第39話

 買い物が終わると、愛佳たちは奥のカジノ側へと足を踏み入れた。


 近付いていくにつれ、耳を満たしていた音の質が変わっていく。

 雑踏の性質から、鳴り響く遊び場のそれへ。

 シャボン玉のごとく空間に満ちる会話の群れから、手招きするように絡み付いてくる刺激のそれへ。

 耳を満たす気配から、耳に侵入してくるそれへ。


 空気が変わるとは、そういうことだ。

 音は空気の振動で伝わっていくのだから、生成されている音ががらりと変わればその空気が満たす空間もがらりと変わる。

 照明も全く違う。

 蚤の市は白い照明だがカジノでは橙に近付けてあるし、照明には笠もついていてわざわざ地面に影を作っている。

 BGMも違う。

 明るい曲に時折タイムセールの告知も挟まれるのが蚤の市だが、カジノでは落ち着いたものやサックスなど大人の雰囲気だ。

 これはもう、世界が違うと言って良い。

 ドーム状に形成された蚤の市の世界から、別の世界へ渡ったのだ。


 ルーレットやポーカー、スロットなどの台は盛況だ。

 さまざまな挑戦者たちがディーラーの一挙手一投足に熱い視線を送っている。

 ディーラーは素人に毛が生えた程度のバイトだと公式には謳っているが、実際はどうだか分からない。

 とりあえずディーラーたちは顔半分が隠れる程度の仮面を着用しているので雰囲気は出ている。

 巣の破壊作戦の時から大幅に利用者が増えたようで、死ぬかもしれないから可能な限りつぎ込んでしまおうと考える者が続出した。

 地球の戦国時代では合戦前に兵士達が賭け事をするのを武将たちは黙認することがあった、何故なら負けた者が『敵を倒して装備を剥ぎ取れば次の博打ができる!』などと必死になって活躍してくれるだろうなんていう目論見があったからだ、という説もある。

【グローリー】でも賭け事は禁止されなかったが、果たしてそれと同じかどうかは分からない。

 今は作戦が成功し、開放感からちょっと遊んでみよう、そしてハマる、という人が続出している時期のようだ。


 蚤の市とは違った熱気に包まれたフロアを眺め愛佳は話す。

「次に買出しに来る時に豪華にするためにはハイリクスハイリターンという手段もあるね」

 それに対し電志の反応はそっけない。

「【グローリー】の中で豪華を求める必要は無いだろう」

「でもわずかながら高いお肉とかもある」

「無理して食うこともない」

「あそこのスロットが二台だけ開いているよ、ほんのちょっとだけやっていこう。運試しだ」

「運か……」

 微妙に興味を示し始める電志。よく分からないけど『運』という言葉に反応したようだ。食いつきが良いならそこを攻めるまで。

「そう、運だ。電志、物事は全て運だ、努力なんて無駄だ。さぁ運に身を任せようじゃあないか!」

「どさくさに紛れて努力を貶めるな。しかし運試しというのは魅力ではあるな……けっきょく設計でもどれだけ自分が完璧にやれたと思っても、最後は運だ。どうなるかなんてのは結果が出るまで分からない。そんな万事の不確定な鍵となっている運って存在は割と好きなんだよな」

 どうやら運の不確定さが好きらしい。普段論理思考だから不確定なものに惹かれるのだろうか。

「へえ、おみくじとか好き?」

「毎年一回、年初に引いてそれを一年間保管する。枕カバーに入れたりしてな。信じちゃいないんだが、大吉が出たら嬉しいし、『こんな結果が出た』っていうところに楽しみを見つけてるんだよな。『数ある結果の内、自分が何故それを引き当てたのか』って考えるのが面白い」

「さあ台が空いている内に行こう」

「人に説明させておいて無視かよ。奔放な奴だな」

「ボクは会話の流れを断ち切ることにかけては天下一品さ」

「会話の流れを円滑にしてほしいと俺は要望する」

「その訴えは棄却だ。裁判長も裁判員もボクだからね」


 席に着いてまず認証を行う。

 認証するための装置が腕の高さにあるので、そこに自身の腕輪をかざせば良い。

 これで個人の情報がアクセスされ、使っても生活に支障をきたさないボーダーラインも計算される。

 愛佳はその場の勢いで台に着いてしまったが、とりたててプレイしようと思ったわけではない。

 だから隣の仏頂面がプレイする様を見ることにする。

 電志は隣からの視線に気付くと照れ隠しのように口元を歪ませた。

「どうせ当たらない」

 言外に『期待するな』と込められた言葉。

 まるで予防線みたいな言葉に愛佳は疑問を持った。

「確率で言えば当たるかもしれないし当たらないかもしれない……電志ならそう言うと思ったんだけど」

 すると電志は頬を掻いて、口ごもるように返した。

「……俺は確率の女神には好かれていないようでな。昔からビンゴとかくじ引きとか、大体ダメだった」

「でもおみくじで大吉出たこともあるんでしょ?」

「たまーにな。本当に、たまーにそういうことも、ある」

 それなら、と愛佳はスロットマシーンを指差した。

「今回も、その『たまーに』だ」

 意味も無く得意気に豪語するのは得意技だ。ダメならダメでも良いけど、これで何かうまくいきそうな気がする。気分は大事。

 電志は応えず、肩を竦めてプレイを開始した。

 そうしたら、三回もプレイしたところで当たってしまった。

 じゃらじゃらメダルがマシーンから排出されてくるので、愛佳がメダル入れを取りにダッシュ。


 あっという間に数百枚のメダルになった。

 メダルのレートを考えるとこれで高級肉の二人分は買える。

 後は集めたメダルを預けるための機械に放り込めば換金してくれるのだが。

 そこで愛佳は提案した。

「電志、換金はやめて景品にしよう」

 換金しなくても、メダルに応じた景品をもらうこともできるようになっている。

 その景品は〈コンクレイヴ・システム〉で確認できるので画面を出した。

 景品の中から迷わず一つのアクセサリーを選ぶ。

 それは、イルカの彫刻があるネックレス。

 電志は何秒か思案した後、尋ねてきた。

「まさかこのために?」

 その言葉に愛佳はいたずらな微笑で返す。そう、さすが電志だね、気付いたか。

 カジノへ電志を連れてきたのも、強引にスロットをさせたのも、景品が欲しかったから。

 それを他ならぬ電志にプレゼントしてほしかったから。

 電志はメダルをカウンターへ持って行き、景品に交換してきた。

 愛佳は後ろを向き、ネックレスを着けてくれと催促する。

 戸惑いを見せる電志だったが、やがて面倒くさそうに愛佳の首へ着けた。

 手が震えているのか鎖を留めるのに三回も失敗していた。


 愛佳は鎖骨の下くらいの高さで光るイルカの彫刻を手のひらに載せた。

 それから目を瞑って優しく握りこむ。

 大切な宝物ができた。

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