「沈み灯」其の二

 里哉が後ろから声を掛けた直後、一道は、地面に開いた穴に足を取られ、叫び声と共に転倒した

 里哉は慌てて一道に駆け寄る。

「大丈夫か?」

「あ、ああ……」

 一道は呻きつつ、里哉が手を貸してくれないので、自力で起き上がった。

「なんだ、この穴? こんなとこに……」

 服に付いた土を払いながら、一道は恨めしげに穴を睨む。

 穴はさほど深くなく、穴というより窪みと呼んだほうがいいくらいのものだった。体の短い太った蛇のような、歪な形をした窪みだ。

 また転んだらいやなので、一道は注意深く地下室の地面を見渡した。すると、一道が足を取られたもの以外にも、あと二つほど、同じように地面の窪んでいる箇所があるようだった。

「眠るときは、この窪みに体を入れて寝るんだよ」

 さらりとした口調で、里哉が言った。

 一道は驚いて里哉を振り返った。

「この窪みにって……え? 布団とか、枕とか、使わないのか?」

「ちゃんと、首とか腰とかに負担のかからない形に掘ってあるよ」

「でも……寝返り打てないぞ、これじゃ。それに、体丸めて寝たいときとか、どうすんだよ」

「窪みは、好きな数だけ好きな形に掘れるから。自分の寝やすい寝相に合わせて、いろんな窪みを作っておけばいいんだよ」


 そう言いながら、里哉は穴ぐらのなかの窪みを順番に指差した。よく見れば、窪みの形は確かに一つ一つ違っていた。一道が転んだのは、体を真っすぐ伸ばして寝るための形。他の窪みは、「C」の字のようになっているもの、「く」の字のようになっているものと、微妙にその曲がり具合が違う。そして、里哉が最後に指差した、地面ではなく壁に掘られた窪みは、そこに座ってもたれかかれば、背中がかぽりと窪みに嵌りそうな形だった。

 しかし、窪みがいくつあったところで、やっぱり寝返りは打てないし、窮屈な寝床に変わりはないだろうと、一道は思う。

「この国では、こういう窪みで寝るのが普通なのか?」

「うん。国の人たちはみんな、沈み灯が見える場所に地下室を掘って、その上に家を建てて……沈み灯の見える地中で、自分の体に合わせた窪みに入って眠るんだ。まあ、郷に入っては郷に従えってね」

 里哉は壁のほうへ歩いていって、窪みの掘られた場所に座り、その窪みに背中を嵌めこんで笑ってみせた。

「場所によって沈み灯の種類はいろいろだけど、月の沈み灯が見える家は珍しいらしいよ」

 里哉はさらにそう説明を加えた。


 月の沈み灯が見える家。それもなんとなく里哉にぴったりだと思いながら、一道は、再びその月へと瞳を向けた。

「他にはどんな沈み灯があるんだ?」

「そうだね。たとえば、ランプとか行灯とか、提灯とか蝋燭とか……。ずらっと並んだ提灯や蝋燭だと、たぶん、お寺とか神社とかのものが多いんじゃないかな。ああいうのってずっと同じ場所に灯るから。竈、囲炉裏、火鉢の火もあるよ。今はもう地上にない光や明かりも、沈み灯になって地中に残るんだろうね」

「へえ」

 一道は、壁の月から目をそらさず相槌を打つ。

「この月って、動かないの?」

「ああ。一応、ちょっとずつ動いてはいるはずだけどね。月みたいにもともと動くものは、沈み灯になっても動くんだって。火の沈み灯が多いから、たいていは、揺らめく程度には動くんだけど。月だと動きがゆっくりすぎて、見ててもよくわからないね。でも、仄美や天跳の家のなら、すごくわかりやすいよ」

「ふうん、どんなの?」

「仄美の家の沈み灯は飛び交う蛍。天跳のところは打ち上げ花火だ」

 それもまた、実にその二人らしい灯だと、一道は大きくうなずいた。

「……見に行ってみたいな。二人の沈み灯も」

 一道は、思わずそう口にしていた。


 言ってから、はっとした。

 外の世界にはない、この「異世の国」にしか存在しない、沈み灯。それをもっと見てみたいなんて、なんだかこの国に惹かれているようではないか。

 一道は、すぐに自分の言葉を取り消そうとしたが、

「いいね。これから、二人の家に行ってみようよ」

 里哉は乗り気な様子で立ち上がってしまった。

 一道はどうしようかと迷った。正直、沈み灯は見に行きたい。蛍の沈み灯も花火の沈み灯も面白そうだ。けれど、この国のものを楽しむなんてことは、できればしたくないのである。

 だが――自分がここで頑なな態度をとれば、里哉は自分をほっといて、一人で仄美と天跳の家に行ってしまいそうな気がする。そんなのいやだ。どうせ今日は国の出口を探しには行かないのだし、もっと里哉と一緒にいて、いろんなことを話したい。

(――沈み灯を、一つ見るのも二つ三つ見るのも、同じようなもんだ)

 結局、一道はそう考えて、里哉と共に仄美と天跳の家を訪ねることにした。

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