第十三話

「沈み灯」其の一

 里哉の「家」は、縁側のある瓦屋根木造の和風建築だった。

 家屋の周りには、若々しい緑の葉を付けた紅葉もみじや桜などの木々が茂り、垣根や塀はなくとも、小ぢんまりとした庭になっているようだった。

 一道と里哉は縁側から座敷に上がった。外から見た限りでは、家屋はさほど大きなものではなく、この座敷と、その奥に見える囲炉裏のある板床の部屋の他には、何もありそうになかった。里哉が一人で暮らすにはこのくらいでちょうどよいのだろう。


 一道は、里哉に促されるまま、座卓の前に敷かれた座布団に座った。里哉もその向かいに腰を下ろす。庭に面した二面の障子は、すべて開け放たれており、一道のいる位置から庭の景色がよく見渡せた。木々の緑。苔むした地面。石燈篭。花の咲いていないヤマツツジ。淡い配色を滲ませる紫陽花の花……。小さな庭ではあるが、昔見た土手本家のお屋敷の――向こうはしかし、はるかに広大な――庭を思い起こさせる風情であった。


 そういえば、と一道は思う。土手本家の庭には、確か池があったはずだ。この庭に池はない。あってもよさそうな庭なのに。

 だが、少し考えて一つの可能性に気づく。もしかすると、この国に池とか川とか、そういうものは一切存在しないのではないだろうか。なんといってもここは、水に溶けてしまう土人形たちの暮らす国なのだ。池なんてものは、土人形たちにとってみれば、マグマ溜まりのように危険で、近づきたくないものなのかもしれない。理土の屋敷の広い庭にも池はなかったし、この国では、きっと庭に池を作ることは良いことではないのだ。


 一道は庭から目を移し、今度は座敷の中を見回す。

 一道の借りている寝間とは違い、この座敷には、一通りの家具や調度品が揃っていた。湯飲みや匙、茶筒などの入った茶棚。民芸調の小箪笥。竹ひごの骨組みに和紙を貼った照明。家具や調度品はみな渋い色合いとデザインのもので、そのどれもが互いに調和し合い、和紙を透かした光が、それらをやわらかく照らしている。

 和服を纏い、くつろいだ姿勢で庭を眺める里哉の姿は、そんなこの家の空気にこれ以上ないほど溶け込んでいた。

「これは……。おまえの趣味全開だな」

「いいだろ。この国じゃ、誰でも自分の好きな家を持てるし、自分好みの家具でも服でも、いくらでも揃えられるんだよ。材料は全部土だからね。箪笥の中には作務衣とか浴衣とか羽織とか、和服がいろいろ入ってるんだ」

 里哉はそう言ってうれしそうに笑った。

 あまり中学生男子らしからぬ趣味ではあるが、里哉は前から、こんな庭のあるこんな家、こんな部屋に住んでみたかったのかもしれない。確かに里哉には似合っているし、センスのよい部屋だと、和風インテリアなどには特に興味のない一道も思った。こういう部屋や庭のことを、一般には「落ち着いた雰囲気がある」というのだろう。

 しかし、あまりに雑味がなさ過ぎる。調和を壊すものを一切排除した、混じりけのない完成されたこの家の空気に、一道は息苦しいような居心地の悪さを覚えた。


 一道は所在無く室内を見回す。

 その目が、ふとある一点で止まった。

 座敷の奥の部屋にある囲炉裏の、そのまた奥。そこの床板に、一つの扉らしきものがあった。

 そういえば、理土の屋敷にも、床に扉のある部屋があったなと、一道は思い出す。あれは一体なんなのだろう。

「里哉。あそこの、囲炉裏の後ろにあるのって、扉だよな? あれ、中はどうなってんだ?」

「ああ、あれはね」

 里哉は、一道の目線の先を振り返って答えた。

「あの扉の下に、寝室があるんだよ」

「寝室? この家、寝るための部屋が地下にあるのか?」

「うん。ここだけじゃなくて、この国の家はみんなそうなんだ」

 里哉はおもむろに立ち上がり、部屋の奥へと進んだ。

「中に入ってみる? 面白いもの、見せてやるよ」

 興味をそそられ、一道は腰を上げた。

 一道は、里哉と共に床の扉の前にしゃがみ込んだ。扉板の端には、やはり障子戸などにあるような窪みが彫られている。里哉はその窪みに手をかけて、扉を開けた。


 覗き込むと、扉の中は薄暗く、梯子を斜めにしたような階段がぼんやりと見えた。階段を照らし出す明かりは、今いる部屋の照明にも使われているのであろう石の光とは、少し異なるもののように感じられた。

「足元、気をつけて」

「うん」

 里哉のあとに付いて、足元に目を落としつつ、一歩一歩、慎重に階段を降りていく。

 足が床に着いてから、一道はようやく顔を上げた。

「うわあ」

 一道は思わず声を漏らした。

 地下室は、部屋というよりも地中に彫った大きな穴であった。空間は丸みを帯びていて角もなく、壁は地中の土そのままだ。

 そして、その壁の中に、一つの大きな満月が浮かんでいた。

 鮮明な輪郭を持つ明かりの円。その内に描かれた、透き通るような影の模様。白々と澄んだ光を放つそれは、闇の中に灯る宝石の玉を思わせた。

 一道は瞬きすることも忘れて、月を見つめた。

 半ば意識の呆けた一道の耳に、里哉の声が、かろうじて届く。

「この月、しずっていうんだよ」

「……沈み灯?」

「うん。外の世界のね、ずっと同じ所にある明かりや、何回も何回も繰り返し同じ場所に現れる光が、長い年月をかけて地中に沈んできて、こんなふうに見えるんだって」

 説明を聞きながら、一道は、月の浮かぶ壁にゆっくりと歩み寄る。

 と、そのとき。

「一道! 気をつけて、足元――」

「えっ……」

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