冬至のケーキ
ゆめのみなと
冬至のケーキ
街は、ある宗教の創始者の生誕を祝う祭の雰囲気でにぎわっていた。
冬の寒さを美しさに変える色とりどりの電飾。
白と赤と緑を基調にしたデコラティブなショップのディスプレイ。
華やかさとは無縁でありたい地味な人間までも隙あらばからめとろうとするように、あちらこちらから流れてくる曲は浮き足だつような軽快なリズムを刻んでいる。
これはその、延長なのだろうか、と目の前に置かれたものを見て、彼女は考えこんだ。
どっしりとした濃い色の木製のテーブルに、赤い格子模様のナプキン。
湯気とともにゆたかな香りのたちのぼる繊細な磁器のティーセットと、そろいの皿に載ったケーキ。
そうだ、問題はこのケーキなのだ。
照明の落とされた半地下の店内で、つい先ほどまでカウンターでグラスを磨きつづけていたマスターの姿は、いつの間にか消えうせていた。フロアの同僚も、とうに仕事を終えて皆ひきあげてしまっている。
閉店後の喫茶店に、残っているのは彼女と、向かいあわせの椅子に腰掛けているもうひとりだけだった。
けれど、誰に聞かなくてもウエイトレス歴四年の彼女は知っている。
この店に、ケーキのメニューなど、ただひとつたりとて存在しない。
ということは。
約束の時間に遅れてやってきた青年が、さあどうぞと差しだしたケーキは、どう考えてもかれがわざわざ持参したものなのだった。
それは生クリームで周囲をコーティングされた、ごくシンプルなケーキだった。見た目はまっしろで、ふちどりにしぼり出されたクリームの波が大きくうねっていて、いちおう二段重ねであいだにもクリームを挟んでいるものの、他に飾りというとイチゴがひとつ載っているだけだ。かなり大粒で色が濃く、つややかな光沢を放っているが、特別というほどに変わっているわけではない、たんなるイチゴだ。
「あの……」
「うん?」
けっこう長い沈黙だったと思うのだが、青年はとくに気分を害したふうでもなく、彼女の言いさした言葉に律儀に反応した。反応したばかりか、その相づちにはまぎれもない歓びがにじみ出でていたりした。
約束の時間には守り石のペンダントをはずしていた。それはこの青年の存在を受け入れるためのひとつの儀式だった。なのにそれから不安なままに四時間も到着を待たされたのだから、しばらく不機嫌でいつづけようと思っていたはずなのに、不覚にも青年の笑顔に一瞬たじろいでしまい、彼女は自分を叱咤する。いやいや、こんなことでゆらいではいけない。いまは不機嫌モード、彼女はそう、不機嫌なのだ。
「私……クリスチャンじゃないんだけど」
だから、クリスマスを祝ってケーキを食べる習慣はない。
そんな意味をにおわせつつも、口にしながらほんのすこしの後ろめたさを覚えてしまう。私は甘いものが苦手なのと素直に言ってしまったほうが、あとあと楽なのではなかろうか。
ところが、意識して冷たく返したリアクションに、なぜだか相手は嬉しそうだった。
「そうだね、ぼくもだよ」
思わず向かいを仰ぎ見ると、ブルーグレイの瞳は勝ち誇ったように笑んでいた。
「じつは、うちはクリスチャンだったことは一度もないんだよな」
言われてしまって、そうだった、と思い出す。
きめのこまかい白い肌ときれいにととのえられた少し暗めの金髪、あざやかな碧眼。端正な顔立ちに透けて見え、仕立てのよい服がからうかがわれる育ちのよさ。どこから見ても格式ある教会の早朝ミサの常連のようなたたずまいだが、かれの実家は白い家の宗教よりも古い教えをひたすらに守りつづける、頑固で律儀で特殊な一族なのだった。
だとすると、この時期の唐突なケーキのプレゼントは、いったい何を意味しているのだろう。
「とにかく、食べてみなさい」
穏やかではあるけれど、れっきとした命令口調だ。
断る口実をもとめてためらっていた彼女は、みぞおちに守り石がないことにふたたび気がついて、しかたなしにフォークを手にとる。
やわらかな感触にはかすかな弾力がともなっていた。切り取られた断面からたちのぼる、ふうわりとした香りが、鼻腔をくすぐる。
ふと、胸の奥でかすかになにかがゆれ、彼女は思わずうごきをとめた。
「覚えがあるだろう?」
うながすように言われてするりとひきだされてきたのは、懐かしさとあたたかさに彩られた母親との記憶だった。
「我が家では、冬至にこれを食べるんだよ」
なるほど。
四年前に亡くなるまで、母親が娘のために毎年こしらえていたケーキは、グラファルホルト家にいたときに覚えたものだったということか。
「暗い夜のつづく寒い日に、生まれ変わる太陽と訪れるはずの春を祝って、みんなで白いケーキを食べるんだ」
みんなで、というところで妙に力が入っているのをいぶかしんでいると、かれはつけ加えた。
「だから、きみのために、ひとつケーキを焼いてきた」
スポンジのひとかけを口に入れようとしていた手が、硬直した。
「え?」
ということは、このケーキは、そこらの店で購入されたものではない。
いや、それは母親の味に似ているということだけではなく、見た目のあまりのシンプルさからもわかっていたことだ。これほどまでに簡素なケーキが、売り物になるわけがない。
だが、いまこの青年は、このケーキが彼女のために焼かれたものだと言いはしなかったか。
グラファルホルト家に代々伝わる、冬至のケーキ。レシピを知っているのは、当然、かれの実家の人々だろう。彼女の脳裏に最初に浮かんだのは、かれの祖母の側仕えをしていた若い女性だった。
「まさか、ユリシアさんがつくったの」
ユリシア・カリスの、マルト・ディムナスの巫女特有の無表情な顔が、彼女はかなり苦手だった。投げかけた言葉がなんの手応えもなく、むこう側へするりとぬけてしまうような気がする。ユリシアのケーキを食べている自分というのが、みょうに不思議なかんじがするのは、そのせいか。
「ああ、彼女は毎年焼いてるよ。でも、今年はおばあさまが焼いたらしい」
納得しかけた彼女は、残りのセリフにぎょっとなった。
ユリシア・カリスは巫女であると同時に有能な侍女でもあった。たぶん、ユリシアは日常のこととしてケーキを焼くのだろう。その姿を想像したところで、かくべつな違和感は覚えない。
だが、かれの祖母となると話は別だ。メルツェデス・グラファルホルトは、惑星国家マルト・ディムナスの国王の母親、つまり王太后なのである。
あわててフォークを取り落としかけた彼女に、かれは落ちついてと、湯気のたつティーカップを勧めた。
「おばあさまは、くれぐれもきみによろしくと仰っていたよ。ほんとうはあちらに招きたかったらしいけどね。それは遠慮してもらった」
なにしろ遠すぎる、と、まるで自分の部屋にいるかのように力みのない姿に、かすかな苛立ちがこみあげる。ここは彼女のテリトリーだ。なのに、四年間の経験をもつ彼女より、片手で足りる数しか訪れたことのないかれのほうがリラックスしているなんて、理不尽だ。
しかも、母親の大恩人であるメルツェデスのケーキを、こんなに無造作にためらいもなく、それこそスナックか何かのようにひろげてみせるなんて。
あまりにも無神経だ。
それとも、自分はつまらないことを大げさにとらえて動揺しているのだろうか。
ふと気づくと、かれは頬杖をつきながら彼女の顔を覗きこんでいた。
横からの照明にうかびあがる、すっきりとした彫像のような貌。はめこまれた宝石のような瞳がまっすぐに自分にむかってくる。
行儀の悪さが、普段は勤勉さの陰に隠れているしなやかさと荒々しさとを意識させて、ひどく居心地が悪くなった。
彼女はとりあえず、まなざしから逃げるために手の中のフォークに視線を落とした。
このケーキは、グラファルホルト家に代々伝わる一族のためのケーキだという。王家の信頼を裏切って姿を消した巫女の娘に、その伝統をわけあたえることが意味するものはなんだろう。
マルト・ディムナスは遠い。とても遠い。
手ずから焼いたケーキを届けようという行為は、それだけでなにか特別なものを感じさせる。そんなことを期待してしまう自分に、彼女はすこし驚いていた。
「で、どんな味?」
かすかにうるんできた目を無理矢理しばたたいて顔をあげると、そこにはまだ真剣な面もちのかれがいた。
「どんなって、食べたんでしょう」
「いや、作るだけで精一杯で、味見している時間はなかった」
思わず、彼女は立ち上がっていた。
ブルーグレイの瞳は、いたずらげに微笑んでいる。
「そう、これを焼いたのは僕」
メルツェデスが自分でケーキを焼いたのはほんとうだ、とかれは言った。
初めはそれを彼女に送ろうとしたのも事実であるらしい。しかし、いかんせんマルト・ディムナスは遠かった。輸送技術は時代に合わせて進歩してはいるものの、ケーキひとつを地球まで届けるためにはそれ相応の時間とコストがかかる。
というわけで、マルト・ディムナスの皇太后は、グラファルホルト家直伝ユールのケーキのレシピを孫息子に送りつけた。
青年は地球についたところでレシピを受け取り、指示されたとおりの材料を求めて走りまわったようだ。忙しい身体で、こうして目の前にいることすらかなりの努力の結果であるはずなのに、貴重な休みをケーキを焼くために費やしていたなんて。
めまいがした。
くすくすと笑いながら話すところをみると、どうやらかれはケーキ作りにセキュリティガードまで巻き込んで、けっこう楽しんでいたらしい。
「……どうりでクリームの塗り方があらっぽいと思った」
「いやいや、見てくれを気にしてはいけない。大切なのは中身だよ」
どの口でそれをいうのか、この青年は。
通りを歩いているだけで幾人もの人間をふりかえらせる容貌に、かれの周囲はいつもひやひやさせられどおしだ。
それが、顔は評価対象から外してくれと本気で言うのだろうか。
実生活でかれが自分の見てくれを巧妙に利用していることを、彼女はよく知っている。
いまだって、こうして微笑みかけていれば悪いことにはならないと、ぜったいに計算しているはずだ。
なんと言えばいいものやら、立ちつくしたままの彼女の視界のすみで、なにかが動いた。視線だけ移動させると、スタッフドアの向こうで複数の騒いでいる気配がする。
いったいなにをしているのか、確かめようとするまえにかれが言う。
「感想を聞かせてほしいんだけどな?」
上目遣いに尋ねられ、ここでウソをついたらどうなるのだろうと思いはしたものの、彼女はけっきょく、しぶしぶと答えた。
「……美味しかったわよ」
くやしいけど。
そう、つづけようとしたところで、いきなり歓声にとりかこまれた。
「美味しいってよ! アタシの勝ちね!」
「なんでそこで勝ち負けが出てくるんですか」
「やったー。待ってた甲斐があったー! もうお腹空いて死にそう」
「王子様の焼いたケーキが食べられるなんて、末代まで自慢できるかもー」
「さあさあ、お茶を入れましょう」
大騒ぎをしながらスタッフドアからわきでてきたのは、とうに帰宅したと思っていた同僚たちだった。手に手に自前のカップと見覚えのあるケーキをのせた皿を掲げ持ち、それぞれ好みの席に着いていく。
「お毒味、ごくろうさまでした」
銀髪のウェイトレスに目の前をよこぎりがてらにウィンクをされ、ようやく我にかえった彼女は、顔にめいっぱいの微笑みをうかべたままの青年を横目で睨んだ。
「いったい、どういうこと」
「まあまあ、ここはうるさいだろうから、君たちは上へ行きなさい」
怒りにつかみかからんばかりの彼女をなだめたマスターが、青年にホイと二階の自宅の鍵を手渡す。青年は左手で鍵を受け取り、右手で彼女の腕をつかまえると、店よりも居心地がいいという説のある、マスターのダイニングキッチンにたどりつくまで、手を離そうとしなかった。
「遅れてごめん」
腕をふりほどこうともがいていると、さらにつかむ力がつよくなり、かと思うと、次の瞬間には自由になっていた。
「怒っているのは、そのことだろう?」
なのに解放されたというよりも急に離れていった感覚に驚いて、彼女は胸元をまさぐり、ふたたび思い出した。
きょうはお守りをしていないのだ。いつもは母親から受け継いだ能力ごと彼女を安定させ、安心させてくれる紅い守り石。だが、青年のちからと彼女のそれは補いあっておおきく影響しあってしまう。制御を学んだことのない彼女と、そもそも制御することを求められていないかれ。それぞれの守り石が効果を増幅してはたいへんだからと、心細くても自分の意志で外してきた。
なのにどうして、感じるのだろう。
うろたえている理由に思いあたったのか、かれはもう一度、たしかめるように彼女の手をとった。
かれの大きな手からじんわりとつたわってくる体温と興奮。触れあっているというだけでは説明のできない、自分ひとりのものではないべつの喜びがかさなりあってくるなり、ふたりを大きくつつみこみはじめる。
「当然じゃない。約束は二時だったのに」
陶然としてほとんど忘れかけていた演技の理由をぼんやりと口にしているうちに、かれは自分のふところから片手で器用に鎖をひき出して、ぬくもりを残したそれを彼女の手首にからめた。鎖の下でゆれる青い石は、四年前に彼女が母親から形見として受け取ったもの、そののち紆余曲折を経て正当な持ち主であるかれに返却したもの。そして、そのかわりに彼女自身のいまは外している守り石を得たものだ。
紅い石とは正反対に彼女の力を抑制するアクアマリンの作用で、尖りつつあった感覚が凪いでゆくのを感じながら、彼女は決意を持って前を見あげた。
おなじように内側に焦点をむすんでいたかれのまなざしが、水面に浮かびあがるように生気をおびてくる。
「待っていたんだから、ずっと」
共鳴は遠のいていった。
おおきな安堵とすこしの名残惜しさにつないだ手をひきよせながら、怒ったふりをしているはずのくちもとが味わったばかりの感覚にほころんでゆくのを感じていた。
いったい、今夜はなんて夜なんだろう。
かすかに触れたかれのくちびるも、楽しそうに端があがっている。
「冬至のケーキの魔法だな」
「なに、それ」
「そういう言い伝えがあるんだよ。聞かせてあげようか」
「聞きたくない」
「残念。ぜひとも答えてほしい謎があったのに」
「答えないから、言わないで」
「僕がどうしてきみにケーキの味見を頼んだか」
耳元に響く声に預けていた頭をあげると、髪をなでていた手がとまった。
この期におよんで、まだケーキの話をするのかと睨んでやると、かれはくすりと笑って彼女をだきしめた。
「おばあさまからの招待状だよ。おかえり、きみをわれらが
冬至のケーキ ゆめのみなと @moonsong
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