクの目はごまかせない。そうやってジュースをぶらぶらさせるなんて不良以外の何者でもないよ。そしてその不良座りだ。更にはその不良の目! 不良の格好して不良の行為に及び、不良の目をして不良の精神を持つ君は不良以外にありえないのだ!」

 電志は頭を掻いた。どうしてそれで『どうだ参ったか』みたいな顔ができるんだろう。探偵みたいな言い回しだけどその内容は全く論理的じゃない。要は勢いをつけて捲くし立て、主導権を握りたいだけじゃないか。

「そんなの見た目の話だろう。そこは本質じゃない」

 面倒臭い会話だ、と電志は内心で溜息をつく。


 電志はかなりはっきりした論理思考の持ち主だ。

 見た目で判断するなど論外である。

 電志は設計において見た目で判断するような奴とは一緒に仕事をしないと決めている。

 だから年初で自分一人だけのグループを作ってもらえたのは嬉しかった。

 通常は【班】という五~六人のグループで仕事に取り組むのが常だが、去年一年間で何度も最優秀機体を作った電志を先輩達が妬んで追い出したのが本当のところ。

 だが、電志にとっては一人になれるならどうでも良かった。

 それなのに、目の前にいる愛佳は例外だった。

 渋々の例外。

 自分で電志の班に入りたいと立候補してきた変わり者で、すぐに諦めて出ていくだろうと思ったのに全くその気配が無い。

 論理思考の電志に対し愛佳は感情論そのままだ、これでは合うはずがないのだが。


「すぐそうやって屁理屈を言う。それなら不良じゃないと証明してくれたまえ」

 愛佳が挑戦的な笑みで言うのに対し、電志はげんなりした。そもそも何でこっちが屁理屈にされてしまうんだ。自分に当てはまるものを相手になすりつけるという超理論がどうやって生み出されるのか不思議でならない。この娘の思考回路はどうなっているんだろう。永遠の謎だ。いや、もしかしたら自分の中ではそれが正しい論理になっていて、本気でそれを信じてしまっているのかもしれない。そうでもないか、単に会話の主導権を握りたいだけか。証明する必要の無いものを証明しろと言っているし。ここでまごつけば畳み掛けてくるんだよな。

 主導権なぞ別にいくらでも渡して構わないというのが電志なのだが、しかしあからさまに主導権を握りに来ているのが分かっていると、ついつい遊び心が働いてしまう。

 素直に渡したくなくなってしまった。

「そもそも不良で言うなら倉朋だろう。いきなり俺を叩いて。あれは立派な暴行だ。不意打ちで暴力を振るうなんてまさに不良じゃないか。今度から『暴力女』とでも呼ぼうか?」

「あああの、あれは暴力じゃないでしょ?! あれは流れというか、丁度良い所に頭があったから……」

 簡単に崩れた。

 会話の主導権を握りたがるけど、逆に握られやすい。

 それが愛佳だ。空回りしやすいのかもしれない。

? ? それこそ『暴力女』と言うんじゃないの?」

「ち、違うもんっ…………もうっ電志は捻くれてるんだから」

 そう言って愛佳は指を立てて『このぐらい捻くれてる』と示した。

 指を曲げていって真下まで行くと今度はもう片方の手を使い、そちらの指は真下から真上に曲げていった。

 両方の指を足すと円を描いている。

「一回転したら真っ直ぐに戻ってるじゃないか」

「あ、あれ? 本当だ、あぅ……いや、だからこれは、その……あの……」

 しどろもどろになってしまう愛佳。

 ごにょごにょと口ごもるさまが微笑ましい。

 しかし電志も追い詰めたいわけではない。

 そこら辺はわきまえているので話題を軌道修正する。

「とにかく、俺がここにいるのはサボリじゃない。机に向かっているよりぶらぶらしてた方が閃いたりするもんだよ」

 愛佳が来た理由は予想がつく。

 休憩にしては長く離席していたからそれを咎めに来たのだろう。

 電志にとってはまさにそれこそが『見た目の問題』だった。

 電志は体面を気にしない。

 それよりも良い機体を作る方が優先。

 だから先輩に嫌われるというのも理解した上で、全く気にしない性格なのである。

「そうは言ってもそれを理解してくれない人もいるものだよ」

「それはまあ……分からないでもないが」

 どんなに先輩達が嫌っていても、何度も最優秀機体を作った力は認めざるをえないのに変わりは無かった。

 ここ〈DDCF〉では先輩達によって後輩の点数が決まるが、やっかみだけで電志に赤点をつけるほど先輩達も愚かではない。

 最も重要なのは〈コズミックモンスター〉の打倒なのだ。

 電志はそこをはき違えている者がいるほど先輩達が落ちぶれているとは思っていない。


 風が緩く二人の髪を揺らす。

 木の枝もさわさわと揺れ、草達もゆらめいている。

 この公園区画はそうした地球に残してきた自然を感じられるように作られているのだ。

 宇宙空間で過ごす上で何が最も重要であるか。

 それは精神状態である。

 精神に異常をきたさないために公園区画を始め【アイギス】には様々な工夫がされているのだった。

 もっとも、それが一番必要とされたのは宇宙に進出する時の人達で、電志達のような宇宙生まれの世代にはそこまで重要なものでもない。

 生まれた時から【アイギス】が全てなのだから、地球を感じられなくても精神的な負担は感じようがなかった。


「電志はもっと笑えば良いのに」

「笑いたい時には笑うさ。それに笑顔を使いこなす奴で信用できる人間を俺は知らない」

 逆に電志には面白くもないのに笑う理由が分からない。

 そこに納得できる論理が無ければ相手にするつもりも無かった。

 だが、時に愛佳は奇跡を起こす。

「あのね、笑った方がご飯をおいしく食べられるんだよ!」

 電志は一瞬呆けてしまった。

 笑った方が幸せになるとか言われたら逆だろう、と言ってやるつもりだった。

 が、意表を突かれた。

 思わず笑ってしまった。

 小刻みにジュースが揺れる。

「……ご飯がおいしくなるなら、その方が良いかもな」

 全然論理的じゃない。

 でも、それも面白いと感じた。

 愛佳が班から出ていかないのであれば電志が追い出すのも可能だった。

 しかしそれをしないのは、ひとえに論理的じゃない愛佳に興味が湧いていたからでもあった。

 愛佳は時々想像を超えた事を言う。

 それがいつか自分の設計に奇跡を起こしてくれるんじゃないか……そんな期待を抱かせたのだ。

 愛佳は拳を上げて宣言する。

「というわけで、食材の買出しに付き合いたまえ!」

「…………あのな、俺を呼びに来たんじゃなかったのかよ」

「しまった、うかつ。じゃあ買出しは放課後だね」

 口に手を当てて驚いた様子を見ると、彼女は当初の目的を本当に失念していたようだ。

 館内放送が入る。

『戦闘終了。戦闘終了。迎撃態勢を解除。迎撃態勢を解除……』

「戻るかー」

 電志は心底重そうに腰を上げて立ち上がった。


 視線の先には公園のモニュメントのように立つ巨大な石碑がある。

 そこを一瞥し、それから踵を返した。

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