第38話

 居住区を抜けた先に階段があった。

 階段は十人くらいが横に並んで通れそうで、その横には別途スロープも設けられている。

 降りていくと途中に踊り場があり、折り返すと早くも賑わいの片鱗が音として聴こえてきた。


【グローリー】内で唯一の繁華街の機能を持つ、娯楽フロア。

 戦艦の腹の中に納まっていることを忘れてしまうような、戦闘の対極に位置する世界。


 入ってすぐに広い空間があり、大量の個人店舗が立ち並ぶ蚤の市が開催されている。

 本当に自分の使わなくなった物を売りに出している者もいれば、自作の音楽や画像、映像などを売りに出している者、それから正規店の八百屋や肉屋などさまざまだ。

 売買という行為はそれ自体が人に高揚をもたらすのか、雑踏の中にもある種の期待感というか、ワクワクした心情が飛び交っているように見える。

 買う側は自分を満足させてくれる物との出会いを期待し、売る側は用意した物が一つでも多く売れることを期待し、それらの視線が幾重にも交錯し、熱気を生み出している。

 熱気は放射状に走っていき、目に映らないドームを形成。

 ドームの内側に足を踏み入れれば、むわっと温度が変化したことを身体器官が察知できるほど、その内側と外側に明瞭な違いを認識できるだろう。


「電志、ここを全て見て回ったらどれくらいかかるか計ってみたくないかい?」

 愛佳が間近にあった店でイラストを眺めながら話す。

 イラストは〈コズミックモンスター〉を擬人化したもので、女の子に翼の生えたもの。

 WVワイバーン級をもじって『ワイバーンきゅん』と書いてある。

 二人組の男子がそれを見て『マックス氏のワイバーンきゅんも良いがブラウン氏のワイバーンきゅんもなかなかですな』などと熱く語り合っている。

 なるほど、と愛佳は納得した。どうやら『ワイバーンきゅん』は複数の人が描いているイラストなんだね。絵師によって画風も違うからマイフェイバリットも個人によって違うわけだ。設計で言うとボクらは絵師の立場になるわけだね。電志の設計した機体は〈DPCF〉でもコアなファンがついているからなあ。

 イラストをチラ見して電志はすげなく言った。

「十分だ。俺はな」

「それは何も見ないでひたすら歩き回った時の時間じゃあないか。ボクなら三時間は固い」

 次は個人制作のゲーム。

 星を踏み台にしてジャンプすると宇宙の外側へはみ出て未来の力を得られるというもの。

 未来の力で別の星を覗き、その星の人間を一人だけ操って星を征服していくという気の長いシミュレーションゲームだった。

 星を踏み台にしているところから、かなりの巨人が想像される。

 電志はそれを見ると首を傾げ、すぐに他へ目を移した。

「目的の物を早く買おう」

、と言ったら……?」

「意味無く意味深な言い方をするな。俺、奥のカジノで遊んでて良い?」

 娯楽フロアというのはダテではない。

 娯楽を体現した施設もちゃんとあるのだ。

 閉塞空間で発散できるように割と派手なギャンブルができるようになっていた。

 ただし所持金が管理されているため生活に必要な金を下回ってしまうほどやろうとすると自動的にロックがかかってしまう安全対策済み。

 生粋のギャンブラーは『それだと緊張感がない』と苦情を申し立てているようだが、【アイギス】社会には大きな負債を作られてもそれを補える余剰が無い。

 地球に比べて格段に小さな社会でうまく循環させていくしかないのだ。

 そのため格差も地球に比べずいぶん小さく済ませることができているという利点もある。

「電志は自堕落だね、昼間っからカジノなんて」

「カジノに併設されているメダルゲームなら少額で暇を潰せる」

「ボク達の社会はうまく循環させていくしかない。それには協力が不可欠だ。だから電志はボクの買い物に協力すべきだと思うんだよ」

「なあ、何でマトモな話をむりやり個人的な要望に繋げるの? 話の後半のせいで話の前半が台無しになってるんだけど」

 そんなの決まっているじゃないか、と愛佳は肩を竦めてみせた。

「都合が良いからさ」

「このご都合主義者め」

「この論理主義者め」

 反発しあっているのに何故か引力に引かれあう二人だった。


 益体もない会話をキャッチボールしていると八百屋へ到着。

 居住区で会話した短髪あごひげの男性が商品を陳列している最中だった。

 男性は箱からトマトを取り出しているところで気付き、笑顔を見せる。

「おお来た来た。いらっしゃい! 今なら状態の良いのが揃っているよ」

「くふふ、入念に選ばせてもらうよ。このボクの審美眼でね……!」

 愛佳は得意気に手をかざし、一つ一つ手に取って調べ始めた。

 野菜は買うなら店が開いて間もない頃が良い。時間が経つと鮮度が落ちるし、何より人がべたべた触るからそれだけ状態が悪くなるんだよね。良い状態の物から売れていくから残った物は必然的に状態の良くない物になるし。『残り物には福がある』という言葉は仁義なき野菜争奪戦の前ではその限りではないのさ。

 そうしている間にも徐々に人が集まってくる。

 中年の女性がきゅうりを真剣に選別し、神経質そうな男性がたまねぎを裏返し厳しい視線でチェックする。

 太めの男性がさっさとカゴに欲しい物を放り込んでいき、高齢者の女性が店主に欲しい物を諳んじると店主がそれに応えて商品を代わりに取ってあげていた。

 蚤の市の中では広いスペースを誇る店内はにわかに活気付く。

 支払いは簡単で商品の入った箱をレジに置くと自動スキャン&自動支払い。

 置いてからコンマ一秒で支払い終了。

 愛佳は商品を吟味しながら今後の献立を組み立てていく。

 だいたい一回の買い物で二~三回分作れれば良い。

 朝と夜は食堂で済ませ、昼だけ弁当を作る、というのが通常だ。

 それ以外は気が向いたら、というか思い立ったら突然作り出すのも通常。

 電志は付き人のようにカゴを持って横に立っていた。

「電志には鉄分とビタミンと愛想が足りないと思うんだ」

 パプリカをカゴに入れながら愛佳が言うと、電志が淡々と応じる。

「最後のは栄養素に聴こえなかったんだが」

「どうやら仲間ハズレみたいだね。でも仲間ハズレは良くない。ちゃんと愛想も摂取するんだ。そうしたらキミの愛想も良くなる」

「俺の愛想を良くしたけりゃ愛想を注射でもするしかない。さすがに血管に直接ぶち込めば愛想も良くなるだろう」

「電志のことだから拒絶反応を起こすんじゃあないかい?」

 レタスをカゴに入れながら愛佳が言うと、電志はふぅむと顎をいじった。

「俺のマクロファージは愛想がお嫌いか」

「駆逐するだろうね、ウイルスと一緒に」

「じゃあどうすりゃ良いんだ俺は?」

 今度は愛佳がふぅむ、と口に指を当てた。

 それから手に持っている物を見て、それをお手玉した。

 お手玉したのは、味噌のパックだった。

「……脳味噌を取り換えるしかないんじゃあないかい?」

 電志は味噌をちらりと見て、複雑な表情をする。

「そうしたらもう、それは俺じゃない気がするな」

「まったくだ。電志らしくないという意味でも、それは電志本人なのかという意味でもね。どこまで行っても、電志は電志のままが一番良い」

 愛佳がちょっとはにかんで電志を見つめる。

 すると、青みがかった髪の少年は目を逸らして頬を掻いた。

 小さな声でぽつりと言った。


「……お前もな」


 愛佳は胸の辺りをぽかぽかさせ、含みの無い笑顔を浮かべる。

「さあ次は肉屋へ行こうじゃあないか!」

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