日常

第1話

 朝の通学路。

 アスファルトとも廊下ともつかない殺風景な道。

 両サイドには味気無い箱型の建物たち。

 温度を持たない純度一〇〇%の人工物が敷き詰められた箱庭。

 まがい物の街。

『車』と名の付く物は存在せずまばらに人の歩く姿があるだけ。

 そのまばらな人の奏でる靴音が静寂をしのいでいる。


 電志は鞄を肩に担いで欠伸をしながら歩いていた。

 その目は半分も開いていない。

 ふらふらと歩を進めていると小学生くらいの男女が両脇を駆け抜けて行った。

 元気いっぱいだ。

 しかし男の子の方が派手に転び、持っていた何かが宙に投げ出されてしまう。

 何かは放物線を描き、コンテナと建物の隙間に入っていってしまった。

 隙間は人が入れる大きさではなく、男の子と女の子が替わりばんこに手を突っ込むが取れない。

 どれだけ頑張っても取れないことが分かると男の子が泣き出してしまった。

 まばらな人通りの中、不明瞭な言葉で悔しさと悲しさの旋律が響き渡る。


 電志は頭を掻き、そこへ近付いていった。

 ずいっと出てきた高校生の電志は子供たちには巨人に見えただろう。

 女の子に影が掛かるとその子はビクッとして振り返った。

 そして振り返った先に電志の顔を見付けると怖がって尻餅をついてしまう。

 男の子も顔を上げて電志の顔を見るとハッと息を呑んで硬直した。

 普通でない怖がられ方。

 だが電志は気にせず隙間を覗きこんだ。

 そこには戦闘機の模型が転がっていた。

 目測で模型との距離と手の届く距離を比較。

 両者はだいたいイコールである。

「ったく、泣くほど大事なもんなら転んだくらいで離すんじゃねーっての」

 隙間に腕を突っ込む。

 手探りで進み、指先に確かな感触を得る。

 それを摘まんで引き寄せ、取り出した。

 見てみると、落下の衝撃で損傷しているようだった。

 電志はその機体の型番も、何年何月に試作機が製造されたのかも、もっと言えばいつ設計書が出来上がったのかも知っている。

 自分が設計した機体だった。

 そして模型を男の子の手に乗せてやる。

「あ、あり……が……」

 男の子は恐怖に引き攣りながらお礼も満足に言えない状態だった。

 電志はそれには構わず、ピッと戦闘機の模型を指差した。

「いいか、この機体は損傷した。尾翼が折れている。それから衝撃で船体に歪みが発生している。実物であれば中破だ。推進や旋回にも異常が出ているかもしれない。そんな状態で戦場に取り残されてみろ。敵に群がられて喰い散らかされちまうだろうよ。もう少し大事に扱え」

 すると男の子はみるみる内に目に涙を溜めていった。

 後ろで女の子も伝染したように涙目になる。

 電志は淡々と続けた。

「泣くな、話は最後まで聞け。戦闘機は実物も繊細で僅かな損傷でも即修理となる。こいつも修理してもらえ。港に併設されている〈DDS〉というプレートの貼られた建物がある。そこに行って誰でも良いから声をかければ良い。奴らはプロだから完璧に修理してくれる」

 それを聞くと、男の子の怯えはぴたりと止んだ。

 男の子は手の平に乗った模型に目を落とす。

「…………これ、直るの? 新品みたいに……なる?」

「なる」

 端的に言って、電志は立ち上がった。

 もう用は済んだとばかりに颯爽と立ち去る。

「…………ありがとう、怖くて優しいお兄ちゃん!」

 背中からかけられた男の子の声で電志はガクッと顔を落とした。

 いまいましさと照れ隠しが合わさったような表情で振り返る。

「俺は怖くないし優しくもない、普通だ!」

「ぼくの友達もこの前怖くて優しいお兄ちゃんに助けてもらったって言ってたよ。怖くて優しいお兄ちゃんは学校で有名だよ!」

「人違いだ、俺は普通だからな!」

 ぐぬぬと苦い顔で今度こそ立ち去る電志。

 颯爽とした雰囲気が台無しである。


 もう少し歩いていると、大量の荷物を抱えた高校生くらいの少女が危なっかしい足取りで歩いていた。

 前も見えないほどの荷物だ。

 案の定、バサバサと荷物が散乱した。

「ああもうー……落ちないでよぉ」

 女の子は涙目になりながらあたふた。

 電志は最初、無視しようと思った。

 面倒臭い。

 でも、女の子は散乱した物を集めるのも手際が悪いようだった。

 拾った傍からまたぽろぽろ落としているのだ。

 次第にイライラし、電志は仏頂面で散乱した物に手を伸ばした。

「ったく、大量の荷物を運搬する際は荷崩れ防止策をとっておくのが常識だろうが」

 見たところ、荷物は本や雑貨や収納用の箱などだ。

 目測で荷物の高さを測る。

 それから自分の持ち物から荷崩れ防止に利用できる物がないか脳内で検索。

 利用可能な物が思い当たる。

 手提げ鞄の中から肩掛け用のベルトを取り出した。

「荷物を散乱させて怪我人が出たらどうするんだ、運ぶ前に考えろ。これで荷物を纏めると良い。十字に縛る長さは無いが一文字に結束することはできる。これでもう荷崩れしない」

 テキパキと作業する電志に少女はあわあわとしているばかりだった。

「あの、そんなにしていただかなくても……」

「これで良し。じゃ、これで」

 電志は淡々とそう言うと、興味を失くしたように背中を向けた。

 少女は慌てたように背中へ声をかけてくる。

「あ、あの! 何も要求しないんですか……?」

「しない」

 端的に返答し電志は颯爽と立ち去ろうとした。

「あ、ありがとうございます! 体とか要求されるかと思いましたっ……!」

 恥らう声でそう言われ、電志は再びガクッと顔を落とした。

 振り返って念を押す。

「俺がどんな奴に見えているんだか知らないが、そんな要求はしねえ! 俺は普通だ!」

「で、でも怖かったから……怖いけど優しいんですねっ」

「だから怖くもないし優しくもない、普通だ!」

 くそーと肩を怒らせ今度こそ立ち去る電志。

 またも颯爽とした雰囲気が台無しになった。


 電志は歩きながら顔を触ってみた。何でこんな風に言われるんだ。人は第一印象で殆ど決まってしまうというが、そんなものに振り回されるべきではないと思う。大事なのは中身だ。こういうことを言うとキレイごとだと冷笑する奴もいるが、第一印象で落とされる身からすればキレイごとでも何でもない。自分に切実な問題になれば冷笑している奴らも笑っていられなくなる。どうせなら全員フルフェイスのヘルメットを被って町を歩いてみたらどうだ?


 益体もないことを考えていると知り合いから声を掛けられた。

「おはよう電志。いやと呼んだ方が良いかい?」

 芝居がかった声は可愛さと凜としたものが混ぜ合わさった不思議な魅力を含んでいた。

 その声の持ち主は一目見れば脳に焼き付くほど印象的な少女だ。


 背中まで伸びた茶の髪は手で触れれば極上の絹糸の手触りが掌を満たすであろう艶めきで、同色の目は聡明な切れ長。

 鼻梁はすっと通り、眉は垂れ気味。

 頬は指で突けばぷるりと弾力を伝えてくれそうな潤い。

 控え目な唇はまるで果実のような魅惑で、自然と吸い寄せられてしまいそう。

 それが倉朋愛佳という少女。

 同級生だ。


「おはよう。その恥ずかしい上に間違った呼び名をやめろ」

 電志は釘を刺すように言った。

 さっきのことを見られていたのかと舌打ちする。

 しかしそんな不機嫌そうな電志の顔を見ても、愛佳はさきほどの少女のように怖がりはしなかった。

 むしろ望んだ展開になったとばかりに目を細める。

「ふふ、今日も偽善を振りまき市民を誑かすとは、君は根っからの悪人だね」

「偽善でも善でもねえ、俺は単に目の前で失敗を見せられるのが嫌なだけだ」

「このツンデレさんめ。顔に似合わず優しいんだから。困っている人がいると放っておけないんだね」

「だからそんなんじゃないっつーの。それから『顔に似合わず』とか言うな」

「おおこれは失敬! 『そのチンピラの目に似合わず』だったね?」

「俺の目は普通だ」

 電志は抗議の声を上げた。


 電志は青みがかった黒の長髪に眼鏡をし、その奥には深い蒼の瞳が収まっているが、傍から見れば怖がられることが多い。

 しかしそれが何だというのか。自分にとっての『普通』とはこうなのだ。だいたい『普通』という概念そのものも相当に疑わしいものじゃないか。みんな普通普通と言うが、それは本当に『普通』なのか? 『普通だと思いたい』が本当のところじゃないのか?


 すると愛佳はやれやれ、と大仰に首を振った。

「普通というのはね、普通の人だけが使って良い言葉なんだよ。チンピラで悪辣で不良で問題児で熟女好きな電志が使って良い言葉じゃあないのさ」

 彼女の声はやはり不思議な魅力に包まれていて、うっかり気を抜いていれば聞き惚れてしまいそうだ。

 実際通学途中の生徒達は何人も振り返り、熱い視線を注いでいる。

 それだけ人気を集める美少女でもあった。

 だが電志はそんな美少女にも下手に出たりはしない。

 うんざりといった溜息で返した。

「その『私はあなたの事を見抜いています』風に言うのをやめてくれるか? どれ一つ合ってないし」

「ボクの観察眼をみくびらないでほしいな。一つぐらい合っているだろう? 熟女好きとか」

「熟女好きじゃねえよ」

「ふふふ……引っ掛かったね? これはカマをかけてみたのさ! こんなにあっさり尻尾を出してくれるとは思わなかったよ。電志……君はロリコンだ!」

 びしりと指差す愛佳はまるで名推理と言わんばかり。

 電志は全身で意味不明を示した。

「今の流れのどこら辺がカマかけてたんだよ。無茶苦茶なこと言って満足してんじゃねえ。俺は熟女好きでもロリコンでもない」

 無茶苦茶で論理のかけらもねえ、と電志はげんなりした。

 電志は論理的でない思考が嫌いな性格だった。

 そこに整合性があるかどうか、いつも考えてしまうほど論理思考に傾倒している。

 そして、そんな論理思考の電志を悩ませるのが愛佳だった。

「じゃあ、ボクがタイプとか?」

 電志の顔を覗き込んで愛佳が妖しい魅力の微笑みを浮かべる。

 ふわっとシャンプーの香りが鼻腔を撫でた。

 爽やかさとほのかな花の香りが広がる。

 意表を突かれて電志はフリーズしてしまった。タイプ? まあこいつは顔は良いが……

 そしてまじまじと愛佳の美貌を見詰めてしまい真面目に返答しようとして、はっと我に返った。

「えっ…………あ、いや、自分の好みなんて分からないし……」

「あ、はは、そそそそうだよねぇ」

 頭の後ろに手をやってカラ笑いする愛佳は若干赤くなっている。

 電志はまったく……と心で呟いた。妙にふわふわした空気になってしまった。恥ずかしいならそんなこと言うなよ。だから『感情論』は嫌なんだ。


 愛佳は感情のままにぽんぽん言葉を紡ぎ出すタイプだ。

 完全に非論理的で、整合性のチェックは全く行われていない。

 そうした感情によって構築する会話を全般的に電志は感情論と呼んでいる。

『論理思考』と『非論理思考』、『論理』と『感情論』……二人は正反対と言って良い。

 そんな正反対の二人がどうしてこうやって会話しているのか。

 電志にとっては人生最大の謎となっていた。


 通学路からは町並みが広がっていた。

 見渡す限り最大が二階建てである。

 天井があるからそこまで高さを取れないのだ。


 ここは地球ではない。

【アイギス】という月軌道上に浮かぶ巨大建造物の中である。

 外観はくすんだ白色で土星の形から複雑に建増ししたもの。

 その中身は居住区や商業区、自然区などがあり、それぞれ地球上に似せた造りをしている。

 ただ、雰囲気こそ似せて造られているが木造や石造りなどといった風情までは再現されていない。

 均一で丈夫な素材が使われているだけで、その表面に色付けしてごまかしているだけだ。

 見上げた天井には空の映像が投影されていて、雲もリアルな動きをしているがこれもまがい物。


 電志達がこれから向かう学校も、校舎らしい校舎というものは無い。

 また、【アイギス】の高校生は学生であると同時に専門職に就いている。

 朝四人一部屋の居住区で起床し、それぞれ自分の専門職のための建物に向かう。

 一同が集まって学習するのは中学で卒業だ。

 電志と愛佳は同じ専門職なので、これから向かう場所も同じである。


 歩きながら愛佳はムムッと虫眼鏡を取り出した。

「電志、ボクの推理だと……あと五分ほどで到着するよ」

「いつも行っている道なんだから推理もクソも無いだろ」

「ああボクって探偵に向いているかもしれないねっ? 将来ボクが探偵になったら電志は助手として雇ってあげるよ!」

 電志は歩きながら半眼になった。こいつは都合の悪いことを自動的に聞き捨てる便利機能でも持っているんだろうか。会話の整合性が取れていない。唐突。意味不明。なんなんだ。

「断る」

「まあまあ待ちたまえよまあまあまあまあまあま~ま~ま~ま~」

 愛佳は『まあまあ』を口にするのが気に入ったのか執拗に連呼し始めた。

 電志は耳を塞いで足を速めた。

「俺ぁ急ぐ」

「まあまあ待ちなってまあまあまあまあ!」

「……(聴こえない聴こえない)」

 電志の歩幅は本気だとかなり長い。

 そのためスタスタ歩いていってしまうとみるみる内に愛佳と差がつき始めてしまった。

 でもこのまあまあ地獄から一刻も早く抜け出たかった。

 すると愛佳は涙目になって親を追いかける子供のように。

「待ってよおおボクを捨てないでよおお――っ」


 電志は鬼の形相で振り返った。

 周囲を確認すると案の定生徒達がヒソヒソと話している。

 おいあいつあんな美少女を……ヤダーあいつやっぱりワルだったのね……何であんな奴が倉朋と……などなど好き勝手に言い放題だ。

 電志はこうした見た目だけで判断するのが嫌いだった。見た目上は愛佳がそれっぽく演じているが、実際は付き合ってもいないし捨てたなどとんでもない。本質はその『実際』であって見た目ではないだろう。

 見た目ではなく本質で判断すべきだ、というのが電志の考え方だ。

 判断基準は論理的であるべきだという主義なのである。

「……そのはた迷惑な嘘をやめろ」

 電志は自分でも周囲に怖がられているのは充分に理解している。

 あえてそれを利用し、低い声ですごんでみた。

 少しでも反省を引き出すために。

 だが愛佳にはそれが全く通用しないのかニパッと笑顔になって抱きついてきた。

「電志、止まってくれたんだぁありがとう! もうボクを置いて行かないよね?」

 縋りつくように涙目で見上げてくる愛佳。

 電志はいまいましそうに睨み返す。何故こいつは無駄に演技力が高いんだ。

 周囲のざわつきは明らかに愛佳の味方をしている。

 まったく論理的じゃない判断が下されている。

 でも愛佳はこの論理的じゃない現象を引き起こすのが巧いのだ。

「もう良いから。とにかくその誤解を招く嘘をやめろ」

「ボクがいつ誤解を招く嘘をついたというんだい? 教えてくれたまえさあさあさあさあ!」

 ニヤニヤと得意気な顔の愛佳。

 主導権は完全に握ったとでも言いたそうだ。

 愛佳はよく会話の主導権を握りたがる。

 無茶苦茶でも何でも勢いで捲くし立てて主導権を握ってしまおうとするのだ。

 実際電志はずっと押され気味である。

 だが、ずっと押されっぱなしでは電志も面白くないのでここで反撃に出た。

「先月の課題提出で俺の成果物をさも自分の成果物のように提出したのはどこの誰だっけ?」


「あぅっそそそそそれは……っ」

 愛佳の余裕の表情が一気に崩れる。

「直前にデータを間違って消しちゃったとか言って泣きついてきたんだよなあ誰かさんは。俺が課題に提出できる成果物を複数持っていたからその誰かさんの名義で提出させてあげたんだよなあ。あーやっぱりあれは俺の成果物ですってバラしちゃおうかなあ。そうしたら誰かさんはこっぴどくしかられちゃうなあ。課題未提出でしかも不正していたなんてバレちゃあなあ」

「電志っボクはちょっと調子に乗りすぎていたみたいだねそう、嘘だよハハハちょ、ちょっとした出来心だったんだよだからそれだけはうぅ……っ」

 あっという間に生まれたての小鹿になってしまった愛佳。

 主導権を握りたがるが、割と握られやすい性格でもあった。

 面倒臭がりな電志は普段は押され気味でも流しているが、いざ本気になると簡単に押し返してしまうのである。

 充分殊勝になったのを確認すると、それ以上追い詰めたりはしない。

 電志は意地悪ではないのだ。

 愛佳の顔色を見てさじ加減を調整しているのである。


 再び歩き出すと、間もなく目的地に到着した。

 商業区の一角で、周囲はオフィスや商店などが並んでいる。

 目的の場所はシンプルな外観で箱型の建物に入口の扉があるだけ。

 扉だけは重厚で生体認証をパスしなければ入れない。

 それはこの場所が特別に重要であるのを示しているのだった。

 扉の横には英語で長ったらしい名称が記載されている。


 宇宙戦闘機設計部、通称〈DDCF〉。


 これが、電志達の所属する部署だった。

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