第48話

 旗艦【グローリー】を始めとして艦艇が次々と転進していく。

 巨大な船体に納まった推進装置が全力運転を始める。

 火星の引力や地球の位置、そして【アイギス】の位置などを計算に入れた針路で航行開始。

 遠方から見れば沢山の輝きが渡り鳥のように飛んでいく光景となるだろう。


 公転周期や公転軌道の関係で、火星と地球との距離は約5600万キロメートルから4億キロメートルと幅広い。

 互いが接近し、距離が短くなっている状態で帰還できるように作戦の行程は組まれている。

 このタイミングを逃すと最悪で二年近く次の接近を待たねばならない。

 そうした時、食料はどこまで保つかという切実な問題が出てくる。

 宇宙進出の黎明期では実際に事故があった。

 火星に調査に行って帰ってくるだけの調査プロジェクトだったが、船体故障で帰還が二年近く遅れた。

 1000人を乗せた船で食料もふんだんに積載していたが、遅れが発生すれば当然食料が致命的に不足する。

 帰還した船には生存者は3人しかいなかった。

 わずかな食料を巡って繰り返し戦闘が発生したようで、船内はおびただしい血痕と亡骸で彩られていたという。

『家に帰るまでが遠足です』という言葉が大昔からあったらしいが、それが宇宙ではよりシビアに適用されているのだった。


 初日の調査を終えた翌日。

 電志は朝、いつも通り〈DDCF〉へ顔を出した。

 極秘任務を気取られないようにするには、日常を日常として過ごさねばならない。

 当面は昼過ぎまで〈DDCF〉で過ごし、夕方から極秘任務のための秘密の部屋へ向かうということになっていた。

 電志は部屋を眺めてみるが、今日も〈DDCF〉には人が少ない。

 することが無いのだから当然だろう。

 しかし、このだらけた空気もどれだけ続くだろうか。

 遊ぶと言っても船内でできることは【アイギス】よりも少ない。大抵の選択肢を消費し尽くしてしまえば逆に遊び疲れてしまう。今は良いかもしれないが、何日かすれば自然と〈DDCF〉へみんな戻ってくるんじゃなかろうか。

 そんなことを思っていると愛佳が話しかけてきた。

「電志、仙人みたいに何か考え事でもしているのかい?」

「ああ、人は自由を与えられても自由になれるのだろうか、と思ってな」

 電志が真顔でそう言うと愛佳が怪訝な顔をする。

「そんなことを考えていると脳が腐るよ」

「割とこういうことは頻繁に考えているんだが、幸いなことにまだ腐ってはいない」

「開けて見てみないと分からないじゃあないか」

「開けたら痛いだろ」

 またいつもの感じだな、と電志は思う。哲学的な要素を含むとこいつは話に乗ってこない。それよりも楽しい話をしよう、が信条だからな。こうした話はシゼリオにするべきだったか。あいつは自身のチームメンバーをどう見ているんだろうな。

「与えられた自由でなく、勝ち取った自由なら良いんじゃないの?」

 愛佳が唐突にそんなことを言った。

 小難しい話に愛佳が真面目に返してくることなど露ほども予想していなかったため、電志は固まってしまう。これは意表を突かれた。

「愛佳は……いや倉朋は、真面目に返すこともできるのか」

 意表を突かれたことで思わず愛佳のことを名前で呼んでしまい、慌てて訂正してしまった。微妙に恥ずかしい。

 すると愛佳は得意になって胸を張るのだった。

「おやおや電志、ボクのことを下の名前で呼ぶなんて随分とアグレッシヴじゃあないか! ボクはいつキミのモノになったんだい?」

「…………うるさいな。それより、勝ち取った自由か」

「意味が全く違うんだよ、与えられたものとは」

「受動と能動か」

「主体がどこにあるか、とも言える。勝ち取ったものというのは……その先がある。というか、『その先』のために勝ち取るんじゃあないかい」

「む……順番が違うのか」

「目的と手段が明確な場合はその針路も同じく明確になる。でも目的が無いならどこに針路をとれば良いのか分からない」

「だからどうして良いか分からなくなる、か……」

 電志は顎に手を添えて今の船内を思い浮かべた。

 とりあえずすることが無いから楽しむ、という光景。

「でも、〈コズミックモンスター〉から勝ち取ったものではあるんだよな」

「文章上はそうさ。でも、『その先』を見据えての手段だったかい?」

「…………いや、手段ではなく目的だったか」

 誰しも〈コズミックモンスター〉がいなくなった後の世界を想像していなかった。いや、想像できなかった、と言う方が正しいか。〈コズミックモンスター〉を倒すことが目的があり、その先が無かった。今の状況がふらふらしているのも、そのせいかもしれない。とはいえ、俺を含め幾らかの人間は『その先』が定まったため、そこへ針路をとることになったのだが。

「エリシアさんは目的が無いなら作れば良い、という方式で課題を出したから、そういう意味では凄いよね」

「そういえばエリシアのやつ、班に何かやらせているんだったか」

 エリシアの班に目を向けてみると、誰も欠けていなかった。

 全員が顔を揃えている班は電志班とエリシアのいるサントス班だけだ。

「でも、何日間かは遊びに行かせても良いと思うけどね」

「そうだな。エリシアの場合やり過ぎる悪癖があるからな。一週間くらい班員に暇を出しても良いのに」

「ああいう真面目で余裕の無いやり方をする人が中心にいると周囲は大変だよ。いつも張り詰めた風船みたいで息苦しい。それでいて本人は自分が正しいと信じて突っ走ってしまうからね」

「ああ、そりゃまさにあいつの性格……」


「聴・こ・え・て・ま・す!」


 エリシアがわなわなと震えて怨嗟の声を上げた。

 隣同士の班なのだ、聞き耳さえ立てていれば聴こえるものは聴こえるだろう。

 逆に意識して聴こうとしない限り聴こえないはずだが。

 エリシアは音を立てて立ち上がり、電志たちのところへのしのし向かってきた。

「あのね、わたしこれでも丸くなった方なのよ? 以前は班員が席を立つ度に時計で離席時間を計っていたし、日中ウトウトしている者には厳しく叱りつけていたわ。それに比べたら今なんて随分緩くするようになったんですからね!」

「以前が酷過ぎるな。周囲は迷惑だっただろう」

 電志は呆れ顔でそう言った。真面目なのは良いが、それを周囲に押し付けるのは迷惑でしかない。一定の余裕が無ければ効率はむしろ悪くなる。一人だけ突っ走っても周囲の士気が低くなるからだ。俺が真面目なのはあくまで設計に対してだけで、愛佳の離席や遅刻などにいちいち口を出したりしない。そういったものは仕事の質に一切寄与しない。質を上げたければ中心人物がすべきことは周囲を厳しい戒律で縛ることではなく、周囲が快適に過ごすための環境作りだ。

「だーかーら! 今はもう丸くなったの! 今出している課題だって午前だけやったら午後は自由にしてて良いって言ってあるんだから!」

「それは、随分と変わったもんだな」

 よくよくサントス班を見てみると、メンバーの表情が柔らかいことに気付く。

 以前はみんな余裕の無い表情でいつも何かに追われていて、士気が低いのが傍目からでも分かったのだが。

 本当に丸くなったのだろう。

 そして丸くなった当人は、恥じらうようにもにょもにょと呟いた。

「あなたの影響でこうなったんですからね……」

「俺の?」

 電志は首を捻った。何か教えたつもりは無いのだが、隣の班だからこちらを見て学んだのだろうか?

 そんなことを考えていると、愛佳から足を踏まれた。

 理不尽だ。

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