第87話
地球への回答まで残り四日。
正式に総司令から考えを示されたことにより、噂による混乱は収まった。
メルグロイにとってそれは些細なことだ。
混乱さえ起こせれば良かったのだ。こそこそ動いている俺達の方に目が向かないために。残り日数も短くなってきたし、もう新たな噂を流す必要もないだろう。
しかし、空気というのは怖いものだ。
噂が拡散して『みんながこう言っている』みたいな空気が出来上がってしまえば集団を動かすことができてしまう。
百人そこそこが五千人、六千人もの集団を動かすことができてしまうのだ。
こうした群集心理はたいていの場合、政治で利用されるものだが、その他でも使い道は色々ある。今回みたいに俺たちの隠れ蓑にするため、とか。往々にして悪いことにしか使われないのかもな。
もし、噂のまま地球と戦うことになっていたらどうなっていたか。
激しい戦闘になっていただろう。
そうなった場合、地球軍の砲撃で死んでしまうことも考えられる。
脱出しようとした矢先に【グローリー】が爆散とか。
せっかく脱出が成功しても、脱出艇が撃墜されるとか。
じゃあ、やっぱり混乱が収まって良かったのか。
自己完結みたいにメルグロイは納得した。
朝食を採りながらメルグロイは尋ねてみた。
「【アイギス】にはスラム街みたいなのはあるのかい?」
するとエミリーは首を振る。
「無いよ」
彼女にメルグロイは幼少期の過ごした所はどんなだったか教えてある。
その時も不思議そうにしていたが、全く想像がつかないようだ。
そうか、とメルグロイは疑問に思った。
共同体ができれば誰かが得をして、そのあおりを誰かが受ける。そうすれば自然と俺達の過ごした所みたいなのも出来上がっていくハズだが……【アイギス】とは不思議な社会だ。微妙に興味が湧いた。
「じゃあ、落ち零れはどうなるんだ?」
「落ち零れが行くところは決まっているよ。チーム【Z】」
「【Z】……?」
片眉をひん曲げてメルグロイが聞き返すと、エミリーは嬉しそうにした。
エミリーは人にものを教えてあげるのが好きなのだ。世話焼きな彼女をよく表している一面だと思う。
「チーム【Z】はね、落ち零れや犯罪者が配属される特殊なチームなんだよ。そこは型落ちした機体とかしか配備されないんだけど、いつも先頭で敵に突っ込んで行かなきゃいけないの。死亡率も凄く高いって言われているけど、データが公表されないから分からない」
「それはまた……厳しい世界だね」
「んーでもそれは必要悪なんだって教えられた。そうしないとうまくいかないんだって」
随分と冷たい社会だ、とメルグロイは思った。そうしないとうまくいかない、というのはある意味俺の生まれ育った場所を作り出さないことにはなる。が、俺の生まれ育った場所で生きるハズの人間を先に亡き者にしているだけではないか。それは果たして『うまくいっている』と言えるのだろうか?
「病気で治る見込みの無い人はどうなるんだい?」
「知らない。小学校の時何人か入院したまま帰ってこなかったけど。そう言えば大怪我して入院したまま帰ってこなかった人もいるなー……今でも入院してるのかな?」
メルグロイはこれ以上深入りしない方が良いと思った。そうか、そういうことか。
ここは効率化されている。
罪悪感が生まれないよう見えないところで淘汰しているのだろう。資源の少なさを前に人権が軽視されている。
一見すれば犯罪も少なく、成績も一定以上の者達で構成され、怪我人や病人もみんなで支えきれる人数しかいない。ある意味理想郷なのかもしれないが……俺はここで生まれていたら淘汰されていたかもしれないな。
「それは謎だね。そうだ、俺はナース服って結構良いと思うんだよ。エミリーが着たら似合いそうだなあ」
「はあ? バッカじゃないの! あなたって変態ね」
「変態はそこらじゅうにいるさ」
「そこらじゅうにいてたまりますか」
そうしてツンとした態度をとるエミリーだが、ナース服に興味を持ったのではなかろうか。何かの拍子に披露してくれるかもしれない。そういうサプライズも悪くないな。
彼女がその姿を披露してくれるのを想像してみると楽しい気分になった。
電志は愛佳を連れて〈DRS〉へ足を運んだ。
もう愛佳の設計も完了し、カイゼルが新たなシステムを完成させればそれを搭載するだけである。
電志は自らが設計したわけではないものの、高揚した気分になっていた。
弟子の成長が実感できたという気持ちがあるのかもしれない。愛佳にはこれまで逐一設計手法を教えたりアドバイスしてきたりしたが、それが実を結んだような気がするのだ。単独できっちり設計をこなしてくれたというのは感慨深い。出来上がった設計書を見てみても、まるで自分のことのように嬉しいのだ。鼻歌を歌ったりはしないが、思わずそうしてしまいそうなくらい。
「おやおや電志、随分と楽しそうだね?」
愛佳が探るように尋ねてきた。
そんな顔をしているだろうか、と電志は自身の顔を触ってみる。
いまいちどんな顔をしているかは掴めなかったが、しかし、楽しそうと言われればそうなのだろう。事実、そんな感じだ。
「それなりに楽しいな」
「そうやって表情に出すのは珍しい」
「設計に関わることだからかな」
「それは気持ち悪いね」
「愛佳の設計に満足しているわけなんだが」
「それは気持ち悪くないね! もっとニマニマしていいんだよ?」
「そんな顔して歩いたら気持ち悪いだろうが」
「みんなに説明して歩けば良いじゃあないか。『愛佳が最高の設計をしたので興奮が止まらない』ってさ。ついでに設計書を見て鼻血ブーしたとも言っておこうか」
「設計書を見て鼻血ブー? 変態だろそれ」
「変態だね、完全に。ほらほら、〈DRS〉に着いたよ。みんなに言ってあげようじゃあないか!」
扉の前で愛佳は邪悪な笑みを浮かべた。
電志は扉が開くまでの間、咄嗟に顔をごしごし拭いて真面目な顔を作る。こいつは下手をすれば本当に〈DRS〉で叫びかねない。冷静に対処しなければ。
部屋の中に入ると奇妙な光景が広がっていた。
まるで巣の破壊前のように普通に研究に励んでいる者ばかりだ。
カイゼルがやってくると電志は尋ねてみた。
「みんなずいぶん真面目なんだな?」
するとカイゼルは何でもないとばかりに首を振る。
「いや、ここは変態ばかりだからさ。遊びに行くより研究……というか遊び=研究って奴ばかりだからね。巣の破壊後もここは変わらず、だよ」
「そういうもんなのか……真面目とは微妙に異なるんだな。まあそれはいい、それより……アレはできたか?」
電志が本題に入るとカイゼルはニッと笑顔を見せた。
「まずは僕を楽しませてからだよ……!」
こいつはこんな時でもブレないのか、と電志は額を押さえた。
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