「足りないもの」其の二

 この時間だと、天跳は、まだ家に帰っていないかもしれないということだった。もしいなければ、例によって天跳を呼び寄せればいいのであるが、道中、ちょうど木陰で昼寝している天跳の姿を見つけたので、そこで声を掛け、三人は、天跳と一緒に残りの道をたどった。

「家なんて、ほとんど夜寝に帰るだけだからな。客を通せるようなとこじゃないぜ」

 と、天跳は少し困ったように前置きした。


 天跳の家は、竹林の奥にあった。

 天跳がどんな家に住んでいるのか、一道は、それまでいまいち想像がつかなかったが、実物を一目見れば、それはなるほどと納得できる住まいだった。

 その家は、石を積み上げて造られていた。手の平に乗るほどの石から、たっぷり一抱えはある石まで、石の大きさは大小いろいろだ。石の壁はところどころに蔦が這い、円錐形の屋根の上には草が生い茂っている。そんな家なのに、不思議と荒れ果てた感じはない。

 中に入ると、地面には床板も張られておらず、黒い土が露出していた。屋内の空間には仕切りがなく、何本かある大きな柱が剥き出しになっている。真ん中にあるテーブルは、巨大な丸太を縦真っ二つにして並べ、それにがっしりとした脚を取り付けたもので、そのそばには、椅子らしき切株があった。上を見上げると、天井はなく、屋根の骨組みであるたくさんの竹が、放射状に並んでいるのが見えた。屋根のてっぺんには天窓があって、そこから明かりが射している。


 家の中には、リンゴの木も植わっていた。

 その真っ赤な実をもいで、天跳は皮ごと齧った。カシッという音が響いて、リンゴの甘い爽やかな香りが、辺りに広がる。

 また、一道の腹がぐうと鳴った。

「腹減ってんのか、一道。おまえも食うか?」

「……」

 一道はちらりと里哉のほうを見た。里哉は、険しい表情で一道を睨んだ。

 やっぱり、だめなのだ。木に生っている果物に見えても、この国の食べ物は、すべて土でできている。リンゴの木も、そこからもいだリンゴの実も、全部まやかしなのだ。

「いらない」

 一道はうつむき、小声で一言、そう告げた。

 上目で天跳の顔を見ると、天跳は、薄く静かに笑みを浮かべ、一道をじっと見つめていた。

 一道は、喉の奥で呼吸を詰まらせる。

 だが、天跳は、すぐにニッと見慣れた笑顔になり、

「そっか。ま、食いたくなったら遠慮せず言えよ」

 と、普段どおりの調子で言った。

「仄美は、どうだ?」

「あ、いただきます」

「里哉さんは?」

「うーん……。僕は、いいや。今、腹減ってない」

「そっか」

 天跳は、リンゴをあと一つだけもいで、それを仄美に手渡した。


 それから、一道たちは地下室に下りた。

 床板もないこの家の地下への入口には、扉は付いておらず、ただ木の板を地面に置いて、穴を塞いであるだけだった。分厚く重いその板を、天跳にどかしてもらい、穴を覗き込むと、穴の中は真っ暗で――。

 と、不意に、穴の底が、色鮮やかな光に照らされて浮かび上がった。光はすぐに消えて、穴の中はたちまち闇で満たされる。しかし、直後にまた、今度は先ほどとは違う色の光が、穴の底を照らす。一道たちは、階段を下りて穴の中に入った。

 穴蔵の壁には次々に際限なく、様々な色形をした火の大輪が、咲いては消える。どおんと響き渡る炸裂音も、観覧する者たちのざわめきや歓声も聞こえない、無音の花火大会だ。花火の姿自体も、なんだか、外の世界の打ち上げ花火とは違って見えた。この地中に沈んでくるのは光だけで、その光に染められる夜空の雲も、大気も、ここには存在しないため、散りゆくすべての火の、純粋な彩りと輪郭が、隅々まで闇の中に浮かぶのである。


 一道たち四人は、穴の底の地面に並んで、座って花火を見た。

「ねえ。天跳さんは、どんな花火が好きですか?」

「そうだなあ。やっぱ、いちばんでっかく咲くやつかな! この地下室ん中の壁に、収まりきらねえくらいのが好きだぜ」

「大きな花火って、なんか、花火の中に吸い込まれそうになるよね」

「ああ、それがおもしれえ。仄美は、どんな花火が気に入ってんだ?」

「わたしは、真ん中から色の違う火が伸びていくのが、とても好きです。あ、ほら、ちょうど今咲いた……」

「時計草、っていう名前だったかな、この花火は……」

「ふうん。俺はどっちかってえと、火の尾の引かねえやつがいいな」

「じゃあ、天跳の好きなのは牡丹かな」

 他の三人が話している横で、一道は、なんとはなしに地面に目をやった。この地下室の地面って、やけにあなぼこだらけだなあと、ぼんやり思う。例の眠るときのための窪みなのだろうが、ざっと数えて十個以上はありそうだ。天跳はよほど寝相が多彩なのだろう。

 そんなことに気を取られていたとき、天跳が言った。


「一道。おまえ、里哉さんと仄美んとこの沈み灯も見たのか?」

「あ、うん……」

 いきなり呼びかけられた一道は、慌てて顔を上げて、うなずいた。

「一道は、どの沈み灯が気に入った?」

「え……。うーん、そうだなあ……。月の沈み灯も、蛍の沈み灯も、すごくきれいだったけど……。俺は、花火大会好きだから、やっぱ、天跳のとこのがいちばん……」

「へえ。それにしちゃ、つまんなさそうじゃねえか?」

「――そんなこと」

 一瞬泳いだ目を、一道は素早く壁のほうへ向ける。

 沈み灯の花火は、確かにきれいだ。花火そのものだけを見れば、外の世界のそれよりも。花火大会のとき、人の少ない静かな穴場を探して観覧する里哉であれば、こういう花火も好きかもしれない。

 だが、一道には、これもやはり物足りなく感じられた。

「まあ、なんだ。花火にせよなんにせよ、いい沈み灯が見つかるといいな。他の誰んとこの沈み灯よりも、一道が、本当にいちばん大好きだって思えるようなやつがよ」

「……うん?」

 話の流れがよく掴めず、一道は曖昧に語尾を上げた。

「建物はどうすんだ? 和風か? 洋風か? 出来上がったら茶に呼ぶくらいはしろよ」

「気が早いですよ、天跳さん。一道さんはまだ……。それに、どうせ梅雨が明けないと、新しい家は建てられないんですから」

「それもそうだな。梅雨明けまでは場所決めもできねえか……」

「ええ。ですから、ゆっくり考えてらしたらいいですよ。ね、一道さん」

 天跳と仄美は、一道のほうを向いて微笑んだ。


 一道は絶句した。

 二人とも、何を当たり前のように話しているのだ。

(新しい家? 俺の? 待て、待て、待て――)

 冗談ではない。なんでそういうことになるのだ。誰がいつ、この国に自分の家を建てて住むと言った? この国の民になってここで暮らすと言った――?

 まずい。話題を変えなければ。と、天跳と仄美がさらにこの話を続ける前に、一道は、急いで自分から口を開いた。


「そういえばさ、理土の屋敷にも、沈み灯ってあるのかな」

 一道が口にしたその疑問に、天跳と仄美は、顔を見合わせた。

「理土さまのお屋敷の沈み灯……。言われてみれば、聞いたことがありませんね。天跳さん、知ってます?」

「いや……。どうなんだろうなあ。沈み灯がないってことは、ねえと思うんだが」

「あるとしたら、どんな灯なんでしょう。誰か、見たことのある方はいないんでしょうか」

「さあ。わかんねえな」

 二人の会話に耳を傾けながら、一道は、理土の屋敷を探索したときに見つけた、座敷の迷路の終点にあった部屋のことを、思い出していた。あの部屋の床の扉。あれこそが、屋敷の地下室への入口なのではないだろうか。


「それはそうと、一道。家作るときは、手伝いが必要だったら遠慮なく呼べよ」

 天跳が楽しそうに笑って言った。

 そらした話題をあっさり戻されて、一道は心の中で舌打ちする。

「なんでも手伝うぜ。力仕事とか。一道の家、いいもんになってほしいからな」

「あ、わたしも。力仕事は苦手ですけど、家具とかいろんな小物とか、作れるものは作りますから、ぜひお手伝いさせてくだ――」

「やめてくれ」

 耐えきれず、一道は低く声を絞り出して、立ち上がった。

「さっきから勝手なことばっかり――いいかげんにしろ!」

 一道は、目を丸くしている天跳と仄美を見下ろし、睨みつける。

「俺は、この国に家なんか造らない。この国の民になんかならない! 里哉と一緒に、もとの世界に帰るんだ!」

 叫ぶべき言葉と共に、肺の中の息が、尽きた。

 空っぽになった肺が、反動で大きく空気を吸い込む。それを荒々しく吐き出してから、一道は他の三人に背を向け、振り返ることなく地下室をあとにした。

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