第2話 情熱という名の即売会

「それでは、スタッフは撤収の準備に入ります! お急ぎでない方は、ちょっとだけお手伝いしていただけると大変助かります!」

 のっちさんのアナウンスで、ゼストの撤収は開始された。

 撤収ものっちさんの指示に従って動くことになるようだ。まだ参加者が全員会場を出ていないので、その辺も考慮しつつ動き出す。

 その前に三条さんに簡単に撤収の手順を教わった。

 まずは椅子の片付け。会場に設置してある大型の台車に積み込む。

 そして、ある程度椅子が片付いたら机を専用のキャスターに積み込む。

 平行して会場の壁として使っているパーテーションをバラして片付ける。

 他にも細かい部分はあるけど、最初にやるべき作業はこれだそうだ。軍手を借りて、会場の奥から出てきた椅子台車に向かった。

 のっちさんもアナウンスしていたが、参加者の人に出来るだけ机の上に椅子を置いていってもらい、それをスタッフが大きな椅子台車に積んでいくというのが説明通りの最初の流れ。

 ただ、その台車が全高二メートルは優に超える巨大なものだったのは想定外だった。というかこれ台車っていう名前でいいのか。椅子要塞とか椅子戦車とかそういう名前にしておいた方がギャップに苦しまなくてすむんじゃないか。

 椅子台車一つにパイプ椅子が九十本積載出来るので、進行する列の左右にある椅子を積んでいくとだいたい片道で積み終わる計算になる。

 計算上はそうだが、実際にはまだ帰っていないサークル参加者を後回しにしたり、逆に椅子の追加をしていたりするところがあるので数は一定じゃない。他のスタッフは帰っていないサークル参加者の椅子だけを先に引き取ったりもしながら椅子台車を移動させている。

 僕はまあ、そういう器用なことは出来ないので、誰かの動かしている椅子台車に椅子を積むのを手伝う感じで動く事にした。通路に対して椅子台車の幅がぎりぎりなので、うまく立ち回らないと進行の邪魔になったりするので気が抜けない。

「はーい椅子を積んでいるスタッフは更衣室側にもうちょっと回ってねー」

 更衣室側の椅子があまり片付いていないらしい。あっちから片付けた方がよかったのか。

「清掃業者があっちから掃除する都合で先にやった方が効率がよいのですぞ」

 おおう、ベルトさんがいつの間にかそばにいた。色々と都合というか、ちゃんと理由があるもんなんだな。

「あ、じゃあここはベルトさんにお願いして、僕はあっちに行った方がいいですかね」

「ヒーローたるもの、これくらいは一人で何とかしてみせますぞ!」

 更衣室側の列に移動すると、椅子台車がすでに移動していたのでそれに向けて椅子を運んだ。

 慣れているスタッフは三つとか四つとか、まとめて持ち出して積んでいるのだけど、どうしてもまとめて持ち運べないので二つが精一杯。無理をして落としたりしても迷惑をかけてしまうのでやめておこう。

 パイプ椅子なんてそんなに重いものじゃないだろう、と甘く見ていたが、何度も運んでいるとこの微妙な重さがどんどん効いてくる。次第に一つ一つが本当に重くなっていってるんじゃないかと錯覚するほど。

 サークルの数が六百くらいで、サークル一つに椅子は一つ。追加やその他企業ブースなどへの提供も含め、多めに見て七百程の椅子が会場に並んでいるとすると、椅子台車の数は七から八台くらい必要になる。数だけ考えると果てしない作業にしか思えないのだが、こうして実際に流れを見ていると、想像以上に片付くのが早い。

「どうかしたのですかな?」

「……いや、とてつもない数の椅子だなって思ってたですけど、やってみると意外とそうでもない、というか……」

「ふふ、ヒーローたるもの、あとかたずけも完璧にこなさなければならないのですぞ。というかスタッフが慣れてるので早いのですぞ」

 身も蓋もない。

 しかし、見ていると事実だとしか言いようがない。僕が運んでいる速度と他の慣れているスタッフが運んでいる速度が全然違うのはさっきから感じていたし、こうやって見ていると本当にみんな効率よく動く。のっちさんの指示で無駄なく人員が配置されていくのも相俟って、瞬く間に椅子が片付いていくように見える。

「ふふ、鳥屋野殿もヒーローとして覚醒していく事で早く動けるようになっていきますぞ」

「つまり、慣れろという事ですかね」

 慣れるものなんだろうか。どれくらい続けたら慣れるんだろうか。

「ベルトさーん! 机の方に移ってくださーい! 鳥屋野くんも一緒に!」

「おお、指示が来ましたぞ。では、やり方を説明いたしましょうぞ」

 ベルトさんに連れられて机の撤収の手伝いに移る事にする。


 机の運び方はだいぶ独特だった。

 机の上に足を折りたたんだ机を一つ、ひっくり返して置いて、あとはその上に天地が交互になるように置いていく。四つくらい積んだら次に移動して同じように机の山を作っていく。

「……これ、なんか意味あるんですか?」

 机の山が点々と作られていく様が、なんだか賽の河原みたいになってるんだけど。あとで誰か蹴って崩したりしないだろうな……。

「フフフ……。この後で秘密兵器が出てくるのですぞ。とりあえずしばらくはこのまま机の山を作るのに専念しておくのですぞ」

 秘密兵器。

 なんともくすぐる言葉。

 まあ、机を片付ける秘密兵器だからそんな凄いものが出てくるとも思えないが。

 とにかく机の山を作り続け、ある程度そろったところで秘密兵器を待たずに机を積むことになった。

「ここからは必ず二人で行うことが肝心ですぞ。ヒーローたるもの、勇気と無謀の区別を付けねばなりませんぞ」

 机台車に机を乗せていくだけの簡単なお仕事です。

 机台車は椅子の時と違って、それはもう台車としか言いようのない形をしていた。大きめの車輪に板が乗っているだけといった感じの構造だからだ。ちょうど机が二本並んで置ける面積なので、今まで積んでいた机をここにまとめていく。賽の河原よろしく積んだ机は、ここにまとめて置きやすいようにしていたのだった。

 だが、重い。

 二つ持つだけでも十分重いので、二人で運ぶのが基本となっているようだった。力自慢の人は四つくらいまとめて運んでいるようだったが、そういう人はベンツ先生みたいに見た目に力持ちっぽいので、多分真似しない方がよいのだろう。

「ベルトさんはあんな感じにたくさん持たないんですか」

「デブだからって力があると思うなよ!」

「あ、いや、す、すみません、そういうつもりじゃ」

「ははは、冗談ですぞ。鳥屋野殿にはわかりにくいボケをしてしまいましたな!」

 やはりある程度詳しくないとここの人たちの会話は難しい。とあるアニメのキャラクターの名台詞だったそうだ。怒らせた訳じゃなくて心底ほっとした……。

 無理はしないで大人しく二人で二脚ずつ積んでいく。

 積み上げれば積み上げるほど、当たり前だが、どんどん高くなる。

 どれくらい高くなるのかというと、最終的に僕の身長を軽々越えてしまった。台車一つに机が四十脚積めるので、完成した状態ではやっぱり机台車というよりは机重戦車という風体になってしまう。多分轢かれたら死ぬ。

 積み終わった机重戦車はベルトで固定されてその場に放置される。

「これ……、どうやって運ぶんですか」

「もう少ししたら秘密兵器がやってきますからな。とりあえず今はこっちの机をどんどん片付けましょうぞ」

 机重戦車をどうにか出来る秘密兵器……。十八メートル級の人型ロボットでもやってくるのか?

 勝手にロボット的なものを想像していたら、奥の壁にあったシャッターが開き出した。ちょうど受付の反対側だ。側面にあるシャッターと同じ大きさで、車が楽々出入り出来るくらいだ。というか実際トラックが入って来たのだが。

 おおよそ机がなくなった辺りにトラックは進入した。あれが秘密兵器?

「フフ、鳥屋野殿、どこを見ている……?」

 首を傾げた所で僕の疑問に気付いたのか、ベルトさんが秘密兵器を指さしてくれた。しかしベルトさんのその台詞は、どっちかというとヒーローより悪役だなあ。

 実際の秘密兵器は、そのトラックの後にやってきたフォークリフトだった。十八メートルもないし人型でもない。冷静に考えるまでもなく、そんな物がないのはわかっているし、あったとしても建物に入れない。四つん這いになりながら入ってくるロボは見たくないな……。

「秘密兵器って言う割には、思ったより地味ですね……」

「ロボットやパワーローダーならば満足でしたかな?」

「いやいや、まさか!」

 くそう、エスパーか何かか。

 見た目の地味さはともかく、フォークリフトは確かに秘密兵器と呼ぶに相応しい働きだった。机重戦車こと積み終わった机台車をトラックまで運んだり、四つくらい積んでいた机の山達をまとめて一カ所に集めたりと会場中を縦横無尽に駆け回る大活躍っぷりだ。

 乗っているのは大分お年を召した男性だが、なんだかやけに恰好良く見える。

「ちなみにフォークに乗ってるのは黒埼さんのお父上ですぞ」

「親子二代でご参加ですか」

「色々な特技をお持ちなのですぞ。だいたい二十七種くらい」

 その数字の根拠はよくわからないが、あの黒埼さんのお父上なら格好良さも納得がいく。

 フォークリフトの登場で机の撤収速度はさらに上がり、みるみるうちに会場の白い床面積の割合が増えていく。


 机の片付けも大半が片付いた頃、他の部署の片付けもかなり終わりを見せていた。

 のっちさんの会場指示も終了し、展示ホールにいるのは清掃業者の人のみ。

 がらんとしたホール内を改めて眺めてみた。

 日中の、人や物の多い状態ではあまり実感がわかなかったが、床が見えているとその広さがよくわかる。

 そして、今朝来た時にあったあの机が、果てしない数だと思っていた机が、本当に二時間足らずで全て片付いてしまった事に驚かされる。

 本当に何なのこの人達。

「エントランスに置いてある荷物とか機材を外に出して、車に積んだらほぼ終わりよ」

 後ろから声を掛けられた。そういえば撤収時はずっと離れていたんだった。いや、どっちかというと日中のずっと一緒に居られた事の方が凄いんだけど。

「本当に早くてびっくりしたよ……」

「すごいでしょ」

 そういうと、三条さんはとても誇らしげに、嬉しそうに、微笑んだ。

 何となく今までで一番嬉しそうな気がする。

 自分が褒められるより、他人が褒められる事の方を喜ぶんだな。

「そういえば鳥屋野くん、この後って予定ある?」

 そんな事を聞かれてありますと答えられる人がいるだろうか。

「え、あ、き、今日はずっと予定空けてあったから、うん、……特にないよ」

「よかった! じゃあ、後で! とにかくエントランス片付けましょ!」

 何があるのかはわからないがもう夕方を過ぎている時間に二人で、今度こそ二人でどこかへ行くのかと思えば気合いは入ろうというもので。

 のっちさんの指示に従い、エントランスホールの中を空っぽにする作業に入る。

 イベントで使っていた機材やスタッフの荷物などを外に追い出し、トラックまで運ぶ。

 トラックの中にはスタッフが待っていて、上手に並べていく。

 緑色の大きなネットだとか看板用の鉄の足だとか柵だとか、どこで使っていたのかよくわからないものがたくさんある。

 何とかトラックに全て押し込み、撤収作業は完了した。

「みんなー! お疲れ様でしたー!」

 正面出入り口のところでスタッフが集まり、のっちさんがみんなをまとめている。

 朝からいたスタッフがベルトさん含めて何人か見当たらないが、裏で何か作業が残っているらしい。

 正面にはのっちさん、三条さん、黒埼さんの三人が並び、反対側にはスタッフが適当に集合している状態。しばらくは今日あった事をいくつかのっちさんが話し、適度なボケも交えて場を温める事も忘れない。なぜ皆そんなに話すのが上手なのか。マイクもなしに聞こえる声量も含めてすごい人達だ。

 一通り話して挨拶は三条さんに交代する。

「今日は予定よりちょっと早く終わることが出来ました! 皆さんのご協力ありがとうございました!」

 集まっていたスタッフから拍手が起こる。

 ここにいるのは十数人のスタッフ。裏に数人残っているとしても三十人はいないだろう。

 もちろん、朝や日中に働いていたスタッフが全員最後までいるわけじゃないだろうから、ここにいるのが全てではないにしても、少ないよな、これ。

「……参加者数の減少傾向はまだちょっと続いてますし、色々とまだ苦しい状況は続いてます。スタッフも、本当にギリギリの状態で、皆さんのスキルがあってこそのゼストです」

 それは近くで見てたらわかった。作業速度とか考えると、もっと沢山いたんじゃないかと思っていたけど、実際の数に気付いて驚かされた。。

「そういうわけで、本日はお手伝い本当にありがとうございました! お疲れさまでした!」

 これで本日の撤収は終了か。

 厳密には色々あるらしいが、今ここにいるスタッフのお仕事は終わり。

「はーい、今日はカラオケ行きまーす! 希望者はこっち来てねー!」

「今日って四人揃うんだっけ?」

「揃うよー!」

「じゃあ行くー!」

「僕もー!」

 のっちさんのカラオケの誘いに結構な人数が乗って来た。多分打ち上げも兼ねているのだろう。

 スタッフはのっちさんのカラオケに行く組と、そのまま帰る人達とで分かれた。帰る人たちはそのまま駐車場へ向かい、カラオケ組は店の確認や車に同乗する人の確認などをのっちさんがテキパキと行っている。

 どちらでもなかった僕は、とりあえず三条さんの所に近づいておこう。

「カラオケ、すごい人気だねえ」

「のっち達委託四天王は、別名カラオケ四天王と呼ばれてるの。彼女らが行くなら一緒に行きたいって人が多いんだよね。ニヨ動でもかなり有名な歌い手なんだよ」

 ニヨ動、つまりニヨニヨ動画では素人が歌を収録した動画をアップするコンテンツが人気で、「歌ってみます」というタイトルで検索すると動画が大量に出てくる。実際に歌って動画をアップする人を歌い手と呼んでいて、人気の歌い手は動画再生数が数万まで伸びるという。

 もちろん、そんな人気のある歌い手はそんなに沢山いるわけじゃないらしいが。

 カラオケとかそういう友達のいる人がやる趣味にはほとんど縁がない。いきなり歌えと言われても、歌えるものがないので大人しく地蔵になっていそうな気がする。

 カラオケ組も移動方法が決定したようで、全員で移動を開始した。残ったのは僕と三条さんと、ずっと色々な電話をしている黒埼さん。

 その頃になってようやく電話が終わったようで、携帯電話を鞄にしまった。

「さて、私達も行きましょうか。車出してきますね」

 実にナチュラルに黒埼さんが一緒に来る事になっている。もちろん、三人がここに残った段階で、そんな予感はしていた。

 なぜなら、そもそも二人では移動手段がないからだ。

 ここから最も近いコンビニすら、徒歩十分近くかかるのだから、どこに行くにしても車は必須。高校生二人でこんな所に置いていかれたら帰れない。

「結局三人でどこに行くの?」

「んー、秘密基地かな」

 君ら秘密好きだな。

「なんだよー秘密じゃわかんないってー教えろよー」

「やぁだー着いてのおたのしみー」

「まてよー」

 みたいなやり取りでキャッキャウフフと出来ればいいのだろうが、自分で言っておいて何故そのやり取りでおいかけっこが発生するのか謎だがそれはさておき、僕の口から出て来た言葉は

「え、あ、そうなんだ」

 現実なんてそんなもんである。

 その後も特にこれといって身のある会話があった訳でもなく、あっという間に黒埼さんの運転するワンボックスカーがやってきた。

「じゃあ、乗ってください。そらちゃん家に行きますね」

 秘密基地あっさりバレた。

「え、三条さん、の? 家?」

 それはそれで驚愕の事実である。

 いきなり女の子の家に行くとか、ちょっとその、心の準備が。

「ほら、行こ?」

 三条さんに手を引かれて車に向かう。

「いや、でも、いきなり……」

「大丈夫だってば!」

 何が大丈夫なんだ。なんかこの光景今朝も見たぞ。

 結局手を引かれるまま車に乗り込み、三人で三条さんの家に向かう事になった。


 夕暮れから、そろそろ日が暮れてこようかという時間になって、ようやく我々は移動を開始した。

 イベントの終了時間が午後三時半だから、三時間ちょっとで撤収は完全に完了した事になる。初めてだから比較対象はないものの、朝見たときの机の数の絶望感を考えれば、十分早いんじゃないだろうか。終わってからスタッフの人数の少なさにも驚かされたし。

 朝から一日、訳も分からず言われるがままに手伝いをしてきたけど、これでようやく終わりそうだ。

 最後のミッションが三条さんの家に行く事というのはちょっと想定外過ぎたけど。

 よく考えたら彼女の家に行くのは初めてだ。よく考えなくても初めてだし、そもそも女の子の家に遊びに行く事など今までに経験した事がない。

 何かお土産を持って行った方がよかったんじゃないかとか、もうちょっと小綺麗な恰好にした方がよかったのかとか、色々な事が頭を巡る。

 黒埼さんも一緒なので無駄な期待をしても仕方がないのだが、ぐるぐると頭の中で考えが回り続けたせいで到着する数分前までその事に気付かなかった。

 車内では三条さんが色々な質問をしたりと話しかけてくれていたのだが、何だかよく覚えていない。今日のイベントの感想などを求められていたと思うが、要領を得ない返答をしていた気がする。

「着いたよー」

「え、あ、はい!」

 市の中心部からは少し外れた住宅街。その一角にある家の前で車は止まった。

 この近辺では少し小さめの二階建ての家で、その代わり駐車場は四台分とちょっと広い。端には会場にいたのと同じトラックが停まっていて、隣にもすでに二台分埋まっていた。

「委託の荷物とか、先に入れてるから、ちょっと手伝ってくれる?」

 家に入る前から用事を仰せつかってしまった。

 いや、そんな事だろうなって思っていたけど。

 思っていましたけどね。

 まさか家に入る前に期待を完膚無きまでに叩きのめされるとは思いませんでしたね。

 部屋に入ると、トラックの荷台から窓に向かってはしごのようなものが伸びてきていて、そのまま室内まで繋がっている。はしごの横棒にあたる部分がローラーになっていて、トラックから段ボールがこの上を滑るようにやってくる。こういうの工場見学するテレビで見た事ある。

 この箱を中にいる人が受け取って、壁際に積んでいくのだそうだ。

 段ボールの中身は今日の委託販売会場にあった同人誌の在庫だ。

「中身が詰まってるものとそうでない壊れやすいものがあるからうまく積まないといけないのよ」

 それは僕は手伝えないんじゃないか?

「じゃあ、僕はローラーから箱を受け取るところを引き受けます」

「うん、それを適当にわたし達に手渡してね」

 三条さんと黒埼さんに段ボールを渡していくと、どんどんと壁際から箱が積み重なっていく。

 重いもの、大きいものは下に置くし、軽いものは出来るだけ上に積むようにしていく。言葉にするのは簡単だが、実際の積まれた状態を見ながら、数秒に一度渡される箱の状態を瞬時に判断して積む位置を決めて崩れないように積んでいくのは、やはりある程度慣れていないと難しいだろう。

 せめて判断を速く出来るように、渡すときに箱の重さを伝えるようにしてみたが、やれたのはその程度だった。

 しばらく作業を続けて、段ボール箱が部屋の面積の半分近くを占めた頃にトラックの中が空になった。

「終わったよー!」

 トラックの中からスタッフの人が終了の宣言をすると、作業をしていた全員から歓声が上がった。

 今度こそ作業は終了か。

 トラックに乗ってきていたスタッフの人はそのまま帰り、黒埼さんはお茶をいれると奥に行き、部屋には僕と三条さんが残された。

 ふ、二人きりですよ。

 本当にそんなシチュエーションが発生するとは思いませんでしたよ。

 うーん、落ち着け。素数を数えよう。

 過度の期待は体に毒だという事を、今日一日で何度も経験してきたじゃないか。それはもうわかっているんだ。わかっているんだけど、女子と二人きりという状況になった事がないので何を話したらいいのかわからないんだ。

 でも黙っていたらそれはそれで意識しすぎ、とか思われるだろうか。気軽に今日の天気の話でもするべきだろうか。いやもう夜だ、天気はまずい。今朝のニュースから面白い話題を。ニュース観てない。

 ああ、話題がない。

「鳥屋野くん、お手伝い、ありがとう」

 先手をうたれた。

 日中と比べて、幾分落ち着いた雰囲気になった気がする。疲れているのかとも思ったけど、学校でのテンションも今日の日中に近い感じなので、多分人前で気を張る必要がなくなったのが一番大きいのかなと思う。まあ、学校の姿は遠くから眺めてるだけの印象だけど。

 今日一日で鍛えられた僕なら、ここで普通の返事が出来るはずだ。頑張れ、僕。

「あ、あの、思ったより大変だったね、これも」

 よし。及第点だ。良くもないが悪くもないぞ。あとは普通の会話をしていけばいい。無理はしちゃいかん。

「ずっとやってるから慣れちゃったけどね」

「そ、そっか。そういや、どれくらいやってるの、この……運営とか」

「十年くらいかな」

 え?

 十年?

 ちょっと想定外過ぎてリアクションが出来ない。適切な言葉が浮かばないまま彼女の説明のターンに移った。

「ゼストは、わたしが生まれる前からあったの。三十年前に父が立ち上げてね。だから、子供の頃からずっと手伝ってるんだ」

 すごく懐かしそうに、遠くを見る目で語り出した。うかつな相槌をうつ事も出来ないまま、ただ、黙って話を聞いていた。

「わたしが主催を勤めるようになったのは、二年前。亡くなった父の跡を継いだの」

 さらりとお父さんが亡くなったことを聞かされた。そこを掘り下げた方がいいのだろうか。まともな返事も出来ずに黙っているだけしか出来ない僕に、そこまで話が出来るものだろうか。

「あ、その……」

 聞きたいことは山ほど出てきたが、それを聞くのが何故だかとても怖くなってしまった。無闇に近づくべきじゃないのだろうか。話してくれたのは、聞いてもいいって事だろうか。

 しばらく、答えが出ずに黙ったまま。二人で視線を交わすでもなく、ただ立っていた。

「摩耶ちゃんの手伝いしてくるから、先に隣の部屋行っててくれる?」

「あ、う、うん」

 何も聞けないまま、三条さんは部屋を出て行ってしまった。

 かけるべき言葉は、慰めでも、励ましでもなかったように思ったのだけど、だからといって他に適切な言葉は思い付かない。

 微妙な無力感を味わいながら、言われていた通り、隣の部屋に移動する事にした。


 隣の部屋のドアを開けると、そこには妖精が佇んでいた。

 部屋中に配置されたパソコンやテレビ、プリンターなどの事務機器に囲まれた中に、一人だけぽつんと小さな少女がいたのだ。

 黒くて長いストレートヘアと、真っ白な肌。

 黒くてフリルのたくさんついたスカート。

 百四十センチあるかないか、といったくらいの小さな体躯。

 ドアを開けたままの姿勢で固まっていると、妖精はこちらに気付いて振り向き、笑顔で会釈してきた。

 可愛い。

 可愛いというか、人形のような、端正な美しさ。

 妖精と呼ぶ以外になんと呼べばいいのか。

 だいたい、ここには僕と三条さんと黒埼さんの三人しかいないはずなのだ。委託の段ボールを運んできたスタッフはもういないし、三条さんに姉や妹がいるとは聞いていないし、あの外見で母親という事もちょっと考えにくい。

 たくさんのパソコンと、大きなテレビと、大きなプリンターやらファックスやらコピー機やらと、それらを繋ぐように組み立てられたスチールラックや机に囲まれた中で、彼女の存在はひときわ浮いて見える。

 ドアを開けた状態のまま彼女を呆然と見つめ続けていた。

「ちょっと、どうしたの鳥屋野くん」

 突然後ろから声を掛けられ、ようやく我に還った。どれくらい見つめていたのだろうか。

 振り向くと、そこにはお盆を持った三条さんが立っていて、怪訝そうな顔で僕を見ている。

「いや、その、中に、よ……」

「いいから入って。後ろがつかえてるから」

 盆の上のマグカップから漂う香ばしい香りが無言でプレッシャーをかける。さらに後ろには黒埼さんも待っていた。

 慌てて中に入って、もういちど室内を見渡した。

 実はさっきまでの光景が幻だったりしないだろうかと不安になったが、部屋の機器類はさっきのままだし、妖精もまだそこに立ってくれていた。

 ほっとした所で、彼女の存在の謎が解けた訳でもない。

「あ、あのー、この……」

「あ、もう挨拶した? 里奈ちゃんって言うの。川口里奈ちゃん。カタログの編集と、ネット関連の担当してもらっているの」

 その川口さんと呼ばれた妖精の傍らに立って紹介してくれた。

 あ、普通に触れてるから、やっぱり本当に普通の人間なんだな、というかスタッフだったのか。

 そういや、駐車場にはトラック以外にもう一台車が止まっていたっけ。

「……」

 川口さんがあらためて軽く会釈して、口を開いたが、全く聞こえなかった。

「あ、里奈ちゃんが初めましてって」

 三条さんしか聞こえないとか、やっぱり妖精の類いじゃないのか。その理屈で行くと三条さんが妖精の泉の魔法使いになってしまうが。

「川口さんはすごく控えめな人で声も小さいから、そらちゃんくらいしか普通に会話出来る人いないんですよ」

「……」

「あ、うん。彼が鳥屋野くんだよ」

「……?」

「だからやめてってばもう! そういうのじゃないから!」

 三条さんと川口さんの会話は端から見ると三条さんが一人で電波受信してるようにしか見えない。ただ、他のスタッフの人との会話より、幾分親しそうな雰囲気がある。

「……!」

「そんなことないよ!」

 ほとんど一人漫才みたいな状態なので会話の内容が全くわからないのだが、時折僕の名前が出てくるせいで気になってしょうがない。黒埼さんはどうなのかというと、川口さんの声は聞こえたり聞こえなかったり、だそうなので三条さんのリアクション込みで話を理解しているかもしれない。

「えっと、里奈ちゃんが言うには、……んー、思ったより普通だったって」

「なんだそりゃ」

「鳥屋野くんの事、前から色々話してたら里奈ちゃんの中ではかなり濃いキャラで設定されてたみたい」

「設定て」

「えっとね、その……」

 なんだか三条さんが口ごもる。隣で川口さんが何か言ってるが当然聞こえない。

「まあ、いいじゃない!」

 華麗にスルーされてしまった。

 ゼストに誘われたのがほとんど最初の会話だったのに、濃いキャラになるほどのエピソードを彼女が知っているとも思えない。そもそもなんで誘われたのかも未だに謎だ。

 どうも話を聞いていると入学当初からここでは話題に上がっていたらしいんだが、中学時代に新越にいなかったのに何故いきなり注目されるのかもちょっとわからない。謎の転校生枠というには普通に入学してきてしまっているし。

 むしろ、三条さんが僕の中学時代を知っているとしたら……?

 そうだとしたら、どこまで……?

 いや、そんなはずは、ないと思う、んだけど……。

「どうしたの、急に顔色悪くなったけど」

「い、いや、大丈夫。それより、川口さんは、ゼストでは見かけなかったような」

「里奈ちゃんは来てないよ。開催中はここで監視とSNSのつぶやきの担当をしてもらってるの」

「会場にいないで開催中のつぶやきなんてどうやってんの」

「防犯用にカメラたくさん設置してるのよゼストって。そのデータを飛ばしてここで見てもらってるのと、後は私が携帯で指示したりとか」

「へえーすごいね。川口さんのもそうだけど、防犯カメラの映像がこんな離れたところで見られるってのもちょっとびっくりした」

 実際、会場内の模様がおおよそわかるレベルで設置するって結構な数がいるぞ。

 設備の金額も結構な額になるんじゃないだろうか。

「その辺の設備は音響含めて阿賀野先輩がだいたい何とかしてくれるから大丈夫。阿賀野先輩ってのは、ゼストで館内放送してた人ね」

 ああ、放送設備と一体化してたあの人。何度か足を運んだけど、必ずいたなあ。

「個人で何とか出来るもんなんですか、それは」

「すごいでしょ。阿賀野先輩オーディオマニアだし」

「すごいとかじゃなくて不思議です。マニアだからどうにか出来るレベルじゃないでしょ」

「まあ、端的に言えば彼女の家はお金持ちなのです」

「なんとなく納得した」

 オーディオマニアで金持ちなら、そりゃあ色々試したくなるだろう。

 個人の家でなく、大きな会場で試せるのは楽しそうだ。もちろん、お金の心配をしないなら、という条件がつくが。

「ちなみに、阿賀野先輩の前で何か欲しがっちゃだめだからね……」

「え、なんで?」

 急に神妙な顔をして変な事を言い出した。

「欲しいと言った数の十倍くらい買ってくるから」

「じゅ、十倍……?」

「前にね、ここで皆と話してて、カニ食べたいねーって話になったのよ。別にそのあと食べに行ったりとかしてないし、それほど話も広がらなかったんだけどね、その時は」

 まあ、お腹が空けばそんな話にもなるだろうし、そうでなくても思い付きで食べたいものの話をする事はよくある。それが気軽に食べられる物ではない事もそう珍しい話じゃない。

「翌日、発泡スチロールの大きな箱を四つくらい持ってやってきたのよ、阿賀野先輩」

「……中身は?」

「ズワイガニが一ダースほど」

 うまい棒じゃないんだからダース単位で買わないだろ普通。

「まあカニは後でスタッフがおいしく頂きましたけどね」

 誰がうまい事言えと。

 カニ以外にも必要な物資を要求すると、無駄に物凄くグレードの高いものか、または大量に仕入れてくれるそうで、どうも金銭感覚がちょっとずれてるらしい。

「色々と便宜をはかってくれたり、困ったときに必要な機材買ってくれるのは本当に有り難くて甘えさせてもらってるんだけど、あまり頼るわけにもいかないからね」

 それはそうだ。いくら好意でやってくれるとはいっても個人の施しをそうそう受けてばかりもいられない。

「話戻すけど、里奈ちゃんはスーパーハカーでもあるから、ネットワーク関連はほとんど彼女が運用してるの」

「なんか、そんな探偵のいるアニメがあったなあ」

「里奈ちゃんはぼくっ娘じゃないけどね」

 そもそも聞こえないから一人称が何か知らなかったが。

 いつか聞こえるようになるのだろうか。三条さん以外、黒埼さんですらろくに聞こえないというのだから無理かもしれないが。

 また話が逸れてしまったので三条さんが軌道を修正する。

「とにかく、里奈ちゃんは縁の下の力持ちの存在なのよ、という紹介がしたかったの」

「まとめ方が無理矢理だな」

「いいの!」

「……」

「里奈ちゃんがよろしくだって」

「あ、ああ、あの、こちらこそ」

 軽く頭を下げると、彼女も笑顔で返してくれた。

「綺麗でしょ」

「ああ、そうだねえ……」

 うっかり心の底から同意してしまった。

「あ、いや、その、ね、変な意味じゃなくてね!」

「そりゃそうでしょ。里奈ちゃんはホントに綺麗だもんねえ」

「ソウデスネ」

 特に意にも介していない模様。それならそれで助かる。

「ねえ、鳥屋野くん。今日は、どうだった?」

「えーっと、まあ……、楽しかった、かな」

 なにしろ、今日一日で三条さんの色んな姿や表情を見る事が出来た。

 今まではクラスの端から見て可愛いなとか綺麗だなとか、登るつもりのない山を遠くから眺めるような感覚だったけど、こうして近くで普通に話せるようになるとは思ってなかった。

 何しろ孤立派なので人と話すのもそれほど得意な方じゃない。

 そんな人間が、いきなり同人誌即売会というでかいイベントで、沢山の人の中で一日働いていたというのも、また予想外の出来事だった。

「本当に?」

「今まで見た事のない世界だったからね。戸惑ったし、正直ちょっと怖かったけど」

「あはは、ひどいな」

「いきなりベンツで拉致されるとか普通ないだろ」

「……!」

「いや、あれは時間がなくてベンツ先生しか空いてなかったから」

「……」

「違うのよ、拉致なんてしてないから。合意の元で乗ってもらったから!」

「合意……?」

「鳥屋野くん、ベンツ先生が乗れっていったらちゃんとハイって言った」

 そんな拗ねるように言わなくても。なんで上目遣いになるんですか。

 わかりますかこの絵面。きゅっと肩をすくめて困ったような、ちょっと拗ねたような顔で。アヒル口っぽくなって。そんな状態で見つめてくるんですよ。下から。真正面向いて。

 驚異の精神力で様々な方向にいろんな意味で弾け飛ぶ感情の波を押さえつけて、外見上は平静を装いながら、やれやれだぜって感じのリアクションを、たぶん取った。取ったつもりだった。

「鳥屋野さんは、あんまり嘘を吐くのが得意じゃない方なのですね」

 黒埼さんもそんな事を悪戯っぽく言うのはやめてください。

 幸い三条さんは全く意に介さないというか理解していなかったようなので助かった。

「ああ、まあ、とにかく楽しかったのは本当」

「よかった」

 安堵のため息と共に、さっきまでとは全く違う、色んな緊張が抜けたような和やかな笑みをこぼしていた。

 そうだね、こんな笑顔がまた見られるというなら、あの激務も頑張れる気がする。

「鳥屋野くんまた来てくれるって!」

「あら、それは僥倖」

「……!」

 え、ちょっと。

 僕、まだ口に出してないよね?

「とりあえず乾杯しましょう」

 なんで三人で乾杯してるんですか。なんで黒埼さんが率先してそんな事してるんですか。

 めでたいか。

 そんなにめでたいか。

「スタッフが増える事なんてめでたい事、乾杯しなきゃね」

「……!」

「あ、そうだねえ。とりあえず今度は編集の方も手伝ってもらおうかな」

 本人の意向を無視して話がどんどん膨らんできていますが。

 何かしら働かされる事はもう決定事項のようで。

 それがいつになるのかは全くわからないけど、そう遠い話ではないんだろう。

 やれやれだぜ。

 今度は間違いなくそんなリアクションが取れていたと思う。

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