「フタリメさま」其の二

 むかしむかし。もう千年かそこらも前になる昔のことだ。その頃、今は西の林と呼ばれているその林の奥に、一つの屋敷があった。屋敷に住んでいたのは高貴な身分の一族で、その中に、まだ幼く、たいそういとしげな姿をした姫さまがいなさった。

 姫さまは人とは思えぬ不思議な力を持っていた。それはたとえば、紅葉もみじの葉を五枚の赤い翅を持つ蝶にして飛ばしたり、絵巻の中に描かれた鬼の絵を躍らせたり、秋に鳴く虫の声を小箱に閉じ込め、その箱を真冬に開けて、雪の降る中で虫の音を楽しんだり、両手ですくった池の水を、細い指と手の平の型が残るそのままの形で、しばらくの間透き通った水晶に変えてしまったり……目の当たりにした者は、皆我が目を疑うような、そんな力だったのさ。


 姫さまが、その不思議な力を使って悪さをしたということは、一度もなかった。だが、一族の者は気味悪がってな。あのようなあやしげな術を使う者は、人ではなく、魔物なのではなかろうかと、誰からともなくそう言い始めた。一族の者は姫さまの力を恐れ、疎んじて、そしてある日とうとう、姫さまを殺してしまったんだ。


 魔物は火を付けて焼き殺すのが良いということだったので、屋敷主やしきあるじであった姫さまの父は、屋敷のそばに穴を掘り、姫さまの手足を縛ってその穴に入れ、穴の中に火を放った。熱い炎はたちまちのうちに姫さまの息の根を奪ったが、炎がすっかり消えてしまったあとも、姫さまの体は、その黒髪も、白い肌も、少しも燃えることなく穴の底に残っていた。

 屋敷主は仕方なく、姫さまの亡骸の上から土をかけて、そのまま穴を埋めてしまった。


 それから間もなくしてのこと。屋敷主は、突然胸を押さえて苦しみ出したかと思うと、咳と共に口からいくつもの火の玉を吐き出し、喉の中を真っ赤に爛れさせてこと切れた。 

 屋敷主の吐いた火の玉は、屋敷の建物に燃え移り、あっという間に屋敷中に燃え広がって、屋敷のすべてと、その中にいた家人たちを、皆残らず燃やし尽くして灰にした。その火事の炎は、屋敷の周りの林の木には焦げ跡一つ付けなかったので、炎の消えたのち、そこにあったのは、瑞々しい林の木々に囲まれた灰の山だったとさ。


 それから、長い長い年月としつきが過ぎた。

 土に埋められた姫さまの亡骸は、その頃にはすっかり土に還って、骨のひとかけらも残ってはいなかった。

 さて、西の林の外にある村には、土手という、土を練って皿やら壷やらいろいろなものを作って暮らす一族が住んでいた。ある日、その土手の一族の男が一人、良い土を探して西の林へとやってきた。なかなか良い土が見つからず、どんどん林の奥へと入り込んでいったその男は、やがて、昔そこに屋敷のあった辺りにまで行き着いた。男はそこで、今までに見たことも触ったこともないような良い土を見つけた。それはちょうど姫さまの亡骸が埋まっていた、その場所の土だったが、男はそんなことはつゆ知らず、よろこんでその土を持ち帰った。

 家に帰り、男はさっそく、林で採ってきた土を漉して練り始めた。そのとき戯れに思いついて、練っていた土をひとちぎり手に取ると、それを丸めて土団子を作った。男はその土団子を、幼い娘のところに持っていった。ところが、その土団子があまりに美味そうに見えたため、幼い娘は父の手からひょいと土団子を掴み取り、それをぱくりと食ってしまったんだと。


 そんなことのあったあと、やがて年頃に育ったその娘は、一つの土人形を産み落とした。

 それが、この異世の国の主である、理土さまだ。

 理土さまは、西の林の奥、昔屋敷のあった場所に、この国を造った。そして、林にやってきた子どもを誘い込んでは、姫さまの亡骸が埋められたその場所へと連れて行き、そこの土を使って土人形を作らせ、その土人形を自分の国の民とした。そうして、たくさんの土人形が暮らす、この国が出来上がったというわけさ。




 ――そうだな。この国に暮らす土人形の中には、もとは人間だったと、そういう者もいる。おまえの友達の里哉もその一人だ。

 ……いやいや、それは違う。里哉がこの国に来ることになったのは、里哉が土手の血筋の者だからというわけではない。昔、里哉が西の林で理土さまに出会ったのは偶然だろう。里哉がこの国に呼ばれたのは、その何日か前、この国に住む土人形の一人――腕の良い料理人だったその土人形が、雨に打たれて死んでしまったからだ。そのせいで、国には料理人が足らなくなってな。そうしたとき、理土さまが、町から盗ってきた傘の中に、里哉の傘があることに気づいた。理土さまは、昔、里哉が土団子を上手に作ったことをよく覚えていた。それで、新しい料理人になってもらおうと、里哉をこの国に呼んだんだ。

 ……ひどい? 勝手? そんなことはない。里哉は今、この国で幸せに暮らしている。民となって日が浅いから、まだ外つ国への未練を捨てられていないかもしれないが、それもじきに消えるだろう。何を嘆くことがある。ここにいれば、外つ国で一生を終えるよりも、よほど恵まれた人生を送れるに違いないんだ。

 信じられないか?……ああ、なるほどな。里哉に傘盗りの仕事をさせていることか。確かに、土人形になった里哉が雨の降る外つ国に出向けば、いつか命を落とす危険もある。けれどな、それは他の土人形でも同じこと。それでも、誰かがやらねばならない仕事なんだ。誰がその役目を負うかは、しきたりによって決められている。町に傘を盗りに行くのは、この国にいちばん新しく入ってきた民の者。それがここのしきたりだ。けっして里哉がこの国でないがしろにされているわけではない。理土さまにとっては、里哉も他の者も、みな同じように大切な国の民なんだ。おまえが心配することは何もない。安心して里哉をこの国に任せるがいい。


 それにな、昔、里哉が理土さまに出会ったのは偶然でも、里哉はもともと、こちら側の世界に魅入られる素質を持っていた。だからこそ招かれたんだ。あれは、外つ国に住む他の人間に比べて、純粋な魂の持ち主だ。里哉のような人間は、こちら側の世界に来て暮らすほうがよほどふさわしい。

 一道、おまえも覚えておくがいい。外つ国というのはな、実に不都合で不自由な、穢れの国だ。穢れとは、魂のあるべき理想と、それが叶わぬ現実との間に開いた、その隙間に溜まっていくもののことさ。穢れは穢れを求めるが、穢れたものは、穢れを宿す者の目には、必ずしも悪いものには見えない。一見なんの害もない、たわいのないものに見えたり、楽しく魅力的なものに見えたりもする。けれど、己の魂の隙間にむなしく入り込んでいくものは、みんなどこかで穢れに繋がってるんだ。

 ふん……。ここまで聞いても、おまえは外の世界が恋しいのか、一道。

 まったく、人間というのはあきれ果てた生き物だな。

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