第88話
楽しみというのは色々ある。
ショッピング、ゲーム、読書、etc……
そんなある意味王道なものもあれば、そうでないものも。
小さな虫が草を上っていくのを見てうふふふ、とか。
氷をほっぺにつけて声を上げながら限界まで我慢、それから離した時にハアアァ、と恍惚とするとか。
家に帰りついて靴を脱いだ後それを嗅ぐのが楽しみとか。
カイゼルの楽しみは間違いなく王道ではない。
そればかりか、人に影響(ほぼほぼ迷惑な)を与えるのだから面倒だ。
せめて楽しみは自己完結する形にしてくれないだろうか、と電志は思う。
「カイゼル、俺は回り道があまり好きではないんだ」
やんわりと先を促してみるも、カイゼルは分かってないなあと言わんばかりに指を振った。
「ノンノン、電志、良いかい? 人生の八割は何かに縛られている。食事、睡眠、仕事……だからね、残り二割は思い切り楽しまなくちゃいけないんだよ!」
「カイゼルはさっき『ここにいるのは遊び=研究という奴ばかり』って言ってなかったか? それが事実なら八割と二割は逆転すると思うんだが」
電志が冷静な突っ込みを入れるとカイゼルはニコニコして聞き流した。
「さて電志に愛佳、今回のお題は……言葉を使わずに僕を笑わせることだっ!」
なかなか難易度の高そうなお題だった。
何か無いか、と電志が隣の相棒に目配せする。
相棒の愛佳は耳打ちしてきた。
ごにょごにょ。
ああそれは良いな、と電志頷き一つ。
電志はカイゼルにバンザイさせ、両手を掴む。
愛佳がカイゼルの裏に回る。
「さてさて、どうしてくれるんだい?」
カイゼルが余裕の笑みでいると、愛佳が後ろからくすぐり攻撃を始めた。
すぐにカイゼルが笑い出しそうになるが、簡単にお題をクリアされては堪らないと気付いたのか我慢を始め、込み上げる笑いと我慢で苦悶の表情になった。
「ブギッ……! グギギ、ブイッ……ブッ……ブイイイイイイイイイィッ!」
豚のような声を上げカイゼルが目の前で痙攣する。
電志は息がかかる程の距離で悶え苦しむカイゼルの表情を見て思った。きたねえ画だ。
カイゼルをギブアップさせると電志は改めて問う。
「さあ例のブツをくれ。まさかお題をやらせておいて『まだできてませんでした』なんてことはないだろう?」
「もちろんできているさ! でも正規のカタログには載せられないから、直接電志に渡しておくよ」
当然だった。
通常は機体の航行システムも〈DRS〉の兵装カタログに掲載される。
〈DDCF〉はそれを見て、どの機体にどのシステムを搭載するか決めるのだ。
設計書にも当然カタログに掲載されている型番を記載する。
だが今回は〈DUS〉の承認も無いためカタログに掲載できない。
そういったケースは今までどうしていたか?
まずカイゼルから電志の記録領域にシステムをコピーする。
電志がゴルドーへと同じくコピーを渡す。
設計書には嘘の航行システムをカタログからてきとうに選んで搭載するように書いておく。
そしてゴルドーが機体を製造する時、電志からもらった本当の航行システムを搭載させるのだ。
名店の裏メニューのように、そうしたことはひっそりと行われてきた。
ところで、とカイゼルが話題を変える。
「総司令の会見は観たかい?」
「ああ」
「地球の要求通り武装解除するって言ってたけど……これはこのまま進めるのかい?」
それは言外に『不要なのではないか』というニュアンスが含まれていた。
確かにそうだ。
このまま武装解除すれば今回の機体の出番はやってこないだろう。
だが電志は頷いた。
「……念のためだ。使われなければそれで良い」
これは途中まで進めてしまったから中止するのをもったいないと思っているからか、それとも意地なのか。その辺は自分でもよく分からない。だが漠然とした不安があるのだ。本当に何も起きないのか、と。備えあれば患いなしと言う。不安を払拭できるなら今やれることをやっておきたい。そんな俺は心配性だろうか?
そうしたらカイゼルは顔を寄せてきて、声を潜めて尋ねてきた。
「七星さんを信用しないのかい?」
妙な質問だった。確か以前も同じようなことを言われた気が……
誰に言われたのだろうか。愛佳か?
しばらく思い出そうと努力する。
すると、記憶と繋がった。そうだ、シゼリオだ。シゼリオを見晴らし台で説得しようとした時に、そう言われた。
七星さんを信用しないのか。
それは酷な質問だった。
自然と口を引き結んでしまう。
自分の思いと論理が別々の方に引っ張り合い、心が引き裂かれそうになる。
信用はしたい。
だが無条件の信用は危険だ、誰であったとしても……
自身を糸で操るように、無理矢理言葉を絞り出した。
「『完璧』という言葉が存在しないように、どんなところにも万一の備えをする……それだけさ」
そうか、とカイゼルは小さく頷いた。
「まあいいさ、僕は作る物を作って渡した。そこから先を決めるのは電志だからね」
「迅速に作ってくれて助かったよ。いきなりの依頼で悪かったな」
「電志にはこちらからも色々聞いてもらってるからね、お安い御用さ」
手を振って別れた。
これで航行システムは手に入った。
残るは〈DDS〉だけだ。
通路を行きながら電志と愛佳がとりとめのない会話をする。
「信用って怖いな。誰々を信用しないのかって言われると、信用しないのがいけないことのように聞こえてくる」
「電志はボクを信用しないのかい?」
「不思議だなあ、愛佳に言われると全然いけないことのように聞こえない」
「酷い!」
「普段から言葉が軽いからだろうな。信用に足る会話をしてくれれば良い」
「信用に足る会話って何さ」
「嘘の割合を要調整だな。それから思いつきでポンポンものを言えば良いってものじゃない。安かろう悪かろうでは信用は得られないってことさ」
「じゃあボクも電志を信用しない」
「『じゃあ』っておかしいだろ。その『じゃあ』はどこから繋がってるんだよ」
「天の川銀河の中心からだよ。ボクはね、あんまり人は信用できないと思ってる。信用っていうとなんかさ、重くないかい? ボクは重いと思うんだよ。互いに『こいつは信用できるかどうか』って縛ってるみたいでさ」
愛佳は下を向きながら考えを口にした。
そんな彼女を見て電志は顎をいじる。こいつはこいつで色々経験してきてそういう考えに至ったんだろうな。俺は特に重いと感じたことはないんだが。
人によって考え方は色々だ。
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