冬しか買えないアイスクリーム屋さんの秘密 <後編>

 それから、十五年が過ぎた。

 雪子は、ずっと〈ふゆたけアイスクリーム店〉の近くで育ち、そのまま大人になった。けれど、あれ以来、「生きている小さな雪だるま」を目撃することは、一度もなかった。

 雪子は、大人になった今でも相変わらず、〈ふゆたけアイスクリーム店〉のアイスクリームを買い続けている。

〈ふゆたけアイスクリーム店〉は、雪子が子どもの頃から、何ひとつ変わらない。アイスクリームのおいしさも、冬しかお店を開けないところも、看板に描かれた雪だるまの絵も、昔のままだ。このお店のおかげで、雪子は毎年、冬が来るのが待ち遠しくてかなわなかった。雪子にとって、冬といえば、クリスマスよりお正月より、とにかく〈ふゆたけアイスクリーム店〉のアイスクリーム。そのくらい、大好きで、思い入れのあるお店だった。十五年以上の間、ずっとずっと、そうだったのだ。


 そんな雪子は、今日もまた、〈ふゆたけアイスクリーム店〉へと足を運ぶ。

 びゅうびゅうと吹きすさぶ木枯らしに、時折ちらほらと雪が混じる中、白い息を吐きながら、お店へと急ぐ。寒さなんてものともしないくらい、雪子はこの日、いつになく胸を弾ませていた。

 そうして、雪子がお店にたどり着いてみると、〈ふゆたけアイスクリーム店〉は、いつもと様子が違っていた。この時期にはめずらしく、お店はシャッターを半分おろし、雪だるまの絵の看板には、「休業日」の貼り紙がしてあった。

 けれども、それを見て、雪子が肩を落とすことはなかった。この日、お店がお休みするということは、前もって知っていたからだ。


 今日、雪子がお店にやってきたのは、アイスクリームを買うためではない。

 雪子は、もう〈ふゆたけアイスクリーム店〉のお客ではなかった。

 このお店で、雪だるま似の店長さんの元で、今日から働くことになったのだ。


〈ふゆたけアイスクリーム店〉は、ずっと店長さんが一人でやっているお店で、ほかの従業員を雇うことは、今までなかった。だが、店長さんは、少し前からお店の跡継ぎを探していた。その話を聞いた雪子は、迷うことなく、自分が〈ふゆたけアイスクリーム店〉を継ぎたいと、店長さんに申し出たのだ。店長さんは、こころよくそれを受け入れてくれた。


 店の中にいた店長さんが、雪子に気づいて、店のドアを開けた。

 半分下ろしたシャッターの下から、身をかがめた店長さんが、雪子に声をかける。

「よく来てくれたねえ、雪子ちゃん。さあ、さあ、入ってちょうだい」

 雪子は、少し緊張しながらうなずいて、店長さんの促しに従い、店の中に入る。

「ああ、もう、ほんとにうれしいよ。あんなに小さかった雪子ちゃんが、こんな立派なおじょうさんになって、この店を継ぎたいと言ってくれるなんて。ありがとうね、雪子ちゃん」

「そんな、こちらこそ。わたし、このお店のアイスクリームの味を受け継げるよう、がんばります!」

 大きな声でそう言って、雪子は、店長さんに向かっておじぎをした。

 店長さんは、「まあ、頼もしいこと」とうれしそうに笑う。


「それじゃあ、雪子ちゃん。さっそくだけど、この店のアイスクリームの作り方を、覚えてもらうから。奥の厨房に来てちょうだい」

「はい!」

 元気良く返事をして、雪子は、厨房に向かう店長さんのあとをついていく。

〈ふゆたけアイスクリーム店〉の厨房。そこでは、小さな雪だるまたちが、せっせとおいしいアイスクリームを作っている……。

 子どもの頃に思い描いた、たわいもない空想を、雪子はふと、懐かしく思い出す。

 雪子はもう、空想と現実の区別がつかない小さな子どもではない。あの頃は食べきれなかった、二段重ねのアイスクリームだって、今はぺろりと平らげることができる。この歳になれば、何が現実にありえて、何がおとぎ話の中にしかありえないか、なんてことは、すっかり分別がついてしまう。

 はっきり姿を見たと思った、あの「生きている雪だるま」だって、今思えば、ちょっと変わったウサギか何かを見間違えただけなのだろう。子どものときの記憶なんて、あてにならない。やけに印象深いわりには、そのじつ、間違いだらけの思い込みでできていることだって、めずらしくはないのだから。

 だけど、あの頃は本気で、このお店が「雪だるまのアイス屋さん」だと信じていた。自分で言うのもなんだけど、幼い子どもの考えというのは、かわいいものだ。


 でも、本当は。

 大人になった今でも、ほんのちょっぴり、期待していたりする。

 もしかしたら、この厨房の扉を開けたその先で、あのときに見た小さな雪だるまが、雪子を出迎えてくれはしないかと。

 そんなこと、あるはずない。あるはずがないけれど。

 それでも、〈ふゆたけアイスクリーム店〉のアイスクリームなら、ひょっとして。

 ほかではぜったい味わえない、あのとびきりおいしいアイスクリームには、そのくらい特別で、不思議で、信じられないような秘密があったって、おかしくない。雪子は今でも、ひそかにそう思ってしまうのだ。


 店長さんが、厨房の扉を開ける。

 雪子は、店長さんに続いて、少しドキドキしながら、厨房の中へと入った。

 きれいに片づいた厨房の中は、ほかに誰も人がおらず、しんとしていた。もちろん、雪だるまなんて、どこにもいない。「そりゃ、そうだよね」と、心の中で呟いて、雪子は小さくため息をついた。


 雪子は、店長さんといっしょに作業着に着がえ、手を洗ったあと、大きな作業台の前につれてこられた。台の上には、いろいろな調理器具と、アイスクリームの材料が並んでいる。それらを一つ一つ指差して、店長さんは、雪子に説明した。

「牛乳、生クリーム、シロップ……。これは果物のピューレ。こっちの瓶は、バニラやシナモンなんかのフレーバー。それから……」

 ひと通り材料の説明を終えてから、店長さんは、作業台の端っこに置かれた、何やら大きなアイスボックスに手をかけた。

「いちばん肝心なのが、これなんだ」

 そう言って、店長さんは、おもむろにアイスボックスのふたを開ける。

 雪子は、店長さんの横から箱の中を覗き込んだ。


 その瞬間、雪子は、息をのんだ。


 箱の中には、何十体もの小さな雪だるまが、隙間なく整然と詰め合わされていたのだ。その一体一体は、まさに雪子が子どものとき見た、あの「生きている雪だるま」と、まったく同じ姿をしていた。

「て、店長さん。これって……」

 箱の中の雪だるまを見つめたまま、雪子は声を詰まらせる。

 店長さんは、いつかのように、ふふふ、と笑った。

 そして、あのときは教えてくれなかった問いの答えを、その笑い声に続けて口にした。


「あたりまえの材料だけじゃ、〈ふゆたけアイスクリーム店〉の最高においしいアイスクリームは作れない。最高においしいアイスクリームを作るために、なんといっても肝心なのが、この雪だるまなの。これは冬の季節でないと手に入らないし、春まで残しておけるほど、たくさんの数は捕れやしない。だから、うちは冬しかアイスを売らないの。この雪だるまを使ったアイスクリームが、〈ふゆたけアイスクリーム店〉のこだわりだからね」


 店長さんは、アイスボックスの中から、冷気をまとう雪だるまを一体、取り出した。

 その途端、体をつかまれた雪だるまが、店長さんの手の中で、もぞもぞと動き出した。しかし、店長さんはかまうことなく、空いているもう片方の手を、調理器具のほうへと伸ばす。

「見ててごらん、雪子ちゃん。ほら、これをこうやって……」

 言いながら、店長さんが手に取った調理器具。それは、手動式のかき氷機だった。

 店長さんは、かき氷機の、氷をのせるところに雪だるまをのせて、その下に、受け皿となるボールを置いた。それから、金属の押さえを下ろして雪だるまの体を固定すると、かき氷機の横についているハンドルを、時計回りに回し始めた。


 サク、サク。シャリ、シャリ。

 雪だるまの体が、かき氷機の刃に、削り取られていく。


 キャーアァァー。

 雪だるまの悲鳴が、厨房に響く。


 サク、サク。シャリ、シャリ。

 キャー……アァァー……。


 体が削られていくにつれて、次第に弱々しくなっていく雪だるまの悲鳴。

 雪だるまの体は、どんどん小さく、平べったくなっていき、そうしてやがて、最後の薄いひとひらまでが、残らず削り下ろされた。

 雪だるまは、かき氷機の下のボールの中で、白く冷たい山になった。

「こうやって、ふんわり削った雪だるまに、牛乳と生クリームとシロップ、果物のピューレやフレーバーを加えて、しっかりかき混ぜるんだよ」

 説明しながら、店長さんは、手際よくそれをやってみせた。

 バニラの甘い香りが、辺りに広がる。材料を入れたボールの中で、かき混ぜられていく材料が、なめらかなアイスクリームになっていく。


 雪子は、声もなく、そのボールの中身を見つめていた。

 これが、〈ふゆたけアイスクリーム店〉のアイスクリームの作り方。昔から大好きだった、あの、たまらなくおいしいアイスクリームの……。


「さあ、雪子ちゃんも、やってごらん」

 店長さんは、にこにこと優しく微笑んで、アイスボックスの中の雪だるまに手を向けた。

 そのときである。

 アイスボックスの中に詰め合わされていた、たくさんの雪だるまのうちの一体が、ふいにもぞもぞと起き上がった。かと思うと、それがぴょいん、と箱の中から飛び出した。

 その雪だるまは、そのまま作業台から飛び降りて、店の裏口のほうへ向かって、飛び跳ねながら逃げていく。

「ああ、いけない。たまに、ああいう活きのいいのがいるんだよ。雪子ちゃん、追っかけて、捕まえてちょうだい!」

「えっ? あ、はい!」

 雪子はとっさにうなずいて、逃げた雪だるまを追いかけ、走り出した。

 しかし、雪だるまはなかなかにすばやく、雪子が追いつく前に、店の裏口に体当たりしてドアを開け、そこから外に出て行ってしまった。


 店の裏口の外は、狭い袋小路だ。雪だるまが、道の奥へと逃げてくれればよかったのだが、そっちに行き止まりがあることに気がついたのか、雪だるまは、あいにく表通りのほうへと逃げてしまった。

 まずい。あんなものが人に見つかったら、騒ぎになるかもしれない。そう思い、雪子はあわてて追いかける。

 けれど幸い、表通りに出てみると、近くに人の姿はなかった。

 逃げた雪だるまも、すぐに見つかった。

 雪だるまは、店先にある立看板の陰にいた。隠れているつもりなのか。それとも、逃げ疲れて休んでいるのか。


 雪子は、息をひそめて、そっと雪だるまに忍び寄った。そして、もはやあれこれ考える余裕もなく、両手を伸ばし、雪だるまの体をむんずとつかんで、捕まえた。

 手の中で、もぞもぞともがく雪だるま。その冷たいかたまりを、再び逃がしてしまわないよう、雪子はしっかりと、かじかむ指に力を入れる。


 雪だるまの体が、手の体温で溶けてしまわないうちに、はやく厨房に戻らなければ。

 雪子は、ぼんやりとそう考えつつ、顔を上げた。


 目の前には、〈ふゆたけアイスクリーム店〉の立看板。古ぼけたその看板の中で、絵に描かれた雪だるまは、かわいらしくウインクをして笑っている。

 それは、雪子が子どもの頃から変わっていない。店に来るたび、「はやく大人になって、二段がさねのアイスクリームが食べられるようになりたい」と願っていた、あの頃から。


 コーンカップに体をのせた・・・・・・・・・・・・ 雪だるまの絵を見つめながら、雪子はひとときの間、冬の空の下で、そんな子どもの頃の自分に思いを馳せた。






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