第67話

 大人の余裕、というやつだろうか。

 恥じらいが無くなった、というよりは『手慣れた』感。

 ジェシカからそれを見せ付けられ、セシオラは悔しさを噛み締めた。

 大人の女。

 それにはまだまだ自分が遠いことくらいは自覚している。

 しかしこれほどのものなのか。

 この人と話せば話すほど自分が子供だと思い知らされている気がする。

 心の中では『勝てない』という言葉がぽつぽつ生まれ、それを必死に打ち消していた。


 セシオラは近くのテーブルにマイバッグを置きながら会話を続ける。

「そこまでしていて……」

「うん?」

 ジェシカもすぐ隣にカゴを置いて応じる。

 二人は並んで腰を下ろした。

「そこまでしていて、まるで夫婦みたいですね」

 ふてくされた言い方でセシオラがそう言うと、ジェシカが肩を竦めた。

「夫婦どころか、付き合ってもいないわ」

「……本当ですかっ?」

 急にセシオラのテンションが上がる。

 七星の隣のポジションにチャンスがあるかもしれない、と思えたからだ。

 そんな心境をまるまる見抜かれてしまい、ジェシカが口を押さえて笑った。

「本当よ。安心した?」

「っ……いや、それは……あの、はい」

「素直でよろしい」

「ジェシカさんって、けっこう意地悪ですね」

「そうね、子供相手にライバル心を燃やしちゃうなんて」

「子供じゃないです」

「はいはい」

「ムー……だいたい、それなら何故付き合わないんです?」

 それはねえ……とジェシカは手で台を作ってそこに顎を載せた。

「こちらの事情をホシさんが大事にし過ぎているからよ」

「…………事情?」

「そう。わたしね、旦那と子供を地球に残してきているから」

 セシオラは目を丸くした。

 それから、意味を咀嚼して、反射的に非難した。

「それじゃ不倫になっちゃうじゃないですか!」

 コインランドリーの中を不穏な言葉が駆け抜けていき、部屋の中にいた何人もの視線が一斉に集まってくる。

 ジェシカはひらひらと手を振った。

「離婚はしてきたのよ。生きて帰れると思ってなかったから、夫に迷惑かけられないしね。嫌いになったわけじゃないけど、仕方なかった。そうしてまでわたし達にはお金が必要だったの。子供の医療費を払うために」

 それを聞いた七星は『旦那がいるんだから、帰ってまた一緒になれ』と言ったのだった。

 離婚はあくまでジェシカが死ぬつもりだったからだろう、と。

 医療費と聞いてセシオラは複雑な気持ちになった。

 ジェシカの口振りからすると、莫大な金額なのだろう。

 子供が難病に苦しんでいたりするのかもしれない。

「そんな事情があったんですね……」

 セシオラは重々しく受け止めた。

 泣き笑いのようにジェシカは微笑み、上着のポケットから棒菓子を取り出した。

「そう。だからね、ホシさんとは何も無いのよ。この棒菓子を渡し続けるだけ、それが限界」

 セシオラにとってその情報は非常に良い知らせのはずだった。

 だが素直に喜べない。

 ジェシカと七星には強い絆が見える。

 でも互いに背を向けていなければならないなんて。

 それは切ない気がした。


 コインランドリーを出てセシオラとジェシカは歩いていく。

「噂についてはどう思いますか?」

「ああ、あれね。分からないわ」

「……分からない?」

 セシオラはジェシカの横顔をうかがった。てっきり、あり得ないと言うと思ったのに。

「無いと思いたいけど、地球に恨みがあるのは確かだし」

「えっ……そうなんですか?」

 セシオラは驚いた。単なる作り話ではなかったのか……

 そこで、いつかの七星の顔を思い出す。

 セシオラが地球人は嫌いかと問い、七星が嫌いだと答えた時の。

 憎しみすら感じさせるほどの鋭い眼光。

「そうよ。わたしだって何度も聞かされたもの」

 そうだったのか、とセシオラは思った。

 ジェシカほど七星の近くにいる人間の情報であれば、そうなのだろう。

 しばらく靴音が響く。

 通路にはぽつぽつ人がいて、洗濯物を持って帰っていく人やこれから持っていく人が多いように見受けられた。

 中には食料品の詰まった袋を二つも下げている人もいる。

 きっと蚤の市から帰ってきたのだろう。

 ここにいる人達は、もうみんな噂を知っているだろうか。

 そして噂をどう受け止めているのだろう。

 セシオラは意地悪な質問を思いついた。

 試すようにそれを訊いてみる。

「もし、本当に地球と戦いになったら……どうするんですか?」

 七星が決めた戦い。

 この人は勝算が無くても七星のために戦うのか。勝算と恋、どちらを取る? やはり恋だろうか。わたしなら恋だ。

 すると、ジェシカは迷わずに。

「地球側につく。子供のために宇宙へ上がったんだしね。たとえ何億キロ離れていたって、母は子を守るものよ」

 その言葉には静かな凄みがあった。

 鳥肌が立つほどのパワーを感じた。


 勝算など関係なかった。

 恋すらも関係なかった。

 母は強し、という言葉が厳然とそこにあるだけだった。


 セシオラは圧倒されて何も言えなくなった。

 それを見てジェシカは緊張を解くようにふわりと笑った。

「まあ、ホシさんのことだから無いと思うけどね。だって、戦えば【アイギス】のみんなが危なくなるもの。ホシさんはみんなを家族だと思っているから」

 既に雰囲気は元のジェシカに戻っている。

 しかし先ほどの凄みの余韻はセシオラの中に残っていた。

 ジェシカがどれほどの覚悟で宇宙に上がってきたのか、分かった気がした。

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