終章 ミチ

第二十一話

「脱出」其の一

 里哉は一道の少し前を走り、足を休めたおかげでなんとか走れるようになった一道を、引き離さないようにしながら、林のさらに奥へと進んだ。

 間もなくして、二人の前方に、一道が昨日見つけた、陽の沈み灯の道が見えた。

 昨日、この道を行っても結局外の世界には戻れなかった。そのことを思い、一道は不安な顔で里哉を見る。

「心配ないよ。今日は、この道はちゃんと外の世界につながるはずだ」

 聞かれるまでもなく返された答えに、一道は口元を引き締めた。

 もうすぐだ。もう少しで外の世界に帰ることができる。そう思うと、疲れきっていたはずの一道の体に力が湧いてきた。苦しいけれど、まだがんばれる、まだ走れる。この国を脱出するまでは。

 明るい地面が続く曲がりくねった一本道。光の滲み出たその土の道に、一道は足を踏み入れた。

 それと同時に、隣を走っていた足音が、止まった。

 一道は振り返る。陽の沈み灯の道の、一歩手前で、里哉は立ち止まっていた。

「おい、どうした」

 一道が尋ねると、里哉は言った。

「僕の案内はここまでだ。さよなら、一道」


 その言葉に、一道の意識は、一瞬霞んだ。


 ああ、やっぱり……と、一道は胸の中で、あらかじめ用意しておいた台詞のうちの片方を呟いた。

 今このときまで、一道の中には、期待とあきらめとの両方が、ほぼ同じくらいの重さで存在していた。

 今、里哉の告げた別れの言葉によって、期待は溶けて流れ去り、あとにはただあきらめだけが残って、それもまた腹の中へと呑み込まれていった。

 一道は、唇を強く結び、目を細めた。

 うつむいて、ともすれば詰まりそうになる声を、必死に絞り出す。

「でも……。里哉、大丈夫なのか? 俺を……マレビトを、逃がしたりして。このあと、おまえは……」

「心配いらない。このことがあったからって……こんなことをしたのが、途中から国の民になった僕だからって、それを理由にあとあと国の中でつまはじきにされたりはしないよ。ここはそういう国だ。まあ、理土さまからは多少咎めを受けるだろうけどね。仄美と天跳と、三人で怒られるさ」

 屈託のない顔で、里哉は笑った。

「さあ、もう行けよ。この道はおまえのための道だ。おまえが進むことで外の世界へつながる道だ。これ以上は、僕の案内は邪魔になる」

「……うん」

「なるべく走れよ。追っ手はいずれこの道を見つけるだろうし、異世の国の民は、マレビトよりも道を渡ることに自由が利くんだ。おまえのための道でも、追っ手はおまえが通ったあとをたどって追ってこれるからね。でも、この世界の外に出てしまえば大丈夫だから。そこまでは、がんばれ」

「…………」


 わかった――と。

 ありがとう――と。

 それから、ごめん、と。

 一道は言いたかったが、もう声が出なかった。


 里哉に背を向けて。里哉の気配を振り切るように、一道は走った。

 走れば走るだけ、里哉が遠くなる。この距離が今のこの瞬間より縮まることは、もう二度とない。それでも走らなければならない。

 ふと、一道の前に、木の葉の色でも木の枝の色でもない、木の実とも、あるいは虫とも違う、何か鮮やかな色の点が見えた。その色の点に近づくと、それが菓子を包む小さな袋であることがわかった。見覚えがある、確か、三種類の味がある飴の、あれはメロンソーダ味の袋の色だ。道のすぐ脇に生えている低い木の枝の上に、袋に包まれたままの飴が一粒、置かれているのだ。その飴の横を通り過ぎて、また少し行くと、今度は道の脇の草の上に、一口チョコレートが一粒落ちている。

 里哉の用意してくれた道標だ。里哉はこのために、リュックから菓子を取っていったのだ。

 一道が外の世界から持ってきた菓子。人工的な色合いで飾られた小さな個包装の袋や、透明なセロハンの包み紙。一度「境」を通り抜けてこの世界に持ち込まれたもの。それが、外の世界と異世の国とをつなぐ糸なのだ。一道の手によって持ち込まれた外の世界のかけらは、異世の国の民ではない一道のための道を造る。

 道標を頼りに、ただ一筋のその道を、一道はひた走った。

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