第37話
愛佳たちは〈DDCF〉を離れ、居住区へ向かった。
買い出しは下の階層に行かなければならないが、まず居住区を抜けなければ下の階層へ行けない。
【アイギス】の時も風景は味気ない箱が並ぶだけだったが、【グローリー】の方は通路の脇に扉が並んでいるだけなので更に拍車がかかっていると言えるだろう。
完全に最低限の機能さえ有していれば良いという声に質量を与えただけの空間が構築されている。
祝勝会の余韻を宿していたお菓子の袋や空き瓶なども片付けられ、きれいになっていた。
散らかっていた時と今を重ね合わせてみると、今は味気なさが強調されて見えていることに気付く。
きれいに整い過ぎているのも考え物かもしれない。
だがあまり散らかっていると、緊急時にゴミに躓いて転んだりゴミが道幅を狭めて人の交通を妨げたりする恐れもある。
やはり機能的なことを考えるときれいにしておくしかないのだ。
硬質な靴音を規則的に響かせ愛佳たちは進む。
「電志、ボクは思うんだ」
「またロクでもないことか?」
「戦闘機の廃熱で焼き魚ができるんじゃないか、とね……!」
「発進の廃熱だけで消し炭になるだろうが」
「でも焼けるには焼けるだろう?」
「食う部分の残っていない焼き魚を焼いて楽しいか?」
「食べる部分の残っていない焼き魚は焼き魚と言わないよ。あれ? 焼き魚なのに焼き魚ではない……これは、ミステリィだね」
得意気に指を立てる愛佳に電志は二度ほど瞬きをした。
「……食べる部分が残っていなくても焼いたんだから焼き魚だろう」
「でも何も残っていない焼き魚なんだよ?」
「焼き魚が消し炭になる前のコンマ何秒かは焼き魚なんじゃないか?」
「今『焼き魚』ってボクたち何回言った?」
「数え切れないくらい言った」
「焼き魚ネタでよくこれだけ引っ張れたね。とにかく、お皿に盛り付けようとした時に何も無い……それを『焼き魚です』って言って出せるかい?」
そうしたら電志はふぅむと声を漏らし、腕組して考えた。
「焼き魚っていうか……何物でもないな」
靴音だけでは物足りないところへ二人の会話が軽快なリズムを付加していた。
そうしていると、付近の扉が開いて人が出てくる。
「お、愛佳じゃん。これからどこか行くの?」
出てきた人物は〈DDCF〉の女子だった。
靴を履きながら出てきたのか、つま先をトントン廊下に当てて歩いている。
快活な笑顔を浮かべ、スポーツウェアに身を包んでいた。
愛佳は気さくな笑顔でそれに応える。
「やあやあ、ボクはそうだね……警邏といったところだよ。何せボクは【グローリー】の平和を守る使命を背負っているからね。そういうキミは?」
するとスポーツウェアの女子はこれこれ、とラケットを見せた。
「空き部屋使ってバドミントンやろうって話になったの。愛佳も来る?」
「ボクはラケットを持つと無性にソースで相手の目潰しをしたくなってしまうクセがあるんだ。また今度だね」
「それは怖いなあ。また今度ね」
女子が駆けていくと、今度は別の扉が開く。
そこからは作業着の男性が出てきた。
短髪にあごひげの二十代後半といった感じの風貌だ。
その男性は愛佳たちを見るとニヤリとして話しかけてくる。
「おや愛佳ちゃん、真っ昼間からデートかい?」
愛佳は親指で仏頂面を指差し、その流れで男性に尋ねた。
「この男がどうしても荷物持ちに連れて行けとしつこいんですよ。執念深くて後でストーカーにならないか心配です。ああ、今日はこれから店を出すんですか?」
男性の方はうんうんと頷く。
「僕のところはこれからだね。あ、そうそう、今日は魚屋は店を出せないってさ」
「おっと、それはショック。分かりました」
愛佳は軽く驚いてその情報を記憶にメモした。
この男性はいわゆる八百屋のようなものだ。
【グローリー】内での食料事情は【アイギス】と異なる。
スーパーのような規模の店は無く、【グローリー】内のわずかなプラントから収穫した野菜や連れてきた家畜や魚を捌いて出荷、という形になる。
そしてそれぞれ担当者がいて、野菜ならここにいる男性、肉なら別の人、魚もまた別の人……みたいに割り振られている。
それらの担当者が店を出しているのが、下の階層の娯楽フロアだった。
娯楽フロアは奥が文字通りの娯楽施設だが、手前側は蚤の市みたいになっている。
肉や野菜だけでなく、個人出品している店が色々と立ち並ぶのだ。
野菜担当の男性は手を振ると軽い足取りで歩いていった。
それと入れ替わるようにして向こう側から歩いてくる男性が二人。
それぞれ洗面用具を抱えている。
恐らく銭湯帰りだろう。
〈DDCF〉のメンバーのようで、すれ違いざまに軽く挨拶した。
今度はこれから銭湯へ行こうとしている六人組がお喋りしながら追い抜いていく。
近くの扉が開き三人組の女子が出てきてハイテンションで走り出す。
別の扉が開くと掃除のためか荷物を外に出していく二人の男性。
通路の奥からはまばらではあるが歩いてくる人たち。
往来ができ始める。
中年女性が愛佳を見付けると、ちょっと待ってなと言って近くの扉に入り、戻ってくるとタッパーを見せた。
中身はぬか漬けのようだった。
愛佳は歓喜してそれを受け取り、ほくほく顔になる。
ちょっと離れた所ではお隣さん同士でお菓子を交換しあっている姿も見られた。
別の所では壁に寄りかかって三人で井戸端会議なんかもしている。
少し進めばコインランドリーが見えてきて、中では洗濯機が全機フル稼働し、何人もが仕上がりを待ちながら談笑していた。
いつの間にか通路には生活感が溢れていた。
扉一つ一つに暮らしがあり、様々な職種の人たちが生活しているのだ。
散らかってなんかいなくても、味気なくなんかない。
愛佳はそう思い直した。
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