第49話
夕方になると電志はエリシアと一緒に部屋を出た。
その直前で愛佳にシャバンが話しかけ始めたので、すんなり出てこられたのだ。
シャバンが愛佳に話しかけたのも、エリシアが仕組んだことである。
いかにして極秘任務から愛佳を遠ざけるか、それが目下の心配事だった。
「こうして歩くのも随分久しぶりね」
エリシアがそんなことを言うので、電志は昔を思い出した。
「以前はあいつもいたがな」
クローゼという男がいた。
その男と三人でいるのが電志たちにとって自然な形だった。
クローゼとはどんなことがきっかけで仲良くなったんだったか……と電志は記憶の糸を手繰る。
その糸は終端に『四年前』というキーワードをぶら下げていた。
中学一年の頃の話だ。非常に単純な話だった。クラスの奴らはまず最初に俺のことをファーストネームから呼ぼうとした。それが嫌でたまらなくて、片っ端から俺は説教して回っていたんだ。ファミリーネームを先に言えってな。まあ今にして思えばガキっぽい過剰反応ではあった。しかし今でも嫌なものは嫌だ、それは変わっていない。これはポリシーだな。それは置いておくとして、クローゼのやつは初日を休んだのだ。
クローゼは周囲の名前を憶えようと声をかけていく。そして後ろに座っている電志の方へと顔が向いた。どうせこいつもファーストネームから呼ぶのだろう、と俺は身構えた。こいつに言えばもうファーストネームから呼んでくる者はいなくなる。
『レンジ・デンシか、よろしくな!』
クローゼは意表を突いてファミリーネームから呼んだ。
そう、それだけ。本当に些細な事だ。
それだけで仲良くなった。後で聞いたら『読み間違えた』などと言われてがっくりきたものだが、それが本当かどうかは分からない。
通路を歩く電志とエリシアに暗さは無い。
既にいっぱい悲しんで、いっぱい苦しんだ。
エリシアはずっと引きずっていたが、それもコスト低減コンペを通して乗り越えた。
今はただ、巻き戻せない時間を懐かしむだけだ。
少しの苦さや、もの悲しさを飲み込みながら。
「最近ね、クローゼが夢に出てくるようになったのよ」
「そりゃまた……化けて出てやるとか言ってるのか?」
「まさか! 穏やかよ、彼は。ただ穏やかに、ニコニコしているの。不思議よね……彼のためと思って必死になっていた時期は全然出てこなかったのに、最近になって、丸くなってからは出てきてくれるようになったの」
「夢は心理状態も影響するのかね」
「そうだと思うわ。単に頭を整理する時の偶然というだけじゃなく、心理状態も大きく影響していると思う。非科学的だけど」
そう言ってエリシアは自然な笑みを見せた。そんな顔もできるんだな。
「そういう顔をしてりゃモテるのに」
電志が意地悪な笑顔で指摘すると、気の強い彼女は眉をピクリと動かした。
「あなたに言われたくありません!」
そりゃもっともだ、と電志は納得する。俺も笑顔は無かったな。もっとも、笑顔を押し出したところでモテるかは疑問だが。下手に笑うと笑顔すら怖いと言われそうだしな。
通路ではまばらに人が歩いている。
そこで、前から来た二人組の男子の話が妙に耳に残った。
「でさあ、本気で地球と戦争やるとしたらどうする?」「つーか戦って勝てんの?」「地球軍が宇宙に上がってくる前に叩けばやれるんじゃねーの?」「総司令ならガチでやりかねないから怖いよなー」
二人組の男子が通り過ぎるのを確認し、電志が肩を竦めた。
「『総司令が地球侵攻を考えている』という噂か」
「そのようね」
もう少し歩くと十字路の所で壁に寄りかかり三人組が話していた。
「なあ【アイギス】に帰ると見せかけてそのまま地球に攻め込むんじゃね?」「戦いが無いとこの艦だってお役御免になっちまうんだってよ」「じゃあ戦い続けないと俺達も仕事からあぶれちまうの?」
三人組のいる所を通り過ぎて、電志は再び口を開く。
「ずいぶん広まってるんだな、噂」
「噂とはそういうものよ」
「そういうものか」
「あなたは特別こういった話に疎いじゃない。噂なんて一切信じないし」
「まあ、そりゃそうだが」
「こういった話に乗ってこない男はモテないわよ?」
「うるせー、さっきの意趣返しか」
別に、今は一人にだけモテれば良い。だが、愛佳ももしかしたら噂話とかしたいタイプなのか? 俺がその手の話に乗らないから密かに不満に思ってたりするのかな……もしそうならちょっと考えないといけないな。しかし微塵も信じていない噂話について語れるか? 無理だろう。それには演技が求められる。役者の領分だ。俺に役者の才能は、無い。
「さて、どうかしらね?」
エリシアはふふんと得意になって前髪を後ろへ払った。こうした仕草は彼女の癖だ。『してやったり!』な時に発動する。確か最初に会った時からこの癖があった気がするな。中学生の時、中間テストや期末テストでは大体エリシアが俺やクローゼより成績が良かった。そして毎度の如く『あらあなた達、情けないわね』と言って髪を払っていたのだ。そんな彼女を見てクローゼは『エリシア嬢』なんてあだ名を付けていたな。懐かしい。
二人の靴音は軽快なリズムを刻んでいる。
そこで電志は、あることに気付いた。
歩く速度だ。
エリシアと歩く時は、愛佳と歩く時よりも速い。
エリシアの方が合わせやすいと思うのは、昔に慣れてしまったからだろうか。
電志は〈DDCF〉を出る前に愛佳とした話を思い出した。
自由について。
与えられた自由と勝ち取った自由は意味が違う。
隣を歩く女の子は、どう思うのだろうか。
「エリシアは、今を自由だと思うか?」
「思うわ」
キッパリと彼女は言う。キッパリはっきり、という性格だから彼女らしい返答と言えるだろう。
「勝ち取った自由と与えられた自由、どっちだ」
「わたしにとってはどちらでも構わないわ」
「ほう……?」
「わたしの尊敬するアーティストはね、暇になると作曲を始めるの。その人が作曲を始めたキッカケもそのままズバリ、『休みの日にすることが無かったから』なのよ。なにも勝ち取った自由だけに『その先』があるわけじゃない。人は自由を与えられた時、タイプが分かれると思うの。それは……」
エリシアは指を立てて続ける。
「……何かを創造できる人と、そうでない人。創造できる人は、暇なら暇で何か新しい物を創り出す。わたしもそうでありたい、と思うわ」
そういう捉え方もあるのか、と電志は興味深く思った。
何かを創造できるなら、勝ち取ったものだろうと与えられたものだろうと『時間さえできれば良い』。自力で有効活用できるのだから。退役した人が自分の時間を持て余してしまう、という話はよく聞くが、彼女であればその心配は無さそうだな。俺も老後を楽しみたいなら心に留めておこう。良い話を聞けたな。
話している内に、昨日エリシアが見張りとして立っていた場所に着いた。
「エリシアは、七星さんからどこまで聞いているんだ?」
電志が問いかけると彼女は苦笑する。
「ほんの触りの部分だけよ。悔しいけどね」
「そうか……」
「でも、あなたじゃなきゃ駄目なんでしょう? 頑張りなさい。うかうかしているとわたしの班の方が良い物を作っちゃうわよ?」
そう言ってエリシアは景気付けとばかりに電志の背中を叩いた。
「そりゃ、頑張らないとな」
肩を竦めて電志は歩き出した。
ここからは一人だ。
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