バッドエンド・ラベル<中編>
翌日。寝不足を抱えて登校した少女は、昼休みに学校の図書室へと赴いた。
(うちにあるバッドエンドじゃない本は、もうぜんぶラベルを貼っちゃったし……。残ったラベルは、なんの本に貼ろうかしら。とりあえず、
少女は、昨日の興奮冷めやらず、つい学校まで持ってきてしまった〈バッドエンド・ラベル〉を、ポケットから取り出して、にやにやと眺めた。
(いっそ図書室の本に、このラベル、貼っちゃおうかしら。この図書室の利用者にも、バッドエンドのおすそわけ……。ここにある本だけ、よそにある同じ本と内容が違っていたら、読んだ人は驚くわね。それも楽しいかも!)
そんなことを考えながら、少女は本棚の前で、〈バッドエンド・ラベル〉を一枚、シートから剥がした。
目の前の本棚には、ちょうど少女が内容を知っている、有名なハッピーエンドの小説があった。それを取ろうと、少女は本棚に手を伸ばした。
そのとき。
不意に、少女の背中にドン、と誰かがぶつかった。
その拍子に、少女は手を滑らせて、シートから剥がして摘まんでいた一枚のラベルを、落としてしまった。
「あ、ごめんなさい」
少女と背中合わせにぶつかった女子生徒が、振り返って、小声で謝る。
そして、少女に軽く頭を下げてから、歩き出したその女子生徒は、ひらりと床に落ちた一枚のラベルに気づくことなく、それを上履きで踏んづけた。
(あっ……!)
少女は心の中で声を上げた。だが、もう遅い。
運悪く、ラベルは接着面を上にして落ちたようで、女子生徒の上履きの裏にくっ付いてしまったのだろう。彼女が足をどけたあと、ラベルはそこから消えていた。
(ああ、一枚ムダになっちゃった。まあ、そんなに高いものじゃなかったし、なくなったらまたあの古本屋に買いに行くから、別にいいけど)
そう思い、少女はあっさりとあきらめた。
もったいなくはあるが、だからといって、今からあの女子生徒を追いかけて、ラベルを回収するほどのことでもない。顔と苗字は知っている、程度の隣のクラスの子だったから、こんなことで話しかけるというのも、ちょっとためらわれるのだ。
(それにどうせ、一度貼ったラベルは、剥がせないものね)
――と。
そこで少女は、ふと疑問を抱いた。
〈バッドエンド・ラベル〉は、本以外のものに貼った場合でも、やはり一度貼ったら剥がせなくなるのだろうか?
本の表紙に貼ったラベルは、「BAD END」の文字以外が透明になって、本に溶け込むように一体化した。しかし、それだけではない。昨日試してみてわかったことだが、本を覆うカバーにラベルを貼って、そのカバーを剥がしても、ラベルの文字はカバーの下にまで写っていたのだ。もちろん、その場合でも、ラベルの効力は問題なく発揮されていた。
(きっと、「BAD END」の文字が写った表紙をむしり取っても、そうしたら、今度は本のページにその文字が写るだけなんでしょうね。一度ラベルを貼った本は、カバーを取っても表紙を取っても、もう元の内容に戻すことはできないんだわ。一度貼ったラベルが「二度と剥がせない」っていうのは、そういうところまで含めての意味なのよね……)
本のカバーはカバーであって、本そのものでもない。そこに書き換えるべき「物語」はない。だから、カバーに貼った〈バッドエンド・ラベル〉は、「物語」を求めてカバーを貫き、その下にある本そのものに「BAD END」の文字を刻印したのだ。
このラベルは、そうやって「物語」を追い求める。
「物語」を捕らえて、その結末を、バッドエンドへと導くために。
(でも、「物語」があるのって、別に本だけに限らないわよね。映画やドラマのDVDなんかにも、このラベルは使えそうだし。そういうものに貼ったら、やっぱり本と同じように、剥がせなくなりそうだわ。……だったら、歌詞に物語性のある曲の入ったCDなんかは、どうかしら。起承転結のあるテレビCMは? 健康食品のチラシによくある、購入者の体験談は? ……どこまでが、このラベルの力が有効になる「物語」とみなされるのかしら――)
そこまで考えたとき。
少女の脳裏に、ひとつの可能性がよぎった。
(まさか……ね)
若干の胸騒ぎを覚えつつ、少女は、先ほどの女子生徒が去っていった方向を、そっと振り返って見つめた。
+
果たして、その翌日のこと。
登校した少女は、昨日図書室でぶつかったあの女子生徒が、昨夜何者かに殺害されたというニュースを知ったのだった。
テレビや新聞をあまり見ない少女は、学校に来るまで気づかなかったが、その事件は、今朝のニュース番組や新聞ですでに報道されていたらしい。なんでも、女子生徒は昨日、塾の帰りに通り魔に遭い、刃物で刺し殺されたのだという。
事件の話題で騒然とする教室の中。
少女は、昨日の図書館での出来事を思い返しながら、両手で顔を覆ってうつむいていた。
(これって、これって……やっぱり、〈バッドエンド・ラベル〉のせいよね。あのときあの子が踏んづけたラベル。あれがきっと、上履きの底を突き抜けて、あの子の足の裏の皮膚に「BAD END」の文字を焼き付けちゃったんだ――)
少女は、小さく肩を震わせた。
そして。
両手で覆ったその顔に、抑えきれない満面の笑みを浮かべた。
(アハハハハハハ……! 本当にすごいアイテムだわ、〈バッドエンド・ラベル〉! 本だけじゃなくて、生きている人間の人生までバッドエンドにしちゃうなんて!)
昨日、その可能性を考えたときは、小さな期待で胸が騒いだ。けれどまさか、その期待がこうして現実になるなんて。
〈バッドエンド・ラベル〉は、本だけでなく、生きている人間の人生をも一つの「物語」とみなし、本と同様に、その人生をバッドエンドへと導くことができるのだ。
(現実の人間が迎えるバッドエンドって、フィクションのそれよりも、ずっとずっと刺激的! ああ、もっと楽しみたい! このラベルを使って、もっと――!)
それからというもの。
少女は、〈バッドエンド・ラベル〉を何枚も、近所に暮らす人や同じ学校の生徒に貼り付けた。
気まぐれに選ぶターゲットは、少女とは特に親しくなく、しかし顔見知り程度には知っている、そんな身近な人間ばかりだった。
(だって、ぜんぜん知らない相手じゃ、その人が死んでも気づかないかもしれないものね。その人の人生がどんなふうにバッドエンドになったのか、それがわからなきゃ、ラベルを貼る意味がないもの)
そうして少女は、何人もの人間が、少女の貼るラベルによって、バッドエンドへと追いやられるのを楽しんだ。
最初の女子生徒は通り魔に殺されたが、ラベルがもたらす人生のバッドエンドは、殺人による死だけではなく、いろいろなパターンがあった。
ある者は、交通事故によって死んだ。ある者は、持病が急激に悪化して死んだ。ある者は、いじめによって自殺した。
そのいずれも、少女にとっては、刺激的で愉快なバッドエンドだった。
そうこうするうちに、古本屋で買った十二枚一組の〈バッドエンド・ラベル〉は、残すところあと一枚となった。
(これを使ったら、またあの古本屋に、ラベルを買いに行かなくちゃ)
そのことを考えながら、少女はその日、気分良く休日の買い物を楽しんでいた。
(さてと……それじゃあ、最後のこの一枚は、どこの誰に貼ろうかしら?)
買い物を楽しみつつ、少女はそうやって、街で次のターゲットを物色してもいたのだった。
別に誰でもいいけれど、「親しくはないが顔と名前くらいは知っている」人を見かけたら、その人に最後のラベルを貼ってしまおう。そんな気楽な思いで街を歩いていたのである。
しかし、そのような都合のいい人物は、いざ探してみるとなると、なかなか見当たらない。
そのうち少女は歩き疲れて、休憩がてら、近くにあった町立図書館に立ち寄った。
そこで、適当な本を読んで休んでいたとき。
少女はふと、ある人物の姿を目に留めた。
それは、この図書館に勤めている、よく見かける司書の男性だった。
(最後のラベルを使う相手……この際、この人でいいかしらね。顔と名前くらいは覚えてるし、ここはしょっちゅう利用する図書館だから、この人に何かあればわかるでしょう。たとえニュースになるような死に方をしなくても、ほかの職員さんに聞いてみるなりなんなりすれば、情報は手に入りそうだものね)
少女は、最後の〈バッドエンド・ラベル〉をシートから剥がし。
ぺたり。
と、擦れ違いざま、その司書の背中に貼り付けた。
ラベルはたちまち服と一体化し、文字だけ残して溶け消える。少女には、もはや見慣れた光景だ。ラベルの文字はいつものごとく、服を貫いて、その下の皮膚にまで写り込んでいることだろう。そうなればもう、ラベルの力から逃れるすべはない。
「BAD END」の文字を背負いながら、そのことに気づかず、黙々と書棚に本を収める司書。その姿を眺めていると、思わず笑いがこみ上げた。
この人が迎えるバッドエンドは、どんなものになるのだろう。
あんな死に方だろうか、こんな死に方だろうか。あれこれ想像をめぐらせつつ、少女は、顔の前に広げた本で、口元に浮かぶ笑みを隠した。
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